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2007年12月10日
12月8日「段ボール肉まんはホントだった?」
環境に関することに時代性が加わった「ソトコト」という人気雑誌がある。
その「ソトコト」に中国版が創刊されたのだそうだ。
「ソトコト」中国版編集部の松田氏と中国の大学に通う日本人の方3名と飲む。
実際にその土地に住んでいる方々に聞ける機会なんて早々ない。
シャーペンの芯は長さが揃っておらず、すぐに折れてしまい、ノートの紙質が悪く消しゴムで消すと破れてしまうなど学生ならではの話、バスの運転手さんは優しい方も多く、発音がわからなくても乗る時に行きたい地名を紙に書いて渡せば、降りるところで呼んでくれるなど住んでいるからこそ聞ける興味深い話のオンパレードである。
そして、今、日本で話題になっている中国野菜。
家庭では野菜についた農薬を落とすために洗剤を使っていることをある報道番組で観たことがある。
やはり実際に北京在住の日本人も使っているそうだ。
野菜を洗剤で洗うというのは少々、抵抗がある気もするが、農薬まみれの野菜を食べるよりマシで使っていて、そのうちそれが当たり前になってきているのだと言う。
恐らく僕も中国に住んだとしたら使うのだろうと思う。
きっと賞味期限切れ問題などで大騒ぎする日本の方が中国人にとっては不思議に映るのかもしれない。
ましてや崎陽軒のシュウマイのように原材料の位置の問題で大騒ぎすることは理解しがたいだろう。
この国では原材料が不明なものは街にあふれている。
原材料といえば、一時期、段ボール肉まんというのが流行ったことがある。
結局、これは記者のでっち上げということだったが、実は本当だったという話は今も中国国内では残っているそうだ。
まぁ、ペットボトルに水道水を入れて、売っている人もいるという話だし、とにかく生きていくために何でもする。
日本も戦後まもなくは似た世界があったのではないのだろうか。
一概にどちらが正しくて、どちらが正しくないとは言い切れない気がする。
どちらにせよ日本の常識だけが世界の常識ではないことは確かである。
ひょっとすると世界の常識も何かのきっかけでがらりと変わったりすることもあるのかもしれない。
だから僕は常識という言葉があまり好きではないのかもしれない。
それは僕自身が常識にとらわれすぎていることへのコンプレックスなのだとは思うのだが。
書きながら、昨日、書いた偽札の話を思い出した。
やはり普通に出回っているそうだ。
日本だったら一枚出ただけでも大騒ぎになるのだが、この街では普通に釣銭に紛れていたりするのだそうだ。
知らずに財布に入れ、次に使うときに知らずに取り出しても
「これ偽札だから使えないよ」
とお店で突き返されて、終わり。
「それでも常識はいらないの?」
と聞かれると答えに詰まってしまうのだが…。

英語名の表記は中国語はいい漢字をあてる。
例えば、レッドブルは「維生素功能飲料」となる。
生命を維持する功能が詰まっている飲料という感じがしていかにも効きそうである。
しかし、このメイジンはいかがなものだろう。
迷人と名人では逆のような気がするのだが…。
投稿者 ishiko : 2007年12月10日 10:54




