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2006年08月31日
8月30日「眠るモード」
僕は眠るモードにスイッチが入ると1日12時間以上、平気で眠る。
その周期は決まっているような決まっていないような感じである。
「寝だめ」と言いたいところだが、それが言えるのは、普段、3、4時間しか眠らないスーパーハードな生活をしている人のことであろう。
僕の場合、普段、8時間睡眠をしっかりとっているのに、その上でスイッチが入ると12時間睡眠になるというものなので「寝だめ」というには少々、厚かましい気がする。
今回の式根島滞在中も、毎日、12時間近く眠っていたと思う。
式根島最終日もせっせと睡眠時間をかせぐ。
昨日、10時過ぎには意識を失っていた。
目を覚ますと6時。
既に8時間。
散歩がてら、朝に海水と温泉の割合がちょうどいい湯加減になっている足附温泉に行き、裸体を火照らせた後、いつしかうとうと30分程度眠る。
民宿で朝食をとった後、海辺に行き、藤沢周平の本を読みながら、いつしかうとうとと30分程度眠る。
昼、近くのレストランで焼きそば大盛りとビールを1リットル以上飲んだ後、2時間程度昼寝。
夕方、品川へ戻るジェット船の中で2時間程度眠る。
あれ?今日は、12時間ところの騒ぎではない。
軽く13時間は眠っているんだなぁ。
1日の半分以上である。
もったいない気もするし、もっと夢も見ていたい気もするし、何ともこの複雑な気持ちが、これまた幸せだったりする。
投稿者 ishiko : 16:10
2006年08月30日
8月29日「日本一カッコ悪い男」
ここに日本一カッコ悪い男がいる。
彼は漁船に乗っていた。
まるで、ずっと漁師をやっているかのような態度であった。
実は、今日で二日目だというのに…。
きっと初めて漁船に乗ると言うダイバーの女の子2人組も一緒に乗っていたからに違いない。
スクリューに紐が絡まるというトラブルが発生したにも関わらず、彼は対処しようとしなかった。
民宿「肥田文」の若手ダイバー3人組を呼び出し、潜ってもらい、紐をはずしてもらった。
もちろん呼び出したのは、船長のおじいちゃんである。
一応、彼も「ありがとうございました」と言っていたが、あまり気持ちがこもっていなかった。
恐らく彼は少し荒れている海に緊張していたのかもしれない。
ほとんど光害のないプラネタリウムのような式根近海の空で、緊張を紛らわせていた。
しかも彼と女の子2人組は、船が進むに連れて浴びる水しぶきを、キャッキャッ言いながら喜んでいた。
確か彼は、いつもは人見知りと言っていたはずである。
船が停まるとやはり海は荒れていて、揺れを体感するようになった。
彼はトビウオの網の救い方を彼女達に教えていた。
何度も言うようだが、今日で二日目だというのに…。
彼女達の運動神経は抜群で、彼よりも網で救うのがうまかった。
船は更に揺れを増していった。
彼は遂に網をデッキに置いて、船の端でうずくまった。
どうやら船酔いである。
それでも彼は、言い放った。
「星を見ていると酔いも覚めるんですよね」
日本一カッコ悪い男がそこにいた。
彼の名前はイシコという。
投稿者 ishiko : 23:52
8月28日「夜の式根島でトビウオに…」
不動産系の経営コンサルタントを営む市川氏と2年振りに式根島にやってきた。
特に何をしに来たわけでもない。
「3日程、式根島に行こうと思うんだけど行かない?」
「行きます!行きます!」
ただ、それだのことである。
市川氏の親戚が、式根島で民宿「肥田文」を営んでいるので今回もお世話になる。
まだまだハイシーズンなので、ダイビングや観光のお客様で島は静かな中に賑わいを見せている。
決して軽井沢のようなハイシーズンではない。
ちょっと海に人が居たり、ちょっとレストランのお客さんが多かったり、ちょっと温泉にいる人が多いくらいである。
夕暮れ、「肥田文」のカッコイイおじいちゃんに夜の漁に連れて行ってもらう。
船の名はブンブン丸。
そんな野球選手がいたなぁ。あれっ?ボクサーだっけ?
船の上で夕暮れから夜になっていく時間をボーッと感じていた。
ふと潮の流れを読むおじいちゃんの目つきが変わった。
戦闘開始。
船を止めて、網を降ろす。
明かりをつけて数十秒後、来るわ来るわトビウオの群れが。
網にどんどん引っかかっていく。
僕は虫網の魚版(言い方絶対に違っているだろうが…)で
「おりゃ〜!」
と声を出しながら、網でトビウオをすくおうとするが、つかまえることができない。
彼らはトリッキーな動きをする。
「お前それだけ賢かったら、網に引っかかるなよ」
自分の網では穫れず、おじいちゃんの網に引っかかったトビウオにつぶやいた。
今の段階では、賢い順は、おじいちゃん、トビウオ、イシコの順になる。
どうも納得がいかない。
僕も戦闘モード。
腰を据え、トビウオのリズムに合わせて、網を入れる。
打率ならぬ魚率がよくなった。
とはいえ、ピッチャーの打率から、大リーグにまだ慣れない1割代の野手になった程度である。
まだまだ魚率のイチローには程遠い。
しかし、この日の晩だけで300匹程度のトビウオが穫れた。
もちろん、そのうち僕が穫ったのは6、7匹程度である。
投稿者 ishiko : 23:49
8月27日「僕がスキーを始めた理由」
SOSというスゥエーデンのスキーウェアーブランドがある。
ここ数年、お手伝いをさせていただいた。
初めての年に、ここのカタログをNo.30ホーガンとNo.7かめら〜まんと話し合いながら創った時、表紙にSOSのステッカーを張った男性の裸を使ったことで
「スキーウェアの表紙に裸を使うなんて何ごとだ!」
と様々な場所で叱られまくった。
カッコイイんだけどなぁと僕らは言いながら、やけ酒を飲んでいた。
しかし、スゥエーデンで、そのカタログは何故か人気で、翌年、僕らは同じチームでSOSの世界版のビジュアルブックを創ることになった。
英語が全く話せないのに僕は、絵コンテを創り、漢字一文字を入れたページをイメージして、アートディレクターとしてスェーデンに飛んだ。
スゥエーデンからドイツから日本からプロスキーヤーも集まって、かなり大掛かりな撮影だった。
凍った川の真ん中まで北欧スタイルの椅子を持って行き、宇宙をイメージして写真を撮ったり、スキー業界のカタログにあまり登場しない黒人をモデルに起用したり、犬ぞりに乗って走りながら写真を撮ったり、氷の上でジェットスキーをしているスキーヤーを撮ったりとメチャクチャ楽しかった。
最終日、時間があいたので、みんなでスキーをすることになった。
一緒にリフトに乗ったスゥエーデンのトッププロスキーヤーが僕に言った。
「ドゥー ユー ライク スキー?」
僕はにっこりして答えた。
「アイム ビギナー」
その答えを聞いた時の彼の顔は一生、忘れない。
言葉を失った後、彼は大声をあげて笑った。
そりゃそうである。
車を運転できない人間が、ドライブシーンのディレクションをしているようなものである。
リフトにあがって彼は、他のプロスキーヤー達に言ったに違いない。
「あいつ、スキー全然、やらないのに1週間も俺達にディレクションをつけてたんだぜ!」
その日の15年振りのスキーがメチャクチャ楽しくて、以来、元全日本のモーグルコーチのNo.31ホーガンに教えてもらいながら、マイペースでスキーを楽しんでいる。
そんな思い出満載のSOSが過渡期を迎えている。
今も僕はWEBのコンテンツだけ、お手伝いさせていただいているのだが、例年より進行が遅れに遅れまくっている。
WEBだけでなく、カタログも遅れているのだそうだ。
カタログが遅れているということは、WEBで使える写真も遅れているということである。
写真が遅れているということは、掲載する商品の撮影が遅れているということである。
全てはつながって遅れているのである。
しかし、ようやく動き始めそうである。
遅れたとはいえ関わるからには、イイ物を創りたいと思う。
僕の今年の役割?
