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2006年12月31日
12月31日「2006年を振り返って」
ふと昨年の年末は何を書いていたのかと気になり、昨年の12月31日の「イシコの交遊録」を読み直してみる。
こういうときに日記というのは便利なものである。
というわけで今年も、2006年の10項目の思い出を述べてみる。
●母!復活!
昨年、リウマチに苦しんでいた母の葵ちゃんが完全復活した。ケアハウスも勝手に解約して出て来てしまい、岐阜の実家で優雅に俳句を詠んだくれている。
ちなみに葵ちゃんは僕のことを「飲んだくれ」と呼ぶので、僕は葵ちゃんのことを「詠んだくれ」と読んでいる。
とにかく元気になったことはメチャクチャ嬉しいのだが、ちょっと元気になりすぎである。
●朝マイスター就任!
イシコの無駄な早寝早起きが、時には役に立つことがあることが証明された。
「朝マイスター」として、八ヶ岳南麓の「日本一の朝プロジェクト」で朝ブログを書かせていただいたり、新聞の取材を受けたり、イベントでナビゲーターをやらせていただいた。
来年は更に、朝にまつわる活動は増やしていきたいと思っている。
ちなみに「朝マイスター」という正式な資格はございません。勝手に自分で就任してしまい、
関係者からいつ怒られるか心のどこかでヒヤヒヤしている。
●イシコブログをひっさげ、念願のカンヌ映画祭へ!
イシコブログを持って、
カンヌ映画祭と
トロント映画祭に連れて行ってもらった。
「映画って笑顔を創り出す場所なのか」をテーマに映画業界以外の人が感じられる映画祭をイシコが体験し、ブログで綴っていた。同時にイシコの映像ブログも開始され、これはヤフーニュースにもなったそうである。
しかし、当のイシコは、スペインで財布を落としたり、ノートパソコンが壊れたりとニュースどころではなかったのだ。
●東南アジア旅ラッシュ!
元々、東南アジアは大好きだし、いずれ何年かは東南アジアのどこかで暮らしてみたいと思っている。
そのせいか今年は、チェンマイ(タイ)、プラパバーン(ラオス)、プーケット(タイ)、コタキナバル(マレーシア)、バリ(インドネシア)と仕事でもプライベートでもアジアによく通っていた気がする。
とは言え、相変わらず、地理に弱いイシコは、「それどこ?」と聞かれると、未だに、「う〜ん。どこだろう?」って逆聞きしてしまう。
●ゴルフコースデビュー!
「楽園ゴルフ」というサイトで楽園でゴルフをやることを勧める
エヴァンジェリストとして参加していたにも関わらず、自分自身は、いつも楽園で飲んだくれているだけでゴルフをしていなかった。
「イシコさん、そのうちゴルフ愛好者から殺されますよ!」
と脅され、すぐにゴルフセットを購入し始めてみたら、楽しいではありませんか。
こうして無事、コースデビューを果たしたのである。
ただ、イシコの飽き症は健在で、ここ数ヶ月、クラブを握っていない。
●15年ぶりの青春18切符での日本旅!
ここ数年の念願だった青春18切符での旅をようやく実現することができた。
どんどん車窓が変わっていく様子をボーッと眺めているだけで、幸せな気分を満喫できる旅である。そして地方に居る数年振りに会う友人達とも飲むことができ、幸せ度は更にアップした。
この模様は来年5月出版の本に収録される予定である。
実は、まだ鈍行列車の旅中毒が残っており、1月20日の青春18切符が使える期間中に、もう一度、北陸に行こうと作戦を練っているところである。
担当編集者に止められる前に出掛けなくては。
●ホワイトマンの同士藤森氏逝く!
今年、一番、泣いた。知らせを聞いて1日中、外に出ないで、飲みながら、泣き続けた。
あのときのブログにも書いたが、今でも彼女がいなかったら、ホワイトマンを続けていなかったと思う。
絶対に人の悪口を言わない彼女から、僕は様々なことを学んだ。
今は、いつも彼女に見守られているような気がする。
「相変わらず自意識過剰ですね?」
と笑いながら、厳しいダメ出しをされそうだが…。
●本名(石原英一)での連載開始!
同じ雑誌で同じ名前で二つの連載はできないということで、イシコという名前とは別に本名の石原英一で「散歩の達人」でインタビュー連載を始めさせていただいた。
様々な分野の人の靴についてインタビューするという毎月楽しみな連載の一つとなった。
また、これを期に、本名での連載依頼も来るようになった。
まぁ、それで文体が変えられれば、カッコいいのだが、イシコにそれができるわけもなく、「イシコでも石原英一でも一緒じゃん!」と周囲から罵倒される日々である。
●2週間に渡る早朝トークライブ!
毎日、日替わりで様々な分野のゲストをお招きし、2週間に渡り、早朝トークライブをやらせていただいた。
朝7時15分開演にも関わらず、日に日に人が増えていき、立ち見も出て、まずまずの成功だったのではないだろうか。
もちろん僕のおかげではなく、著名なゲストの方々のおかげである。その証拠に丸の内の出社前のサラリーマンの方々が
「あいつ、何、朝から白塗りしてんだ!」
的な白塗りイシコに対する目線が痛かったのである。
●白塗り24時間達成!
俳優のNo.2カマンが東京に引っ越して来た。
それを記念して、カマンの部屋で「こたつ」というタイトルで1泊2日のホワイトマン生活を二人で実践してみた。カメラも据え置きで撮り続け、もちろんホワイトマンのまま眠った。
「日常の中の非日常」が予想以上に面白かった。
来年は、このホームページ上でインターネット中継をする予定である。
乞うご期待!って誰が観るんだろう。
と今年も10項目をあげさせていただいた。
笑いあり、涙ありと充実した一年であった。
これも皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
来年いっぱいで、生身のホワイトマンは終了予定です。
最後の一年ですが、何卒、よろしくお願い申し上げます。
皆様、よいお年をお迎えくださいませ。
朝ブログあり
投稿者 ishiko : 11:24
12月30日「二人だけの忘年会」
大掃除も、ほぼ終わりが見え、No.30ち〜ムーンと散歩がてら近くのイタリアンレストランで二人だけの忘年会をする。
お互い大掃除の健闘をたたえ、まずは生ビールで乾杯する。
「イシくん、何か今年は、熱心に掃除しているよね?」
ここまで掃除が好きだったのかと思う程、今年は時間を割いて、やっている。
正直、メチャクチャ楽しい。
そこへ柚子釜チーズフォンデュと白ワインがやってきたので、改めて乾杯をする。
「イシくん、来年の抱負は?」
「部屋にあるホワイトマンTシャツをなくすことかなぁ。そうするとロフトの上が、もう少しすっきりするからなぁ」
「なんだよ。掃除続きかよ!」
突っ込んだ後、続けて
「結局、今年は余程、暇だったってことだよね」
いつもの淡々としたち〜ムーン口調だった。
思わず、昔のサザエさんの予告のように
「ンガ!ンン」
ワインで詰まらせるイシコであった。
投稿者 ishiko : 09:02
2006年12月30日
12月29日「年末年始のテレビガイド」
ここ数年、テレビはニュースかドキュメンタリー番組くらいしか見なくなってしまった。
最近のタレントは、あまり名前がわからないが、それでも普段の生活には支障がない。
多少、みんなからはバカにされるが、それでも毎日、楽しく生きていけるのである。
そんな僕も、大学卒業までは、毎年、年末になるとテレビガイドなるものを買って、赤丸をつけるのが一つの楽しみだった。
ふと懐かしくなり、テレビガイドを買ってみた。
最近、テレビ番組をチェックするのもネットになっているので、やはり紙で観るテレビ欄を見たら、急にワクワクしてきた。
赤ペンも購入し、丸印をつけ始めた。
年末のページは「総集編」や「ハイライト」と「もう一度見たい」という文字に反応し、年始のページになると色別になっているスポーツや映画欄に反応し、鼻息を荒くしながら、丸印をつけていく。
「ダメだ〜!これだと年末年始はテレビの前から離れられない〜」
と嘆いている割にはどこか嬉しそうなイシコであった。
