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2007年08月31日
8月30日「そんなつもりで帽子をかぶってきたんじゃない!」
朗読劇は、長く集中力が続かない僕にとっては結構、辛い。
しかし、今日の朗読劇はもの凄く面白かった。
有楽町朝日ホールで現在、公演中のオーディオシアターを観に行く。
朗読劇の内容は内田康夫氏の作品の中で人気のある名探偵「浅見光彦」シリーズ。
舞台も終わり、みんなが席を立った。
主演の一人だったスタジオライフ篠田氏の楽屋にご挨拶に行こうかなぁと思い、僕も席を立った。
「帽子被ってるわよ」
「きっとマニアね?うふふ」
おばちゃん二人組の声が聞こえた。
何気なくチラッと見渡すが、周囲で帽子を被っているのは僕だけである。
僕のこと?
マニア?
あっ!そういえば舞台上に榎木孝明氏が帽子を被って登場して出てきていたのを思い出した。
確か何かのフライヤーにも帽子を被っている姿が載っていた。
それで僕が影響を受けて被っていると思われたのだろうか。
いやいや、僕はマニアではない。
浅見光彦の名前くらいは知っているが、旅先でつけたテレビで、たまたまやっていた2時間ドラマを何度か観たことがあるくらいだ。
ホントその程度なのである。
まぁ、マニアに間違えられるのは別にいいのだが、おばさんの一言で、周囲の人達の目線が何だか僕に集まっている気がする。
もちろん自意識過剰なことはわかっているのだが、そう思い始めると止まらなくなるのである。
耐えられなくなり、結局、楽屋に行かないで、逃げるように会場を後にした。
というわけで挨拶しないで帰ってきてしまったわけで。
篠田さん、ごめんなさい。
でも、僕が被っていたのはパナマ帽だよ。

誰かおばちゃんの妄想止めてくれ〜。
その前に僕の自意識過剰を止めた方が早いか?
投稿者 ishiko : 07:04
2007年08月30日
8月29日「KYの略」
KYという言葉が流行っているらしい。
「空気(K)が読めない(Y)」
を略した言葉なのだそうだ。
ヘアデザイナーNo.17シャーマン、松竹の黒田氏、森ビルの孫氏、イカルス出版の木村氏と飲んでいて教えていただいた。
昼間、No.30ち〜ムーンと栃木県は烏山の竜門の滝で昼寝をしていた。
マイナスイオンたっぷりで
「身体(K)が喜ぶ(Y)」
的なKYの滝だった。
夕方、連載でお世話になっているvaganceのオフ会イベントに行っていた。
芥川賞作家の中村氏、ブックディレクターの幅氏、空間デザイナーの李氏のトークセミナー。
李氏がデザインした素晴らしいスペースd-laboで、本の話。
「空間(K)が呼びこむ(Y)」
KY的なトークセミナーだった。
その後、恵比寿で最初に書いた4名と一緒に恵比寿で飲んでいるわけで。
「今日(K)も酔っぱらい(Y)」
のKYイシコであった。

「きれいな(K)夕焼け(Y)」
のKYで締めますか。
投稿者 ishiko : 07:38
2007年08月29日
8月28日「イスラエルとパレスチナを理解していない?」
来年で40歳になろうかというのに、未だに中東問題がよくわかっていない。
イスラエルとパレスチナが喧嘩しているのは何となくわかるが本質を僕は理解していない。
「シアターガイド」のスーパーバイザー今井氏、「シアターガイド」鈴木編集長、WEBコンテンツの小林ディレクターとお話しながら、ふと気づいた。
家に帰ってから、もう一度、おさらいしてみる。
自分自身の頭を整理する為に、ネットサーフィンしながら、簡単にメモがてら書いてみることにする。
元々、イスラエルという国は存在しなかった。
世界中に散らばっている国を持たないユダヤ人は、ユダヤ人が生まれた場所、パレスチナで国家を持ちたかったのである。
もっと元を正せば、ローマ帝国の時代にパレスチナからユダヤ人が追い出されてしまって世界に散らばり、迫害を受けてきた。
じゃ、ローマ帝国が悪いじゃん。
と思いきや、もうローマ帝国はない。
その後に持っていたオスマントルコが悪いのか?
しかし、第一次世界大戦でオスマントルコもなくなっちゃった。
あれれ?その後は?
しばらくはイギリス帝国が持っていたようである。
いや待てよ。
それまで、そこには誰が住んでたんだ?
オスマントルコの支配下の時代にはアラブ人とユダヤ人がパレスチナに普通に住んでいた。
イギリス帝国になったときに、アラブ人とユダヤ人に、それぞれ独立した国家建設を約束しちゃったことが、発端のようである。
できる見込みもなかったのに。
でも、言ってしまった。
時、既に遅し。
ヨーロッパで迫害を受けていたユダヤ人が民族の生まれ故郷パレスチナに逃げ込んできた。
仕方がないから、イギリス帝国は、まずヨルダンというパレスチナアラブ人の国を創った。
背景には当時、フランスの支配下だったレバノンとシリアに対抗して、パレスチナアラブ人を見方にしたくて創ったと言われているようだ。
ともかくパレスチナアラブ人には国家ができたけど、ユダヤ人には国家を与えなかった。
当たり前だが、ユダヤ人も怒る
しかもナチスによるユダヤ人迫害。
これで更にパレスチナにユダヤ人が流れてくる。
ちょうど第二次世界大戦の頃である。
そこでお金持ちのユダヤ人達は、パレスチナアラブ人から土地を買い始める。
というか買い漁った。
こうして終戦後、ユダヤ人達は真剣に国家建設へと動く。
ここからはゲリラ合戦である。
見かねた国連が、イギリス帝国の約束を実行しようと、ユダヤ人の国「イスラエル」建国となった。
でも、パレスチナアラブ人を指示する国が納得しない。
イスラエルに攻め込んで、第一次中東戦争になってしまう。
結局、イスラエルはガザ地区などをのぞく場所に国を持つことで一時は落ち着いた。
その後、何回も中東戦争になっているが基本的な流れはこんな感じのようだ。
あれ?ところで、シアターガイドでイスラエルとパレスチナの話になったのか?
イスラエルはモダンダンスが面白く、パレスチナは芝居が面白い。
というお話である。
以上。