う〜ん。何だろう?
とにかく、長く付き合ってきたブランドなので、何かしら少しでもお役に立てればと思う。
乞うご期待!
投稿者 ishiko : 23:33
2006年08月28日
8月26日「やっぱり夏祭りはイイ!」
日本に諏訪神社と名のつく神社はいったいいくつあるのだろうか?
きっと日本に蛇の目寿司と名のつく寿司屋がいくつあるのかに似ているかもしれない。
ともかく津久井湖の近くで、諏訪神社の夏祭りへ大道芸をやりに行く。
昔、神楽をやっていて今は使われていない舞台でのショー。
子供ショーをしていた頃は、よく夏祭りに参加していたが、ホワイトマンを始めてからは、こういった地域のお祭りに参加する機会が全くと言っていい程、なくなってしまった。
夏祭りのイメージ。
手書きのプログラム、山盛りの焼きそば、アニメのキャラが入った綿飴、若手の漫才師、キラキラの衣装を来ての演歌、酎ハイ片手に酔っぱらっているおじちゃん、屋台のゲームでおもちゃを持つ悪ガキなど子供の頃から変わらぬイメージの夏祭りがここには残っていた。
泥臭くて、人間臭い場所での大道芸は、かなり楽しかった。
年に一度は、こういった夏祭りに参加したいものである。
その前に大道芸のスキルをあげなければいけないのだが…。
投稿者 ishiko : 06:46
2006年08月26日
8月25日「フランス騒ぎ」
パリ在住のジャーナリスト浦田氏から電話が入ったのは、清里の吐流の滝に向かう途中だった。
「先日の話…、マレ地区…、ギャラリー…、2ヶ月…、会いたい…」
電波状況が悪く、とぎれとぎれにしか聞こえない。
そこで電話は切れてしまった。
画面には圏外のマーク。
滝の前に座り、マイナスイオンを浴びながら、全ての言葉をつなぎあわせる。
先日の話=パリでフードデザインを使った展示会をホワイトマン目線でやりたいねと盛り上がっていた話だろうなぁ。
マレ地区=パリで栄えているとてもいい場所だったはずだよなぁ。
ギャラリー=そのキュレーターなのかオーナーなのかが興味を持ったのかなぁ。
2ヶ月=2ヶ月の展示会っていいなぁ。その間、パリに住んじゃうっていうのもありだよなぁ。
会いたい=パリに来いってことか?冬のパリを見たことがないから、ある程度、考えをまとめたら、行ってみるのもいいかもなぁ。
つなぎあわせると先日の話をマレ地区にあるギャラリーの方に話したら、興味を持って、2ヶ月の展示会をしないかと言っている。
しいては一度、パリにプレゼンテーションをしに来てくれないか。
ということではないだろうか。
勝手に一人で妄想は広がっていった。
しかし、これほど楽しい時間はない。
電波が安定した場所に出るとすぐに浦田氏に電話をした。
「早速、先日のフードデザインの話を、マレ地区のいい場所にあるギャラリーのオーナーに話をしたら、興味を持っていまして…」
おっ!いいぞ!ここまでは、あっている。
「で、ちょうど彼女が明後日まで東京にいるんですって?私はパリに戻っちゃうので、ご一緒できないんですが、今日の夕方か明日の夕方、どちらかでギャラリーのオーナーとお目にかかることできませんか?」
それは予想していなかった。
ただ、今日の夕方はホワイトバールだし、明日の夕方はお祭りに大道芸をやりにいくからダメである。
「そうですかぁ?じゃ、ホワイトバールでお話することはできますか?彼女に行けるか聞いてみますね?」
こうしてまた一度、電話を切った。
1時間後、留守番電話にメッセージが入っていた。
「浦田です。彼女がホワイトバールに行くって言っていたので、よろしくお願いします。フランス人なので、フランス語はもちろんですが英語も話せますので…。実現したいですね」
おぉ。すごいことになってきたぞ。
しまった!当たり前だが、フランス人なのである。
イシコはフランス語はもちろんだが英語も話せない。
マネージメントでお世話になっているサニーサイドアップの松本氏に電話をして状況を説明する。
「パリのギャラリーで、2ヶ月展示会をするかも?」
「は?何、言ってるかサッパリわかんないよ。イシコ、何か作品でも創るの?」
確かに何がなんだかサッパリわかんないだろう。
詳しく状況を説明する。
7時から始まったホワイトバールで、僕は松本氏と待つことにした。
今、veritaの連載でお世話になっている英語が堪能な編集者堺氏にも助っ人で一緒にいてもらうことにした。
松本氏は昼間に少しフランス語を勉強しちゃったよって言っていた。
もちろん、みんなでビールを飲みながら。
いつものようにどんどん人が増え始め、いつしか僕は酔っぱらっていた。
気がつくとホワイトバールは終わっていた。
あれ?フランス人の彼女いたっけ?
結局、来ていなかったと思う。
用事が入ったのかもしれない。
場所がわからなかったのかもしれない。
日本人の顔をしたフランス人だったのかもしれない。
それはないか?
まぁ、どちらにしても実現に向けて、ゆるゆると進めていければと思う。
投稿者 ishiko : 08:17
2006年08月25日
8月24日「八ヶ岳南麓、食いしん坊万歳!」
朝プロのメンバー恒例のドライバーじゃんけんで負けたカメラマン岡崎氏の運転で小淵沢は毎回、溜まり場となっている「サンディ」に深夜、到着。
みんなでビールを1杯だけ飲んで、すぐに眠る。
イシコにしては珍しく4時間という短い睡眠時間で朝パッキリ目が覚める。
昨日、ずっと出っぱなしだったので、まとめてメールの返事を書き、イシコの交遊録(それを書く暇があるんだったら原稿書けよと思った編集者の方々スミマセン!)だけアップしてから、ホワイトマンに変身!