朝ブログあり
投稿者 ishiko : 10:04
2006年12月29日
12月28日「ちょっと早めの花粉症」
No.30ち〜ムーンと制作の藤森氏の墓参りに行った後、道に迷う。
イシコは夏にも来たはずで、行きと同じ道を帰ればいいのに何故か迷う。
車内は墓前で交換して、どこかで捨てようと思っていた枯れた花の花粉が飛び散り始め、鼻をむずむずさせながら、ティッシュ片手に
「あっち行ってみよう」
「こっちじゃない?」
と茨城迷走の旅が始まった。
遂にはくしゃみである。
二人とも、ちょっと早めの花粉症の症状が出た模様。
「ぎでぇい…」
「ぼんどだ…」
田舎風景にピッタリ合う夕焼けに遭遇しながら、発音がおかしくなっていく。
鼻が通っていれば
「きれい」
「ほんとだ」
とハッキリ発音できたのだろうが。
しかし、ここから素晴らしい夕焼け景色のオンパレードが始まった。
迷っても、迷っている気がしない夕焼けがきれいそうな場所を求めて車を走らせる。
「びぼべ〜」
「ひぶぶ〜」
漫画「北斗の拳」の吹き出しのような台詞が飛び交う。
鼻が通っていれば
「急げ〜」
「沈む〜」
とハッキリ発音できたのだろうが。
知らないうちに高速道路の入り口が見えてきた。
「ぶびぼびばん、ばびばぼ〜」
二人で口を揃えて言った。
鼻が通っていれば
「藤森さん、ありがとう」
とハッキリ発音できたのだろうが。
投稿者 ishiko : 08:09
2006年12月28日
12月27日「物を増やさない生活」
自分が必要だと思う最低限必要だと思う物だけで生活すること。
ワンルームで生活できるくらいの荷物が、ちょうど心地いい。
読んだ本は出来る限り人にあげるか、古本屋に売ってしまう。
聞いたCDも、パソコンに取り込んで、出来る限り人にあげてしまう。
DVDやビデオは、レンタルのみ。
洋服は、クローゼットの空間があくまでは買わない。
これが僕の理想の生活である。
だからと言って、それができているのかというとそんなわけがない。
でなかったら、部屋の中がこんなに物で溢れているわけがない。
年末恒例の整理を始めた。
この本はもう少し手元に置いておきたいなぁ。
懐かしいなぁ。このCDは、まだ捨てられないや。
そういえばこのDVDもビデオも買ったのに、まだ観てなかったなぁ。
これ最近、着てないなぁ。来年は着ようっと。
まだまだ理想の生活は遠いようである。
朝ブログあり。
投稿者 ishiko : 07:47
2006年12月27日
12月26日「「こじんまり」の語源」
試写を観た後、SOSのWEB打合せを兼ねて、こじんまりと忘年会。
WEBの売上げが好調らしく、既に昨年の売上げを抜いているらしい。
特に女性に好評のようである。
それはともかく人見知りが激しい僕は、このこじんまり感のある忘年会が好きである。
こじんまりとしているので、こじんまりと小さな声で乾杯する。
こじんまりとしているので、こじんまりと焼き肉を焼きながら談笑する。
こじんまりとしているので、こじんまりと一杯づつ好きな酒を注文する。
ところで「こじんまり」という言葉は、どれくらいのことを指すのだろう。
あれ?三省堂の新明解国語辞典には載っていない。
ということは標準語じゃないということか。
検索エンジンにかけてみる。
あれ?
「計4、50名ほどのこじんまりとした人数になりました」って表記が…。
忘年会で4、50名だったら、僕は人気にやられて早々に失礼してしまっているだろう。
他を見ていると、「こじんまり」というのは、人数のことより、空間の形容詞として使っている方が多いようである。
ところで×ところで、「こじんまり」という語源は、どこから来ているのだろうか。
う〜ん。30分近く検索エンジンで調べてみたが、出てこない。
自分で考えてみることにしよう。
やはり「個人」から来ているのか。
じゃ、「まり」は?
「麻理」?名前じゃないか。
「真理」?これも名前じゃないか。
いや、待てよ。実は「故人の真理」さんから来ているのではないか。
意味わからん。
やはり「個人」でいこう。
「蹴鞠」の「鞠」じゃなかろうか。
なるほど。
「個人」で「まり」がつけるような空間のことをいうのかもしれない。
ところで×ところで×ところで、「まり」の漢字は「鞠」なのか「毬」なのか。
いつまでもやってろ!
投稿者 ishiko : 16:05
2006年12月26日
12月25日「それにしても、それにしても」
それにしてもマッサージの起源は何なのだろう。
午前中、新宿のサロンにて至福の時間を満喫させていただきながら、ふと思う。
もちろん、考えてもわかるわけでもなく、いつしか眠りに堕ちる。
旅の疲れも一気にぶっ飛び、その後もマッサージの起源を想像しながら、ぶらぶら散歩する。
人の手で癒そうと思ったきっかけは何だったのだろう。
世界の癒しの手法もそれぞれである。
いずれマッサージの旅と称して、様々なマッサージのことを調べてまとめてみたいものである。
「ふざけんな!なんでも旅に結びつけやがって!」
と怒られること覚悟で。
そんなことを考えながら、ぶらぶらしていたら、いつしか夕方になっていた。
それにしても今月はよく散歩した気がする。
万歩計をつけておけばよかったと今更ながらに思う。
夜、新宿へ水木英昭プロデュースのお芝居を観に行く。
昨年のホストシリーズ第二弾である。
コテコテに笑わせて欲しい、しんみりさせて欲しい、昔から変わらない芝居や映画にどこか求めている感情を、この芝居は満たしてくれる気がする。
それにしても今月は、2本もホストの芝居を観たことになる。
更にホストに一度、行ってみたくなった。
そして、本日、主演していた宮本氏とは10年程前は、よく一緒に飲み歩いていた。
というよりよく飲みに連れて行ってもらったという方が正しい。
僕が旅中心で、更に書き物中心になったことから、ほとんど会わなくなってしまった。
久しぶりの電話で時々、芝居を観ているが以前のように飲み歩くということはなくなった。
それにしても今年は、数年振りに再会し、以前とは違う形で一緒にお仕事する知人が多かったなぁとふと思う。
歳を重ねる楽しみに、こういった楽しみもあることを知った一年であった。
そんな楽しい再会を更に楽しくできる遊びを考えながら帰路につく。
それにしても今月は、よく妄想はしてたけど、あまり働かなかったなぁと今更ながら気がついた。
投稿者 ishiko : 08:35
2006年12月25日
12月24日「最高のクリスマスコンサート!」
No.30ち〜ムーンと川崎へママエセフィーヌのクリスマスコンサートを観に行く。
「ママエセフィーヌ」とはフランス語で母と娘の意味だそうで、すなわち柏木由紀子氏、長女の大島花子氏、次女の舞坂ゆき子氏のグループ名である。
今回のクリスマスコンサートでは父親の故坂本九氏も映像で参加し、歌あり、タップあり、踊りあり、朗読劇ありと盛りだくさんの楽しいコンサートだった。
楽しいだけでなく、どこか温かいコンサートであった。
コンサート最後の曲は「心の瞳」。
発表された当時、この曲はレコードのB面の曲だったそうだ。
昔のシングルレコードはA面にヒットしそうな曲をB面にはそのアーティストの意向の曲(全てではないが…)を収録するということが多かったと、最近、誰かから聞いたばかりである。
そこから察するに坂本九氏にとって、「心の瞳」は愛情があった曲だったのだと推測できる。
そのB面だった曲が今では、全国の中学校の音楽の教科書の教材になり、多くの人に愛されているそうだ。
曲を聞いていただければ、わかるが、本当にいい曲である。
そういえば、ママエセフィーヌのデビューアルバムのタイトルも「心の瞳」だった。
アルバムの中では3人が歌っていたが、本日の「心の瞳」は坂本九氏の生前に残っていた歌声に3人のコーラスが加わる形の素晴らしいアレンジだった。
あまりに素晴らしくて、僕もち〜ムーンも思わず涙してしまった。
というわけで泣き顔を見られたくなく、終演後のご挨拶にも伺えなかったわけで。
ともかくママエセフィーヌのおかげで、僕らは最高のクリスマスの時間を過ごさせていただいたとさ。
メリークリスマス!