世界が平和でありますように。
投稿者 ishiko : 07:11
2007年08月28日
8月27日「イシコ大病院に行く!」
僕は高校生までは身体が弱く、小児喘息も患っていたので、たいてい週に一度は大きな病院に通っていた。
何がどうなったのかはわからないが、大学生以降は喘息もなくなり(東京に出てきて2年目くらいに1度だけ発症したが、結局、それだけでその後、15年程出ていない)、その後、病院にさえ行かなくてよい身体になってしまった。
母の葵ちゃんに言わせれば、
「それだけ、ぐうたら生きていれば、誰だって健康になるよ」
なのだそうだが、やはり日本の医療が素晴らしかったのだと思う。
そんな健康な僕ではあるが、久しぶりに病院に行くことになった。
中学生以来の坊主頭で頭皮が日焼けしたのか、逆に帽子を被っていて、むれてできたのかはわからないが、頭皮に湿疹のようなものができて、かゆいのである。
はっきり言ってたいしたことはない。
ただ、先月、「シッコ(Sicko)」を観た後なだけに大きな病院に行ってみたくなったこともある。
早速、受付に行くと、
「選定医療費が3000円かかりますがよろしいでしょうかぁ?」
と言われた。
「選定医療費?」
思わず聞き返してしまう。
他の医療機関からの紹介状がないと患者側が別途負担金を支払うという制度になったのだそうだ。
金額は医療機関によって様々なのだそうで、本日、かかった病院は3000円ということになる。
イマイチ理解していない部分もあるが、払わないと受診できず、前に進まないのだから同意して受診することにする。
診療までに1時間程、待ち、レントゲンだの検査だので、なんだかんだで1時間。
薬をもらうまでに1時間。
軽く3時間以上はかかる。
というのが、僕が高校生のときまでの大病院のイメージである。
今日は、これで半日つぶれるだろうなぁと単行本も持ってきた。
しかし、単行本を読む暇などなかった。
現在の状況がモニターで表示され、すぐに僕は予備診察室というところに呼ばれた。
その後、もう一度、待合室で待つこと数分。
ベルトコンベアのように8名の医師がどんどん診察しているようだ。
その動きがモニターに映し出され、目が離せない。
すぐに、また僕の番号が表示され、名前も呼ばれた。
「これは軽い湿疹だね。すぐに治ると思うよ。塗り薬を2本出しておくから」
大好きな高田純次さんのような口調だった。
診察時間!3分!
病院に入ってから診察終了まで約40分。
会計も昔の大病院のように書類を出してから、番号札を持って待つのではなく、銀行のキャッシュサービスのように待っていればすぐにその場で会計してくれる。
「あちらでお支払いできますので」
病院に入ってから、会計計算まで約1時間。
早い。
この早さが選定医療費にも反映されているのかもしれない。
しかも支払いは機械で、できてしまう。
「そこまで急いでいないから、そんなに早く飲み込まなくてもいいよ」
と声をかけたくなるほど伊藤博文の紙幣をどんどん飲み込んでいく。
お釣りを吐き出しながら
「お大事に」
機械から流れる乾いた女性の声を聞いて、何だか怖くなってきたイシコであった。

くらげに刺されたときにビネガーを塗るといいと言われるが、湿疹のときにビネガーは効かないのかなぁ。
投稿者 ishiko : 08:31
2007年08月27日
8月26日「じゃんけん大会。パーを出し続ければ勝てるのか?」
青春18切符の旅チームからイシコだけ一足先に東京に戻る。
昼から6月のキャラバン旅のステージカーでお世話になったカナコー大久保社長のライブがあるのだ。
しかも野外。
夏だ!野外だ!ライブなのだ!
しかも親子バンド。
夏だ!家族だ!親子バンドなのだ!
しかもバーベキュー。
夏だ!お肉だ!バーベキューなのだ!
と8時に桂島を出たのだが、神奈川県は伊勢原にある柏木牧場に到着したのは。既に15時近く。
もちろん社長の親子バンドの出番は終わっていた。
もちろん肉はなくなっていた。
もちろんみんないい感じでベロベロになっていた。
まぁ、そんな空間で飲めるだけでも幸せである。
みんなのベロベロ具合に追いつこうと飲む!飲む!飲む!
ステージではじゃんけん大会が始まった。
ディレクターのあきちゃんは商品のディズニーランドを狙っていた。
彼女は作戦を考えていた。
自分はグーを出し続ける。
彼女の友人の女子大生まりなちゃんには延々とチョキを出させ、近くにいたベロベロに酔っぱらった舞台監督の谷本氏には延々とバーを出させる指令を出した。
よく考えるとこの方法は作戦としては、成り立つのかもしれないが、勝ち上がって行くために効率のいい方法ではない。
1回の勝負で、確実に3人のうち1人だけしか勝ち残らない(引き分けも負けとみなされるため)のだから。
のはずだった。
しかし、しかしである。
ベロベロのままパーを出し続けた谷本氏が何と勝ち残ってしまった。
しかし、しかしである。
勝つのが早過ぎた。
ディズニーランド招待券は、次のじゃんけんの商品だったのである。
Tシャツを持ち帰った谷本氏は、自分の半分以下の歳のあきちゃんに叱られるのであった。

「イシコは今日は、これから幼稚園に行くの?」
これがしゅんのすけ君と別れる時に言われた餞別の言葉であった。
投稿者 ishiko : 08:39
8月25日「青春18切符旅で島に辿り着くとは…」
昨日から続く青春18切符旅の続きである。
本日は気になる駅名まで行くことにする。
青森県は「鮫」という駅まで行くことに全員一致で決定。
しゅんのすけ君は、埼玉県から遊びに来ていた家族の子供に
「僕は鮫に会いに行くんだよ」
と自慢していた。
言った後に、
「だよね?」
と僕の方を見て、念を押した。
「まぁね」
と言葉を濁した。
言葉としては間違ってはいない。
「鮫」という駅には会いに行く。
しかし、彼が思っている「鮫」とは違うのだが…。
とにかく「鮫」に向かう。
しかし、仙台に近くなったところで山口氏が時刻表を見ながらつぶやいた。
「このペースだと今日中には、とても鮫まで辿り着けない…」
急遽、仙石線に変更。
塩竈で降り、市場に向かう。
岩ガキを食らい、港で水揚げ作業を見ながら、飲む。
しゅんのすけ君は
「鮫に会いに行かないの?嘘つき!」
と怒っていた。
しかし、
「松島で船に乗るよ」
と言うと
「船?やったぁ!」
とすぐにご機嫌になった。
次に向かったのは松島。
観光地の土曜日だったことを忘れていた。
こうして僕らはメチャクチャ混んでいる観光船に乗る。
僕は「かもめ」の撮影に熱中する。
No.7かめら〜まんと山口氏は、いくつもの島が浮かぶ松島の海を見ているうちに、島に泊まろうと思いついたらしい。
もちろん、僕も大賛成。
青春18切符を使って、島に泊まりに行くなど予想できただろうか。
こうして僕らは、船をチャターして、「桂島」に向かった。
9月10日で閉めてしまうというおばあちゃんの民宿に泊まることになった。
すぐに海辺で飲み始める。
まさか島の海辺で飲めるとは…。
予想不可能な二日間の旅の幸せを噛み締めながら、僕は寝転がった。
ふと、しゅんのすけ君が思いついたように言った。
「で、鮫はいつ会える?」
僕は聞こえないフリをした。