さぁ、いよいよ朝プロジェクトナビゲーターとして本格的に始動し始めたのだ。
WEBでの朝食コンテンツの見せ方を話し合いながらの撮影。
サンディのキリさんが出してくれる朝タコス料理がメチャクチャうまい。
朝からタコスと思うだろうが、これが意外にイケルのである。
手巻き寿司のように、ベーコン、オニオン、レタス、トマト、ディップなど様々な具をのせる。
「うまい!うまい!」
と言って食べ続けて、撮影されているだけで、気がついたらイシコはメモを何もとっていない。
次は、清里の老舗「オーベルジュ」の五味夫妻が出してくださる洋食が、これまたウマい。
ブルーベリー、赤フサスグリ、リンゴなどのジャムがメチャクチャうまい。
料理人であり、オーナーの五味氏がまたかっこいいのである。
カメラマンの岡崎氏が撮ったポートレートだけを見ると、彼は料理人というよりは、指揮者のロバート・デ・ニーロといった感じである。
で、気がついたら、食材等の肝心なところをメモとるのを忘れていることに反省する。
キープ協会の面々や南麓散歩の達人、ヨガの達人、イラストレーター、アクセサリーデザイナー、カメラマンの神父さんなど、朝プロジェクトの主要メンバーとなる方々と野外ミーティングである。
もちろん、イシコは白塗りのままミーティングに参加する。
その後、通称「ストーブ屋ケンちゃん」が、移動式のオーブンで、えのき、那須、鳥のササミを作ってくれる。
あまりのジューシーさに驚き、途中、通り雨のような雷雨に驚き、一切、メモをとるのを忘れてしまう。
温泉に浸かってから、今回の朝プロジェクトのリーダー佐久間氏と彼の子供達で最高の小学生3人組、カノン、ソウヤ、トレナと「タキ」さんの一軒家を改造した素敵なお店で彼自身が釣ってきてくれた鮎料理を食らう。
囲炉裏で食べる鮎料理は、日本人に生まれてよかったと思う時間の一つだなぁとビールをのんで浸っていたら、これまたメモをとるのを忘れてしまった。
最後は、またサンディに戻ってきて、ジーマを飲みながら、パスタを食らう。
山梨中央銀行の仁科さん、江戸凧保存会の五十嵐会長、ストーブ屋ケンちゃんなど様々な人がどんどん集まってくる。
芋焼酎に変え、みんながテキーラを飲み始めた頃、いつのまにか僕は椅子をベッド変わりに眠り込んでいた。
もちろんメモなどとることもなく。
やはり、僕には「食いしん坊万歳!」は勤まりそうもない。
もちろん、そんな依頼は入ってきていないから、心配することもないのだが…。
投稿者 ishiko : 18:44
2006年08月24日
8月23日「靴!靴!靴!」
春から、靴の連載を始めて、約半年になる。
陸上の為末選手のトレーニングシューズから始まり、化学機動隊の防護靴、登山家の登山靴、サーファーのサンダル、ビーチバレー選手の裸足、二輪ライダーのブーツ、水族館の長靴と、どれも興味深い話ばかりであった。
「散歩の達人」山口編集長が名付けた「達人たちの靴がたり」通り、その人の靴は、様々な物語を持っている。
また、今日も、新たな靴の物語を聞いた。
本日は防衛庁にお邪魔する。
イラクのサマワから戻ってきた自衛隊の靴の開発の話を聞く。
サマワの靴は、イラク使用に作られた特別な靴なのだ。
聞けば聞く程、日本の靴の技術には、うなるばかりである。
更に自衛隊の履いている普段の革靴も、裏だけは特別仕様になっているのである。
これをダラダラ書き始めると恐らくすぐに3000字くらい書いてしまいそうなので、詳しくは雑誌「散歩の達人」の10月号をご覧になっていただければ幸いである。
靴の取材をした日は、とにかく頭が「靴!靴!靴!」になる。
取材の後、向かったライコランドのミーティングでも、女性で10万キロ以上走るツーリングの女王「福永」氏の話をWEBコンテンツにすることをその場で決めて、すぐに聞き手の松下氏にインタビューアーをお願いするのだが、一緒に聞いている僕はいつしか靴のことばかりが気になってしまう。
152センチと小柄な彼女は、足ももちろん小さい。
バイクのステップのことを考えるとヒールの高い靴では運転しにくい為、踵のない靴を履くようにしているそうだ。
これをダラダラ書き始めると恐らくすぐに2000字くらい書いてしまいそう(もちろん女性ならではのツーリング術的なお話も入ってくるが…)なので、詳しくは9月中旬頃、「ライコランド」のWEBをご覧になっていただければと思う。
その後、横浜でニューヨークから来日中のギターリスト三浦氏のライブを聞きに行く。
普通の小料理屋がライブ会場になっていて面白い。
開演ギリギリなのでドアの外から見ても既に客席はいっぱいである。
しかもみんな入り口の方を向き気味で座っている。
ガラガラとドアを開けると、自然にみんなが僕の顔を見る。
顔を見た後、面白いようにみんなが一斉に僕の靴を見た。
そういえば、今日の僕の靴は地下足袋風で、親指と人差し指が割れている。
「sousou」という京都のブランドである。
僕の持っているのはスニーカータイプの地下足袋で、紫外線が当たると色が変わる面白い一品である。
最近、このブランドが出した皮靴タイプの地下足袋が今、欲しいと思っている。
この靴のことをダラダラ書き始めると恐らくすぐに1000字くらい書いていしまいそうなので、今年中にveritaの連載にでも書かせていただければと思う。
投稿者 ishiko : 07:52
2006年08月23日
8月22日「夏休みの本」
ここ数日、本屋に立ち寄ると歌舞伎と日本酒の面白そうな本がないか探している。
しかし、まだ今のところ出会っていない。
大きな本屋に行けていないということもあるのだが…。
そもそも歌舞伎の本は、どのコーナーに置いてあるのかを探すところから始まる。
古典芸能のところにあることもあれば、演劇コーナーにあることもある。
何故、そんなに探しているか?