朝ブログあり
投稿者 ishiko : 10:24
2006年12月24日
12月23日「やすしのようにしゃべるおばちゃん」
大阪は御堂筋線の電車の中で大きな声でしゃべるおばちゃん二人組がいた。
「あんたなぁ、私なんか腸を切ったやんで〜」
「そんな腸くらいどうもあれへんがな。今は普通に生活できるんやろ。あたしなんか足の痺れが残りよんねんで」
申し訳ないが、聞いていて吹き出しそうになった。
これくらい明るく病気自慢をしている間は、きっと大丈夫な二人である。
しかも立ったまま、たくさんのスーパーの袋を下に置いて二人は延々、病気自慢を続ける。
そのうち、腸切りおばちゃんがキレた。
「あんた!家族がおるからええやんか!私なんて一人暮らしなんやで」
横山やすしのように1本指を立てながら、痺れおばちゃんを攻め始めた。
1本指はきっと一人暮らしの一本なのだろう。
痺れおばちゃんは、相手の目を見つめて黙り、次なる反撃を考えているようだ。
「腸切りおばさん!病気以外の話を出すなんて反則ですよ!マイナス1点」
僕は心の中で、レフリーを勤め続けるのであった。
朝ブログあり
投稿者 ishiko : 07:40
12月22日「岡山散歩」
岡山大学の生協でうまい棒チェックした後、バス停で岡山駅まで戻ろうとすると、ちょうど岡山駅のバスが出た後だった。
次のバスが来たら乗るつもりで、桃太郎スタジアムの脇を通って、バスの路線をぶらぶら歩いていくことにした。
桃太郎スタジアムというネーミングから、猿の曲芸大会などをやったら楽しいだろうなぁと思いつつ、ネーミングからイメージできることをどんどん思い描いていく。
ふとスタジアムの前のバス停の名前が気になった。
「岡山放送前」
くるりと見渡し、岡山放送かと思った場所は、カルチャーホテルというこれまた微妙なネーミングのホテルである。
今日の宿泊先である京都のNo.2カマンがいたら、
「どう考えても桃太郎スタジアム前やろ!」
と岡山放送に対してのうがりが始まりそうである。
その先にロイヤルホストが100メートルの間に2軒もある。
「なんで2軒もあんねん!もう少し離しなさいよ!」
これまたカマンにうがられそうである。
同じ美容室が隣同士で二軒並んでいて、片方は男性用、片方は女性用となっている。
「分ける必要ないやろが!1軒でやりなさいよ」
カマンのうがりが炸裂しそうである。
デビッドホールと書かれたメチャクチャかっこいいホールが現れた。
ひょっとして、デビッドホールってデビットボーイを意識してなのか?
カルチャーホテルってカルチャークラブを意識しているのか?
そうだ。この道を80年代ストリートにしようと。
「アホか!」
今度は、僕がカマンの攻撃に合いそうである。
なかなか楽しい道で気がついたら、岡山駅まで歩いていた。
こうして歩いていなかったら、岡山駅で森ビル企画室の孫氏とバッタリ会わなかっただろう。
投稿者 ishiko : 07:39
2006年12月22日
12月21日「山陰に行くつもりが山陽へ」
旅の折り返し地点である。
そろそろ、どうやって戻るか考えながら旅を進めたい。
長崎大学と博多で九州大学に立ち寄り、うまい棒チェックした後、ゆるゆると東京に向かう。
博多駅から門司港行きに乗る。
ちょうど日も暮れかけている。
今日、泊まる場所も考えた方がいい。
ふと下関に泊まって、ふぐを食らうのもいいかもしれないと思った。
明日の朝は山陰の海沿いの車窓を楽しみ、泊めていただく京都のカマンの家に1日かけて向かうのもいい。
時刻表を眺めてみる。
もし、山陰を通っていくとすると今日は行けるところまで山陰本線に乗って行った方いいことがわかる。
下関のふぐをあきらめ、山陰本線に乗ろうと思い、下関駅を降りる。
目の前に停まっている電車に乗り込む。
窓際に座り、「明日の記憶」の著者で知られる荻原浩氏の「神様からひと言」を読み始める。
1時間程、読んだだろうか。
ふと自分が乗っている電車が山陰本線ではなく、山陽本線であることに気がつく。
「下関のふぐ」も「山陰本線の車窓」も頭から消えていく瞬間であった。
どっちが悔しいかなぁなどと考えていたのだが、
「どっちでもよか!」
山陽本線の窓に映る自分の顔に向かって長崎弁で怒るイシコであった。
結局、本日は徳山に泊まり、駅前の屋台の飲み屋で飲む。
ふぐではなく、おでんをつまみに。
投稿者 ishiko : 08:39
2006年12月21日
12月20日「スナックでカラオケ」
本日は長崎に泊まることにする。
長崎で広告代理店を営む宮崎氏と約5年ぶりに飲む。
彼の行きつけの店で馬刺をご馳走になり、同じく行きつけのスナックへ連れて行ってもらう。
スナックという場所の経験が少ない僕は、
「スナック!スナック!うれしいなぁ」
「お弁当!お弁当!うれしいなぁ」
の替え歌を歌いながらご機嫌に店の階段をあがっていく。
入ってすぐのところにスナックにつきもののカラオケがあり、スナックにつきものの赤いビロード仕様の回転式の丸い椅子がある。
宮崎氏は麦焼酎ロックをグビッと飲み干すとコブクロの曲を歌い始めた。
声量があり、かなりうまいので、僕は、ママからついでもらった赤ワインをいただきながら聞き入っていた。
「ばってん、いしはらさん(イシコの本名)も歌わんか〜!」
やはり長崎弁はイイ。
僕は上着を脱いで久しぶりのカラオケの選曲をする。
「古くてもいい?」
「よかよか〜」
この「よかよか」を聞きたい為だけに一応、聞いてみた。
元々、僕は最近の歌は歌える程、知っている曲がないのである。
いつも歌うTHE BOOMの「島唄」を入れる。
カラオケというのは一曲歌うと更に歌いたくなるのは何故だろうか。
そんなわけでウルフルズの「大阪ストラット」、山崎まさよしの「one more time onemore chance, 」を歌ったところでイシコの記憶がなくなっている。
カラオケというのは酔いが一気にまわるのは何故だろうか。
投稿者 ishiko : 21:45
2006年12月20日
12月19日「午後は車窓三昧」
散歩を満喫していたら、昼過ぎまで京都に居てしまった。
そこで午後は行けるところまで下ることにする。
ボーッと車窓を見ていたり、考え事をしたり、小林信彦氏の「世界でいちばん熱い島」を読んだりしていた。
しかし、あまりに太陽が気持ちよく、いつしか、うとうと眠りに堕ちていく。
「ぶちたいぎぃのぉ」
こんな会話で目を覚ます。