鮫には会えなかったけど、かもめにはたくさん会えたわけで。
投稿者 ishiko : 08:37
8月24日「どこに行くのかわからない旅」
「今日、どこ行くの?」
「お父さんもわかんない!」
「散歩の達人」山口編集長と彼の愛息しゅんのすけ君との上野駅での会話である。
「じゅんじゅん、どこ行くの?」
しゅんのすけ君がカメラマンNo.7かめら〜まんに聞いた。
かめら〜まんの答えも
「わかんな〜い!」
僕らは上野駅にいた。
2泊3日の青春18切符旅が始まる。
行き先は誰もわからない。
知っているのは、先日、vaganceの連載取材でインテリアデザイナーの常田氏からいただいたトランプのみ。
ひいたカードで行き先が決まる。
ハートが出たら東北線
ダイヤが出たら高崎線
スペードが出たら常磐線
クローバーが出たらもう一度。
しゅんのすけ君がカードをひく。
ダイヤの2。
よって高崎線に決定!
次に乗っている時間。
出た数字×10分。
今度は、かめら〜まんがひく。
スペードの8
80分の乗車時間。
約80分の黒磯まで行く。
黒磯でそば粉で挽いた蕎麦と生酒を飲む。
さて、次はどこに行く。
別れ目の郡山まで乗っていき、またまたカードをひく。
赤のマークが日本海、黒のマークが太平洋。
しゅんのすけくんがひく。
クローバーの10
太平洋に決定。
いわきまで行く。
既に夕方。
今日の宿泊場所を探すことにする。
しかし、いわきのような都市で探すのもつまらない。
この近くの気になった地名で泊まることにする。
ちょうど1時間弱くらいの場所に「夜ノ森」という気になる名前の駅がある。
山口編集長が役場に電話をすると1つだけ宿泊場所があると言う。
本日の宿泊先が決定!
この宿泊先が大当たり!
町が建てた新設の保養所で天然温泉はあるわ、ガーデンで飲み放題のバーベキューは用意してくれるわの大サービス。
ちなみに「夜ノ森」の地名の由来は、昔、この一帯は夜のような森が広がっていたそうだ。

さて、明日はどこに向うのやら。
投稿者 ishiko : 08:32
2007年08月24日
8月23日「東京マラソンエントリー締切忘れてたぁ」
僕にマラソンの楽しさを教えてくれたのは森ビルの孫氏だった。
久しぶりに彼女と六本木でランチを食べる。
彼女のおじいさまは孫基禎という韓国の英雄である。
1936年のベルリンオリンピック。
ヒトラーの前で、金メダルを獲得したマラソンランナーだった。
マラソンの金メダリストのDNAを持って生まれた彼女もマラソンが好きである。
数年前、おじいさまが亡くなり、ソウルで彼の記念マラソンが行われたことがあった。
そしてその記念マラソンが僕のハーフマラソンのデビューだった。
実はソウルに行くまで、彼女がその英雄の孫だとは知らなかった。
ただ単に観光気分でマラソンに出るつもりだった。
しかし、韓国に到着して、ホワイトマンチームに対する、あまりのVIP待遇に驚いた。
マラソン大会のスポンサーであるプーマから、帽子からウィンドブレーカー、スニーカーまで全てが支給され、新聞社からは、5ツ星のホテルが用意されていた。
まるで招待選手扱いである。
ホテルで彼女が孫基禎の孫であることを初めて知った。
彼女が日本からやってきたことは韓国のメディアでは、かなり大きく取り上げられていた。
当日も何だかわからないが、素顔のホワイトマンチームは彼女と一緒に何故か招待選手よりも前に出され、韓国語で日本からすごいゲストがやってきたように、アナウンスされた。
訳もわからず、僕らは手を挙げて観客に応えた。
一番前に出されたはいいが、目の前は、いきなりT字路である。
僕は、彼女につぶやいた。
「右と左はどっちに行けばいいの?」
「大丈夫!すぐに後ろの選手に抜かされるから」
ニッコリと彼女は答えた。
それが僕のマラソンデビューだった。
「今年の東京マラソンよかったよ〜」
チキンライスをほうばりながら、彼女が言った。
そういえば僕も来年こそは絶対に出ようと思っていたのだった。
彼女と別れた後、すぐにネットにつないで、エントリーしようと思ったのだが、既に先週、締め切られていた。
久々に韓国に行きたいなぁ。
紙すきのおじさんは元気かなぁ。
知り合い?
全然、知りません。
投稿者 ishiko : 07:20
2007年08月23日
8月22日「ホワイトマンプロジェクトは最後に何かするの?」
最近、人に会うと聞かれることが多い質問である。
「えっ!ホワイトマンって、まだ、やってたの?」
とさっきまで言っていた人でさえ、今年で終わりとわかった途端、
「で、最後は何するの?」
と尋ねてくる。
終わりがあると、最後に何をするのかを聞きたくなるのは、日本人の習性なのか、それとも人間の習性なのだろうか。
ホワイトマンプロジェクトが最後に何かするかどうかは、正直、わからない。
ホワイトマンプロジェクトとは、あるようでないようなプロジェクトであり、ないようであるようなプロジェクトである。
何かあれば、やるだろうし、何かなくても、このままゆるゆると、地面に染み込む水のように消えてしまってもいいかもなぁとも思っている。
終わりと言っても、イシコだけ、そのままホワイトマンのまま残って、「帰ってきたウルトラマン」ではなく、「帰れなかったホワイトマン」と続けても楽しいのかなぁとも思っている。
「じゃ、終わらなくてもいいじゃない?」
と責められるが、ホワイトマンプロジェクトの物語は2007年12月ホワイトマン星に戻ると書かれているのである。
って始めたときに自分で書いたんだけど。
だいたいこんな話をうだうだしていると、たいていの人は、
「ダメだ、こりゃ…」
とあきれて、その後、僕と口を利いてくれなくなる。
このままいくと、ホワイトマンが終わる頃には、誰も相手にしてくれなくなるかもしれない。
そうなったら、そうなったで、ホワイトマンのキャラクターを見ながら、一人でこつこつホワイトマンの物語を創って絵本やアニメになるのを待ち続けるおじいちゃんになっていくのも悪くない。

ホワイトマンって金沢21世紀美術館のタレルの部屋みたいなものです。
額の中の雲は常に動いています。
ひょっとすると真っ青で何も動きのない時でも、額に入っていない雲が動いているのかもしれません。
なぁんてね。
それはともかくタレルの部屋はオススメです。
僕、2日も行っちゃいましたから。
投稿者 ishiko : 07:42
2007年08月22日
8月21日「落ち着かないマッサージ店」
身体が重い。
ここ数日、クーラーをつけっぱなしでお休みタイマーにしないまま、寝てしまったこともあるのだろう。
電力不足だと言うのに。
地球温暖化だと言うのに。
自己嫌悪に陥りながら、重い身体をひきづりながら生活する。
しかし、あまりの身体の重さに新宿のマッサージ店に行く。
入り口近くのベッドに通される。
カウンターの客のやりとりの声が聞こえるが、恐らくすぐに眠ってしまうから大丈夫だろう。
店内にはジャズが流れている。
心地いいなぁと思いながら横になる。
すぐにうとうとし始めた頃、ふと耳慣れた音楽が聞こえてきた。
ジャッキーチェーン主演の「プロジェクトA」のテーマ曲。
編曲され、テンポもゆったりめなのだが、やはりどう聞いても「プロジェクトA」なのだ。
ジャッキーチェーン好きではあるが、やはりマッサージの時だと逆に神経が高ぶってくる感じである。
その間にマッサージ師との会話も続く。
「強くないッスか?」
「大丈夫です〜」
「腰がガチガチですよ。座っているお仕事ッスか?」
「えぇ。まぁ」
「このツボ痛くないッスか?腰のツボなんスよ」
「ホント、痛いッスね」
マッサージは上手なのだが、若者独特の「っスよ」が耳につき、自分が中年になったことを自覚する。
その間にもお客さんは入ってくる。
混んでいることもあり、スタッフ総動員で治療しているのだろう。
受付がいないのだ。
よって、入り口に一番近い彼が行くことになる。
やはりマッサージもリズムがあるので、彼自身もやりにくいだろう。
そして、その度に
「ホント申し訳ありません。その分、延長しますんで」
と僕に謝る。
今度は「申し訳ないっス」じゃなく、「申し訳ありません」と言ったことが気になる。
ようやくスタッフに一人空きができたようで、受付対応を彼がやらなくてよくなった。
関係ないのに僕もホッとして、ようやく眠りにつこうとしたところだった。
受付に大きな声の中年男が入ってきた。
聞こえてくる声から推測するとどうやら刑事のようである。
「このあたりを回らせていただいているのは、新宿三丁目付近で指名手配の男の目撃情報がありまして…」
と始まった。
何とも落ち着かないマッサージ店であった。

