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2007年12月31日

12月31日「ありがとう」

遂にこの日を迎えた。
いい意味でも悪い意味でも、メジャーにならなかった、いや、なれなかったホワイトマンプロジェクトだが、僕にとってそんなことは関係ないくらいのメンバーとの出会いに本当に感謝している。5年間の最後に感謝の意味を込めて全メンバーを紹介させていただきたい。

No.2カマン
僕と同じ怠け者仲間であるが、僕と正反対で現実を見渡す能力がずば抜けていた。冗談ぬきに彼がいなかったらホワイトマンは存続していなかったと思う。現在も関西を中心に活躍する舞台俳優である。

No.3コープマン
「今日のご飯何?」自分の家のように人の家の食事を聞き、彼の家族に嫌がられるほど、よく彼の家に飲みに行き、彼の家に泊った。カマンと同じ舞台俳優なのだが、現在は子育て中心の生活を送っている。

No.4レインボーマン
ホワイトマンの実験イベントは彼の個展から始まった。コミュニケーションアートの第一人者として、現在もアーティストとして活躍している。

No.5メタルマン
20代の頃、イシコのぼろアパートに2年ほど居候していた親友である。有名劇団の舞台俳優として活躍し、特に今年、有名女優と結婚し、昔から欲しがっていた待望の子供も授かったそうだ。

No.6K3
女性だったことを忘れるほど来日すると親友のように飲んでいた。ニューヨーク、ブロードウェイに立ち続ける日本人記録を塗り変え、今日も舞台に立って暴れているはずである。

No.7かめら~まん
とにかく一緒によく飲んでいたホワイトマンの一人である。ニューヨーク在住20年のカメラマンは来年の夏から、本格的に日本での活動を開始するらしい。

No.8オメン
彼は英語、僕は日本語という不思議なコミュニケーションをとっていた。ニューヨークで映像アーティストとして活躍していた彼は現在、オランダに移住し、活動している。

No.9ブランドン
パーティーが何より好きな女性だった。現在、ロサンゼルス在住でアパレル関係の会社を起業し成功を収めたそうだ。そして今でもパーティーマシーンというニックネームを持っているらしい。

No.10バランスマン
7年ほど前、僕が雑誌編集長時代、ニューヨークのオフブロードウェーに彼等と一緒に行き、罰ゲームでブルーマンという青塗りのショーを僕が白塗りで観に行ったのが、ホワイトマンのきっかけだった。現在も編集プロデューサーとして活躍している。

No.11ボッチャマン
ホワイトマンプロジェクトが始める寸前、彼の自宅に何日か泊まり込み、ワインを飲みながら5年間で遊ぶことを語り合った。現在も家具作家として、フィラデルフィアで活躍中である。

No.12アニマン
「今日はキリンの大移動です」とメールで非日常な写真を送ってくれた彼女は、現在もケニアでマサイ語ペラペラの獣医として、また国境なき獣医団を作るために奔走している。

No.13ウサプリン
空の写真で知られる写真家の彼女には本当にいろいろな面で支えてもらった。現在、彼女は闘病生活を続けながら、新しいシリーズ「花」の写真を発表し続けている。

No.14ブラウン
映像の発想という面で彼からいろいろなインスピレーションをいただいた。現在も映像作家として活躍しながら、「世界の音の遺産」をテーマにした映画製作の準備を続けていると思う。

No.15ヒーマン
最初はピアニスト「ピアノン」だったが、この5年間で20キロ以上太り、いつしか「ヒーマン」と呼ばれるようになった。現在、様々なプロジェクトのプロデューサーとして活躍している。

No.16アトムン
世界一腰の低いラッパーなのではないだろうか。名作「イメージ」という彼の曲は今でも時々、口ずさむときがある。現在もラッパーとして、国内外で活躍している。

No.17シャーマン
5年間、僕の髪のヘアスタイルは、ほぼ彼が創ってくれていた。ヘアデザイナーだけではなく、デザイン全般のプロデューサーとしても活動している。

No.18ロイヤン
ホワイトマンの写真の肖像権に関して、大リーグの肖像権を持ちだしながら説明してくれたエンターテイメント専門の弁護士。今では日本のエンターテイメント専門の弁護士の第一人者と言われているそうだ。

No.19ズジョウ
彼がプロデュースしたスゥエーデンのリュックメーカーとホワイトマンのコラボレーションは本当に人気ですぐに完売になってしまった。貿易ビジネスに飽きてしまった彼は次の面白いことを模索中らしい。

No.20ツジツマン
日本語でも難しいホワイトマンの解説を英語で翻訳してくれたのが彼である。現在、スポーツブランドに所属し、日本をあちこち旅しながらイベントを創っているという噂である。

No.21ムジュマン
ホワイトマンを見た途端、「私、どこで白に塗ればいいかしら?」とその場でメイク室を探していた本当に面白い女性だった。現在、ローマ在住で国連関連の事務所に勤めているそうだ。

No.22リーマン
最初に会ったとき、その風貌と態度から40代の不動産の社長だと思った。実際は20代だったが、音楽関連の企業に勤めながら40代なみに様々な音楽関連のプロデュースをしている。

No.23ゲーマン
同級生の僕は彼の時間の使い方に、いつも感心していた。人より遊び、人より働き、何より人よりゲームもする。現在、彼が経営するソフトウェアの会社は飛躍的に大きくなっている。

No.24キャスパー
この5年関で一緒に旅をした最も多かった人ではないだろうか。映画のサイトから映画配給、映画製作にまで活動の幅を広げ、エンタメ系IT社長としてとどまるところを知らない。

No.25マウスマン
彼にメール連絡は通じない。未だに電話でのやりとりになる。しかも会う約束していてもいい波が来るとサーフィンに行ってしまう。還暦を迎える彼は、未だにレジェンドサーファーとして世界中で知られている。

No.26,27リョウ、ショウ
ホワイトマンを始めた頃は、中学生だった双子のキャラクターも来年から大学生である。つい最近、二人とも希望の大学に推薦で合格した。

No.28ストーンマン
「大学卒業してすぐにモロッコでマツタケの会社を起業したんです」という言葉が今も忘れない。
現在、宝石商として、また世界に日本のおにぎり文化を伝える任意団体の代表として活躍している。

No.29キーマン
最初、ホワイトマンの事務所は彼の持ち物である六本木の立派な事務所を借りていた。現在、誰もが知っている検索エンジンの会社の部長として分刻みの忙しい毎日を送っているそうだ。

No.30ち~ムーン
18年連れ添ったというか迷惑をかけてきた彼女。確実に言えることは、現在もヴォイストレーナーとして僕より働いているということ。

No.31ホーガン
スキー界の名物コーチだった同級生の彼は、現在、スキー業界から離れたところで生活したいと札幌の実家に戻り、釣りを中心の生活を送っていると聞く。

No.32アッパー
香港のアート雑誌にホワイトマンが紹介された。その写真で選ばれたのが彼がガングロの女性と一緒に撮られた写真であった。109系のアパレルオーナーとして国内外問わず活躍している。

No.33イタロ
クラシックカーレース「ミッレミリア」に彼の車で二度出場した。現在、彼はデザイン事務所を経営しながら某有名企業社長の講演演出など、ジャンルを問わない面白い活動をしている。

No.34バルーンマン
最年少のホワイトマンでチェンマイに住む彼は、マジシャンになりたいと言っていた小学生だった。今は中学生になり、先日、テレビの企画で「セロ」にマジックを教わっていた。

No.35ピースマン
彼が経営していた一色海岸の伝説の海の家に行くことが夏の楽しみだった。今年の春、県会議員となり、環境を考える政治家として活躍している。

No.36ネーザン
僕より一回り下なのに、既に僕以上生きている程、様々な活動をしてきている。広告代理店に勤めながら、現在もベーシストとして活躍している。

No.37ショッカー
沖縄ではじめて彼の文字を見た時、どこかで見たことのある字だなぁと思っていたら、その見たことのある字の作者だった。現在、書家として、大きなプロダクションが彼のマネージメントにつき大躍進中である。

No.38ミカエル
もう3年以上会っていないが、最初に会ったとき、人見知りの僕が、珍しくすぐにいろいろ話しこんでしまった珍しいプロデューサーだった。万博関連のプロデューサーとして現在も活躍しているそうだ。

No.39カロン
ホワイトマンの劇場公演を観た彼女が、地球温暖化防止プロジェクトにホワイトマンを推薦し、環境省で白塗りをした(僕でなくカマンが)プレゼンをして1年間、仕事をさせていただいた。最近、連絡をとってないので情報が不確かだが、聞くところによると子育て奮闘中だとか。

No.40サイエンスマン
イベントで対談した相手としては一番多かった彼。モンゴルなど旅にも何度か行った。トルコ人初の宇宙飛行士候補で現在は、日本最高峰の国立大学の先生でもある。

No.41エターナルドリーマー
初めて彼と会食しようと思ったとき、「ものすごく偉い人なんだから、ちゃんとしてね!」と周囲から言われたが、あまりにゆるゆるな方なので楽しくて飲み過ぎてその場で寝てしまった。現在も、某有名企業のお偉いさんらしい。

No.42名無し
唯一の名無しのホワイトマン。誰もが知っているヒット映画シリーズのプロデューサーだった彼は、名前を考える時間もなく、そのままホワイトマンが終了した。

No.43ゲスト枠
ゲスト枠用に創ったホワイトマン番号だが、ほとんど使うことがなかった。最後のビジュアルブックで7名のホワイトマンが使ったくらいである。来年からの方がこの番号を使う可能性が多いのかもしれない。もう番号はなくなるけれど。

No.44テンイムホウ
HP上のキャラクター紹介では41番までしかないが実は44番まで番号はあった。「私、44番で~」とおっしゃっていた彼女だが、結局、紹介する機会がなかった。国が初めて国家資格としてのヒーラーとして認められ、今も密かに様々な人の治療にあたっている。