会話は想像なので、ホントはどう言ったのかはわからないのだが、間違いなく「ぶち」という言葉は入っていた気がする。
いつしか広島県に入っていたことを方言から知る。
大学時代、同じクラスの広島出身の小谷くんがよく使っていた「ぶち」である。
「ぶち」とは「とても」もしくは「very」の広島弁である。
彼のおかげで、「ぶち」と同じ意味である「でぇれぇ」なる岐阜弁(「どえらい」の名古屋弁活用形)を僕がつかっても目立たなかった。
すっかり陽が暮れてしまった車窓を見ながら、広島県庁に就職した小谷くんは元気かなぁと大学時代の事を思い出す。
このペースでいけば、今日は小倉くらいまで行けそうである。
明日は九州大学にでも行こうと思いながら、まだ半分くらいしか読んでいなかったカポーティーの「冷血」の続きを読みはじめた。
「広島」の三原で15分程度の乗り継ぎ時間があった。
ここで僕の行き先は新山口に変更せざるを得なくなる。
詳しくは朝ブログにて
投稿者 ishiko : 19:13
12月18日「京都大学構内のフレンチレストラン」
滋賀県は近江八幡の駄菓子屋に寄った後、京都に向かう。
京都大学の「うまい棒」事情探索である。
その話題は単行本で書くので交遊録では、京都大学内の構内にある有名なフレンチレストランのお話を。
フレンチレストランに一人で入る勇気は僕には持ち合わせていない。
どこかに「フレンチ=高い=ジャケット」のイメージがあるのだ。
それが大学構内と聞いた途端、「フレンチ」という言葉が薄れ、「大学=安い=カジュアル」の図式に変更になり、僕はふらりと入る。
さすがに店内に学生はおらず、奥様方や大学教授らしき人達がお行儀よく座っている。
近くに座っている推定50代半ばの大学教授の男性はジャケットを羽織っている。
すぐに「フレンチ」という言葉が頭に蘇ってくるのだが、「大学、大学」とつぶやく。
「ジャケットをお預かりします」
ソムリエナイフが似合いそうな女性が、にっこりと笑いかける。
うっ!これはジャケットではなくスキーウェアである。
またしても「フレンチ」という言葉が頭に蘇ってくるのだが、「スキージャケット、スキージャケット」と心の中でつぶやきながら、スキージャケットを脱ぐ。
フレンチならばワインでもと思うのだが、喉が乾いている僕としてはビールを注文することにした。
しかも観光客の僕は、京都の地ビールを注文する。
ホタテ貝と牡蠣の燻製サラダをつまみに飲んだくれモードにスイッチが入ったイシコは、メインディッシュがくる頃には、「フレンチ」から「飲み屋」という言葉が頭のほとんどを占めているのであった。
東京に戻ったら、東京大学の構内にあるイタリアンレストランにも行ってみることにしよう。
イタリアンつながりで、夜は作家の新元夫妻とイタリアンレストランで飲むのであったが、こちらは朝ブログに。
投稿者 ishiko : 06:55
2006年12月18日
12月17日「うまい棒30本持っての、名古屋闊歩」
名古屋の広告代理店に勤める長瀬氏から駄菓子屋の問屋街「明道町」を教えてもらい、名古屋駅から市バスで向かう。
日曜日で不安だったのだが目的の店は開いていて、うまい棒が全14種類箱ごと置かれているので大興奮する。
冬休みの子供会やクリスマスシーズンということもあるのだろうか。
駄菓子詰めのセットを求め、大人のグループや夫婦で大量に買っていく人が多い感じである。
看板に「嫁入」と書かれているのが、何とも名古屋らしい。
お嫁さんに行く、もしくは入る場合、「菓子撒き」という風習があり、祝うために集まってくれた近所の人達に駄菓子を撒くのである。
よく「節分」(だったかなぁ?)で芸能人がお餅をまいているのの「菓子版」のような物である。
僕も子供の頃、近所で結婚式があるというと競って駄菓子を取り合った時のことをよく覚えている。
今もこの風習が残っているのかどうかはわからないのだが…。
店主おすすめの一番人気「サラミ味」を購入する。
問屋街なので、小売りはない。
仕方なく30本入りを買う。
買って持ち歩くと予想以上に邪魔になってきた。
途中でコインロッカーに入れようか迷うのだが、252円で購入したお菓子を300円払って預けるということに何故か釈然としないものを感じる。
結局、夜に飲む約束をしている長瀬氏へのお土産にしようかなぁと思い、そのまま持って夜まで散歩する。
こうして夜、長瀬氏と飲むホルモン焼き屋に持っていく。
「駄菓子好きな長瀬にうまい棒をお土産で買ってきたよ」
「イシコ!残念ながら俺が唯一、嫌いな駄菓子がうまい棒なんだよ」
「…」
仕方なく本日、泊まる岐阜の実家へのお土産になるのであった。
投稿者 ishiko : 15:37
12月16日「笑顔が変な人」
本日は浜松で降りる。
そこで浜松在住の高橋夫妻のご自宅へ遊びに行く。
3年前、彼らが東京に住んでいる頃、僕がディレクションさせてもらっていたスキーウェアメーカーSOSのカタログに子役で登場してもらったシュンくんも来年から小学生になるという。
ビールを飲みながら、シュンくんに
「早いものだねぇ」
と言うと
「笑顔が変な人だなぁ」
意味深なことを言われる。
というわけで本日はこの家に泊めていただく。
こうして高橋家のシュンくん、ソウくん、ケイくんと3人の子供達からいろいろなことを教わる。
まずは戦隊ヒーローの講義。
ゴレンジャーの時代で止まっているイシコにはチンプンカンプンである。
「ゆるゆる戦隊ホワイトマンって知ってる?」
と冗談を言ってみる。
お父さんがすかさず
「夜が弱いんだぞぉ」
と笑いながらイシコの特性も加えるが、子供達は全く無視。
次は体操の講義。
最近、めっきり体力が落ちているイシコは息も絶え絶えである。
「手が痛くなるくらい握っていてよ」
と面白い表現で僕に指示を出しながら、身体をよじ上る。
「いい?回るからね」
「は、はい」
言われたままのポーズを僕の身体を使って、様々な組体操をしていく。
最後はお笑いの講義。
先日、「ヒライケンジ」に間違えられたイシコは、「エンタの神様」というテレビ番組を解説付きで観る。
「ちょっと似てるかもね」
子供達が僕とヒライケンジを観比べながら彼らは言い、続けて
「あなたは眉毛が濃いね」
とまじまじとイシコの濃い眉毛を見ていた。
こうしてイシコは初めて「エンタの神様」を最初から最後まで堪能し、顔は見た事あるが、芸を見たことのない人達の芸を見ることができた。
この講義を受けた後、「笑顔が変」と言われることがなくなった。
ありがとう高橋家の子供達!