こんな感じで眠りたかったのだが…。
投稿者 ishiko : 07:20
2007年08月21日
8月20日「あぁ、絵コンテ!あぁ、高校野球!」
ここ数年、夏になると、大好きな沖縄のブランド「PAIKAJI」のアロハシャツで過ごしていることが多い。
5年間、ホワイトマンが夏に出没するイベントや取材時の衣装で、いつもタイアップしていただいていた。
そんなご縁もあり、来年度のカタログをホワイトマンで制作することになった。
そこで今日は部屋中に紙を広げて、イメージカットの絵コンテを筆ペンで描いていた。
相変わらず、イシコの絵の下手っぷりに自分自身で笑ってしまう。
数年前、スゥエーデンでビジュアルブックを創ったとき、スゥエーデン人のスタッフ達が僕の描いた絵コンテを上下逆に見ながら悩んでいたことがある。
日本人スタッフからも
「イシコちゃん、これ、じゃがいも?」
と言われた。
丸い氷の上に丸椅子を描いたつもりが、鍋の中の変形じゃがいもに見えたらしい。
それでも、僕は今回も絵コンテを描いている。
やはり下手な絵でもないよりあった方がいい。
説明すればいいことである。
何より絵を描きながら、空想している時間は楽しいものである。
と偉そうに言いつつも、高校野球も気になって仕方がない。
テレビをつけ野球中継を流しながら、描くことにする。
しかし、岐阜は日大大垣と静岡の常葉菊川の春の選抜大会の決勝と同じカードが始まると、手は完全に止まってしまった。
あぁ、日大大垣が負けてしまった。
あぁ、そろそろ出掛けなくては…。
絵コンテを持って、デザイナーの福井氏のところにも制作の清水氏のところにも打合せに行かなくてはならない。
あぁ、後、1枚、絵コンテが足りない。
あぁ…。
と喘ぎながら、再び、筆ペンで、じゃがいもを…いや、人を描くのであった。

沖縄在住の清水氏と沖縄本島から古宇利島にかかった橋の話になった。
PAIKAJIの撮影?
全く関係ありません。
投稿者 ishiko : 08:34
2007年08月20日
8月19日「韓国?オーストラリア?どっちだろう?」
「これはどこに連れて行ってくれるの?」
No.30ち〜ムーンが旅行代理店でつぶやいた。
10月頭、彼女の休みの期間に旅する場所を探しにやってきていた。
フライヤーやパネルには、いろいろなキャッチコピーが書かれている。
その中に
「プルコギ、ビビンパ、アニハセヨ、シドニー 69800円」
食べ物と値段は正確にはどうだったかは忘れたが、こんな感じで書かれていたことだけは間違いない。
プルコギ、ビビンパ、アニハセヨまでを読んでいくと、韓国の旅なんだろうなぁと思わせる。
それに続けて、カンガルーと書かれていたら、
「あっ!韓国にもカンガルーがいるんだなぁ。ちょっと田舎に行くのかもね?」
で終わっていたに違いない。
しかし、思いっきり、「シドニー」である。
逃げ場はない。
間違いなく、「オーストラリア」である。
しかもケアンズを通り越して、シドニーである。
「シドニーが先だったら怖いよね?」
ち〜ムーンが更に想像を始めた。
成田発シドニー経由の韓国行きなんて聞いたことがない。
メチャクチャ疲れる行程である。
「でも、韓国を楽しんだ後に、シドニー経由で成田に帰るのも嫌だよね?」
ち〜ムーンは悲しそうな顔までしていた。
いやいやシドニー経由の意味がわからない。
直接、成田に行きましょう。
2時間なんだから。
結局、このキャッチコピーの意図を店のスタッフに聞かないまま僕らの会話は繰り広げられた。
韓国?オーストラリア?行く場所?
いやいや、僕らの10月の旅はペナン島、クアラルンプールのマレーシア旅になりそうである。
ただ単にこのキャッチコピーが目についたという話。
「チヂミ、キムチ、マッコリ、ケアンズ 67800円」
対抗して創ってみた。
全然、意味ないんですが。
投稿者 ishiko : 07:30
2007年08月19日
8月18日「観る阿呆」
1:青山円形劇場×プラネタリウム「メガスター」×劇団「ク・ナウカ」
ホワイトマンが「プレゼンラジオ」の際に創ったセットを使い、再び青山円形劇場がプラネタリウムになった。
プラネタリウムの空間で海外でも人気の高い「ク・ナウカ」が宮沢賢治を朗読する。
客席に座り、星を眺め、宮沢賢治とク・ナウカが創り出す世界観に浸る。
浸りながらも、「プレゼンラジオ」を久しぶりに思い出し、今さらながら、様々なことを反省する。
2:表参道ヒルズ×ウィンドサーファー「飯島夏樹」×映画「Life」
一昨年、癌で亡くなったウィンドサーファー飯島夏樹氏の写真展。
今のところ彼は3冊の本を出版しているが、その中の「ガンに生かされて」は、僕にとっては特別な思い入れがある。
出版された当時、リウマチと闘い、精神的にも弱っていた母の葵ちゃんに送った本である。
看病もあり、僕は毎週のように岐阜に通いながら、実は僕の場合、「母に生かされて」だったことに気づくのだけど。
母が病気になったからこそ、「家族」という絆を感じさせられた一年だったことを思い出す。
彼の人生を描いた映画「Life」の公開が待ち遠しい。
3:タワーレコード×翻訳家「柴田元幸」×英米文学評論家「新元良一」
恒例の二人の音楽談義も10回目を迎えた。
本日のテーマは「夏」
夏というと野外フェスのイメージもあり、本日はレッド・ツッペリンやニールヤングのライブアルバムの一部を流しながら、それぞれの目線で解説してくださる。
僕のような音楽に詳しくない人間にとってはありがたいトークショーである。
柴田氏が「ビーチボーイズ」の詩を訳していくと夏なんだけど、どこか影があってメランコリーなんだよなぁとつぶやいたのが、妙に頭に残った。
「観る阿呆」に徹した一日だった。
トークショーの打ち上げに出席するのをお断りして、最後に「観る阿呆」として下北沢の阿波踊りに向ったのだが、残念ながら、ちょうど終了したところだった。
既にサニーサイドアップの松本家で飲んだくれている。
合流すると相変わらずネタ満載の俳優No.2カマンと、人生経験豊富なカメラマンNo.7かめら〜まんの結婚談義にこれまた観る阿呆に徹するイシコであった。