これ以外にもマネージャーとしてお世話になった松本氏を始め、ゆるやかな約150名の関係者がつながっていった。このプロジェクトは終了するが、この人間関係は、続いていくのだと思う。本当に本当にありがとうございました。そして、いつも交遊録を呼んでくださった皆様。ありがとうございました。
ホワイトマンプロジェクトは終了しますが、明日からは新しいプロジェクト「セカイサンポ」が本格的に始まりますので、引き続き、よろしくお願い申し上げます。
ホワイトマンは星に還りますが、イシコは星に還らず、世界のどこかに現れるかもしれません。
もし、見かけたら声をかけてください。お目にかかれる日を楽しみにしております。

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さて、さて、旅に出ます~。

投稿者 ishiko : 23:35

12月30日「2007年総括」

明日で5年間のホワイトマンプロジェクトが終わる。
その前に、2007年という一年単位を振り返って、今年、思い出深い10のキーワードをあげることにする。


●政治
身内から、かなり賛否両論を呼んだ選挙絡みのお仕事を生まれて初めて受けた。
7月の参議院選挙の前哨戦としてホワイトマンが乗るオープンカーや俳優が演じるステージカー、ロケバスなど、5台16名のスタッフで西日本を2週間、駆け巡った。
蛇口をひねれば水が飲めることなど、日々、当たり前に思っていることに実は政治が絡んでいることを改めて知った。
終わった時、意外にホワイトマンの周囲から褒められた。
しかし、みんなが褒めたのは、僕らの労をねぎらったのではなく「民主党さんはよく白塗りをオッケーさせてくれたね」ということだった。

●キューバ
ずっと行ってみたかった社会主義のラテン国家に、ようやく行くことができた。
これだけの情報社会なのに、カストロという一人のカリスマが国を統括し、アメリカと喧嘩している国である。
取材中にも関わらず、わがままを言って、一人で街を歩かせてもらった日もあった。
そして僕は詐欺にあった。
それでもキューバはもう一度、行ってみたい国である。

●旅
今年も旅の多い一年だった。
旅を続けながら、ホワイトマン終了後、来年からの新プロジェクトは自分なりの「旅のテーマ」をもう少し具体化したいと思った。
「旅」=「散歩」に決め、「セカイサンポ」と名付けた。
マネージャーの松本氏は、
「イシコを見ていると腹が立たない?世界を散歩するんだって…。稼いでもいないのに…。ね?腹立つでしょ?」
今日も彼女の部下達を洗脳している。

●英語
海外の旅や仕事をしてきたにも関わらず、ずっと避けてきた語学学習。
1ヵ月近くニューヨークにいたときでさえ、最終日にレストランで「すいませ~ん」とウエイターを呼んでいた僕が遂に英会話を勉強することにした。
やり始めると頭で覚えるのではなく、身体で覚える感じが心地よく、先日、機内で隣の外国人に声をかけられ、ポロッと「fine!How are you ?」と反射的に自然に英語が出てきたのが新鮮だった。
「40歳からの英語克服」
来年も英語学習を続けていくつもりである。

●生出演
アドリブに弱い。
プレッシャーに弱い。
だから、僕は生放送だけは絶対に出たくなかった。
そんな僕だが最後の最後でテレビに生出演した。
ほとんど誰にも言わなかった。
それでも観ている人がいて、びっくりして電話がかかってきたり、メールが山のように届いたりし、テレビの凄さを感じた。
テレビの感想?
もう二度と生出演することはないだろう。

●ウインドウズ
元々、IT音痴の僕は、ずっとマッキントッシュを使ってきた。
それが来年からのセカイサンポに向け、ウインドウズに変えた。
僕にとっては携帯の会社を変えるより、車を右ハンドルから左ハンドルに買い替えるより、大変なことであった。
変えた理由はと僕はよくパソコンを壊すからである。
しかし、来年からのセカイサンポでは、連載原稿や写真を定期的に送らなければならないのでパソコンを少しでも壊れにくい「レノボ」のノートパソコンにした。
でも、既にあまり調子がよくない。
やはり以前より言われているように僕の手から何か変な波動が出ているのかもしれない。

●ビジュアルブック
ホワイトマンプロジェクトが終わる。
しかし、ホワイトプロジェクトは続けようと思う。
紛らわしいが、「マン」だけが取れ、白いプロジェクトを続けようと思っている。
わかりやすく言うと希望者の人達の素顔と白く塗った顔をセットで撮りためていきたいなぁと思っている。
それを世界中の人々でやってみようと。
そこで来年のセカイサンポで世界の人々へのお土産として、渡せるビジュアルブックを創った。
3000部はちょっと刷り過ぎかもしれないが…。

●アメリカドラマ
僕は、あまりのめり込めない。
典型的な飽き性のふたご座である。
そんな僕がまさかここまで、ジャックバウアーにハマるとは思わなかった。
アメリカのドラマ「24」である。
どうして、みんな徹夜してまで観るかなぁと理解できなかった僕が、約2カ月間でシリーズ5まで見終えてしまった。
早寝早起きの僕にとって憧れの徹夜は残念ながらできなかったが、打ち合わせを全てキャンセルして、昼間、一日中見ていることはあった。
ご迷惑をかけた皆様、スミマセン!

●禁酒
酒は弱いが、好きである。
好き故に朝から飲んでしまうこともある。
そんな僕が生まれて初めて…、いや正確にはお酒が飲めるようになってから初めて禁酒をした。
きっかけはだらだらと書いていなかった「うまい棒」の本を書きあげようと思ったのである。
こうして約2カ月間、禁酒をした。
本?未だ書きあがっていない。
酒?今日も朝から飲んでしまった。
そう。やはり今年もダメ人間だったのである。

●実家
現在、実家は母の葵ちゃんと姉の磨奈美ちゃんが住んでいる。
高齢の葵ちゃんには庭掃除が負担になってきている。
姉は高校の先生をしていてプライベートの時間も、ほとんどないほど走り回り、家の管理にまではとても手が回らない。
今年は実家の処分について真剣に考えた年でもあった。
売り払ってマンションに越そうか?いやいや、やはり先祖代々の家だから売っては面目ない。
でも二人で暮らすには大きすぎるので分割して売るか?
いやいや、やはりこの庭を見ている時間が家族全員好きである。
堂々巡りで未だ結論は出ていない。

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いろいろな方向が見えてきた年だった気がする。

投稿者 ishiko : 14:29

12月29日「ホワイトマンって何次元だったんだろう」

デザイナーの増田氏とCM製作の加納氏と焼酎を飲みながら次元の話をしていた。
「次元」などと書くと一見、難しそうな話だが、これに「宇宙人」という言葉を入れると急に入りやすくなるから不思議である。
宇宙人はいったい何次元に生きているのだろうという話になった。
正解は誰にもわからないのだから、それぞれの想像で語り合える。

いつしか表現の次元の話に移っていた。
増田氏は、現在、ポスターや雑誌など平面上、すなわち二次元のクリエイターである。
加納氏の場合、映像、すなわち三次元のクリエイターとなる。
酔っぱらっていたこともあるのだろうが、だんだん話はこんがらがり、本当に雑誌は二次元なのか、本当に映像は三次元なのか、話は白熱していった。

帰り道、一人歩きながら、ふと、ホワイトマンって何次元だったのだろうと考えた。
その前に
「ホワイトマンって何?」
「ホワイトマンプロジェクトってどんな団体?」
という質問の答えは5年間の活動の最後まで出なかった。
一応、有限会社「ホワイトマンプロジェクト」という形はあるが社員は僕だけ。
一見、サークルのようでもあり、NPOのような感じでもあるが、特に理念があるわけでもない。
飲み友達の集まりか?と言われれば、そうかもしれないが、集まる店があるわけでもない。
関係者もいれれば、ゆるやかに200名近い人達が、何となくつながっている。

つながっている共通点も特にない。
白塗りなので宗教とも間違えられるが、みんなが崇めるような教祖様がいるわけでもない。
何となく「ホワイトマン」という言葉を介して、みんなが出たり入ったりしながら、仕事もすれば、遊びもする。
考えれば考えるほど、頭は混乱していく。
もう少し歩きたかったが、家に到着してしまった。
無理矢理、5次元くらいということで無理矢理納得させる。
別に意味はない。
5年間だから5次元が浮かんだだけ。
ホワイトマンなんてそんなもんです。

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公衆電話に入ると、ふと次元のことを考えるときがあるんだよなぁ

投稿者 ishiko : 14:15

2007年12月29日

12月28日「ホワイトマンのメーリングリストを続けるべきか?」

ホワイトマンには、一応、メーリングリストなるものがある。
やりとりがあるときもあれば、1、2ヶ月音信不通の時もあった。
ほとんどが、ホワイトマンに関係のないことばかりが流れていた。
ホワイトマンに関係のあることって何?って聞かれても困るのだが。

正直、どれくらいの人がメーリングリストに参加していて、どれくらいの人がメーリングリストを読んでいるのかも僕は把握していなかった。
あまりに参加している人が多くなり、メーリングリストに書きづらくなったと敬遠される方が出てきたことも事実である。
逆に読んでなさそうな人が、急な飲み会の告知にふらりと現れ、ビックリすることもあった。

そのメーリングリストも31日で終了する。
現在、挨拶メールが飛び交っている。
そんな中、メーリングリストだけは続けた方がいいと言う意見も出た。
迷って、流行の前言撤回にして、メーリングリストだけ続けますと言おうと思ったが、やはり、予定通り、31日を持って終了しようと思う。