投稿者 ishiko : 15:34
2006年12月16日
12月15日「10日間の旅に出るつもりが…」
まだ自宅に居る。
イシコにしては珍しくほぼ徹夜してしまった。
本当だったら既に旅に出て、今頃、浜松で眠っているはずなのに。
今日から、「うまい棒」の旅に10日間程、出る予定だった。
「うまい棒」の値段に合わせ、青春18切符を使って、日本を旅しながら、全国の「うまい棒」事情を取材しようと思っているのである。
ずっと楽しみにしていた約15年振りの青春18切符を使った旅。
大筋の行程は頭の中で決めているが、その場でどんどん変えていくつもりである。
最近、会っていなかった友人にも会ってこようと思う。
おっと電話である。
「イシコ?は?まだ東京?で、いつ来るの?」
「青春18切符でぶらぶらしているから、いつになるかわからないなぁ」
「お前は寅さんか?」
「いいねぇ。リュックにしようと思ってたけど、やっぱりトランクにしようかなぁ」
「アホか?来る日が決まったら連絡してくれ!ガチャ!」
と切られてしまう有様である。
予定がありそうでない旅が大好きな僕にとって、今回の旅はメチャクチャ楽しみである。
しかし、旅の前に終えるはずの書き物やメールなどの雑務が終わらず、家を出られないまま今になってしまった。
しばらく連絡も、ほとんどつながらなくなるかもしれないので仕方がない。
というわけで最後の用事の「イシコの交遊録」もようやく終わった。
これで気兼ねなく旅に出られそうだ。
それでは行ってまいります。
投稿者 ishiko : 06:06
12月14日「ホワイトマン生活終了!」
昨日に引き続き、ホワイトマンのままカマンの家で過ごす。
途中、青年団の女優山本氏が立ち寄り、
「アホですねぇ」
とあきれて、マチネ公演の本番に出掛けて行った。
僕は相変わらずこたつの中でビールを飲んだくれ、カマンは相変わらずこたつの中で音楽を聞きながら、インターネットを見たり、メールをうったりしていた。
こたつの中で過ごす時間は歪んでいるのではないかと思う程、時間が早く過ぎていった。
「相対性理論」ならぬ「こたつ理論」を述べそうになってしまう。
ひょっとすると「こたつ」が時間を歪めるのではなく、「白塗り」が時間を歪めているのかもしれない。
「24」ならぬ「25」と叫びながら、25時間が経過したところで、ビデオを止め、僕らは改めて撮影した2日間のビデオを観ることにした。
自画自賛であるが面白い。
普通の生活なのに、どこか非日常である。
顔にドウランを塗って生活するだけで、ここまで非日常になることが不思議である。
ただ眠っているだけのホワイトマン二人の姿を観て、僕らは大爆笑した。
この25時間の今回の作品「こたつ」は、そのうちどこかで発表するかもしれないし、しないかもしれない。
ただ、僕らの中でホワイトマンの可能性を新たに発見した貴重な二日間であったことには違いない。
投稿者 ishiko : 06:02
12月13日「ホワイトマンの日常生活を撮る」
朝からNo.2カマンの部屋に籠り、二人で顔を白く塗り、一日部屋で過ごす。
全く意味はない。
ただ単に暇なホワイトマン二人が、こたつに入り、不毛な会話を続けるのを固定カメラで撮り続けるだけのことである。
もちろん、こたつの中でご飯も食べるし、こたつに入ったまま昼寝もする。
こたつの中で酒も飲めば、こたつに入ったままパソコンで原稿も書く。
あっという間に夜を迎えていた。
昨年、ホワイトマンカフェをやっていた頃、8時間ホワイトマンのままで居たことがあったが、既に10時間以上が経過していた。
素顔のNo.30ち〜ムーンがやってきて、一緒に雪見鍋をつつく。
ホワイトマン二人と人間が一緒に生活している姿ももちろんカメラにおさめられている。
さすがに12時間以上経過すると、ドウランの上のパウダーが取れてしまい、顔を触ると手に白がつくようになっている。
改めて顔にベビーパウダーを叩く。
化粧を落としてから、床につくのが普通なのに、化粧直しをしてから、床につくという何とも不思議な感覚を味わいながら、眠りに堕ちていくのであった。
投稿者 ishiko : 05:56
12月12日「演劇をつまみにワインを飲む」
チェンマイのHIV感染孤児の施設<a href="http://asa-pro.net/blog/asa_blog/post_55/">「バーンロムサイ」のイベントに立ち寄った後、産經新聞のオウコさん、同じく産経新聞の武藤氏、シアターガイドの今井氏、女優の秋園氏、俳優のNo.2カマン、ヴォイストレーナーNo.30ち〜ムーンという演劇界に関わっている、または演劇界に詳しいメンバーが集まり、六本木のワインバーで飲む。
20年残れる俳優と残れない俳優、好かれる俳優と嫌われる俳優の違いの話をオウコさんから聞き、
僕が大好きだった関西の劇団「惑星ピスタチオ」が東京で初めて公演をした頃の話を武藤氏から聞き、紙でできたプロレスラーを闘わせる「カミロボ」という世界がワールドワイドで話題になっている話を今井氏から聞き、
宝塚では先輩に対して関西弁禁止という話を秋園氏から聞き、
怖い演出家とは仕事はしたくないが、70本以上芝居に出ていて怖くない演出家に当たったことがない話をカマンから聞き、
1時間のヴォイストレーニングの中で、10分しか歌えない俳優と50分歌う俳優の精神的な違いをち〜ムーンから聞く。
あまりに話題が多く、あまりに楽しく、それに比例してイシコの動きが大きくなり、ワイングラスを割ってしまうのであった。
投稿者 ishiko : 05:55
2006年12月12日
12月11日「迷って出会った才能」
東京に住んでいるからと言って、東京に詳しいわけではない。
「もう十数年も住んでいるんでしょ?」
と言われたこともあるが、それとこれとは別である。
未だに日本橋がどこなのか、汐留がどこなのか、芝浦がどこなのか、キチンと説明することができない。
だいたい似たようなビルが多すぎるんだよなぁ。
ブツブツ言いながら、説明できない場所の一つ汐留で迷っている。
地下街に降り、インフォメーションパネルを頼りにしようと思うのだが、更に迷ってしまったようで完全に自分がどこに居るのか、わからなくなってしまった。
しかし、何やら、イベントをやっていて、ちょうど大道芸っぽいパフォーマンスが始まるところである。
イーゼルとパレット、スプレーが置かれ、一人のアーティストが現れる。
彼が肩からかけている簡易CDJの機械を操作し始め、リズムペインティングが始まった。
テクノに合わせ、踊りながら、絵を描いていく。
イーゼルに置かれたスケッチブックに向かって、一見、メチャクチャ塗りたくっていくように見えるのだが、徐々に絵になっていくのである。
こうして一枚を仕上げて、客にプレゼントする。
思わず拍手である。
ユキンコアキラというパフォーマーの方のようで、かなり知られた方なのだそうだ。
迷ったからこそ、こういった知らない才能に出会えることもある。
時には迷うこともいい。
とのんびりしている場合ではなかった。
僕はブラジル映画の試写に行く途中だったのである。
投稿者 ishiko : 08:32
2006年12月11日
12月10日「東京イルミネーションの旅」
表参道→六本木→お台場と夕暮れドライブを始めた。
No.30ち〜ムーンとイシコの二人だけが審査員の「東京クリスマスイルミネーション選手権」。
表参道。
ち〜ムーン「あぁ、お買い物がしたい〜」
イシコ「そういえば、華道家のユカさんに不毛な会話シリーズの話をしてたら、「わかる。わかる。1000万円あって30分で使わなくちゃいけないってできたらいいなぁって思うもん。最後はもっと選びたいよ〜って泣きながら、買ってるの」
ち〜ムーン「それ、やりたい!待ってね、待ってね、ドルチェ&ガッバーナで買って、ヴィトンも行って、表参道ヒルズも…。あっ!ダメだ。30分じゃ終わらない」
イシコ「ち〜くん、イルミネーション?」
ち〜ムーン「あ〜、どれ?どれ?木についてないよ」
イシコ「あの灯籠のようなのだよ」
ち〜ムーン「あれ〜、終わっちゃうよ〜」
六本木。
ち〜ムーン「きゃ〜!ここキレイ過ぎる」
イシコ「ちょっとデジカメ撮ってよ」
ち〜ムーン「よし!あれ?ぶれちゃうなぁ〜」
イシコ「信号変わったから動くよ。渋滞だからそんなに早くはないけど」
ち〜ムーン「自分も入れて撮っちゃおうっと」
イシコ「僕も撮ってよ」