下北沢の駅で面白い大道芸も観た。
「漫画」の読み聞かせである。
撮らせていただいて申し訳ないが、キューバの犬の大道芸よりも面白かった。
投稿者 ishiko : 08:27
2007年08月18日
8月17日「草むしり三昧」
ここ数日、実家の庭の草むしりにハマっている。
草刈りではなく、草むしりである。
「むしる」=「つかんで引き抜く」
この「むしる」という行為が意外に楽しい。
むしっては、かごに放り込んでいく。
最初は、目についた草についてつぶやいている。
この草はいつも生えてくるよなぁ。
この草の根は深くて取りにくいんだよなぁ。
しばらくすると頭の中に事務的ないろいろなことが浮かんでくる。
あっ!あの人に連絡するのを忘れてた。
図書館で借りた本、返さなくっちゃ。
そのうち、今、書いている原稿や今、やりたいことの内容が浮かんでくる。
やっぱり書き出しはこっちだろうなぁ。
あっ!面白い絵コンテ見ぃつけたぁ。
最後は、「無」になってくる。
汗がポタポタ落ちているのも気にならず、とにかくむしり続けるのみ。
この一連の頭の流れは最近、サボり気味だが、マラソンをしている感覚に近い。
メチャクチャ気持ちイイ。
メチャクチャ汗もかく。
メチャクチャ暑い(今日も同じ岐阜県の多治見市は40度を超えたそうです)ので、早朝か夕暮れ時しかできません。

終わるとこんな感じになるのだ。
投稿者 ishiko : 08:02
2007年08月17日
8月16日「指導者が変わると何が変わるんだろう」
岐阜県出身のイシコとしては、岐阜県の高校が勝ち上がるのは、嬉しいものである。
しかも、この夏の代表は僕が通っていた高校の近所にある日大大垣高校。
春の選抜大会も初出場で準優勝。
岐阜県の高校で、ここまで強いチームが現れたのは僕が物心ついてから初めてのことではないだろうか。
そして、この夏も強い。
と高校野球の話である。
この高校の坂口監督は愛知県東邦高校で活躍されていた名監督である。
日大大垣高校に移ってから3年目で、ここまでのチームに育てあげた。
高校野球のように能力の差が激しい選手をコントロールする監督って難しい気がする。
その上、高校野球は一度、負けたら終わってしまう。
どうして、指導者が変わるだけで、ここまで強くなるのか。
昔、茨城県に取手二高を率いて、桑田、清原のPL学園を破って全国優勝した木内監督も、その後、当時、新設校だった常総学院に移り、最終的には全国優勝させている。
多少は、高校の力の入れ具合も違うのかもしれないが、それだけで全国で通用するチーム創りができるとは思えない。
やはり監督の力もかなり大きいのだと思う。
他の監督と
何が違うのか。
何を教えているのか。
何を見せているのか。
何を考えさせているのか。
いずれ聞いて、探ってみたい。
さてさて、日大大垣高校は今日も勝って、初出場でベスト16まで勝ち上がった。
「あの日大大垣高校でよく練習試合したんだよねぇ」
思わず、No.30ち〜ムーンに自慢してしまう。
僕の場合、野球ではなく、サッカーの練習試合だったのだが…。

トンボ掛けのプロっているのかなぁ。
グランドキーパーの靴って興味あるなぁ。
次の靴連載で提案してみよう。
投稿者 ishiko : 07:15
2007年08月16日
8月15日「こんなに昼寝をした理由」
何もしない一日。
で何をした?
だから何もしないんだって。
交遊録とメールを何本か書いただけで、後は夕方まで眠り続ける。
ときどき目を覚まし、ラジオから流れる高校野球に少しだけ耳を傾け、また眠りに堕ちる。
畳の上で大の字になった上を心地よい風が通り抜けていく。
実家は築100年以上経つ古い木造の家である。
何度か手は入れているが、梁などの基本構造はそのまま生かしてある。
昔の家なので時代劇で見られるように、東西南北全てがふすまになっている部屋が多く、壁がないのが特徴である。
法事など親戚がたくさん集まるときに、すぐに取り外して大きな空間ができるように設計されている。
子供の頃はこの家が嫌いだった。
友達の新しい家に遊びに行くと、壁にカッコイイポスターや絵が飾られ、本棚やソファなどが壁際にかっこよく置かれている。
それに比べ、壁がなく、全てがふすまで、全てが畳、座椅子と茶箪笥、掛け軸の自分の家はカッコ悪いと思っていた。
もちろん、中年になった今ではこの家が大好きである。
何より夏が涼しいのがいい。
風が南から北に通り抜けていく。
37度を越えた今日はさすがに扇風機を回していたが、それだけで、ぐっすり昼寝が楽しめるのだ。
まぁ、これだけ寝ていたら、昼寝という呼び方は通り超しているが。
昔の人は夏をいかに快適に過ごすかを考えて建てたのだそうだ。
冬は着込んで、火鉢があれば、何とかなると考えた。
と母の葵ちゃんが冷たいカフェオレを創りながら教えてくれた。
もちろんカフェオレは僕のではなく、葵ちゃんの物。
これだけ寝ていたら、セルフサービスにもなる。

まぁ、実家が古いと言っても、ヨーロッパの建物に比べたら屁みたいなものでして。
投稿者 ishiko : 07:40
2007年08月15日
8月14日「ハマちゃんとタマちゃん」
親族の間では、亡き祖母はハマちゃんと呼ぶ。
各務原市は蘇原にあるお墓に行った後、おじさんやおばさん、すなわち母の葵ちゃんの兄弟と日本料理屋に行く。
おじさんの子供あゆみちゃんが、僕の隣に座った。
久しぶりに兄弟が集まり、ハマちゃんの話で盛り上がっていた。
「ハマちゃんはもういません」
あゆみちゃんが言った。
「そうや。ハマちゃんは、お墓の中におるな」
おじさんも返す。
そこへトイレから戻ってきたおばさんが話に加わる。
「そうだねぇ。最近、見ないよね〜」
あゆみちゃんは少し混乱しているようだ。
おばさんは続けて言った。
「きっと海に帰ったんだよ」
あゆみちゃんは更に混乱しているようだった。
この会話は祖母のハマちゃんとあざらしのタマちゃんが入り交じっている。
勘違いのまま会話が進んでいくのは面白いものである。
珍しく鈍感な僕も気づいたのだが、面白いので、もう少し、僕は様子を見ていることにした。
もちろん3分後には大爆笑になっているわけで。

海のハマちゃん。
あゆみちゃんのイメージはこうだったのかもしれない。
投稿者 ishiko : 08:14
2007年08月14日
8月13日「今度は吐かなかったけど…」
自分が初めて吐いた日のことを覚えているだろうか。
もちろん物心ついてからのことである。
僕は3歳のときだった。
それは亡くなった父に車で穂高に連れて行ってもらったときのこと。
元々、身体が弱かったのと、生まれて初めての山道ドライブで具合が悪くなったのだろう。
山道の脇で母に背中をさすられ、初めて体内の物を逆流する感覚に怯え、泣きながら吐いたのを覚えている。
約35年ぶりに新穂高に向かった。
父は既にこの世にいないが、母と姉は健在なので一緒に向かう。
と思い出話に胸を膨らませ、ここまでは何だかいい話のようだが、北陸自動車道が大渋滞。
「もっと考えて場所を決めなさいよ」
「ここしか全員のスケジュールが開いてないんだからしょうがないやろ!」
いつものように母と姉の喧嘩が始まった。
結局、3時間程度で到着するところ、6時間もかかってしまった。
たった3時間長くなっただけで、完全に冷えきった親子関係が出来上がっていた。
僕は仲裁も面倒になり、無理矢理、吐いてこの場を治めようかと思ったくらいである。
しかし、こういったとき、自然の力というのはありがたい。
新穂高の山々を眺めていたら、いつのまにか仲直りしていた。
やはりイシコの家族である。
単純なのだ。