メーリングリストを残しておけば何となくつながっている感じがして安心という感覚もなくはない。
そのゆる〜い安心感はホワイトマンっぽくて心地イイ。
ただ、きっとそれは安心なだけで結局、使わないと思う。
大掃除の時に「捨てる」か「捨てないか」迷った時の判断と一緒の感覚である。
迷って捨てなかった物は結局、使わない。

もし、誰かと連絡を取りたくなったら、直接、連絡をとればイイ。
もし、連絡先がわからなければ、知ってそうな人を思い出し、その人経由で連絡先を聞けばイイ。
その過程を辿るのもホワイトマンっぽくてイイ。
そして、出会った時に「ホワイトマン」という言葉が出れば、楽しいではないのだろうか。

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みんなに告知したいときが困るなぁ。
来年からは、メールだけじゃなく葉書や手紙も使ってみようと思う。

投稿者 ishiko : 08:14

2007年12月28日

12月27日「東京生活16年分の整理とホワイトマン5年分の整理」

いつもの大掃除とは少し意味合いが違う。
来年3月からセカイサンポに出掛けるので上京してから16年分の整理と、間もなく終了するホワイトマンの5年分の整理である。

本来、トランク1個分くらいの生活が理想なのだが、俗物な僕は、物欲が湧いた途端に、すぐに買ってしまい、すぐに物で溢れてしまう。
ただし、執着心がない、つまりは飽き症なので、すぐに人にあげてしまう。
その為、ある程度、年数が経つと一度、物がきれいになくなっていたりする。
よって16年分の整理と書いたが、残っているものはほとんどない。

物だけならいいが、思い出の品でさえも執着がなく、ある程度、年数が経つとすぐに捨ててしまう。
残すという行為ができないのである。
だから、僕には一人暮らしを始めた大学時代の思い出の品も、子供ショーをしていた20代の思い出の道具も、30代の雑誌の編集長をしていた頃の思い出の雑誌さえない。
「思い出の品はいらなくて、思い出だけが残ればいいよ」
なぁんて飲んだ勢いで、カッコつけて言ったこともあるが、結局のところ、単にだらしないだけなのだが…。

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だから、古い物を見ると、それだけで尊敬してしまうんだよなぁ。
たとえ街灯でさえも。
 

投稿者 ishiko : 08:30

2007年12月27日

12月26日「ホワイトマンのHPに関わってくださった皆様」

ホワイトマンのホームページは僕も入れて7名が関わっていた。
ホワイトマンらしく、その7名が一同に介することはなかった。
その都度、担当ごとにお願いをしていたのである。

サーバー関連は、IT社長のNo.24キャスパーと取締役の岡島氏にお世話になっていた。
会社ぐるみのおつきあいで、仕事と称して、海外へよく遊びに行った。
昨年は、彼等の会社が持つ会員制のレストランにカメラを設置して、このWEB上で生中継しながらのホワイトマンのバーをやったのも懐かしい。

デザインは新潟在住の高橋氏にお世話になっていた。
家族ぐるみのおつきあいで、打合せと称しては、あつかましく新潟の彼の家に何度も泊まりに行った。
奥様の手料理と彼らの2人の子供達と遊ぶのが何よりの楽しみだった。

ブログ等のシステム関連は黒田氏にお世話になっていた。
プライベートでもよく遊びに行った彼がいなかったら、機械音痴の僕はブログをあげらるようになっていなかったと思う。
未だ僕にとってパソコンやWEBに関する電話相談やメール相談の窓口となっている。
彼にとってはきっと子供なんでも相談室のようだろうが。

全般のスケジュール管理は藤森氏にお世話になっていた。
彼女のことを僕は委員長と呼ぶ程、キッチリしていて、歳下だが、お母さんのようだった。
今は天国にいるのだが、いつも彼女が見ているような気がして、そのおかげで僕は毎日、ブログをアップしてきた。

そして本日、ランチを一緒にとっていたWEBデザイナーの井口氏。
ホワイトマンのヒストリーなどページデザインを彼女にお願いしていた。
しかし、僕の怠け癖がたたりヒストリーは2005年で止まってしまい、いつしか2年が経ってしまった。
ホワイトマンの5年間は終わるが、このホームページはそのままアーカイブとして残すので、ヒストリーを2007年まで創っておこうと久しぶりに彼女と打合せしたのである。

しかし、打合せは1分もしなかった。
ほとんど旅の話である。
彼女も旅好きで、最近もスイスの奥地まで登山に行っていたそうだ。
「イシコさん、どこか住みたい国ありますか?」
「どこでもいいんですよね…。
No.30ち〜ムーンがバンコクに住んでみたいって言っていたので、そのうち、何年か住むかもしれないけど。
でも、来週も、また行くしね」
「えっ?バンコクですか?私も来週、バンコクなんです(笑)」
というわけで来週も彼女夫婦とバンコクで食事する約束をした。

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パソコンが壊れ、交遊録だけじゃなく、他のブログ仕事もアップできずに大騒ぎになったことがあった。
「ヤフーニュースに出たから、今日だけは何とかブログアップして〜」
キャスパーのところに連絡が入った。
彼のパソコンでカンヌ映画祭近くのこのホテルでロゼのワインを飲みながら、アップした映画祭ブログシリーズが懐かしい。
もちろん、その頃の交遊録も、キャスパーのパソコンでアップしていた。

投稿者 ishiko : 08:27

2007年12月26日

12月25日「ラッキーおばちゃんとピカイチおばちゃん」

No.30ち〜ムーンと東京のイルミネーションを堪能しながら、ドライブをしていた。
最後に辿り着いたのはお台場である。
お腹がすいたのだが、クリスマスでどこの店もいっぱいで、最終的に居酒屋へ入る。
スペシャルバージョンのライトアップがこれまたキレイなレインボーブリッジが一望できる席に案内された。
運転で酒が飲めない上に居酒屋メニューに似合わない風景。
悪くない。

ノンアルコールビールを飲みながら、ワクワクする居酒屋メニューを見ていると
「こんな風景を見られる席が開いてて本当にラッキーよねぇ」
という声が聞こえた。
「ラッキー」
という声が耳に引っかかったのである。
隣のテーブルに座る3人組のおばちゃん。

おばちゃんの言う「ラッキー」という言葉は、どこか俗物的な香りがして好きである。
おばちゃんの「ラッキー」にはピースと金歯が似合う気がする。
理由はよくわからないけど。
どうやらおばちゃん3人組はショッピングを満喫した帰りのようである。
「やっぱり買った中でこれがピカイチよね!」
もう一人のおばちゃんは「ピカイチ」という言葉を使った。

最近、あまり聞かない「ピカイチ」という言葉。
でも、国語辞典には載っている。
これも理由はよくわからないけど。
ピカっと光っている一番の物の短縮系だろうなぁ。
「いやぁ、これを見つけたのはあなたラッキーよ」
「ラッキー」おばちゃんが、またラッキーという言葉を使って、彼女の買った服を褒めていた。

3人目のおばちゃんは、静かに飲んでいた。
会話の流れを聞いていると、そのおばちゃんは、どうやら買った服を試着室から、そのまま着てきたらしい。
確かに腕のところにきれいな折皺が入っている。
この3人組のおばちゃん達から目が離せなくなるイシコであった。

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昨年のクリスマスにも東京タワーに来てたようである。
今年は、「2016」の部分が「ハート」になっていた。

投稿者 ishiko : 07:22

2007年12月25日

12月24日「パパと親父」

僕の父は小学校5年生の時に亡くなっている。
当時、父のことを「パパ」と呼んでいた。
小学生で亡くなっているので当たり前だが、親父(おやじ)と呼ぶことは一度もなかった。
もちろん一緒に酒を飲むこともなかった。

銀座へ「ママ エ セフィーユ」のクリスマスコンサートに行く。
映像と音源で坂本九氏、奥様の柏木由紀子氏、長女の大島花子氏、次女の舞阪ゆき子氏の家族コンサートで、昨年に引き続き2回目なのだが、No.30ち〜ムーンと僕にとっては既に、このコンサートに行くことがクリスマスの恒例行事のような感じがする。

坂本九作詞、作曲の「親父」という曲の大島氏の弾き語りが素晴らしかった。
15歳で酒を飲んで、親父に殴られた。稼いでもいないのに飲むな。自分の稼いだ金で飲めと。
17歳で酒を飲んで、親父に殴られた。全部、使うな。少しは母親に親孝行しろと。
20歳で初めて親父と酒を飲んで、また殴られた。俺より先に酔うな。酒にのまれるなと。
こうしてお酒を覚えた僕だが、今日ばかりは親父より先に酔いたい。
何故なら、あなたにもう一度、殴ってもらいたいから。
記憶力の悪いイシコなので正確な年齢や歌詞は忘れてしまったが、だいたいこんな感じの内容だったと思う。

パパが生きていていたら、僕が親父と呼んでいたかどうかはわからないが、間違いなく一緒に酒は飲んでいたと思う。
僕と同じで、酒は好きだが弱かった父と二人で顔を真っ赤にしながら。
それまでに一度くらい殴られることはあったのだろうか。
いつも口調はキツかったが、死ぬまで殴るどころか父は一度も僕を叱ったことがなかった。
終演後、ビールを飲みながらも父の思いにふけっていると
「酒は今日のために飲むんじゃない!明日のために飲むんだ!」
No.30ち〜ムーンが「親父」の歌詞の別の部分を引用して僕を叱った。

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坂本九さんの思い出が、いつしか自分の父の思い出に重なってしまった。
ちなみにこの記念館は北海道にある。

