イベント
 イシコ連載中




 

« 9月25日「日帰り釜山が佐賀大学生協旅に?」 | メイン | 9月27日「告知って難しいなぁ」 »

2007年09月27日

9月26日「博多のこころ」

昨日の夜から博多織の取材は続く。
続くと言っても、昨日は博多デベロップメントカレッジの生徒さん達と飲んだだけだが…。
午前中、博多デベロップメントカレッジの授業を受けさせていただく。
この一連の話は11月のverita連載のコラムに書く予定であるのでここでは省く。

授業の後、理事長の庄嶋氏と一期生の宮川氏と昼食に出掛ける。
庄島氏から博多のこころをうかがう。
その前に博多の歴史を少しだけ。

博多というのは、堺と同じ商人の街のイメージが僕の中では強かったが、それは間違い。
どちらかというと文化の街と言った方がいいのかもしれない。
遣隋使、遣唐使など博多発着だった。
つまり大陸文化は博多の街から伝わっていったのである。
当時、博多は京都と同じ碁盤の目の街だったようだ。

その後、豊臣秀吉の時代に入ると、彼は博多を商業の街にしていった。
恐らくこの時代のことを学生時代に覚え、僕の中で博多=商人の街のイメージを作ったのかもしれない。
秀吉は商売の実利優先で碁盤の目を崩してしまった。
こうして博多で儲けたお金で、秀吉は朝鮮征伐に向かった。

そして、その後、博多のこころの基礎を創ったと言われる禅僧で画家の仙厓が登場する。
彼は街に出て、民衆といろいろなことを語ったり、絵や文字を書いたりしながら、現在の博多のこころの礎を創った。

彼の逸話はたくさんあるそうだが、その中の一つを庄島氏からうかがった。
子供が生まれたので何かお祝いの言葉が欲しいと言われたそうだ。
「親死に、子死に、孫死に」
と書いた。
もらった方は生まれたばかりで死を書くとは縁起でもないと怒ったそうだ。
しかし、彼は言ったそうだ。
「世の中で親が死に、その子供が死に、最後に孫が死ぬ。順番に死ぬことが一番、めでたいことなのだ」

ランチビールをいただきながら、思わず唸ってしまった。
博多のこころは深いのである。
ただ、そのこころを知る前に僕は、まず博多についての間違った知識から訂正していかなくてはならない。
九州男児と聞くと僕の中では、博多の男と思っていたのだが、これも間違い。
熊本の男性のことを指すのだそうだ。
ついでに九州は昔から博多が中心だと思っていたのだが、これまた間違い。
昭和30年代までは熊本が九州の中心だったそうだ。
その後、博多に空港ができ、新幹線ができて一気に博多の街は変わったんだとさ。
僕の無知度にまたまた唸ってしまうわけである。

DSC_0117.jpg

博多織の反物は、5000本以上からなる糸で織られる。
国宝級の方だと10000本の糸で織られるのだとか。
僕などその話を聞いただけでからまってしまいそうである。

投稿者 ishiko : 2007年09月27日 07:09

最新の記事
バックナンバー