秋から歌舞伎と日本酒にまつわる旅のコンテンツが始まるからである。
多少は知識を持って旅に出たい。
そんな気持ちで本を探していると、何だか夏休みの感想文の本を探しているような気持ちになってくる。
そういえば、この夏に読んだ本って何だったかなぁと振り返ってみる。
「ポエム番長」(監修:マッコイ斉藤、解説:ピエール瀧 サンクチュアリ出版)
サンクチュアリ出版鶴巻社長が、ホワイトマンの経営会議のときに「これ自信作!」と言っていた本。全国47都道府県の元ヤクザ、ギャング、暴走族たちが書いた真面目な詩集なのである。彼らにとっては当たり前のことが、僕にとっては、カルチャーショックなことばかりが綴られている。そしてピエール瀧の解説が、メチャクチャ笑える。えっ?これ笑っていいのか?最後まで戸惑いながらも笑いながら、一気に読み切った。
「宇宙エレベーター」(著:アニリール・セルカン 大和書房)
宇宙飛行士候補のトルコ人No.40サイエンスマンが2年かけて日本語で書いた本。
宇宙と聞くと、物理とすぐにカテゴリー分けしてしまい、物理といえば高校時代100点満点で4点をとった嫌な思い出しかない。
しかし、彼の本を読んでいると、もっと自由で日常生活の中に宇宙はあふれていることを知る。
小さい頃、彼が物理の先生だったら、僕は間違いなく理科が好きな大人になっていただろう。
ただ、一つだけ気にかかっていることがある。
本文に昔、イシコは数学者だったという話が出てくるが、イシコは大学時代、理学部数学科に在籍していただけであることを、今度、彼に会ったら言わなくては。
「家庭の医学」(著:レベッカブラウン、訳:柴田元幸 毎日文庫)
5月にカンヌに行く飛行機の中で一度、ざっと読んだのだが、かなりアルコールが入っていたのかほとんど覚えていないので、もう一度、読む。
柴田元幸氏を知ったのは、僕が勝手に慕っている作家で評論家で大学教授の新元良一さんがいる。
彼と柴田元幸さんのトークショーを観に行ったのが、きっかけだった。
その後、みんなで一緒に飲みに行ったのだが、アメリカ文学の話は全く僕には知識がなく、柴田さんは僕との話題に困って、僕がかけていた伊達眼鏡について声をかけてくれた。
優しい人だなぁと、その後、ほとんど翻訳物を読まないイシコが彼の翻訳を読み始めた。
肝心の本なのだが、母親が癌にかかり、亡くなっていくまで寄り添って看病する家族の話である。
小説なのに、どこか突き刺さる詩を読んでいる感覚になる。
ちなみに、さっき出て来た新元良一さんと柴田元幸さんは渋谷のタワーレコードで時々、音楽にまつわるトークショーもしているので、機会があれば是非、ご覧ください。
「パイロットフィッシュ」(著:大崎義生 角川文庫)
「大崎義生さんは、朝の酒がうまいって何かに書いていたよ。一回、取材してみたら?」と「散歩の達人」の山口編集長に言われたのがきっかけだった。
朝マイスターとして、北杜市で始まっている朝プロジェクトの朝ブログが間もなく始まる。
そんな僕の大好きな朝に、酒を飲みながらボーッとする時間がたまらなく好きである。
そんな僕をまわりから「ダメ人間!」と言われ続けたのだが、大崎氏ならわかってくれるかもしれない。
いつか飲みながらの朝トークショーをお願いしてみたいものである。
ちなみに、この本は4年程前に書かれた彼初の小説で吉川英治文学新人賞を受賞した作品である。
エロ雑誌の編集者という興味深い設定にやられ、描写にやられ、ストーリーにやられ、一気に読んでしまった。
「スコッチと銭湯」(著:田村隆一 ランティエ書房)
出版プロデューサーNo.10バランスマンが、青山円形劇場のホワイトマンショー「プレゼンラジオ」が終わり、疲れきっていた僕にプレゼントしてくれた本である。
あれ以来、時々、パラパラと好きな場所を選んで読みたくなる。
スコッチは詳しくないが酒好きで銭湯好きな僕にはぴったりの本である。
それよりも著者の田村隆一氏の風来坊的な生き方が、どこかにじみ出ていて、どこか幸せな気持ちになれる。
携帯電話を切って、酒を飲みながら、この夏も読ませていただいた本である。
「あれ?ここ読んでなかった」
って見つけるのがまた楽しかったりする。
といつの間にか歌舞伎の本のことを忘れていた。
そうそう。夜にふと思い出しながら、デザイナーの松下氏と飲みながら語っていたら、歌舞伎と浮世絵の話になった。
彼は浮世絵の修復作業に携わっていた時期があり、知識が豊富なのである。
そんな彼の話を聞いていたら、もう一つ探す項目が加わった。
歌舞伎と日本酒と浮世絵にまつわる本を探すのである。
投稿者 ishiko : 08:12
2006年08月22日
8月21日「イシコの交遊録2001人の旅復活!」
「イシコの交遊録」が始まったのは、2000年5月頃のことだったと思う。
最初は、今のような徒然なる日記ではなく、人見知りのイシコが、21世紀を迎えるにあたって、1年で2001人に会ってみようという企画だった。
その頃、ホワイトマンプロジェクトは地球上に生まれておらず、このホームページ上ではなく、クリエイター向けWEBマガジンの中で一つのコーナーとして書いていた。
書いていたと言っても、「カメラマンA氏とデザイナーB氏とテキーラを飲みながら、最近の雑誌について語り合う(2001人まで後1258人)」といったメモ程度のものである。
もちろん、パーティーでご挨拶だけというのではダメで、何か一つのテーマをキチンとお話しした人でないとカウントされないという暗黙のルールも決められていた。
ふと今日くらい人にバタバタ会っていたら、あっという間に2001人に会ってしまうのではと思いだしたのである。
昔の書き方で、一日を振り返ってみよう。
ヴォイストレーナーのNo.30ち〜ムーンと10月の二人旅について相談する。
システムデザイナーの黒田氏とバッタリ会い、システム変更の難しさを教えてもらう。
フランス在住のジャーナリスト浦田氏と湯葉うどんを食べながら、フランスでホワイトマンのアートプロジェクトをやろうと盛り上がる。
印刷会社の石黒氏とアイスコーヒーを飲みながら、9月のパーティーの経緯について説明をうける。
コーチングの渋谷氏とバッタリ会い、ビジョンについてアドバイスをもらう。
歯医者の山口氏に下の親知らずを削られながら、2本抜くことを決意させられる。
振付師のサワ氏とライチフローズンを飲みながら、ホワイトマンプロジェクトの説明をする。
漫才師の八福亭(2名)が合流し、今週末のお祭りにイシコがゲスト参加する大道芸について打合せする。
リゾート開発会社の中野社長、海外アーティストのブッキング会社の橘社長、マナー講座講師のモモさん、派遣会社コーディネーターのカヨさんと赤ワインを飲みながら、日本にないコンテンツについて意見を出し合う。
ライフプランナー上坂氏、不動産コンサルの高瀬社長、教育ビジネスの東方社長と芋焼酎を飲みながら、VPに使う俳優の大切さについて語り合う(2001人まで残り1985名)。
おっと、このペースでいったら125日で達成してしまうではないか。
しかし、一度、会った人はカウントされないということをすっかり忘れていたイシコであった。
ちなみに当時の「イシコの交遊録」は、残り500名から誰がカウントされ、誰がカウントされなくなっていったのかがわからなくなり、あえなく企画は断念することとなった。
投稿者 ishiko : 08:27
2006年08月21日
8月20日「熱闘甲子園ならぬ熱中甲子園」
中学3年から高校2年くらいまでだったと思うが、僕は「報知高校野球」という雑誌を毎月買う程、高校野球が好きだった。
当時、徳島の池田高校に元巨人の投手だった水野選手がいたり、大阪のPL学園に清原選手(現オリックス)や桑田選手(現巨人)がいた頃だったと思う。
工藤投手(現巨人)が愛工大明電時代も見ているから、もう少し前も見ているかもしれないが…。
ともかく今回、第88回全国高校野球は、当時を思い出す程、気になって見ていた気がする。
恐らく「熱闘甲子園」が続いていたからだと思う。
見る方は、「熱中甲子園」である。
あまりの熱中度に携帯電話に出なかったこともある(かけてきた方、スミマセン!)。
ふと、どうして僕は中学、高校と野球をやらなかったのだろうと思う。
中学、高校の頃も「熱中甲子園」というぐらい、のめりこんでいたはずなのに。
小学生のときは少年野球をやっていたはずである。
なのに中学時代はバスケットボール部だし、高校時代はサッカー部だった。
あっ!そうだ!
