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2007年12月31日
12月31日「ありがとう」
遂にこの日を迎えた。
いい意味でも悪い意味でも、メジャーにならなかった、いや、なれなかったホワイトマンプロジェクトだが、僕にとってそんなことは関係ないくらいのメンバーとの出会いに本当に感謝している。5年間の最後に感謝の意味を込めて全メンバーを紹介させていただきたい。
No.2カマン
僕と同じ怠け者仲間であるが、僕と正反対で現実を見渡す能力がずば抜けていた。冗談ぬきに彼がいなかったらホワイトマンは存続していなかったと思う。現在も関西を中心に活躍する舞台俳優である。
No.3コープマン
「今日のご飯何?」自分の家のように人の家の食事を聞き、彼の家族に嫌がられるほど、よく彼の家に飲みに行き、彼の家に泊った。カマンと同じ舞台俳優なのだが、現在は子育て中心の生活を送っている。
No.4レインボーマン
ホワイトマンの実験イベントは彼の個展から始まった。コミュニケーションアートの第一人者として、現在もアーティストとして活躍している。
No.5メタルマン
20代の頃、イシコのぼろアパートに2年ほど居候していた親友である。有名劇団の舞台俳優として活躍し、特に今年、有名女優と結婚し、昔から欲しがっていた待望の子供も授かったそうだ。
No.6K3
女性だったことを忘れるほど来日すると親友のように飲んでいた。ニューヨーク、ブロードウェイに立ち続ける日本人記録を塗り変え、今日も舞台に立って暴れているはずである。
No.7かめら~まん
とにかく一緒によく飲んでいたホワイトマンの一人である。ニューヨーク在住20年のカメラマンは来年の夏から、本格的に日本での活動を開始するらしい。
No.8オメン
彼は英語、僕は日本語という不思議なコミュニケーションをとっていた。ニューヨークで映像アーティストとして活躍していた彼は現在、オランダに移住し、活動している。
No.9ブランドン
パーティーが何より好きな女性だった。現在、ロサンゼルス在住でアパレル関係の会社を起業し成功を収めたそうだ。そして今でもパーティーマシーンというニックネームを持っているらしい。
No.10バランスマン
7年ほど前、僕が雑誌編集長時代、ニューヨークのオフブロードウェーに彼等と一緒に行き、罰ゲームでブルーマンという青塗りのショーを僕が白塗りで観に行ったのが、ホワイトマンのきっかけだった。現在も編集プロデューサーとして活躍している。
No.11ボッチャマン
ホワイトマンプロジェクトが始める寸前、彼の自宅に何日か泊まり込み、ワインを飲みながら5年間で遊ぶことを語り合った。現在も家具作家として、フィラデルフィアで活躍中である。
No.12アニマン
「今日はキリンの大移動です」とメールで非日常な写真を送ってくれた彼女は、現在もケニアでマサイ語ペラペラの獣医として、また国境なき獣医団を作るために奔走している。
No.13ウサプリン
空の写真で知られる写真家の彼女には本当にいろいろな面で支えてもらった。現在、彼女は闘病生活を続けながら、新しいシリーズ「花」の写真を発表し続けている。
No.14ブラウン
映像の発想という面で彼からいろいろなインスピレーションをいただいた。現在も映像作家として活躍しながら、「世界の音の遺産」をテーマにした映画製作の準備を続けていると思う。
No.15ヒーマン
最初はピアニスト「ピアノン」だったが、この5年間で20キロ以上太り、いつしか「ヒーマン」と呼ばれるようになった。現在、様々なプロジェクトのプロデューサーとして活躍している。
No.16アトムン
世界一腰の低いラッパーなのではないだろうか。名作「イメージ」という彼の曲は今でも時々、口ずさむときがある。現在もラッパーとして、国内外で活躍している。
No.17シャーマン
5年間、僕の髪のヘアスタイルは、ほぼ彼が創ってくれていた。ヘアデザイナーだけではなく、デザイン全般のプロデューサーとしても活動している。
No.18ロイヤン
ホワイトマンの写真の肖像権に関して、大リーグの肖像権を持ちだしながら説明してくれたエンターテイメント専門の弁護士。今では日本のエンターテイメント専門の弁護士の第一人者と言われているそうだ。
No.19ズジョウ
彼がプロデュースしたスゥエーデンのリュックメーカーとホワイトマンのコラボレーションは本当に人気ですぐに完売になってしまった。貿易ビジネスに飽きてしまった彼は次の面白いことを模索中らしい。
No.20ツジツマン
日本語でも難しいホワイトマンの解説を英語で翻訳してくれたのが彼である。現在、スポーツブランドに所属し、日本をあちこち旅しながらイベントを創っているという噂である。
No.21ムジュマン
ホワイトマンを見た途端、「私、どこで白に塗ればいいかしら?」とその場でメイク室を探していた本当に面白い女性だった。現在、ローマ在住で国連関連の事務所に勤めているそうだ。
No.22リーマン
最初に会ったとき、その風貌と態度から40代の不動産の社長だと思った。実際は20代だったが、音楽関連の企業に勤めながら40代なみに様々な音楽関連のプロデュースをしている。
No.23ゲーマン
同級生の僕は彼の時間の使い方に、いつも感心していた。人より遊び、人より働き、何より人よりゲームもする。現在、彼が経営するソフトウェアの会社は飛躍的に大きくなっている。
No.24キャスパー