ち〜ムーン「ダメだ。酔った。気持ち悪い〜。水ちょうだい!」
お台場。
ち〜ムーン「去年のロックフェラーセンターのツリーを思い出すね〜」
イシコ「ちょうど1年前くらいだね」
ち〜ムーン「あの階段、何?」
イシコ「すげぇ〜。ぴかぴか光ってる」
ち〜ムーン「宝塚みたいだ〜」
イシコ「登ってみる?」
ち〜ムーン「お腹減ったね?」
イシコ「確かに。そろそろ食べに行こうか?」
ち〜ムーン「きりたんぽ!きりたんぽ!」
出掛ける時から決めていた「きりたんぽ鍋」を食べに行く。
審査員が二人だけでよかった。
どこのイルミネーションがベストなのかも討論もしないで、車中の話題は秋田の話に変わっていた。
朝ブログあり。
投稿者 ishiko : 08:38
12月9日「親しい人からの手紙」
僕の目がうるうるしていた。
原因は、イラストレーターASAKO氏からの手紙だった。
ちょうど数時間前、彼女の個展パーティーにゲストで呼んでいただき、30分程度のトークライブをやったばかりである。
軽く打ち上げに参加してから家に戻り、メイク道具と衣装を片付け、いただいたお車代を丁寧にしまおうとするとお礼の手紙を見つけた。
彼女の人柄を感じさせる文字を読みながら、彼女と初めて出会ったときのことをふと思い出す。
クリエイター向けのWEBマガジンを創っていた頃、その媒体主催の飲み会で紹介していただいた。
とにかく楽しい人で繊細な感覚を持っているイラストレーターだった。
それは作品にも現れていて、ポップ感に、どこか繊細な香りのするイラストだった。
その後、WEBマガジンの表紙を飾っていただいたり、飲み会で一緒に飲んだりさせていただいる。
そんな親しい人からの手紙を改めていただくと何とも言えない「こそばゆさ」を感じる。
その「こそばゆさ」は決して悪い感覚ではない。
その人が書いた文字を見ていると過ごした時間が走馬灯のように蘇ってくるのである。
これはメールにはないよさなのだと思う。
手紙に向かって、「こちらこそありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」と言い、チリワインを開けて、もう一度、読み直すイシコであった。
投稿者 ishiko : 08:37
2006年12月10日
12月8日「僕が乾杯の挨拶をした理由」
連載させていただいている「verita」という女性向けWEB媒体の2周年パーティーに行く。
女性向けのサイトということもあり、女性のゲストが多い。
多いというかほとんどが女性である。
宝塚の芝居を観に行ったときに、劇場に座っている男性の観客の割合といった感じである。
女性向け媒体なのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
そんな中、男性という以前に人間なのかどうかも言い切れないホワイトマン「イシコ」一人が混じっている。
もちろん連載を読んでいらっしゃるゲストの方は理解できるが、読んだことのないゲストの方からすれば、どうして白塗り男が、こんなパーティーに混じっているのかと思われても仕方がない。
このパーティーの仕切りをされている田中氏が
「イシコさん、乾杯の挨拶をお願いします」
いきなり言われる。
丁重にというか怯えながら、お断り申し上げるが、編集部の堺氏が近づいてきて
「なんであの人白いの?とおっしゃっている方もいるので、イシコさんの説明もしたいので…」
と言われる。
堺さんがちょっと困ったときに見せる「へ」の字眉毛を見たら、何故か
「はい!わかりました」
と答えてしまった。
「それでは乾杯の挨拶を連載していただいておりますイシコさんの方から…」
マイクを渡され、会場を見渡すと輝いているちょっと大人の女性達の目線を一斉に浴びる。
トークライブは好きなのだが、挨拶というものは全くもって苦手なのである。
「イ、イシコでございます」
なんで「ございます!」なんて言葉を使ってるんだ。
と自分で突っ込みたくなるところをグッとこらえる。
「どうして、あの人は白いんだと苦情を受けたということですので、私が急遽、乾杯のご挨拶をさせていただくことになりました…」
後は何を言ったのか覚えていない。
投稿者 ishiko : 11:50
12月7日「常識って誰が決めるのだろう?」
2年程前になるだろうか。
環境省というかその外郭団体と地球温暖化防止を伝える為の冊子をホワイトマンで創らせていただいたことがある。
その冊子の中で、一番、僕が好きだったのは「バイオスフィア」の考え方を使ったワークショップや授業を提案するページだった。
バイオスフィアとは、アメリカアリゾナ州の砂漠に建設された巨大な密閉空間の中の人口生態系である。
目的は、人類が宇宙空間に移住する場合、閉鎖された狭い生態系で生存できるかを実験しているのだが、合わせて、その密閉空間自体を地球と見立てることができるので環境問題を研究することもできる。
書いていると難しくみえるかもしれないが、
「学校の教室で1年間過ごすことになったら…。もちろん外には出られません」
ということをイメージしてもらうとわかりやすいかもしれない。
どんな本やDVDを持って1年間教室に籠るかなど、自分の時間の過ごし方を考えるのだが、その前に一年分の水の確保から排泄物、酸素、食物など生きて行く為のことも考えなくてはならない。
それをイメージさせてくれるのが「バイオスフィア」という施設なのである。
その概念を創ったのは、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと言われたバックミンスター・フラー。
地球全体を宇宙船に例え、地球のどこかでバランスが崩れると宇宙船全体の調子が悪くなり、機能しなくなることを唱え、限られた資源を消費するだけの政治経済システムを批判していた。
建築家の鈴木エドワード氏と京都造形芸術大学教授の竹村真一氏がフラーについてトークライブをするというので聞きに行く。
フラーについて、いろいろなことを教えていただいたのだが、トークライブの最後の方でフラーが生きていた頃の彼の考え方に対する当時の世間の受け取り方の話になった。
彼は数学者であり、建築家であり、思想家であり、詩人でもあったそうだが、そのどの分野においても、あまり受け入れてもらえなかったらしい。
常識人からすると彼の考え方はあまりに非常識で、変人に映ってしまったのかもしれない。
しかし、受け入れられようが、受け入れられまいが、自分が表現したいこと、自分が考えたことはどんどん発表していった彼の姿は素晴らしいと思う。
発表した物に対して自由に意見を言うのはいいが、それを完全否定する権利は誰にあるのだろうと思う時がある。
たまたまマジョリティ(大多数)が受け入れられないと言って、その考え方を非常識としてしまう危うさ。
時代が過ぎていくと、非常識が常識に変わることもあるのに。
今、フラーの考え方が地球上で常識に変わりつつある。
投稿者 ishiko : 08:09
2006年12月08日
12月6日「東京の毎日と旅のワクワク度」
新しく出来た劇場の空気を感じ、新しく創ろうとしている本の空気を感じるそんなワクワクした一日だった。
この新しい空気感は旅をする時の最初の感覚に似ている。
飛行機で棚に荷物を乗せながら、時間を供にしようとしている本やパソコンを取り出す時、新幹線の座席に着き、テーブルを出し、ビールのプルトップを開け駅弁の包み紙を見た時、深夜バスが動き始め、音楽を聴きながら、カーテンの隙間から少し高い位置の流れる景色を見る時など、旅が始まる時のワクワク感、これがたまらなく好きである。
「旅かぁ」
渋谷の宮益坂を下りながら、思えば、今年終盤、行くつもりで行かなくなった、または行けなくなった旅が多かったことを思い出した。
メキシコ、キューバ、岩手、オーストラリア、沖縄、ドイツと行けなくなった旅を指を折って数えていたら、片手で足りなくなっていた。
行けなくなった分、今年後半は、旅に行くような感覚が東京にあったことも事実である。
きっと今までだったら、こんなに旅がキャンセルになっていたら、
「もったいない!」
と地団駄を踏んで悔しがっていたに違いない。
そして、無理矢理、別の場所へ旅に出掛けていた。
しかし、東京の毎日と旅のワクワク度が似てきているからなのかもしれないが、この2ヶ月東京から出ていない。
だからと言って旅をやめる気はないけどね。
どっちだよ!