高低差東洋一のロープウェイらしい。
それより2階建てのロープウェイに驚かされる。
投稿者 ishiko : 07:29
2007年08月13日
8月12日「ちょっと向こうの島まで泳いでみよう」
鞆の浦から船で約5分。
No.40サイエンスマンとマネージャーの高橋氏と仙酔島へ泳ぎに行く。
仙人が酔う島なのか仙人が酔いしれる島なのかは知らないが、素敵な名前の島である。
仙酔島からは、無人島の弁天島が見える。
無人島という響きには、何故かそそられる。
「ちょっと向こうの島まで泳いでみない?」
サイエンスマンが言った。
もちろん僕も賛同した。
淑女の高橋氏は、パラソルの下でゆるゆるして待っていてもらう。
こうして僕らは平泳ぎでゆったり島に向かう。
海というのは近くに見えても意外に遠いものである。
泳ぎ始めて、すぐに疲れてしまった。
NASAで3日間プールの中で生活する訓練もしているサイエンスマンは、宇宙遊泳を楽しむように泳いでいる。
足がつかない水の中は無重力的な感じなのだそうだ。
僕の場合は、重力にもがき苦しむ中年男である。
「イシコ、もし、無理そうだったら先に戻ってもいいよ」
そう言われるとムキになるイシコである。
「大丈夫!大丈夫!」
顔で笑って、水の中では既に身体が悲鳴をあげていた。
日頃、使っていない筋肉がピクピク動いている。
後少しと言い聞かせながら、泳いでいく。
浮き輪で向こうの弁天島まで行って戻ってくる子供達のグループに遭遇した。
「まだまだ遠い?」
「もう少しだよ」という言葉を期待した。
しかし、彼らは残酷にも「まだまだ遠いよ」
聞かなければよかった。

朝、あんなにキレイに見えた島が憎く見えてきた。
イシコってホントわがままですね。
投稿者 ishiko : 06:44
8月11日「壁塗り?白塗り?城塗り?」
鞆の浦には歴史的建造物がたくさんある。
しかし、修復していない場所も多い。
これではいけないと現地のNPO法人が立ち上がり、修復作業に乗り出した。
本日、壁の修復を手伝わせていただき、泥壁を塗っていく。
「100年間は皆さんが塗った壁でそのまま残るけんのぉ…」
現場のおじさんがつぶやいた。
ホワイトマン不器用選手権NO.1のイシコは躊躇した。
逆に迷惑をかけてしまうのではないか。
しかし、いつしか壁を塗っていた。
だって、楽しそうなのである。
脚立と脚立の間にかけられた板の上に乗り、ちょっと鳶気分でちょっと左官屋気分で塗っていく。
高い場所の泥壁はどうするか?
下から泥を投げてもらい、それをパレット(多分、言い方は違うのだろうが…)で受け取る。
現在、丸坊主のイシコは、職人気分で調子にノッて、親方が泥を投げてくれるのをバランスを取りながら受け取る。
メチャクチャ気持ちいい。
泥壁は投げつけるくらいの方がいいらしい。
そうしないとボタボタと落ちてしまう。
こうして約2時間半で壁塗りが終わった。
次は白塗りで城塗りを体験してみたいものである。

これも鞆の浦の歴史的建造物の一つ。
幻籠燈と呼ばれる江戸時代の灯台である。
投稿者 ishiko : 06:31
2007年08月11日
8月10日「鞆の浦散歩」
東京駅からのぞみに乗って広島県は福山駅まで行く。
そこからバスに乗って約30分。
鞆の浦に到着する。
正直、僕はこの場所を知らなかった。
世界遺産にしようという動きまである地域なのだから、知らないのは僕だけなのかもしれないが、今回、福山出身の都庁に勤める向本氏に連れてきてもらっていなかったら、一生、知らないままだったかもしれない。
こんな素敵な場所を知ることができてよかった。
鯛ソーメンをいただいた後、街を歩く。
灯籠燈と呼ばれる江戸時代の灯台や、雁木と呼ばれるやはり江戸時代から使用される船荷のおろし場に感動する。
京都は八坂神社の元社である沼名前神社の階段で涼みながら海を見る。
この地の名産である保命酒と呼ばれる薬用酒の蔵で試飲をする。
いつものようにぶらぶらと一人散歩を楽しんだ後、ふらりと友交軒という素敵なカフェに入る。
客が僕一人だということもあったが、オーナーの清楚な女性が話しかけてきた。
彼女のおじいさまの時代、つまり昭和初期の頃は、床屋と銭湯を営まれていたそうだ。
現在は銭湯部分は壊してしまったが、床屋の部分は内装をそのまま残し、カフェになった。
床屋独特の大きな鏡が心地いい。
あまりに居心地がよく、鞆の浦の歴史と鞆の浦の現状を話し込んでいるうちに、集合時間に遅れてしまった。
そうそう今回は遊ぶ為だけにやってきたわけではない。
鞆の浦の散歩話は改めて、veritaの今月の連載に書くことにする。

水呑場と書かれているというのも珍しいよなぁと、思わず、水を飲んで…、いや呑んでみた。
投稿者 ishiko : 07:14
2007年08月10日
8月9日 はパクチーの日?
パクチーの話である。
ベトナルやタイ料理などによく使われる食材である。
独特の癖で好き嫌いは激しい(ち〜ムーンは嫌いである)のだが、僕は大好きである。
2年以上前になるだろうか。
表参道で行われたホワイトマンが参加した展示会で、当時、記者だった佐谷氏から取材を受けた。
展示会の話よりパクチーの話で盛り上がってしまった。
彼は8月9日をパクチーの日と名付け、パクチー協会なるものを立ち上げていたのである。
あまりに面白い方なので逆に僕の方が取材する感じになってしまったことを覚えている。
それがご縁で何度もパクチー協会主催の飲み会にお誘いをいただいていたのだが、なかなか時間が合わなくて伺えなかった。
そして、ようやく伺うことができた。
本日はイタリア料理店を貸切である。
もちろん特別メニュー。
海の幸のサラダにも鶏肉にも、全ての料理にパクチーが入っている。
フォカッチャ(パン)やパスタにまでパクチーを練り込んであることに驚かされる。
そして、乾杯の発声は「かんぱ〜い」ではなく、「かんパク(チー)」である。
パクチーが好きな人には、旅人が多いと佐谷氏が言う通り、筋金入りの旅人が多く、楽しいお話を聞かせていただいた。
この秋、彼は世界初となるパクチー専門料理店をオープンさせるそうだ。