この5年関で一緒に旅をした最も多かった人ではないだろうか。映画のサイトから映画配給、映画製作にまで活動の幅を広げ、エンタメ系IT社長としてとどまるところを知らない。
No.25マウスマン
彼にメール連絡は通じない。未だに電話でのやりとりになる。しかも会う約束していてもいい波が来るとサーフィンに行ってしまう。還暦を迎える彼は、未だにレジェンドサーファーとして世界中で知られている。
No.26,27リョウ、ショウ
ホワイトマンを始めた頃は、中学生だった双子のキャラクターも来年から大学生である。つい最近、二人とも希望の大学に推薦で合格した。
No.28ストーンマン
「大学卒業してすぐにモロッコでマツタケの会社を起業したんです」という言葉が今も忘れない。
現在、宝石商として、また世界に日本のおにぎり文化を伝える任意団体の代表として活躍している。
No.29キーマン
最初、ホワイトマンの事務所は彼の持ち物である六本木の立派な事務所を借りていた。現在、誰もが知っている検索エンジンの会社の部長として分刻みの忙しい毎日を送っているそうだ。
No.30ち~ムーン
18年連れ添ったというか迷惑をかけてきた彼女。確実に言えることは、現在もヴォイストレーナーとして僕より働いているということ。
No.31ホーガン
スキー界の名物コーチだった同級生の彼は、現在、スキー業界から離れたところで生活したいと札幌の実家に戻り、釣りを中心の生活を送っていると聞く。
No.32アッパー
香港のアート雑誌にホワイトマンが紹介された。その写真で選ばれたのが彼がガングロの女性と一緒に撮られた写真であった。109系のアパレルオーナーとして国内外問わず活躍している。
No.33イタロ
クラシックカーレース「ミッレミリア」に彼の車で二度出場した。現在、彼はデザイン事務所を経営しながら某有名企業社長の講演演出など、ジャンルを問わない面白い活動をしている。
No.34バルーンマン
最年少のホワイトマンでチェンマイに住む彼は、マジシャンになりたいと言っていた小学生だった。今は中学生になり、先日、テレビの企画で「セロ」にマジックを教わっていた。
No.35ピースマン
彼が経営していた一色海岸の伝説の海の家に行くことが夏の楽しみだった。今年の春、県会議員となり、環境を考える政治家として活躍している。
No.36ネーザン
僕より一回り下なのに、既に僕以上生きている程、様々な活動をしてきている。広告代理店に勤めながら、現在もベーシストとして活躍している。
No.37ショッカー
沖縄ではじめて彼の文字を見た時、どこかで見たことのある字だなぁと思っていたら、その見たことのある字の作者だった。現在、書家として、大きなプロダクションが彼のマネージメントにつき大躍進中である。
No.38ミカエル
もう3年以上会っていないが、最初に会ったとき、人見知りの僕が、珍しくすぐにいろいろ話しこんでしまった珍しいプロデューサーだった。万博関連のプロデューサーとして現在も活躍しているそうだ。
No.39カロン
ホワイトマンの劇場公演を観た彼女が、地球温暖化防止プロジェクトにホワイトマンを推薦し、環境省で白塗りをした(僕でなくカマンが)プレゼンをして1年間、仕事をさせていただいた。最近、連絡をとってないので情報が不確かだが、聞くところによると子育て奮闘中だとか。
No.40サイエンスマン
イベントで対談した相手としては一番多かった彼。モンゴルなど旅にも何度か行った。トルコ人初の宇宙飛行士候補で現在は、日本最高峰の国立大学の先生でもある。
No.41エターナルドリーマー
初めて彼と会食しようと思ったとき、「ものすごく偉い人なんだから、ちゃんとしてね!」と周囲から言われたが、あまりにゆるゆるな方なので楽しくて飲み過ぎてその場で寝てしまった。現在も、某有名企業のお偉いさんらしい。
No.42名無し
唯一の名無しのホワイトマン。誰もが知っているヒット映画シリーズのプロデューサーだった彼は、名前を考える時間もなく、そのままホワイトマンが終了した。
No.43ゲスト枠
ゲスト枠用に創ったホワイトマン番号だが、ほとんど使うことがなかった。最後のビジュアルブックで7名のホワイトマンが使ったくらいである。来年からの方がこの番号を使う可能性が多いのかもしれない。もう番号はなくなるけれど。
No.44テンイムホウ
HP上のキャラクター紹介では41番までしかないが実は44番まで番号はあった。「私、44番で~」とおっしゃっていた彼女だが、結局、紹介する機会がなかった。国が初めて国家資格としてのヒーラーとして認められ、今も密かに様々な人の治療にあたっている。
これ以外にもマネージャーとしてお世話になった松本氏を始め、ゆるやかな約150名の関係者がつながっていった。このプロジェクトは終了するが、この人間関係は、続いていくのだと思う。本当に本当にありがとうございました。そして、いつも交遊録を呼んでくださった皆様。ありがとうございました。
ホワイトマンプロジェクトは終了しますが、明日からは新しいプロジェクト「セカイサンポ」が本格的に始まりますので、引き続き、よろしくお願い申し上げます。
ホワイトマンは星に還りますが、イシコは星に還らず、世界のどこかに現れるかもしれません。
もし、見かけたら声をかけてください。お目にかかれる日を楽しみにしております。

さて、さて、旅に出ます~。
投稿者 ishiko : 2007年12月31日 23:35