投稿者 ishiko : 08:20

2007年12月24日

12月23日「3人のアドルフ」

手塚治虫の作品と初めて出会ったのは、漫画ではなくテレビ、しかもアニメではなく実写版の「マグマ大使」だった。
その影響は大きく、僕が初めて買ってもらった人形は「マグマ大使」ではなく、何故か悪の親玉「ゴア」である。
祖母が買ってきたくれた人形だったのだが、そのときは間違えて買ってきたのだと駄々をこねた記憶があるが、今から考えればマグマ大使は売り切れていたのだと思う。
と言いつつ、そのゴアの人形はしばらく僕のお気に入りだった。

手塚治虫の最高傑作の一つと言われる「アドルフに告ぐ」を劇団スタジオライフが舞台化した。
アドルフ・ヒトラーを含む3人のアドルフの話である。
第二次世界大戦前後の様々な歴史的な事件が、それぞれの人生を動かしていく。
数ヶ月前、飲み会でスタジオライフの座長河内氏とお話する機会があり、次に「アドルフに告ぐ」を上演することを聞いた時、正直、想像さえつかなかった。

この作品は登場人物が多く、それぞれ重要な役割を担っている。
となるとスタジオライフの劇団員が一人何役もこなさなくてはならない。
ユダヤ人側とナチス側という両極端の役柄を演じる俳優もいる。
とここまで書くのが僕の限界である。
正直、もう一度、観たい。

本当は「アドルフに告ぐ」を読み、その後、舞台を観て感想を書きたかったのだが、ここまで偉そうなことを書いているにも関わらず、実は、僕は原作を二巻までしか読んでいないのである。
原作を読んでいなくても舞台は十分、楽しめるのだが、何だかもったいなくて、原作を読んでから、今度は、もう一度、味わって観たい。
終演後、俳優のトークライブを聴いて、更にそう思ってしまった。
実は河内氏から「アドルフに告ぐ」についてうかがったときも、
「アドルフですかぁ…」
とあえて「アドルフ」と短縮系で言い、まるで意味深な返事をしたような記憶が残っているが、それはただ単に僕が読んでいなかったからだけなのである。

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「ハイルヒトラー!」ってちょっと、手の角度が違う。
そうそう、「アドルフに告ぐ」って漫画雑誌じゃなくて、週刊文春の連載だったんだって。
原作読んでないのに、そういう情報だけ知っててどうする!

投稿者 ishiko : 08:19

2007年12月23日

12月22日「パーティー嫌い克服?」

基本的にパーティーは苦手である。
この交遊録に何度となく書いてきたことである。
一番の理由は人見知りが激しく、人が多い中に放り込まれると、どう振る舞っていいのかがわからないのである。

松竹の黒田氏がムンバイ在住の起業家のホームパーティーに連れて行ってくれると言う。
セカイサンポでムンバイにも行くということで、誘ってくださったのである。
にも関わらず、
「僕、大丈夫かなぁ。人が多いんじゃないのぉ?」
電話口で女々しいことを言い始めるイシコである。
「大丈夫ですよ。多くて10名くらいですから」

伺ってよかった。
初めてお目にかかる方ばかりの中で、こんなに楽しいパーティーの時間を過ごせるなんて早々ない。
ワインの産地に関する話や、ミシュランに登場するようなレストランの話など、スノップになりがちなお話がないのも居心地がよかった。
料理も全て美味しかった。
セカイサンポの時にデリーとムンバイで飲む知り合いもできたよ。
ホント温かい人ばかりで、僕もたくさんお話をしたよ。
今日の学校の出来事を家族に話している小学生のようになってきた。

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某航空会社勤務の女性の鉄道話も面白かったなぁ。
「実は飛行機より鉄道が好きなんです」
座る場所もこだわるそうである。
彼女はキュランダ鉄道も乗ったのかなぁ。

投稿者 ishiko : 08:35

2007年12月22日

12月21日「2泊で8島」

先日、この交遊録でNo.6K3の世界旅の仕方を書いた。
僕の周囲では衝撃だったようで、メールをいただいたり、飲んでいるときや打合せの際、必ず旅の話になった。

お台場でJAL機内誌「SKYWORD」編集部の内海氏とサントリークォータリー編集部の小倉氏とランチをしていた。
5年前、ホワイトマンが始まる時、一番、最初に掲載していただいたのが当時、内海氏も所属していたサントリークォータリーだった。
その際、憧れだったサントリークォータリーで僕は初めて長い文章を書き、それがきっかけで書く仕事にハマっていった。

とその話は今日はどうでもいい。
小倉氏の旅の話を聞いていたら、目が飛び出そうになった。
ものすごく美人の方なのである。
とその話もどうでもいい。
とにかく彼女の旅である。

「私はリゾートができない女なんです」
もう少しわかりやすく言うと、リゾート地で一日、ビーチに寝転がり、ボーッと過ごすことができないのだそうだ。
アクティブに動いていないと気持ち悪く、少しでも時間が開いていたら、彼女は観光に行きたいのだ。

「沖縄に行ったんですが、2泊で8島まわってきたんですよ」
8等ではなく、8島である。
8頭ではなく、8島である。
訳がわからなくなり、
「はちと〜!」
僕は奇声を発してしまった。

「いやぁ、充分、楽しかったですよ」
「えっ?仕事じゃないんですか?」
「プライベートの観光です」
本当に彼女は満足そうに言った。
最後の昼食は、移動の車の中でお弁当を食べていたそうだ。

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目の前の島移動ならわかるが、8島の中に西表島、石垣島も入っていることを考えると、やはり半端じゃない行程の気がする。

投稿者 ishiko : 08:39

2007年12月21日

12月20日「初生第九聴」

漢字で短縮して並べると訳がわからないですね。
やはりひらがなって偉大である。
「初めて生演奏で「第九」を聴く」
この漢字の短縮は訳がわからないし、何をしたかったのかも、よくわからない。

No.30ち〜ムーンとサントリーホールへ「第九」を聴きに行く。
クラシックのコンサートに足を運ぶなど2、3年ぶりではないだろうか。
しかし、考えてみれば現在、iPodに入っている曲の5割近くはクラシックである。
30代半ばを超えたあたりから、クラシックが急激に好きになっている。
相変わらずモーツアルトとベートーベンの違いも危うい程、無知なんだけど。

ロビーのラウンジで白ワインを1杯、くいっと飲んでから席に着く。
正面のパイプオルガンが厳かな、癒された空気感を醸し出している。
その脇にもお客さんが入り、ほぼ満席である。
サントリーホールに足を運ぶのは何年ぶりだろうかと考えてしまう。

読売日本交響楽団と新国立劇場合唱団、ゲストアーティストの4名が舞台上に現れた。
もちろん本日のお目当てのソプラノ林正子氏もいる。
現在、世界が注目するディーヴァである。

第一楽章が始まった。
指揮者のタクトが上がった瞬間に鳥肌が立ち、ワインも効いてきて身体が熱くなる。
そのままずっとオーケストラの音色を味わいたいところだが、知識も乏しく集中力がない僕はいらないことを考え始める。
やはりオーケストラの中に茶髪はいないんだ。
茶髪禁止令とかあるのかなぁ。
っていかん。いかん。
集中。集中。

第二楽章が始まった。
やはり生のオーケストラで聴く楽器の波動が心地イイ。
バイオリンと顎の間に挟む布って素材によって音に影響があったり流行とかあるのかなぁ。
って鑑賞に関係ないだろ。
心地よさをもっと味わえよ。

第三楽章が始まった。
アダージョがこれまた心地イイ。
それにしてもこの楽団は、眼鏡率が高いなぁ。
海外の楽団って眼鏡率そんなに高くないよなぁ。
全員、眼鏡をサングラスにしたら印象変わっちゃうんだろうなぁ。
って馬鹿者が。
この罰当たり!

第四楽章が始まった。
後ろに座っていた合唱団が立ち上がり、シラーの詩が歌い上げられる。
圧巻である。
あれ?合唱団は眼鏡率が少ない。
コンタクトか?
でも、あれだけ目を大きく開けて発声するには、コンタクトは危険だよね。
っていい加減にしろ!
イシコはクラシック観る資格なし!

でも、最高の演奏だったんですよ。
って説得力ないですね。
演奏していた皆様、ホントごめんなさい!
そして素敵な演奏をありがとうございました!

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オーボエを見ると手すりを思い出す。
って、バカ!

投稿者 ishiko : 07:56

2007年12月20日

12月19日「夕暮れ時の自己嫌悪」

冬の夕暮れというのは、普段よりも心情に響いて、どこかセンチメンタルな気持ちにさせてくれる。
窓際で徐々に部屋が暗くなっていく光景を感じ、ちびちび日本酒を飲んでいると幸せ度は普段より増す訳である。
もちろんその逆もある。

二日酔いがとれない。
昨日、そんなに飲んだ記憶がないのだが、決してアルコールが強くない人にとっての二日酔いなんてそんなものである。
タクシーにフライングブックスのオーナー山路氏と制作のチカさんと乗り込んだところまでは覚えているが、それ以降の記憶が曖昧である。

夕暮れ時。
まだ身体がダルい。
結局、一日中、家でゴロゴロしていた。
部屋が暗くなっていく。
何だか廃人になったような気持ちになっていく。
せつない。

気を奮い立たせる為にも「24」。
現在、シーズン4が佳境に入っている。
このペースだとセカイサンポまでに、「プリズンブレイク」に手を出しそうである。
完全にアメリカンドラマ中毒である。

注射のシーンを見てふと思い出した。
昨日、アフリカ旅の為に、黄熱病の予防接種を受け、
「今日は、お酒を控えてくださいね」
と言われたのを。

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久しぶりの注射。
親知らず抜いたときに、麻酔を打ったっけ。

投稿者 ishiko : 08:13

2007年12月19日

12月18日「2泊で世界を旅している女」

オフブロードウェイで活躍するパーカッショニストNo.6K3が、久々に長い休暇をとった。
日本もあちこち旅をしていたようだが、その合間に海外旅も満喫していた。
渋谷で飲みながら、旅の話を聞く。