バスケットボールは臼井君に誘われ、サッカーは高橋君に誘われて何気なく始めたんだった。
あの頃も、今と同じ「流れ」の中で、僕は生きていたのだろう。
きっと駒大岩見沢の田中投手も、早稲田実業の斉藤投手も「流れ」の中で生きている僕を見たら、イライラするんだろうなぁ。
僕とは全く違う「生き方」を、僕のちょうど半分の18歳の彼らが感じさせてくれる甲子園って凄いなぁ。
「熱中甲子園」といいながらも、寝転がってビールを飲みつつ観戦するイシコであった。
投稿者 ishiko : 07:32
2006年08月20日
8月19日「キャディーつきゴルフのプレッシャー」
飛騨は荘川にある会員制のゴルフコース。
今日のメンバーは亮叔父さん、従兄弟のあっちゃん、叔父の会社の渡部部長である。
16年前、大学の卒業寸前までイシコの進路が決まらず、母の葵ちゃんは弟の亮おじさんに頼んで、彼の会社に入るという選択肢もあったのを思い出した。
その時、会社の話を聞きながら、亮叔父さんと一緒に酒を飲んだのが渡辺部長だった。
今では叔父の会社は更に大きくなり、金山駅前の全日空ホテルの横にビルまで持ち、従業員の数もかなりにのぼるのだろう。
その叔父の出資のおかげでホワイトマンは会社になったと言っても過言ではない。
その話はともかく、16年ぶりに会い、金髪に変わり果てたイシコに戸惑う渡部部長。
もちろん会員制のゴルフコースに金髪の姿も見当たらない。
みんなに迷惑をかけないようにベレー帽をかぶる。
1ホール。
僕らのティーショットは、かなりの数の人が見守っている気がする。
どうやら次のグループは政治絡みのようである。
よくテレビで見かける代議士の顔も見える。
それだけの名門コースなのかもしれない。
もちろんキャディさんもついている。
しかし、イシコはキャディがついてコースをまわるのは初めてである。
ゴルフが下手な上に気の小さい僕としては、かなりのプレッシャーである。
打ったボールに聞いてくれと言わんばかりのイシコの弾道を目で追うキャディさん。
後ろに代議士のグループがいては、キャディさんとしても僕より更にプレッシャーがかかっているのかもしれない。
あっちゃんは79でホールアウトするセミプロだし、亮おじさんも渡部部長も100を切るプレイヤーなので、手がかからない。
間違いなく問題児のイシコ。
途中からは、イシコ専属のキャディさんのようになってしまった。
本日、「ありがとうございます!」と「ホント申し訳ないです!」の言葉を何度、使ったのだろう。
投稿者 ishiko : 18:50
8月18日「どうして僕はいつもこんなにドジなんだろう?」
各務原市の親戚の家に車を停めたまま岐阜市内に向かう。
叔父の亮おじさんと従兄弟のあっちゃんと飲む約束をしているのである。
北陸自動車道を走る高速バスで岐阜行きが走っていて20分足らずで着くと聞いたので、そのバスに乗ることにする。
階段で高速道路にあがるというのは新鮮である。
バス停に到着して、しばらく夕方の各務原の山をボーッと見ていると携帯に電話が入った。
スケジュールにまつわる話のようだ。
ホワイトマンモデルのBOBLBEEのサムバックから手帳を取り出す。
ちょうどそのときである。
高速バスが入ってきた。
「バスに乗ってしまうので、後でかけ直します!」
電話を切って、バスに飛び乗った。
大好きな高速バス。
景色を堪能しようと開いている窓際の席に座る。
すぐにトンネルに入る。
そういえば、ここは僕が高校3年生のとき、当時、小学生だったあっちゃんを連れて、大冒険だと連れ歩き、道路公団の車に追いかけられた思い出のトンネルである。
良い子の皆様は絶対にマネしないでください。
それにしても、あの頃、あんなに長いと感じたトンネルは当たり前だが、車ではかなり短いトンネルに感じる。
懐かしいなぁと思っているうちに岐阜方面を降りるインターの出口が見えた。
ここで降りるのかと思いきや通りこして行った。
他に岐阜駅に近いインターがあるのかもしれない。
しばらくボーッと外を眺めていた。
ちょっと待て。
この景色の流れ方はどう見ても一宮の方に向かっている。
ふと叔父の
「名古屋行きもあるから注意してね。行き先は書いてあるから問題ないと思うけど」
という言葉が頭をよぎる。
そういえば行き先を確認した記憶がない。
時計は既に15分をまわっている。
20分で着くと言われた岐阜行きだったら、既に高速は降りているだろう。
間違いない。
「名古屋」に向かっている。
どうして僕はいつもこんなにドジなのだろうか。
間違いなく遅刻である。
しかし、バスの中で電話をするのも気がひける。
従兄弟のあっちゃんに携帯電話からメールする。
しかし、僕は、ほとんど携帯電話からメールすることがないので、彼のメールアドレスがわからない。
仕方なく、直接、電話番号でつなげられるショートメールなるものでメールを打ち込む。
しかし、携帯メールになれていないため、どこかぎこちない文章である。
「スマヌ!名古屋行き!」
これでは電報ではないか。
しかも何のことかさっぱりわからない。
携帯メールもまともにうてない38歳。
20字程度の一通の携帯メールに、かなりの時間をかけて打ち込む。
車は小牧インターを降りて、名古屋高速に乗っていた。
そういえばあっちゃんは横浜から来ると言っていた。
ということはあっちゃんが遅れたら…。
仕方がない。
叔父の携帯にも電話を入れる。
「着いたかね?」
「スミマセン!名古屋行きに乗ってしまいました」
「は?あれだけ言ったのに?」
「スミマセン!」
電話を切った頃、外はすっかり日が暮れていた。
1時間後、バスは名古屋駅に到着した。
今さらだが、降りて確認すると、しっかり「名古屋」の文字が書かれていた。
もう一度、自分に言った。
どうして僕はいつもこんなにドジなんだろう?