モヒートのように、パクチーを使ったカクテルがあってもいいかもしれない。
香りが強過ぎるかもしれないが、一度、飲んでみたい気はする。
投稿者 ishiko : 05:50
2007年08月09日
8月8日「もう二度と神聖な舞台には立ちませんからお許しを!」
「なんで受けちゃったんだろう?」
鏡の前でつぶやいた。
やはり神聖な舞台という場所に役者として気軽に立つなどと言ってはいけなかったのである。
こんなに心臓がおかしくなりそうなことはない。
「イシコさん、トークショーネタの質問は決めておきましょうか?」
トークショーネタで組む俳優のNo.3コープマンが、僕のパニック具合に優しく声をかけた。
「石原さん(イシコの本名)、マジックの動きは大きい方がいいですよ!」
ゲストシーンの構成を考えてくれた俳優のNo.2カマンから最後にもう一度だけアドバイスを受けた。
もう緊張を通り越して、放心状態である。
「そろそろ出番ですよ!あれ?イシコ君、大丈夫?」
楽屋に呼びに来てくださった制作の中野氏が心配していた。
「大丈夫ですよ!別に命取られるわけじゃないですから」
カマンがこんなに頼もしく見えたことはなかった。
結局、イシコがマジックバルーンを使い、コープマンが暴走するトークショーネタに行く途中でタイムアップ。
終わってからも、何だか心臓がバクバクしていて、しばらく放心状態は続いた。
当たり前だが、トークショーと舞台とは全然、違う。
もう俳優として二度と舞台に立たないことを誓うのであった。

もう目がどこにあって、口がどこにあるのかわからなくなってしまった。
俳優さんって凄いですよね。
投稿者 ishiko : 07:50
2007年08月08日
8月7日「アウトレットの半額って?」
No.30ち〜ムーンと軽井沢のアウトレットへ買い物に行く。
アウトレットのファイナルセールをやっていて信じられない金額なのである。
3年程前にもこの時期に行き、ホワイトマンで使えそうな洋服や小物を大量買いした。
アウトレットというのは、少し汚れがついていたり、サンプルといった理由ありの商品を取り扱っているイメージが僕の中にはあったのだが、今では、そういった理由ありの商品を取り扱っている店を探す方が難しいくらいである。
普通に問題のない新品でも安く販売していて、ただ単にブランド店のバーゲンが集まった場所といった感じである。
消費者の僕としては新品で安くて自分の好きなデザインの物が入るのであれば何でもいいのである。
「うわっ!このCA4LAのハット2000円だよ」
小市民の僕は、すぐに元値を確認してしまう。
定価8000円。
7割以上の値引きである。
「うわっ!これアウトレット価格から2回値下げして、更にここから40パーセントオフだって!」
もうこうなってくると訳がわからなくなり、元値以前の問題になってくる。
どんどんアドレナリンは出てくる。
「イシ君、デザインじゃなくて値段だけで見てるでしょ?」
ち〜ムーンに突っ込まれるのであった。
ちなみに今日(8日)ゲスト出演する舞台で、カマンが着る予定のポールスミスの定価18000円のシャツは3年前、このアウトレットで3000円で購入した。
もし、よろしければ観にきてください。
何を?
シャツを…。いやいや舞台を。

帰りの高速道路のパーキングで虹を見つけた。
写真ではわかりにくいかもしれないが実は、二本の虹が出ていたのである。
何かいいことがありそうだ。
ってそんな言い伝えなかったっけ?
投稿者 ishiko : 08:09
2007年08月07日
8月6日「いいなぁ。ロバート=デ=ニーロのポートレート撮るんだって」
「会いたいと思った人には、いつか会えるもんだよ」
そう言われることがある。
そんなバカなと思うときもあるが、意外にそういった話は身近にも転がっていたりする。
本日もまた、そういった話を聞く。
カメラマンNo.7かめら〜まんが来日した。
いつもご機嫌なのだが、今日は更にご機嫌である。
ご機嫌の理由は、明後日のロバート=デ=ニーロの撮影にあった。
「ようやくロバート=デ=ニーロのポートレートが撮れるよ」
彼がカメラマンになってから20年以上が経つ。
もちろんその間にアシスタント時代もあり、渡米したばかりのアルバイトしながらのカメラマン時代もある。
いつしか著名なカメラマンになっていた。
彼が歴代撮ったポートレートのリストやファッション写真を見ると、普段の酔っぱらい親父っぶりも許してあげたくなる。
そして、ずっと彼が会って撮ってみたいと思い続けた一人がロバート=デ=ニーロだった。
「会いたいと思った人には、会えるもんですねぇ」
と僕も嬉しくなり、二人でお祝いも兼ねて、渋谷で一緒にワイン飲んだくれてしまったわけで。
そのまま近くの古本カフェ「Flynig Books」に場所を移し、オーナーの山路氏に迷惑がられるわけで。
「あんたら昼間っから何やっての?」
そういえば、まだ夕方にもなっていないことに気がついた。

イシコの場合、ずっと会ってみたかった人は映画「RIZE」の題材にもなったクランプダンスの創始者トミー・ザ・クラウンでした。
昨年、奇跡のようなタイミングで、お目にかかることができました。
そう考えると
「会いたいと思った人には、いつか会えるんだよ」
というのも信じられる気がする。
投稿者 ishiko : 06:56
2007年08月06日
8月5日「ロシアの戯曲が覚えられない」
No.30ち〜ムーンと「森は生きている」のミュージカルを観に行き、心を洗われた。
ロシアの児童文学作家サムイル・ヤコヴレヴィッチ・マルシャーの名作である。
と今、作家の名前をネットで調べながら書いた。
いつもロシア=寒い=サムイ…までしか覚えられない。
特に覚えたからと言って、モスクワに連れて行ってもらえるわけでもないので、また忘れてしまってもいいのだが。
ロシアの戯曲というとチェーホフがいる。
「三人姉妹」、「かもめ」、「ワーニャ伯父さん」などの名作があり、お芝居で一度は観たことがある…と思う。
しかし、「三人姉妹ってどんな話?」と聞かれて、まともに答えられたことがない。
特に言えたからと言って、ウォッカを飲ませてもらえるわけでもないので、また忘れてしまってもいいのだが。
そういえば、「森は生きている」もこんにゃく座のオペラで観たことがあるような気もするし、アニメで観たような気もする。
特に観たことを自慢したからと言って、ピロシキを食べさせてもらえるわけでもないので…、とだんだん出してくる景品が貧相になってきたのでこれくらいにしておく。
ちなみに今、調べたらアニメは日本では1980年にできていて、大竹しのぶさんや役所広司さんなどが声を演じていたようである

動物がたくさん登場してくるのも楽しかったなぁ。
投稿者 ishiko : 07:50
2007年08月05日
8月4日「味噌は世界の食材でもっと使われていいと思う!」
日本人でよかったと思うことの一つ。
美味しい蕎麦が味わえること。
信州蕎麦で知られる「川上庵」。
小山社長と麻布川上庵に行く。
自分の店にプライベートで食べに来ることは、まずないと言う。
幸せな蕎麦タイムを味わう。
日本人でよかったと思うことの一つ。
美味しい味噌汁とご飯が味わえること。
今年の春、新丸の内ビルにオープンし、特注の銅鍋で炊き上げるご飯が話題の「酢重ダイニング」。
小山社長が先祖代々、伝えてきた味噌醤油屋「酢重正之商店」をもう一度、彼の代でブランドに育てあげている。
話し込んでいるうちに「蕎麦」や「味噌」は何故、世界に出ていないのだろうという話になる。
「蕎麦」はともかく、「味噌」の場合、その土地その土地に合った味噌の使い方があってもいいと思う。
しかもチーズのように発酵食品であるのだから、世界の愛好家が現れてもおかしくないはずであるのだが…。
いつしか熱く語ってしまった。
もう少し味噌について調べてみることにする。
昨日は気がついたら3時間のランチタイムだったが、今日は気がついたら4時間の蕎麦タイムである。
食事に時間をかけるイタリア人になった気持ちである。