二人のイシコが頭で会話をしながら、ふらりと入った映画館で「フラガール」を観ることにした。
トロント映画祭ブログで早寝早起きのイシコが唯一、行ったパーティーが、この映画のパーティーだったのに、まだ作品を観ていなかった。
秋のトロントの旅の余韻を感じながら、座席に着く。
こちらも新しく創る空気感が描かれた映画だった。
まだまだイシコの頭は旅と日常の頭の整理ができていないようである。
「日常が旅」としておけば間違いないのか。
そんなに考える必要もないのかもしれないのだが、考えたいのだから仕方がない。
誰に迷惑をかけることでもない。
しばらく考えることにしよう。
投稿者 ishiko : 08:42
2006年12月07日
12月5日「ホスト疑似体験」
一度は行ってみたい場所の一つに「ホスト」がある。
女性達がホストにハマる瞬間を聞いてみたい。
となれば、インタビューですむのか。
じゃ、行く必要ない。
いや。やはり一度は行ってみたいのである。
シャンパンを頼んで、その時を盛り上げてくれるホスト達の掛け声を味わってみたいのだ。
この二つの欲求を池袋で満たすことができた。
本物のホストではなく、舞台なのだが。
No.3コープマンが出演している「無敵な男達」。
これがホストの店を舞台にしたお話なのである。
もちろん舞台なので、脚本や演出によって多少は本物とは違うのかもしれない。
しかし、ホストを取材していた気の強い女性記者がハマっていく姿に、あぁ、こうやってハマっていくのかぁというのを観た気がした。
「そんなバカな…。そんなのでハマる訳ないよ〜」
客観的に観ていると最初はそう思うのだが、ひょっとしたらズルズル行っちゃうのかもと思い始める。
まるで新興宗教にハマっちゃったり、マルチ商法にハマっちゃったりする人を観ているかのようである。
また、女性社長は、シャンパンをど〜んと頼む。
そこでホスト達の掛け声を聞くことができた。
何度も言うように舞台でだが
大学時代の一気飲みの掛け声を思い出した。
言っている方も言われている方もどんどん気持ちよくなっていく感じがする。
気の小さい僕は、
「この社長、いくら使うんだろう?」
他人事ながら財布が心配になってしまった。
きっと僕にはホストは勤まらないだろう。
あれっ?いつからホストに行ってみたいから勤めてみたいに変わったのだろう。
朝ブログあり
投稿者 ishiko : 08:34
2006年12月06日
12月4日「たかが「うまい棒」されど「うまい棒」」
アートン出版の上野氏からメールが届く。
「うまい棒」の本の制作が、うまい棒を作っている「やおきん」全面協力の元で正式に決定したという内容だった。
さぁて、これで僕の大好きな「うまい棒」をテーマに思う存分、書かせていただけそうである。
改めて「うまい棒」
10円という恐らく今の日本で通貨と交換できる最低の物の象徴ではなかろうか。
「うまい棒」にまつわる謎はもちろんだが、10円という価値が日本いや世界にとってどのくらいの価値を現す物体なのか、10円というお菓子を出し続けることの大変さ、そして、その10円のお菓子に魅せられた人々の話、日本人の味覚の変遷や日本の駄菓子業界の話にまで及ぶかもしれない。
本でまとめられない部分や表現できない部分は、ブログやイベントで表現できればなぁと思う。
たかが「うまい棒」されど「うまい棒」。
僕の大好きな言葉である。
というか特に言葉があるわけでもなく、僕しか使っていない言葉である。
世の中、軽く見られている物の中に実は本質が隠されているのではないかという例えで僕は使っているのである。
こうやって「うまい棒」について書いていけば書いていくほど、興奮してどんどんキーボードをうつスピードが早くなる。
と、まぁ、イシコが一人先走りしても仕方がないので、まずは編集の上野氏と打ち合わせをして、来週からうまい棒を絡めた旅に出ることにしようと思う。
朝ブログあり
投稿者 ishiko : 09:08
2006年12月05日
12月3日「小劇場の面白さ」
俳優のNo.2カマンが上京後、初舞台をNo.30ち〜ムーンと観に行く。
芝居というより、ストーリーのあるショーを観ている感覚に近い。
それが劇団「石原正一ショー」の面白さなのかもしれない。
そして、改めて小劇場の何でもあり感というのが僕は好きなんだなぁと思わせてくれる。
例えば組体操をしながら、真面目なセリフを言うシーン。
日常ではあり得ない。
そのあり得ないことが舞台の上では成立してしまう。
舞台空間に流れる空気感が加わって、成立していないことで呼び起こしてくれる爽快感が、たまらなく好きなのだと思う。
そして最後には「楽しかった〜」というより「楽しそ〜だなぁ」
と思わせるのである。
もちろん先週、観たウォーキングスタッフやこのところ観れていないが大好きなミングルの芝居のような緻密に組み立てられた芝居も大好きだが、今日のようなショー要素満載の芝居も時にはいい。
そうそう、カマンの上京初舞台では「坊ちゃん」のうらなりを演じていた。
うらなりの「ひ弱さ」をうっすら白いドウランを塗った顔で表現する(ホワイトマン程白くない…)というのは、少なくとも蜷川幸雄演出では観ることはできないだろう。
それが小劇場の面白さだと僕は思う。
朝ブログあり
投稿者 ishiko : 07:36
2006年12月04日
12月2日「気になる偉人」
僕がお兄さん的な存在だと思っているからと言って、相手が僕のことを弟的に思っているかといえばそうでもない。
そんな僕の一方的な師弟関係が新元氏である。
作家で英米文学評論家で大学の先生でもある彼のトークライブを聞きに行く。
「翻訳ブックカフェ」と名付けられたこのトークライブも20回目になる。
毎回、翻訳家の方をゲストにお招きし、普段、耳にすることのない様々な翻訳にまつわるお話を聞くのである。
本日のゲストはカポーティの傑作「冷血」を新訳された佐々田雅子氏。
ちょうど新元氏も公開中の映画「カポーティ」に合わせて、Pen、Title、本の雑誌などでカポーティについて書きまくった後なので、タイミング的にもいい。
カポーティ=「ティファニーで朝食を」くらいしか読んだことのない無知なイシコでも、佐々田氏のキャラクターと新元氏のナビゲーターのウマさに、どんどんのめり込んでいくトークライブである。
「冷血」の舞台であるカンザスの一家惨殺事件と秋田の豪憲ちゃん事件の「田舎」というキーワードの持つ共通性の部分が何故か僕の心に残った。
そういえば映画「カポーティ」も公開して2ヶ月以上経っている。
カポーティの人生に関して興味があったはずなのに、実は、まだ観ていない。
来週、どこかで観に行こう。
そして読みかけのまま、いつしか積ん読状態になっていた「冷血」をもう一度、最初から読み始めよう。
決めた!