クアラルンプール、デリー、バナラシ、ミラノ、ローマ、ヴェネチア、パリ…。
確かもっと地名が出ていたはずであるが覚えていない。
上記だけでも「セカイサンポ」の一都市一週間という行程に当てはめると2ヶ月近くかかる。
それを彼女は約2週間でまわってきたそうだ。
単純に計算すると1泊か2泊で次の場所に移動した計算になる。

しかも計画的に旅をしたわけでもなく
「明日、パリにでも行こうかなぁ?」
といった感じで、次の場所に移動していたそうだ。
「箱根に行くんじゃないんだからさぁ」
突っ込みながらも、実は彼女の体力に憧れてしまった。

僕のような軟弱者からすると、先日の北京旅の6日間でも正直、セカイサンポに不安を持った。
一都市10日間にすればよかったかなぁと。
しかし、彼女と飲んでいて、やはり一都市7日間で行こうと改めて気合いをいれる。
彼女は明日にはニューヨークに戻り、クリスマスを挟んで7日間で13ステージをこなすのだそうだ。
やはり彼女は怪物である。

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彼女はインドで野良牛に好かれ、羊飼いのように牛がついてきたのだそうだ。
野生の香りを感じたのだろうか。

投稿者 ishiko : 08:17

2007年12月18日

12月17日「小学校3年生の記憶がない?」

人の性格というのは、どのように形成されていくのだろうか。
ショーウィンドウデザイナーとして活躍している土井氏と、そんな話になった。
彼女の話によると、根本的な性格は5歳までに50パーセントが形成され、8歳までに残り30パーセントが形成されるのだそうだ。
つまり8歳までに80パーセントが形成されることになる。

8歳というと小学校3年生。
「私、小学校3年生の記憶が全くないんです…」
土井氏は赤ワインを飲みながら、つぶやいた。
そう言われ、僕も小学校3年生の記憶を辿ってみる。

担任の先生は女性の板先生という名前は覚えているものの、全く顔を覚えていない。
1年生の野村先生も、2年生の大橋先生も、4年生の藤井先生も、5年生の杉野先生も、6年生の新田先生も全て顔が出てくるのに、板先生の顔が出てこない。
そして小学校3年生の思い出が全く出て来ないのである。
確か少年野球を始めた年だった気はするが定かではない。
他の年は記憶に残ることが最低1つはパッと浮かびあがるのだが。

小学3年生ってそんな年なのだろうか。
「まさかねぇ」
と二人で笑い合いながら、ふと止まった。
ひょっとして性格形成80パーセントに到達する小学校3年生が重要な意味を持ってたりして…。

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意外に幼稚園の記憶はあったりするんだよなぁ。

投稿者 ishiko : 07:02

2007年12月17日

12月16日「口が開いている時は、口呼吸?鼻呼吸?」

普段、口を開いている人が多くなっているそうだ。
僕もその一人である。
口呼吸が原因と言われている。

特に考え事に夢中になっているときに口が開いてしまう傾向にあるようだ。
NO.30ち〜ムーンが僕の開いている口をしばらく見つめながら言った。
「呼吸してるの?」

ふいをつかれた質問に、呼吸をしていないのかと思い、頭はパニックにおちいり、僕はプールで溺れているように慌てふためいた。
落ち着かせて普段の呼吸に戻り、改めて口呼吸であることを認識する。
鼻呼吸になるのはヨガでもするときくらいで、普段は全く意識していない。
ヨガの先生に右の鼻がつまっていると疲れ気味で、左の鼻がつまっていると睡眠不足って言われていたのを
思い出した。
いや。逆だったかもしれない。

とにかく先日、You Tubeにアップされたホワイトマン映像でも取り上げているが、人間は無意識に呼吸で一年間に400キロもの二酸化炭素を出している。
その400キロは口呼吸だろうが、鼻呼吸だろうが変わらない。
いや待てよ。
ホントに変わらないのだろうか。

口呼吸の方が呼吸は浅いと言われている。
ということはその分、二酸化炭素の排出は少ないのではないのだろうか。
そう考えていくと地球に優しいのは口呼吸ということになる。
いや待てよ。

呼吸が浅いということは、呼吸の回数が多くなるということになる。
一回の二酸化炭素の排出は少ないが、その分、回数が多くなれば一緒なのではないだろうか。
「全然、質問に答えてないよ。もう一度、聞くよ。口開いているときに呼吸してるの?」
ち〜ムーンが脱線していく僕の話に飽きれて、もう一度、僕に聞いた。

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象って鼻呼吸だよね?あれ?口呼吸かなぁ

投稿者 ishiko : 08:06

2007年12月16日

12月15日「ブログにあげる時間の問題」

イシコの交遊録を始めて約4年。
僕のような機械音痴でもブログをあげるという作業は、慣れてしまえば意外に簡単である。

しかし、ここにきて、来年、すなわち来月から本格的にスタートする「セカイサンポ」のブログが、うまくアップできないのである。
普通の人だったら簡単なことでも、皆様の想像以上に機械音痴な僕にとってはかなりの壁となる。
まず、システムがうまく作動しない。
「作動しない」のではなく、「作動できない」のである。
その分、今回のサイトでは自分がいる場所を表示させることができたり、小さい写真をクリックすると大きく見せられたり、ブログの選別が国別と項目別に別れたりとかなりパワーアップしている。

さて、ここにセカイサンポのブログのアップの仕方をここに表記しておく。
こんなの表記してどうすると言われそうだが、自分の整理の為にお許し願いたい。

1:タイトルを決めて、タイトル欄に記入する。
2:Wordで創ったテキストをコピーして本文欄に貼付ける。
*ここまではイシコの交遊録と同じである。ただし、今回、システム上で写真とテキストの相性がよくない場合があるのでテキストの改行マークの記号を自分で入力する。
3:メインの写真を選んでアップする。
*写真の大きさは横の場合、幅500ピクセル。縦の場合、幅375ピクセル。
4:サブの写真がある場合は選んで更にアップする。
*写真の大きさは500ピクセルであげて、ブログで観られる場所は、横の幅200ピクセル、縦の場合、幅137ピクセル。
5:ブログの項目が選別できるようチェックを入れる。
*国名のリストと項目のリストの中から適合するものにチェックを入れる。
6:自分のいる場所を地図から見つけ、数値化したものを貼付ける。
*自分の位置が意外にうまく見つからないのが課題である。

整理して書いてみると作業的には意外に少ないのだが、この作業に今の僕は2時間くらいかかってしまう。
旅中、一日3つはブログをあげたいと思っているので、このままでは単純計算3ブログ×2時間=6時間かかる。
昼間、撮ってきた写真の整理の時間も加われば1時間プラスになる。
たいていアップの途中で一度はトラブルがあり、それを直そうとすると更に1時間。
合計8時間。
やったぁ!これで僕も晴れて8時間労働者となれるわけである。
ブログ以外にも連載原稿をいくつか書かなくてはいけない。
お〜!これで僕も晴れて残業というものを味わえる。
と旅中、いかに働くかを主張するために本日のブログを書いた。
というか街を散歩する時間があるのだろうか。

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ちょっとしたことで全部、レイアウトが崩れちゃったりするんだよなぁ。
これ?
葉巻です。

投稿者 ishiko : 08:51

2007年12月15日

12月14日「シェイクスピアと川上音二郎」

岐阜県は各務原市に我が国初の女優と呼ばれた「貞奴」が建立し、彼女自身が葬られている「貞照寺」がある。
芸事や習い事にご利益があると言われ、俳句をたしなむ母の葵ちゃんとピアノをたしなむ姉の磨奈美ちゃんと文筆をたしなむイシコの3人でお参りに行ったことがある。

その貞奴が登場する舞台「「恐れを知らぬ川上音二郎一座」が三谷幸喜氏の新作だった。
舞台の振付等で活躍する宮崎氏に連れて行ってもらう。
明治時代にアメリカでシェイクスピアの「ヴェニスの商人」を公演したときのエピソードをコメディに仕上げたものである。

泣いた。
笑いすぎて。
三谷作品の中で僕が好きなのは、トラブルをどう乗り切っていくかの過程をコメディとして描いた作品が多い。
舞台本番中に袖で様々な問題が起き、対処していく「ショウ・マスト・ゴーオン」、映画にもなったラジオドラマの最中に様々な問題が起き、乗り切っていく「ラヂオの時間」、自分の父親より歳上の男性との婚約を認めてもらうまでの過程を描いた「君となら」などなど。

そして今回は劇団員がボイコットでいなくなる中、川上音二郎と残った俳優経験のないスタッフと一晩で「ヴェニスの商人」の作品を仕上げていくコメディである。
起承転結でいうところの「転」が雪崩のように押し寄せ、その対処法が三谷氏の発想でないと出て来ない。
休憩を抜いても3時間超える大作なのに、全く長さを感じさせない。
あんなに笑った劇中劇の「ヴェニスの商人」は人生の中で最初で最後なのではないのだろうか。
そういえば、先日、北京の劇場で観たのもシェイクスピアだった。
これも別の意味で面白かった。
結局、未だに何の作品だったのか無知な僕には、わからないのだけれども。

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川上音二郎の銅像は博多にあるらしい。
しかし、僕が撮影したストックの中にはない。
ここは一つ、宗谷岬にある間宮林蔵の像でお許しを。

投稿者 ishiko : 09:07

2007年12月14日

12月13日「もう1台、買うべきか買わざるべきか」

現在、デジタルカメラを3台使っている。
一台は、いつもだいたい持ち歩いている小さなカメラで、キャノンという文字がこすれて半分、消えてしまっている程、酷使している。
この交遊録で使っている写真の7割近くはこのカメラ。
修理も既に3回程、出していて、そろそろ寿命なのかもしれない。