小山社長と会う前に、歯科医の山口先生と話し込んだ。
5月に、カンボジアの子供達の歯の治療に行ったそうなのだが、最近、お菓子やコーラが入ってきたことで虫歯率が異常に高くなっているらしい。
歯の治療も大事だが、歯を磨くことを覚えさせたいとおっしゃっていた。
これも本日の食にまつわる話に加えさせていただく。
投稿者 ishiko : 08:03
2007年08月04日
8月3日「奄美大島と沖縄の違い」
かなり前に訪れたこともあるのだろうが、奄美大島のことを正直あまり覚えていない。
よって時間が経てば経つ程、奄美大島が、鹿児島県だったことを時々、忘れてしまう。
忘れるというより、奄美大島と沖縄諸島と一緒のグループに入れてしまいがちである。
JAL機内誌「SKY WORD」編集部の内海氏が先週、奄美大島に取材に行ってきた。
島唄の取材だったらしいのだが、沖縄の島唄と奄美大島の島唄は、根本的に違うのだそうだ。
奄美大島の島は、「あちらのシマでは…」と使う(現代ではあまり使わないが…)その集団、その村の意味でのシマという意味らしい。
よって奄美大島では、その村によって島唄が違うらしい。
音階も違ってくる。
沖縄の島唄はファとラが抜けた琉球音階なのだが、奄美大島の島唄は大和音階なのだそうだ。
そんな話を聞いているとやはり奄美大島は鹿児島最南端の島であることは間違いない。
話に夢中になりすぎて、いつのまにか二人のランチタイムは3時間以上になっていた。

これは沖縄で見かけたハブクラゲの看板。
奄美は「ハブ注意!」だった気がする。
確かテレビ版の寅さんの最後は奄美でハブに噛まれて死んでしまったような気がする。
久しぶりに寅さんが見たくなったなぁ。
投稿者 ishiko : 10:30
2007年08月03日
8月2日「最高に楽しいミュージカル映画「ヘアスプレー」」
今、
映画「ヘアスプレー」のサントラを流しながら、交遊録を書いている。
昨日、No.30ち〜ムーンと完成披露試写会に出掛け、いただいたのである。
最高に楽しいミュージカル映画だった。
「ピンク・フラミンゴ」などカルト映画で知られるジョン・ウォーター監督の名作「ヘアスプレー」がミュージカル化され、トニー賞を受賞した。
そのミュージカルの映画版である。
ミュージカルも、ちょうど来日中で講演中である。
13キロ以上ある着ぐるみで包み、お母さん役を演じているジョン・トラボルタは最高だし、最近のミュージックビデオでダントツに好きなファットボーイ・スリムの中で最高のダンスパフォーマンスを見せてくれるクリストファー・ウォーケンの仕草も踊りも最高。
曲が終わる度に、観客の中で一人だけ拍手するち〜ムーン。
そのうち音痴なリズムを足で刻み始めるイシコ。
そしてデモ行進の曲で泣く二人。
終わった後、最高にハッピーになって劇場を後にできる映画である。
そうそう、二人の間ではミシェル・ファイファーがピーター(池畑慎之介)に見え
てくることも一致した。
10月公開したら、また行ってしまいそうである。
まさにキャッチコピー通り、「ハマる!ハジける!ハチキレる!?」そんな映画である。

見終わったら、こんなテンションになると思う。
投稿者 ishiko : 07:11
2007年08月02日
8月1日「直径480メートル二尺玉の花火を観て思うこと」
6月に行われた従兄弟あっちゃんの結婚パーティーのスタッフ打上。
彼の持っている船から横浜の神奈川新聞花火大会を観る。
花火発祥は中国と言われ、日本で最初に楽しんだのは伊達政宗とも徳川家康とも言われているそうだが、それよりも僕は隅田川花火大会の発祥の話が好きである。
流行りの病でなくなった方の慰霊として花火をあげたのだそうだ。
その話を聞いてから、空に広がる花火の世界を観ながら、父や祖母から始まり、ホワイトマンの制作の藤森さんまで今までお世話になった亡き人々のことをふと思い出す。
すると一つ一つの花火の見方も多少、変わってくる。
と思っていたら、真上で直径480メートル関東最大級の「二尺玉」があがった。
「きょえ〜。きれ〜。さいこ〜。凸●凹▲…」
拍手しながら、いつものように僕は何語を発っしているのかわからない。
「今年も成長してないなぁ。もっと日本語がきちんと話せるようになろうよ」
という声が空から聞こえるような気がした。
夏はそんな時期なのかもしれない。

相変わらず、夕暮れ時の横浜も素敵です。
投稿者 ishiko : 08:29
2007年08月01日
7月31日「約10年ぶりにお芝居の舞台に立つ…と思う」
もったいつけたタイトルで申し訳ありません。
ただ単に10年間、声がかからなかっただけの話である。
もちろん僕は俳優ではないので、お芝居の舞台に立つこと自体が罰当たりなのである。
と言いつつも、10年前までは、ほんの一時期であるが、俳優をかじったことがある。
俳優の評価?
評価がよかったら、多分、今頃、書き仕事などやっていないと思う。
それはともかく5月に「ひらり!空中分解」という舞台がメチャクチャ面白かったとこの交遊録に書いた。
ならば、ゲストで出ないかというお誘いをいただいた。
それもなんてことはない。
この舞台を制作している中野氏がホワイトマンの関係者だったということである。
ちなみに日替わりゲストの中の1日ゲストである。
ここまで引っ張っておいて「日替わりゲストかよ!」って突っ込まれそうであるが。
ともかく「通し稽古」を観に行く。
ただでさえ場所見知りで人見知りなのに、本日は更にその度合いが増している。
客席にはスタッフや関係者が多く座っている。
劇団の方から紹介していただき、緊張度合いは120パーセントである。
ゲスト登場場面の説明が始まった。
「基本的にはエチュード(即興劇)です」
「通し稽古」では、その場面を別の方が演じて見せてくださった。
自分ならどうするかと考えるが、何をすればいいのか全く思いつかない。
舞台の奥の出入り部分の説明を受ける。
「本番中は、ここを開けておきますので…」
と舞台監督からいろいろなお話を聞くが、アホな子のようにニコニコするだけである。
マズイ!今日、来れなかった他のメンバーにも報告しなくてはいけない。
もちろん僕だけが舞台に出るなんてことはあり得ない。
俳優のNo.2カマンとNo.3コープマンも一緒に出る。
あれ?ひょっとしたら、実は僕は誘われていなかったのかもしれない。
「ホワイトマンで」という依頼ではなく、「ホワイトマンの俳優で」という依頼だったのかもしれない。
だんだん不安になってきた。
でも、実は楽しみだったりもする。
まぁ、いいや。
僕はしゃべらないで、迷惑をかけないように舞台に立ってようっと。
そんなわけで8月8日、イシコは約10年ぶりに芝居の舞台に立つ…と思う。(舞台の内容等、詳しくはお世話になるひらり空中分解のHPで)。

photo:ヒーマン
そういえばモデルも、こなせなかったなぁ。
トークショーだったら、まだ少しはマシだと思っているんだけどなぁ。
さてさて、今回はどうなることやら。
素人=白人(しろうと)で許してもらおう。
投稿者 ishiko : 07:04