来週は自分だけの「カポーティ」週間にしよう。
投稿者 ishiko : 08:05
2006年12月03日
12月1日「最高のライブの後は?」
身体も完全復活したので、渋谷の「THE THRILL」のライブを観に行く。
トランペットの山口氏とは昨年、イベントの司会を一緒にやらせていただき、ギターのGAKUさんとは、今年の春に「楽園ゴルフ」という企画で一緒にプーケットに遊びに行っている。
もっと遡れば、初期のメンバー式田純氏の妹恭子さんにイシコは連句を教わるという何とも不思議なご縁が「THE THRILL」にはある。
もちろんCDは何枚か持っていたのだが、ライブは初めてであった。
オールスタンディングでおなじみの渋谷の会場は満杯である。
管楽器のビックバンドの迫力にオープニングで鳥肌が立ち、聞いているだけで自然に身体が動き始める。
続々と登場するゲスト陣も豪華である。
サックスの藤井尚之氏で管楽器が更に華やかになり、勝手にしやがれの武藤昭平氏の声にしびれる。
尾崎紀世彦氏がストーンズの「SATISFACTION」で登場したときには驚いた。
しかも曲の途中から「与作」に変わるのである。
「尾崎紀世彦」、「THE THRILL」、「与作」という頭を突き刺さるギャップにビールもどんどん進む。
U2の何とかLOOKING FOR(メチャクチャ馴染みのある曲だが、いざ曲名を言おうと思うと長くて)では正確な歌詞を知らない僕も一緒に歌っていた。
ゲストの中でも、レピッシュのMAGUMIさんの登場はメチャクチャ嬉しかった。
大学時代、僕はレピッシュのライブを何度も見ていた(スタッッフのバイトとしてだが…)。
レピッシュの影響でスカが好きになったと言ってもいいくらいである。
カーステレオでヘビーローテーションだった「パヤパヤ」が「THE THRILL」バージョンで演奏されたときには飛び跳ねて喜んだ。
そのまま曲の間中、飛び跳ねようと思ったが、体力が続かなかった。
とまぁライブ報告のようになってしまったが、それだけ楽しいライブだったのである。
打ち上げ乾杯に少しだけ参加し、この思いをそれぞれの方に伝えたかったのだが何も言えず、相変わらず人見知りの僕は山口氏とGAKUさんと乾杯と再会の喜びだけ交わして、すぐに会場を後にした。
しかし、風邪が治ったこともあり、最高のライブを観た後だったからだろう。
イシコの就寝時間に近いのに、どこかで飲みたくなった。
こうして高円寺で飲んでいた作家新元氏はじめとしたおなじみのグループに合流するのであった。
投稿者 ishiko : 08:54
11月30日「これって心配?」
今週は、風邪だったこともあり、脂っこい物を食べていない。
と言うより口に物をあまり入れていない。
いきなり豚骨ラーメンが食べたくなった。
それだけ回復しているということなのだろう。
近所に住む俳優No.2カマンと、いつも行列ができている近所のラーメン屋で塩豚骨ラーメンを食べに行く。
ギトギトの豚骨でなく、塩豚骨ならいいだろうという勝手な解釈である。
カマンは昨日、舞台初日で、そのまま打ち上げで4時まで飲んでいたそうで眠そうである。
食べ終わってから、そのままカマンの部屋に上がり込む。
僕の目的は、ここにある「こたつ」という冬最大の武器である。
「酒をくれ」
「ないわ!だいたい病人やろが?」
「復活じゃ」
目の前には温かい紅茶が出された。
「本番中なんやで風邪うつすな〜」
「もっといたわれよ〜」
「その前に出歩くな!僕、そろそろ劇場入りせなあかんから出掛けますよ〜」
「行ってらっしゃ〜い」
カマンは僕に毛布と合鍵を渡し、
「チョコレート残しておいてよ」
僕がボリボリ食べているチャコレートのことを心配しながら劇場に向かって行った。
僕は、そのままカマンの家のこたつで昼寝をむさぼる。
夕方から、朝EXPOの打ち上げを断ろうと、サニーサイドアップの松本氏にメールを出す。
「月曜日から風邪で寝込んじゃって、ちょうど治りかけなんだけど、みんなに風邪をうつすといけないから、やめようと思うんだけど、マズいかなぁ?」
塩豚骨ラーメンを食べたことと、カマンの家のこたつにいることは書かなかった。
1時間後、返事が戻ってきた。
「え〜!大丈夫?イシコにしては珍しいね。体力的に無理だったら、仕方がないけど、動けるようだったら、最初の30分だけでも出ない?一応、トークライブのナビゲーターだったわけだし…」
車で行って、最初だけ顔を出すことにした。
松本氏をサニーサイドアップでピックアップする。
「イシコ、大丈夫?うつさないでよ〜」
優しいのか冷たいのかわからない言葉を浴びせられながら、打ち上げ会場に車を走らせるのであった。
投稿者 ishiko : 08:17
2006年12月02日
11月29日「出掛けても出掛けなくても熱は上がる」
少し熱が下がったので、No.30ち〜ムーンと車でカメラマンの井島氏の写真展に行く。
彼の風景写真を見ているだけで心が癒される。
いや、癒されるだけではなく、どこかで、魂にスイッチが入るような感覚がある。
ホッとすると思ったら、どこかでムクムクと元気が湧いてくるようなそんな写真なのだ。
あれ?ムクムク湧いてくるのと同時に熱も上がって来てしまったようだ。
自宅に戻り、また眠る。
熱はまた下がったが、大事を取って夜の約束はお断りすることにしてメールを出す。
布団を持って、普段、あまり見ないテレビの前で寝転がる。
空が暗くなっていく中で、布団をかぶりながら、ボーッと夕方のテレビ番組を見ているのは何とも幸せな感じがする。
これが毎日、続くと幸せから空しさに変わるのかもしれないが…。
テレビ番組の区切りのいいところで、タイのアクション映画「トムヤンクン」を観る。
タイの村で奪われた自分の象を、オーストラリアまで取り返しに行くという単純な話である。
ただ、アクションが激しいのである。
いや、激しすぎるのである。
終わったときには確実にまた熱は上がっていた。
出掛けても出掛けなくても熱は上がるときは上がるのである。
投稿者 ishiko : 17:19
11月28日「数年振りの風邪」
クリーニングのおばさん達と関係性を築けなかったショックなのか、それとも、ただ単に先週までのトークライブの疲れが出ただけなのかはわからないが、数年振りに風邪をひいた。
久々に熱がある感覚がわかる。
ブルブル震えている。
「これって悪寒って奴かぁ?オカンじゃないよ」
一人でダジャレを言っているところをみるとかなり重症のようである。
朝、一度、目覚めるが、そのまま眠る。
途中、腹痛で目が覚める。
トイレに入ると下痢である。
結構、長丁場になりそうだ。
トイレから出られずだからと言って、活字を読む気力もないので、本を持ち込むこともせず、普段、見る事のない壁をボーッと見つめている。
出すものだけ出し、ゼリーを食べるとまた眠った。
次に目が覚めたら夜だった。
こうして昨日の夜からほどんど眠り続けている。
夢日記ならぬ夢メモをつけたくなる程、たくさんの夢を観た。
その中で強烈に覚えているのは、イシコが自分の子供なのか人の子供なのかはわからないのだが、公園で一緒にいた子供を叱っている夢を見た。
何故、叱っているのかは覚えていない。
あまりにひどく叱っているので、周りのお母さん方が
「ちょっと叱り過ぎじゃない?」
と逆に僕が叱られ、その叱られている僕を見て、子供が笑っているので、また、そのことについて僕が叱るという堂々巡りな夢だった。
健康な時でも、僕はロングスリーパーで夢を観るのだから、来年は夢絵日記でもつけるかなぁと熱にうなされながら、考えるのであった。
投稿者 ishiko : 12:04
2006年12月01日
11月27日「クリーニングのおばさんとの関係性」
この2週間、日替わりで着ていたホワイトマンの衣装をまとめてクリーニング屋に持っていく。
以前は、馴染みのクリーニング屋のおじさんの店があったので楽だった。
「今月は白仕事(彼はホワイトマンのことをそう呼んでいた)多いね」
「そうですね」
「いいじゃん。儲かって」
「普段、あまり働かないので…」
と言って、「近所付き合いしてる僕」というのを実感できる場所だった。
しかし、個人経営だったおじさんの店は、ある時、人の手に渡ってしまった。
「俺、いなくなるからさ」
最後に会ったときのおじさんの表情から察するに、あまり不本意でない辞め方だったに違いない。
病気なのか、借金等なのかはわからないが、そのときの空気感が嫌で、おじさんがいなくなってからは、そのクリーニング屋に行かなくなってしまった。
最近、使い始めているクリーニング屋は、おばさん達がパートでやっている。
最初の頃は、おばさんは、服についた白いドウランを見つけると、
「これ、落ちるかなぁ」
真剣に議論を始めるのである。
しかし、ちょうど今、僕とおばさん達との関係性の過渡期なのだと思う。
ドウランを見ても動じないでいる。
ただ、まだ僕の服にどうしてドウランがついているのかは聞かれたことがない。
きっと、「いつも襟元に白いドウランがついている派手なシャツやジャケットを持って来る中年男(長いなぁ)」というあだ名がついているに違いない。
おばさん達の顔に書いてある。
どこかで聞きたそうな空気感もある。
しかし、人見知りの僕は、どこかそういった時に聞かせない寄せ付けない雰囲気が出ている時があるらしい。
本人は、話して楽になりたいのだが…。
それがちょうど、今、崩れようとしているのだ。
「今日は多いですね?」
おばさんの一人が言った。
「はい」
笑顔で答えたのだが、それ以上が言えなかった。
関係性を築くチャンスだったのに…。
自己嫌悪に陥りながら、近くのコンビニでアイスクリームを買って、食べながら家に戻るイシコであった。
投稿者 ishiko : 17:57