二台目は、連載でいただいたサンヨーのデジタルカメラ。
僕はこのムービー機能が好きで簡単なムービーを撮る際には、これを持ち歩くことにしている。
最近、あまり使っていないが、セカイサンポには持っていくことにしている。
たまにはムービーを撮りたくなる日もあるかもしれないので。

三台目は、まさにセカイサンポに向けてこの夏に購入したニコンの一眼レフデジタルカメラ。
まだ機能の1割も理解していない(多分、覚える気もない)で、マニュアルではなく、オートつまり全自動に設定して使っている。
僕のような素人が撮っても、
「わぁ〜、キレイ!」
と画面を見ながら、つぶやいてしまう。
ただファインダー越しに撮ることにまだ慣れていないので、どうしても自分の思い通りの絵コンテにならない。
そして、レンズを変えないと接写ができないというカメラを知っている方なら当たり前のことにも初めて気がついた。

そして、本日、連載している「散歩の新兵器(月1くらいでしかあげていないブログもあります)」の撮影で取り上げたリコーのデジカメ。
接写もバッチリ撮れる。
レンズもイイ。
と全てカメラマンの鈴木氏の受け売り。
実際、プロの彼もプライベートで持ち歩き用に使用しているそうだ。

とここまで、うだうだと買う理由を探している。
結局、買うのだけれど。

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これくらいの接写でも今の一眼レフではシャッターが押せないんだよなぁ。
押せないということがわかるだけで、それを押せるようにする為の知識が僕にはないんだよなぁ。
覚えろよ!って感じですが…。

投稿者 ishiko : 08:08

2007年12月13日

12月12日「樹海に行きやがれ!」

昨日、聞いた場所は全て行きたくなると書いたが、富士の樹海は好んで行きたいとは思わない。
午後、北京から戻り、舞台女優梅沢氏と旦那様のタツヤ氏と飲んでいた。
僕が上京した年からのつきあいで、既に16,7年が経つ。
一年に一度程度しか飲まないお二人だが、彼等にお目にかかると時空間を忘れ、ホッとする。
僕にとっての最高の時間。
こじんまりと忘年会である。

「石原君(イシコの本名)も昔は若くてツルンとしてたのになぁ。来年、40歳だっけ?何か肥ったし、ギラギラとしたおじさんみたいだよ」
タツヤさんの言葉、結構、ショックだった。なぜなら彼等は僕よりもかなり先輩なのに風貌が会った時とほとんど変わっていないのだから。

そんなタツヤさんもショックを受ける言葉があった。
ある日、タツヤさんは新聞受けに入った新聞を取りに行った。
「今日もいい天気だねぇ」
タツヤさんは部屋に戻ると梅沢氏に言った。
「どこかに出掛けやがれ!」
この夫婦の会話としては普通の会話である。
逆にまだいい方である。

「え~、別に行く用事もないよ~」
タツヤさんは淡々と答えた途端、梅沢氏はお馴染みの憎まれ口をつぶやいたそうだ。
「もううっとうしいなぁ。樹海にでも行きやがれ!」
ショックを受けたタツヤさんには申し訳ないが、涙を出しながら僕は笑い続けた。
実は、この会話には彼女ならではの深い愛情が含まれていたことを後から知るのだが…。

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北京に戻ってすぐに彼等に会うので、普段、買わない土産を買ったら、忘れてきた。
慣れないことをするものではありませんね。

投稿者 ishiko : 19:18

12月11日「チベットに行きたい理由」

今回の旅では中国留学中の佐藤氏から借りた本が大活躍だった。
その本とは中国で生活する日本人向けのガイドブックだった。
おかげで映画館にも行けたし、劇場で芝居を観ることもできた。
郵便局で地元の人に混じって絵葉書も出せたし、ヘアサロンで中国式ヘアカットも味わった。
北京最終日、佐藤氏に本を返却するついでに一緒に食事に行く。

彼女が連れて行ってくださったのは永安里にあるチベット料理。
僕がつい最近まで行ってみたい国のベスト3は、今回、願いがひとつかなった中国と来年、セカイサンポの最初に訪れるインド、そしてもう一つがチベットである。
ただ、なぜチベットに行きたいのかの理由が今ひとつわからない。

やはりダライラマの影響か?
数年前、ダライラマのディナーショーというか来日の歓迎会に行ったことがある。
そのときに誓ったのである。
チベットに行こうと。
何故?いやわからない。
とにかく行きたいと思ったのである。

あれ?あの時に出た料理はチベット料理だったのか?
罰当たりな程、ダライラマに触れて喜んだことだけしか覚えていない。
でも、チベット料理が出たら多少は覚えているだろうと思う。
何となくフランス料理だったような気がする。
とにもかくにも最終日の夜はチベット料理、チベットビールを堪能しながら、佐藤氏が最近、訪れた四川の話を聞くのであった。
これまた四川に行きたくなるイシコであった。
とにかく聞いた場所は全て行きたくなるのである。

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それにしても中国のヘアサロンは面白かった。

投稿者 ishiko : 19:14

12月10日「中国で車内キス?まぁ、いいんですが…」

「中国も変わったものじゃのぉ」
生まれてこの方、中国で過ごしてきたおじいさんのような気持ちになった。
地下鉄の車内で、僕の目の前で若いカップルがキスを始めたのである。

僕の中の中国のイメージは、カップルは手もつないではいけない。
もちろん、僕のイメージがものすごく古いということはわかっている。
日本人が今でもちょんまげ姿をイメージする外国人がいるのと同じである。
ただ、こんな混んでいる車内でキスしなくてもいいのじゃないだろうか?
これだけ近くでキスを見たのは生まれて初めてだと思う。
僕も口を伸ばせばほっぺくらいだったら、そのカップルとキスできる距離なのである。

いや待てよ。
混んでいるからキスしてもいいのか。
あれ?少し頭が混乱してきた。
カップルの向こう側にはおじさんも立っている。
無表情でカップルを見つめている。
というか見つめざるをえない。
彼らは若者で賑わう王府井で降りて行った。

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僕は次の「天安門」の駅で降りた。

投稿者 ishiko : 19:11

2007年12月10日

12月9日「つまようじを刺したままオーダーを取りにくる女」

ギャラリーやアーティストの工房が集まった「798」という場所があり、中国版「SOTOKOYO」編集部の松田氏に連れて行ってもらう。
現代アートを存分に堪能し、存分に評論をしたいのだが、残念ながら僕には知識があまりない。よって、自然にその後、食べに行った四川料理の話である。
四川料理=辛いというイメージはあるが北京の四川料理は四川の人から言わせるとあまり辛くないのだそうだ。
しかし、そんなのは嘘である。
十分、激辛である。
海老もウサギの肉もとにかく辛い。
ウサギの肉に関しては、皿の中の肉よりトウガラシの方が多いではないか。

その分、ビールは進む。
北京に来てから、一番、飲んでいる「ヤン ジン ビール」を次々と頼む。
次々と言っても3本程度だが…。
黒いチャイナドレスのような制服の衣装を身にまとった女性が追加注文を取りにきた。

彼女の歯に何かが刺さっている。
僕は目を疑った。
間違いなく爪楊枝である。
漫画「ドカベン」に登場する、「いわき」が加えていた葉っぱと同じ角度である。

思わずビールを噴き出してしまう。
彼女も爪楊枝に気づいたようで、自分自身で笑いながら、爪楊枝を取る。
そして中国語で松田氏に言い訳をしていた。
どうやら、まかないの食事の途中だったようである。
中国らしい一幕を見るのであった。

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「796」の現代アートはかなり面白い。
なかにはいかにも中国という腕っぷしの太い彫刻にもお目にかかれる。

投稿者 ishiko : 11:04

12月8日「段ボール肉まんはホントだった?」

環境に関することに時代性が加わった「ソトコト」という人気雑誌がある。
その「ソトコト」に中国版が創刊されたのだそうだ。
「ソトコト」中国版編集部の松田氏と中国の大学に通う日本人の方3名と飲む。
実際にその土地に住んでいる方々に聞ける機会なんて早々ない。

シャーペンの芯は長さが揃っておらず、すぐに折れてしまい、ノートの紙質が悪く消しゴムで消すと破れてしまうなど学生ならではの話、バスの運転手さんは優しい方も多く、発音がわからなくても乗る時に行きたい地名を紙に書いて渡せば、降りるところで呼んでくれるなど住んでいるからこそ聞ける興味深い話のオンパレードである。

そして、今、日本で話題になっている中国野菜。
家庭では野菜についた農薬を落とすために洗剤を使っていることをある報道番組で観たことがある。
やはり実際に北京在住の日本人も使っているそうだ。
野菜を洗剤で洗うというのは少々、抵抗がある気もするが、農薬まみれの野菜を食べるよりマシで使っていて、そのうちそれが当たり前になってきているのだと言う。
恐らく僕も中国に住んだとしたら使うのだろうと思う。
きっと賞味期限切れ問題などで大騒ぎする日本の方が中国人にとっては不思議に映るのかもしれない。
ましてや崎陽軒のシュウマイのように原材料の位置の問題で大騒ぎすることは理解しがたいだろう。
この国では原材料が不明なものは街にあふれている。

原材料といえば、一時期、段ボール肉まんというのが流行ったことがある。
結局、これは記者のでっち上げということだったが、実は本当だったという話は今も中国国内では残っているそうだ。
まぁ、ペットボトルに水道水を入れて、売っている人もいるという話だし、とにかく生きていくために何でもする。
日本も戦後まもなくは似た世界があったのではないのだろうか。
一概にどちらが正しくて、どちらが正しくないとは言い切れない気がする。
どちらにせよ日本の常識だけが世界の常識ではないことは確かである。
ひょっとすると世界の常識も何かのきっかけでがらりと変わったりすることもあるのかもしれない。
だから僕は常識という言葉があまり好きではないのかもしれない。
それは僕自身が常識にとらわれすぎていることへのコンプレックスなのだとは思うのだが。