ち〜ムーンがいたら、一言で即答するだろう。
「注意力散漫!」
投稿者 ishiko : 12:33
2006年08月18日
8月17日「イシコは映画関係者?」
僕は泡盛を母の葵ちゃんはよもぎ茶を飲みながら、高校野球準々決勝「智弁和歌山×帝京」戦を見ていた。
「この間、あんたが家に着いた時、ちょうど親戚が来てたじゃない?」
「僕の金髪見て、会話が急にぎこちなくなってたね〜」
「あんたが来る前に、またあんたの職業の話になってたよ」
「で?」
「映画関係の職業だってみんな言ってたよ?」
「言ってたよって?違うじゃん。ちゃんと否定した?」
「しないよ。あっ、帝京追いつきそうね」
帝京がツーアウトから連打で一気に逆転した。
「しないって?またみんな勘違いするじゃん。すげぇ!だめ押しスリーラン」
帝京が追加点を加えて試合は決まったかに思えた。
僕はグラスの氷を取りに冷蔵庫に行った。
母は期限切れのチーズケーキを食べ始めた。
「ホント食料の期限切らすの得意だよね?」
「捨てるのもったいないからね。あんたも食べなよ。みんなに割当あるからね」
「みんなで食べれば怖くないってか?そうじゃなくて、さっきの話。映画関係の職業じゃないってキチンと修正しないと後が大変だよ」
「でも、修正したら何って答える?未だにカアちゃんはあんたの職業わからないもん」
「確かに。僕も説明できんからなぁ。ただ映画関係じゃないことは確かだね。それにしても、このピッチャー危ないねぇ」
「公式戦一回も投げてないって言ってるよ。でも、あんた映画祭行ってるじゃない?あれ?またファーボールだ。来月も映画祭に行くんじゃなかったっけ?」
「トロント映画祭には行くけど…。おっ!ホームラン?1点差じゃん」
既に帝京はピッチャーを使い果たし、公式戦初めてマウンドにあがるピッチャーが続き、智弁和歌山はなおも攻撃の手を緩めなかった。
「あ〜。同点だ」
「あ〜。押し出しだ」
あっという間に智弁和歌山が13対12でサヨナラ勝ち。
結局、イシコ一族の間では未だイシコは映画関係の職業に就いていることになっている。
投稿者 ishiko : 08:20
2006年08月17日
8月16日「汗」
最近、周囲でホットヨガをやっている人が多い。
通常よりガンガン汗をかくのが魅力の一つらしい。
確かにTシャツの色が変わる程、ガンガン汗をかくというのは、毒素をたくさん出した気になってくる。
僕も久々にガンガン汗をかく。
とはいえ汗をかくために動いたのではなく、結果として汗をかくだけなのだが…。
実家の庭仕事をする際、肌を少しでも露出すると蚊にさされてしまうので肌全体を覆うように洋服を着る。
気温37度の中、長袖、長ズボン、ワークブーツ、頭は手ぬぐいをバンダナ風に巻く。
自然にサウナ状態になる。
塀がわりに覆われた「槙(まき)」と呼ばれる木にからまる蔦を取り払う作業に没頭する。
30分程度で汗が吹き出してくる。
汗の量とともに徐々に動きの軽快さがなくなってくる。
1時間後、すでにシャツが汗でぴったり密着している。
少々、脱水症状気味。
近所の小学生が
「こんにちは〜」
と声をかけてくれる。
「こ、ん、に、ち、は…」
既に声はかすれ気味で精一杯の挨拶を返すのだが、その後に
「み、み、ず、を、く、れ」
と言いそうになる。
ホットヨガなら汗と供に毒素を出すのだろうが、僕の場合、汗と供に生気まで出してしまったようである。
ふっと我に返り、庭仕事を切り上げ、家に戻り、コップ2杯の冷えた麦茶を流し込む。
更に汗が沸き出す。
こうして生気が戻ってくる。
そして、この後のシャワーがたまらなく気持ちいいのである。
投稿者 ishiko : 08:40
2006年08月16日
8月15日「名古屋にまつわる嘘三昧」
名古屋ヒルトンホテルは伏見駅の近くである。
伏見駅とは名古屋駅と栄駅のちょうど間にある。
種類豊富で知られるビュッフェ朝食をいただきながら、No.30ち〜ムーンに名古屋について説明する。
「おっ?頼もしいね〜。さすが地元だね〜」
彼女に褒められ、調子にのったイシコは栄駅まで朝食後の散歩をしながら名古屋解説をはじめる。
しかし、今、交遊録を書きながら、改めて、もう一度、調べてみたら、ほとんど間違った情報ばかりであった。
ちょっと抜粋して、検証してみよう。
「御園座は東京で言うところの歌舞伎座的な場所なんだよね」
確かに歌舞伎はやるのだが、9月には小林幸子の特別講演もやる。
となるとコマ劇場とも言えるわけである。
「長者町繊維街で大道芸祭りがあってね、ここで大駱駝艦の金粉ショーを見たことあるんだよね」
大嘘で長者町繊維街では大道芸祭りはやっていません。
僕が見たのは、大須観音であった。
「喫茶店の数が他より多いと思わない?日本で一番喫茶店が多い県なんだよ」
今、調べたら東京が一番多く、愛知県は第二位とのことであった。
モーニングが充実している喫茶店は全国一位であることには間違いないのだが。
「不美人が日本一多い県らしいよ」
愛知県の皆様、ごめんなさい!何の根拠もありません。
中学時代に修学旅行のバスに乗っていた、ガイドのお姉さんがそう言っていたのがメチャクチャ印象に残っていて。
今、ネットで調べたら、日本三大不美人市の中には一応、名古屋も入っていました。
ただ、一位とは書いてありません。
ごめんなさい。
仙台と水戸と争っているそうである。
どちらにしても愛知県が一位ということではないようである。
というわけで全ていい加減な情報であった。
ち〜ムーンが他の方に言わなければいいのだが…。
デマというのはこうやって広がっていくのかもしれない。
投稿者 ishiko : 08:21
2006年08月15日
8月14日「鼻琴、頭琴、口琴」
浜松城、新居関所など気がついたら徳川家康にまつわるドライブになっていた。
家康も癖というものを持っていたのだろうか。
いずれ、昔の偉人達の癖を調べてみたい。
「その前に、イシ君の癖をどうにかしようよ」
ち〜ムーンが言った。
彼女曰く、僕は醜悪な癖が多いらしい。
鼻をほじりたいのだが、人前でほじれない時、こぶしで鼻の皮をもの凄い勢いで揺らすらしい。
そのせいで僕の鼻の皮は人より厚くなっている。
帽子をかぶり頭が蒸れ、かゆくなると、帽子をおもむろに取り、もの凄い勢いで頭皮を掻くらしい。
そのせいで頭皮から血が出ることもある。
口の中が気持ち悪いと、鼻の下を伸ばして、もの凄い勢いで口筋を動かすらしい。
そのせいで身体は動いていなくても、落ち着きがないと言われることがある。
歳をとるにつれて、その癖の動作も大きくなっているらしい。
そこで彼女は、僕が醜悪な癖をするとき、効果音をつけ始めた。
