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2006年12月10日
12月7日「常識って誰が決めるのだろう?」
2年程前になるだろうか。
環境省というかその外郭団体と地球温暖化防止を伝える為の冊子をホワイトマンで創らせていただいたことがある。
その冊子の中で、一番、僕が好きだったのは「バイオスフィア」の考え方を使ったワークショップや授業を提案するページだった。
バイオスフィアとは、アメリカアリゾナ州の砂漠に建設された巨大な密閉空間の中の人口生態系である。
目的は、人類が宇宙空間に移住する場合、閉鎖された狭い生態系で生存できるかを実験しているのだが、合わせて、その密閉空間自体を地球と見立てることができるので環境問題を研究することもできる。
書いていると難しくみえるかもしれないが、
「学校の教室で1年間過ごすことになったら…。もちろん外には出られません」
ということをイメージしてもらうとわかりやすいかもしれない。
どんな本やDVDを持って1年間教室に籠るかなど、自分の時間の過ごし方を考えるのだが、その前に一年分の水の確保から排泄物、酸素、食物など生きて行く為のことも考えなくてはならない。
それをイメージさせてくれるのが「バイオスフィア」という施設なのである。
その概念を創ったのは、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと言われたバックミンスター・フラー。
地球全体を宇宙船に例え、地球のどこかでバランスが崩れると宇宙船全体の調子が悪くなり、機能しなくなることを唱え、限られた資源を消費するだけの政治経済システムを批判していた。
建築家の鈴木エドワード氏と京都造形芸術大学教授の竹村真一氏がフラーについてトークライブをするというので聞きに行く。
フラーについて、いろいろなことを教えていただいたのだが、トークライブの最後の方でフラーが生きていた頃の彼の考え方に対する当時の世間の受け取り方の話になった。
彼は数学者であり、建築家であり、思想家であり、詩人でもあったそうだが、そのどの分野においても、あまり受け入れてもらえなかったらしい。
常識人からすると彼の考え方はあまりに非常識で、変人に映ってしまったのかもしれない。
しかし、受け入れられようが、受け入れられまいが、自分が表現したいこと、自分が考えたことはどんどん発表していった彼の姿は素晴らしいと思う。
発表した物に対して自由に意見を言うのはいいが、それを完全否定する権利は誰にあるのだろうと思う時がある。
たまたまマジョリティ(大多数)が受け入れられないと言って、その考え方を非常識としてしまう危うさ。
時代が過ぎていくと、非常識が常識に変わることもあるのに。
今、フラーの考え方が地球上で常識に変わりつつある。
投稿者 ishiko : 2006年12月10日 08:09