書きながら、昨日、書いた偽札の話を思い出した。
やはり普通に出回っているそうだ。
日本だったら一枚出ただけでも大騒ぎになるのだが、この街では普通に釣銭に紛れていたりするのだそうだ。
知らずに財布に入れ、次に使うときに知らずに取り出しても
「これ偽札だから使えないよ」
とお店で突き返されて、終わり。
「それでも常識はいらないの?」
と聞かれると答えに詰まってしまうのだが…。

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英語名の表記は中国語はいい漢字をあてる。
例えば、レッドブルは「維生素功能飲料」となる。
生命を維持する功能が詰まっている飲料という感じがしていかにも効きそうである。
しかし、このメイジンはいかがなものだろう。
迷人と名人では逆のような気がするのだが…。

投稿者 ishiko : 10:54

12月7日「どう注意すればいいんだ?」

セカイサンポ実験旅の第二弾と称し、夕方の便で北京に向う。
実験旅と言いつつも本当は、来年、オリンピック開催の前にどうしても北京を見ておきたかったのである。
オリンピックの前と後では街の様相が変わってしまうこともありそうだ。

たいてい僕は旅先の紙幣は日本で変えていかないことが多い。
空港にある現地のATMでおろすことにしている。
ただ今回ばかりは初めての中国ということと、中国だと何が起きてもおかしくない(考えが古いですね)という不安感もあり、成田空港で少しだけ中国の紙幣「元」に変えておくことにした。

「最近、偽札のすり替えが多発しているので、気をつけてください。これは大丈夫ですから」
窓口のお姉さんは、そう言いながら、毛沢東が描かれた紙幣を渡してくれた。
ラウンジに入り、白ワインを飲みながら、じっと紙幣を見つめていた。
どうも腑に落ちない気がする。
紙幣がじゃなく、お姉さんのセリフが。

偽札のすり替えが多発しているのはわかるが、どうやって注意するのだろう。
店で100元札を出したときに、また100元札が戻ってくる可能性というのはあるのだろうか。
店で1万円札を出したときに、また1万円札が戻ってくる可能性があるかというのと同じではないのだろうか。
それとも、どこかで声をかけられ、マジックのようにいつのまにか100元札と変えられてしまうのだろうか。
そもそもお姉さんの伝えたかったことは根本的に違うのではなかろうか。
お釣りのときに偽札が渡される可能性がありますということなのだろう。
当たり前のことに気付かなかった自分に呆れて笑ってしまうのであった。

最後におねえさんが言った
「これは大丈夫です」
という言葉もよくよく考えれば、面白い。
銀行が偽札渡してどうする?
それとも「絶対、ありえない!」と思っていることも起きうるよという警告だったのかもしれない。

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毛沢東の顔って、パッと思い浮かべられますか?
僕は、どうしても金日成と混じってしまうんです。

投稿者 ishiko : 10:32

2007年12月07日

12月6日「最後の白塗り」

考えてみれば、ホワイトマンプロジェクトとしては、今日が最後の白塗りになるのではないだろうか。
パウダーをはたきながら、ふとそう思った。
パウダーといきなり言われてもわからないですね。
ホワイトマンに変身するまでの行程を説明しておきましょう。

まず、白の下地クリームを塗ります。
結婚式でお嫁さんが白無垢をするときに使うもの。
これで、ある程度、顔は白くなりますが、まだまだ白度は薄いのです。
舞踏家の方のような白だったらいいのでしょうが、ホワイトマンの白はここからもっと白くしていきます。
結婚式でお嫁さんが白無垢をするときに使うもの。

次に粘度のような白の「ドウラン」を塗っていきます。
使用しているのは「クラウンホワイト」と呼ばれるもの。
ネットで個人輸入したものです。
恐らく1つあれば、50回以上はメイクできるのではないでしょうか。
4、5年前までは舞台用の化粧品などを販売する「盛成堂」でも販売していたのですが、あまり需要がないのでしょうね?
現在はスティックタイプ(5、6回用)の物しか売っていません。

白を塗り終えたら、パッティングという作業をします。
白にムラが出ないように、手の平で顔を叩いていくのです。
きれいな白い仮面のような状態になってきます。
徐々に気持ちもたかぶってきます。

気持ちよくなり、白くなったことで、喜んで立ち上がってしまう人がいるのですが、これで終了ではありません。
現在、公演中のブルーマンのように、顔はテカテカしているのですが、このままだと白がいろいろなところについてしまいます。
意外に無意識に顔を触ったりしてしまうものなのです。
そのときに白が手につき、その手で他の物を触ってしまうと大変なことになっていくのです。
鑑識がこなくても、きれいに指紋がいろいろなところに浮かび上がっています。
「誰?白い手でこれ触ったの?」
その言葉をこの5年間で何度、聞いたことでしょうか。
革製品などにつくとなかなか落ちないので注意しましょう。

そこで、顔を触っても白がつかないように「パウダー」をはたくのです。
専用のパウダーも販売されていますが、ベビーパウダーで充分です(と僕は思う)。
どこか懐かしい香りも楽しめます。
「天花粉(てんかふん)」という言葉を使うと年齢がバレるので注意しましょう。
これでホワイトマンは完成です。
後は、好きなようにホワイトマンタイムをお楽しみください。

最初に話を戻そう。
ホワイトマンプロジェクトとして最後の白塗りは、皮肉にも英語をずっと避けてきたイシコの「40歳からの英語」プロジェクトに向けてのWEB用撮影である。
まもなく「アルク」のWEBでアップされるであろう。

IMG_3640.jpg

これで完成です〜。
イシコではありません。
チェンマイ在住の日本人の方を白く塗ったときのものです。
あなたも一度、塗ってみませんか?

投稿者 ishiko : 08:29

2007年12月06日

12月5日「最初で最後?ホワイトマンの映像You Tubeに登場!」

最近、耳によくするカーボンオフセット。
日本は京都議定書で2012年までに1990年に排出していた二酸化炭素をマイナス6パーセント減らすことを約束したのだが、現在、プラス8パーセント。
そこで二酸化炭素(カーボン)を排出する権利を購入して、そのお金を中国の水力発電やスリランカでココナッツを原料にした燃料開発に使うなど、クリーンエネルギー支援に役立てて、オフセット(打ち消す)ということである。
この書くリズムは何かに似ているぞ。
と思いきや、同じようなことを今、発売中の「散歩の達人」の連載で書いたばかりである。

それがご縁でカーボンオフセットのバイラルムービーを投稿しないかと誘っていただいた。
バイラルムービーという言葉の響きにやられ、「やるやる〜」と即答。
ホワイトマンのビジュアルブックを撮影した際、絵コンテを書きながら、どこか環境の香りがするなぁと思っていたので、ちょうどやってみたかったのである。
とここまではよかったのだが、イシコの間抜け具合、怠け具合により、どんどん作業は遅れてしまい、ようやく完成した。

そして先ほど、ホワイトマンの映像がYouTubeにアップされた。
今回、バイラルムービーに参加している方々を見ると坂本龍一氏、中田英寿氏、石井竜也氏、神田うの氏など蒼々たるメンバーの作品が既にアップされている。
個人的にはホットドックの早食い世界チャンピオンで知られる小林尊氏の作品と俳優の村上淳氏の作品が好きである。

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小島よしお氏のムービーも、バカバカしくて面白かったです〜。
この写真は海パンというだけで全く関係ないですが…。


投稿者 ishiko : 07:56

2007年12月05日

12月4日「奇数と偶数どちらが好きですか?」

奇数と偶数のどちらかを選ぶのであれば、無意識に奇数を選んでいる気がする。
きっと僕は奇数の方が好きなのだろう。
そういえば竹の割りばしのようなもので占う「筮竹占い」も奇数と偶数で占うのだと聞いたことがある。
やはり何か影響しているのだろうか。
子供の頃、出席番号は足立君や安藤君に続いて、たいてい僕は3番で奇数だったことが影響しているのだろうか。
いやあまり関係ない気がする。

恵比寿へ神田うの氏がチーフデザイナーで知られる「Scena D’uno」のファッションショーに行く。
ウェディングドレス=白と勝手なイメージを持っていたが、彼女のデザインしたウェディングドレスを観ていると黒いウェディングドレスもシャープで悪くないと思えてくる。
彼女がチーフデザイナーに就任してから7年が経つのだそうだ。
7年という響きが何とも心地いい。

新宿へ「ひらり、空中分解。」の公演を観に行く。
間違いなく今、僕が一番好きな劇団の一つだと思う。
とにかくハズレがない。
どの世界においても、ハズレがないということは凄いことなのだろうが、小劇場の中では特に難しいのではないだろうか。
今回の「選挙戦」の話も素晴らしかった。
劇団初の再演の作品なのだそうだ。
開場前のアナウンスでこの劇団が旗揚げしてから5年経ったことを知る。
5年という響きが心地いい。

と脈略はあまりないのだが、奇数が心地いい日だったことを知ってもらいたかっただけである。
そういえばホワイトマンも5年間限定プロジェクトだった。
ということで今月で自然消滅する。

SANY0230.jpg

「石の上にも3年」は嫌いではないが、飽き症の僕にとって耳が痛い。



投稿者 ishiko : 07:55

2007年12月04日

12月3日「吹きさらし氷点下の中で眠る男」

渋谷で宝石デザイナーNo.28ストーンマン、イラストレーターASAKOさん、議員秘書円さんと飲む。
この3名の共通点は、ストーンマンが主催するおにぎり隊に参加している。
日本の文化である「おにぎり」をツールにして、国際文化交流をしている任意団体である。
今まで、訪れた国はパキスタン、ミャンマー、トルコなど、どの国も魅力的。