鼻を揺する時は
「びよ〜ん。びよ〜ん」
頭を掻く時は
「ばさっ!ばさっ!」
口を動かす時は
「むにゃ、むにゃ、むにゃ」
こうなってくると人間ではなくなってくる。
「一応、人間って意識はあるんだね?でも、どう見ても猿だよ」
彼女はサングラスごしに僕の顔をじっと見た。
確かに干支は猿だし、昔から「猿っぽい」と言われ続け、猿に親しみも持っていたが、自分が猿になりたいと思ったことはない。
精一杯、抵抗を続けた。
「猿が嫌だったら、世界に一つしか持っていない楽器を操る男という考え方にするかい?」
彼女は、「生茶」のペットボトルをぐびぐび飲みながら言った。
浜松を後にして、豊川稲荷を経て、名古屋まで行くドライブの中で、僕らの間で楽器名を話し合った。
「鼻琴(びきん)、頭琴(ずきん)、口琴(こうきん)でどう?」
彼女は提案した。
悪くない。
何だかモンゴルでゲル移動しながら、演奏しているようである。
「何かかっこいいね」
僕は、さっそく楽器を披露した。
もちろん無意識に。
「それで癖が許されるわけじゃないからね!」
彼女は、釘を指した。
投稿者 ishiko : 07:39
2006年08月14日
8月13日「タイムスリップ」
僕が静岡で生まれて初めて一人暮らしをしたのは、今から約19年前の1987年のことである。
大学のすぐ近くにある「リージェントスペース87」というこの年にできたばかりのアパートに住み始め、結局、僕は5年間、ここで過ごした。
単純なことである。
留年したのである。
「どうなっているか行ってみない?」
つきあい始めた頃、まだ、僕は大学生だったので、彼女も何度かアパートには遊びに来ていたのである。
ザ・遠距離恋愛。
口に出すのも恥ずかしいが、書くのも結構、恥ずかしい。
ともかくち〜ムーンの夏休みは「東海道思い出の旅!」と称して、静岡に車を走らせることにした。
東名高速に乗ると何ともいえない気持ちになってきた。
初恋の人に会いに行くような感じである。
僕の中で勝手に美化されているところもあるだろう。
しかし、よく考えれば既に築19年。
22歳の娘だったら、既に41歳。
たとえがよくわからないが、とにかく卒業してから15年もの歳月が流れているのである。
きっと建物はボロボロであろう。
それはそれでいいではないか。
運転中、思い出話に浸っていた。
というか浸る予定だった。
ちょうど東名高速は渋滞の時期だから、思い出に浸るにはいいよねと言いながら。
しかし、渋滞のピークはとっくに過ぎていて、静岡まで一度も渋滞なし。
片思いの初恋だった人に
「実は昔、あなたのことが好きだったの」
と肩透かしを食らった感じで、あっという間に静岡に到着した。
これまたたとえがよくわからないが、とにかく15年前の時間に身体をならすように、アパートに行く前に、思い出の場所を巡っていく。
バイト代が入るといつも食べていた「シシリア」の明太子スパゲッティを食べ、走り屋のまねごとをしていた日本平で事故を起こした数々の場所をち〜ムーンに解説し、ホイットニー・ヒューストンのコンサートのアルバイトをしていて彼女の舞台衣装の一部を衣装さんと一緒に洗いに行ったコインランドリーや卵が1パック3円で売っていたスーパーを確認し、駐車場のアルバイトをしていたのに一度も登ったことのなかった久能山東照宮に登った。
思い出というのは、芋づる式にどんどん出てくるものである。
その根っこであるリージェントスペース87。
いよいよ向かう。
驚愕である!
なんと、卒業したときとほとんど同じ出で立ちである。
これはかなり感動である。
まるでタイムスリップしたかのようである。
いや、それは言い過ぎか。
逆に気持ちが悪い。
何だか初恋の人が、40過ぎてもその当時の肌つやのままな感じの気持ち悪さである。
きっと皺伸ばしの努力をしているかのように建物は何度か塗り直したのだろう。
しかし、写真写りはよさそうである。
僕らは二人でキャッキャッ!言いながら、アパートの前で撮影する。
もちろん自分が住んでいた部屋の前も行った。
アパート近隣の皆様。
不審人物度120パーセントなカップルは我々でございました。
ご迷惑をおかけしてスミマセン!
投稿者 ishiko : 08:41
2006年08月13日
8月12日「スカウトと風俗嬢の会話」
雷雨の後の街は、空気がすっきりしている。
「気持ちいいなぁ」
心の中で叫びながらアイスコーヒーを飲み、No.30ち〜ムーンを待っていた。
これから竹内夫妻のご自宅のベランダ、通称「京子'S BAR」に伺うのである。
花火が中止になったのは残念だが、隅田川沿いのマンションのベランダにある「京子'S BAR」で川の風を感じたいので、僕らはお言葉に甘えて、予定通り、お邪魔することにしたのである。
川の風を想像しながらニタニタしていたら、隣のテーブルから声が聞こえてきた。
「早稲田実業のピッチャーはいいねぇ。俺も野球やってたからさぁ。それはともかくとして8月1日に法律変わったからさぁ。お前、つかまるよ」
「だってお金いるんだもん」
「だからといって、キャバクラ嬢と風俗嬢とAVを全部、こなすのは無理だって?」
僕の頭の中では、ウィーンと音がなるほど、回転させてみる。
これは恐らくスカウトと風俗嬢の会話なのだろう。
僕の耳は一気にダンボになった。
「じゃ、まずはキャバクラからにしようかなぁ」
「でも、1日6万円とかは無理だからね」
「じゃ、いくら?」
「せいぜい稼げても1日3万円だと思うよ」
ち〜ムーンを探す振りをして、何気なく横を見る。
スキンヘッドで、貧乏揺すりの男性。
女性はブランドだらけだが、一見、清楚な感じの女性。
「え〜、でも、3万円じゃ来月の旅行のお金が足りないもん」
「お前さぁ、目先の利益も大事だけど、安全も大事だよ」
「大丈夫じゃないの?」
「マジでやばいよ。俺なんて何度も捕まっているから。まぁ、10日間留置所入って、20万円払えば出てこられるけどさぁ」
ホントに普通のキャバクラなのだろうか。
ヤバい!どんどん会話に吸い込まれていく。
このままでは聞いていることがバレてしまう。
パソコンを取り出し、まるでメールでも打つかのように会話を聞く。
「まぁ、今じゃ、警察も知っているから、ある程度の情報は事前に仕入れることができるから
多少は切り抜けられると思うけどな」
「そんなことができるの?」
「まぁ、手入れっていうのは、他の店への見せしめってこともあるしな。逆に言ったら、見せしめの店をこちらでコントロールすることもできちゃうから」
かなり闇の方なのだろう。
そのときスキンヘッドの男の携帯の着信音が響き渡った。
「雲は湧き、光溢れて、天高く…」
甲子園の大会歌である。