一昨年は、モンゴルだった。
隊長であるストーンマンは、様々な調整で出発前日までバタバタである。
ふと自分の準備が全くできていないことに気付いた。
彼はドンキホーテに走り、かごの中に自分の為の準備物をどんどん入れていったそうだ。
その中には寝袋もあった。
ゲルにも宿泊する為、必要なのだ。

こうして8月のモンゴルに訪問した。
8月とは言え、既にモンゴルの季節は冬へと向かい、夜の草原は氷点下になる。
ゲルに宿泊するおにぎり隊は、防寒服に身を包み、寝袋に入る。
その光景は、ゲルの中に大きなみの虫がいくつも転がっているかのようだったそうだ。

もちろんストーンマンも買ったばかりの寝袋に入る。
しかし、何かがおかしい。
腰上あたりまでしか寝袋が入らない。
表示を見ると「150センチ以下用」
小学生用の寝袋を買ってきてしまったのである。
彼だけみの虫ではなく、人魚姿。

もちろん予備の寝袋などない。
仕方がなくそのまま横になったそうだ。
いくら下に絨毯を敷いても、氷点下の中で洋服だけで眠るのは想像しただけでも凍えそうである。
その上、ゲルは、荷物などでテントというかフェルトを抑えておかないと、すきま風がびゅんびゅん入ってくる。
しかも運が悪いことにストーンマンは隊長なので、上座で寝ることになった。
それはすなわち壁際である。
すきま風をもろに受ける場所だったそうだ。
彼は一睡もできず、風邪をひいた。
皆様、モンゴルの夜にはくれぐれもお気をつけくださいませ。

DSCF0818.JPG

草原に暮らすモンゴルの人々は耳と目がいい。
僕がモンゴルに行ったときは、ゲルの外でマジックバルーンを創って、ある家族にプレゼントしていたら、地平線の向こうから子供が馬に乗ってやってきた。

投稿者 ishiko : 07:46

2007年12月03日

12月2日「一人芝居のススメ」

何年かぶりに女性の一人芝居を観る。
先週、No.2カマンの一人芝居を拝見した時も思ったのだが、つくづく一人芝居をする方を尊敬する。

僕のような記憶力の悪い人間からすると、
「台詞を忘れたら、どうしよう?」
と自分に置き換え、開演前からドキドキしてしまう。

客は一人の演者のすべての仕草に集中している。
僕のような気の小さい人間からすると
「もし、演じている途中で鼻毛が一本出ていることに気付いてしまったら?」
と想像し、これまた自分に置き換えて、ドキドキしてしまう。

何より客というのはシビアなもので最初のつかみで失敗してしまうと、お客の心が離れてしまうことがある。
一度、離れてしまった心を戻すのは至難の業である。
トークショーだったら、客いじりなどでガラリと空気感を変える荒業も可能だが、脚本が決まっている芝居の場合では、そんなわけにもいかない。

そんなことを考えているうちに関西を中心に活躍するmicさんの一人芝居開演。
「キャバレー」テーマのオムニバス4本。
鉄道マニアとホステスとのやりとり、
ショーガールの楽屋裏、
男まさりの女性麻薬捜査官とドラッグクィーンのやりとり
年増のホステスと若いホストのやりとり
徐々にその人なりのキャラクターが見え始めるにつれ、どんどん世界に引き込まれていく。

見えない相手とその場にいるかのような会話劇が繰り広げられる。
まるで落語のように。
そのうち僕らの目の前に見えない世界がパズルのように、ひとつづつ情景が頭の中で組み立てられていく。
開演前に考えていたことなどすっかり忘れ、一人芝居の魅力に引き込まれていくのであった。

DSC_0667.JPG

「刑事(デカ)」の話はほんと面白かったなぁ。

投稿者 ishiko : 08:44

12月1日「英語の方が伝えやすい?」

それにしてもバイリンガルな方々は世の中に多いものである。
久しぶりに恵比寿で出版プロデューサーNo.10バランスマン夫妻、輸入代理店経営者No.19ズジョウと飲む。
バランスマンは、子供の頃、人生で初めてねだってご両親に買ってもらったプレゼントが「1か月でフィンランド語」なる本である。
生まれつきの語学マニアで、大学はロシア語学科を専攻したそうだ。
奥様は高校時代にカナダに留学経験あり、ズジョウは輸入代理店業を始める前、ヨーロッパでガイドをしていたと3人とも語学堪能なのである。

焼き肉をつまみにJINROをガンガン飲んでいるうちに激論になった。
既に酔っ払っていた僕は、何の話で激論になっているのかは覚えていないが、とにかく激論である。
ズジョウとバランスマン夫人が、英語で会話し始めた。
「なんで英語なの?」
バランスマンは突っ込みながらも、彼も楽しそうに英語の会話に参加している。

僕だけ取り残され、頬づえをついて会話のラリーを見ている。
「イシコも英語習っているんでしょ?入ってきなさいよ」
と言われるが、いざとなるとなかなか入っていけないものである。
「英語は、感情を直接出せるからいいんだよ!」
バランスマンが解説してくれる。
それにしても英語で何の議論をしていたのか未だに全く思い出せない。
というか英語を理解していなかっただけなのかもしれないが…。

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ズジョウはスゥエーデン語もできるらしい。

投稿者 ishiko : 08:40

11月30日「風呂桶のない風呂屋」

今週、二度目の京都である。
京都造形美術大学新元先生のクリエイティブライティングの授業を特別に受講させていただく。
特別ゲストは「負け犬の遠吠え」で知られるエッセイスト酒井順子さん。
授業後、一緒に飲みに連れて行ってもらう。
憧れのエッセイストの方と飲む前に、ひとつお風呂にでも入って、さっぱりしておかねばと思い、銭湯に向う。

というのは嘘である。
待ち合わせまで少々、時間があったので、ふらふら大学の周囲を散歩していたら銭湯に出くわしただけのこと。
ここは一つ京都の銭湯でも味わってみようと飛び込んでみたのである。
ガラリと扉をあける。
番頭さんが新聞を広げて読んでいる。
東京と同じ390円を支払う。
「ありがとう」の代わりに「おおきに」という言葉をかけていただける。
大阪とは少々、違う「おおきに」の空気感。

脱衣所の木製コインロッカーは、かなりの年季が入っている。
そして小中学校の保健室にあった大きな体重計がど~んと置かれ、
「しづかにお乗り下さい」
と書かれた張り紙が目に入る。
「しづか」の「づ」の部分にバッテンが書かれ、「ず」に直されている。
客が直したのか、番頭さんが直したのかと予測しながら、番頭台の方を見て、客に違いないとなぜか確信する。

浴場に入り、思わず
「狭っ!」
とつぶやいてしまう。
ひとつひとつの浴槽があまりにも狭いのである。
一人が体を伸ばして入ったら、それだけでいっぱいになってしまう浴槽が3つ設置されている。
ちょうど、老人2名、学生らしき方1名が入っている。
自然に僕は入れない。

仕方がないので、洗い場で身体を洗おうと思うのだが、ここでまたまた異変に気付く。
銭湯でおなじみのケロヨンの桶が見当たらない。
いや、ケロヨンでなくてもいいのだが。
とにかく桶が見当たらないのである。
ここはマイ桶を持ってこいという銭湯なのだろうか。

桶だけではなく、座り椅子もない。
いや、2つだけある。
しかし、洗い場は7,8カ所ある。
しかも座り台の上には2つともシャンプーや桶が置かれ、キープされている。
これでは椅子取りゲームではないか。
仕方がなく、キャッチャーのしゃがんだままのポーズで、シャワーを浴びる。

いや待てよ。
今、3人が風呂につかっている。
座り椅子が2つということは、一人はないはずだ。
彼はどうするのだろうか?
と思ったとき、隣のおじいちゃんが風呂から出てきて、タイルの上にあぐらをかいて座り込み、洗い始める光景を見た。
潔い…。京都の銭湯、まだまだ奥が深そうである。

IMG_6796.JPG

渋い銭湯でした。
名古屋の駄菓子問屋のように。

投稿者 ishiko : 08:21

2007年12月01日

11月29日「やはり僕はパーティーが苦手です!」

最近、めっきりパーティーのお誘いが来なくなった。
自分で「パーティー嫌い」を公言してきたくせに、いざ、お誘いが来なくなると寂しいものである。
そこで久しぶりにパーティーに出掛ける決意をした。

No.30ち~ムーンと一緒に某外資系のショールームのオープニングパーティーに行く。
エレベーターを降りたところで既にアウト。
ものすごい人混みである。
しかもほぼ9割がスーツ。
さらにさらに9割5分の方が黒めの服着用。
僕はといえば、白のロングシャツにジーンズ。
既にういている。

「これは何のパーティーなの?」
ち~ムーンに聞かれるが、答えられず。
実は僕もよくわかっていない。
ただわかっているのは外資系の会社ということだけ。
外資系ということもあるのか4割近くが外国人。
知らない人の結婚式に紛れ込んでしまった状態である。
経験はないけれど。

「今日、英語レッスンだったんでしょ?ちょっと使ってみたら?」
ち~ムーンは面白がっている。
確かに今日のマンツーマンレッスンは、パーティーで自己紹介をするレッスンだった。
「this dish is tasty isn’t it?(この料理はおいしいです
ね?」
一応は、憶えてはいる。
しかし、料理なんてどこにあるんだ?
探す気力もない。

結局、呼んでくださった小山氏にあいさつだけして早々に僕らは会場を後にした。
やはり僕はバーティーが苦手です。

DSC_0319.JPG

もっとパーティーで堂々としていればなぁ。
この女性のように。
ちょっと意味が違うか?


投稿者 ishiko : 07:21

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