この人、ホントに野球が好きなんだろうなぁ。
ちょっと怖いけど何か憎めないんだよなぁ。
どうやら、これから面接する店の店長からの電話だったようである。
そのとき、ち〜ムーンがやってきた。
こうして僕の盗み聞きは終わりを告げるのであった。
投稿者 ishiko : 08:03
2006年08月12日
8月11日「海外の生き物を日本に持ってくるということ」
職業によって旅にまつわる苦労が違うのは当たり前のことである。
それは僕のような職業を持たない人間にとってはメチャクチャ新鮮な話ばかりである。
スキーヤーが、ヘリコプターに乗って滑りに行く苦労や、雑貨店を経営する人が好きな雑貨を日本に持ち込むまでの苦労だったり、外国人タレントに交渉して招聘するまでの苦労だったりとその人にしかない旅の苦労は他人から見ると面白い話なのである。
今日、また、一つ面白い話を聞いた。
現在、唯一、イシコの本名である石原英一で連載している靴のインタビューで、サンシャイン水族館の安永氏を訪ねる。
先月、ちょうどサカナくんとのトークショーの解説で入っていただいたのが、きっかけで今回、別の形で、再会することになった。
今回は水族館で使っている長靴の話で、これがまた深くて面白いのだが雑誌「散歩の達人」10月号に書いているので、そちらを読んでいただくとして、交遊録では別のお話。
インタビューを終え、メインカットとなる長靴の撮影をペンギンの中で撮ろう(この写真は必見!)ということになり、ちょうどペンギンの餌の時間と重なっていたので、しばらくみんなで旅の話をしていた。
ちょうど僕が来月に延期になっているメキシコ、キューバ旅の話になった。
何年か前に安永氏は、キューバにしか生息しない生物を水族館用に買いに行ったそうだ。
僕らが普段、水族館や動物園で見ている生き物は日本に持ち込まれる前には、かなりの苦労があることを改めて知ることとなる。
いくら貴重な生き物であっても、飛行機の手荷物としては絶対に持ち込めないのだそうだ。
となると貨物室での輸送となる。
もちろん生き物で、特に魚関連になると水の中の酸素が不足してしまうので、一刻も早く日本に到着するルートを見つけなくてはいけない。
一番、早いのはヨーロッパ経由なのだが、経由だけでも他国の生き物関連の入国を許さない国もあれば、空を飛ぶことさえ許されていない国もあるのだそうだ。
その上、日本ではあり得ない空港関連のルーズさが加わったり、別の国に行ってしまったりと、聞いている僕らは面白くてしょうがないが、当の安永氏が海外出張が嫌いな理由もわかる気がする。
結局、キューバの国から持って帰る生き物はメキシコで一泊してから日本に戻ることになったそうだ。
ちなみにそのとき持ち帰った、世界で一番小さなカエルは、サンシャイン水族館にて日本で初めて繁殖に成功している。
ただ小さすぎて、どこにカエルがいるのかわからないというオチまでついていた。
投稿者 ishiko : 07:49
2006年08月11日
8月10日「普通、両方の鼻緒がいっぺんに切れないだろ?」
思わずつぶやいた。
ちょうど二年前に軽井沢のアウトレットで購入したお気に入りのサンダルの鼻緒が新宿駅西口ロータリーで二つとも、ほぼ同時に切れた。
鼻緒が切れることはよくないことを暗示すると言われるが、そんなことを考える余裕さえない。
とにかく今、どうすればいいかを考えるのみ。
後、10分以内で、ルミネ7階ベトナム料理屋でのランチミーティングにたどり着かないといけない。
いつもなら5分で行ける距離なのだが、鼻緒が切れるといつもの一歩が歩けない。
普段の歩行間隔がたいてい80cmくらいに対して、今は歩行間隔がせいぜい20cm。
歩くことってこんなに大変だったんだ。
二足歩行のロボット開発は難しいという話を思い出す。
額から一筋の汗を感じる。
このまま行くと単純計算で4分の1の速度。
もう一筋の汗を背中に流れるのを感じる。
ということはいつもなら5分で行ける場所は20分かかる。
携帯電話を取り出した。
「サンダルの鼻緒が2本とも切れちゃったんだよね〜」
「なんじゃそりゃ?」
「というわけでちょっと遅刻します〜」
詳しい説明をする前にすぐに電話を切った。
詳しい説明と言っても鼻緒が切れた以外に言いようがない。
逆の立場だったら、なんじゃそりゃって言いたくなるよなぁ。
一応、ランチミーティングは仕事なのだから、サラリーマンが会社の遅刻に
「鼻緒が切れたので朝のミーティングに遅れます」
と言うようなものである。
いつの時代じゃって感じだ。
とにかく靴を買ってから行くべきか、そのまま行くべきかを悩む。
靴を買って、サンダルを捨てていくと嘘だと疑われてしまう。
たったそれだけの理由で僕は、鼻緒が切れたサンダルで歩いて行くことにした。
大人はもちろん、3歳くらいの子供にもステッキを持ったおばあちゃんなど様々な歩行者に抜かれながら…。
ホームレスのおじさんの歩くスピードだけが僕と似ていた。
とにかく、ゆっくりゆっくり噛み締めるように20分かけてルミネ7階まで辿り着いた。
到着するとみんなが言った。
「今日のイシコさんの格好だったら、裸足で歩いてきてもよかったのに…」
おかげでベトナムビール「333」がメチャクチャうまい。
あ〜、今日も生きている。
そこで気づくのである。
で、ここからどうする?
投稿者 ishiko : 07:55
8月9日「レッスンプロのお話」
レッスンプロ。
文字通り、レッスンのプロフェッショナルである。
やはり、その道を極めたプロの話は面白いのである。
楽園ゴルフロケ3日目。
プロゴルファーであり、那須のグリーンコース倶楽部の支配人でもあり、レッスンプロでもある青山氏のレッスン風景の撮影とインタビュー。
今回の楽園ゴルフの女性モデルであるネイルアーティストの高橋氏とレタッチャーの鵜沼氏が青山氏にレッスンを受けている。
ゴルフというちょっと敷居の高いと思われがちのスポーツが、青山氏のレッスンを受けている(受けるのは女性モデルなのだが、話を聞いているとこちらまで受けているような気分になってくるのだ)と、安易な言い方だが、単純にゴルフがやりたくなってくるから不思議である。
実際、鵜沼氏は今日を期にゴルフを始める決意をしたらしい。
そんな気持ちにさせるのがレッスンプロというものなのだろう。
草刈りが実はゴルフスイングの基本なのだということ。
両手で水をこぼさないようにすくいあげ、その水をこぼさないように遠くに水を飛ばす感覚が実は、腰の使い方だったりとユニークな教え方が満載である。
そして彼独特の緩急をつけた話術が、更にレッスンを楽しくさせてくれる。
インタビュー中、このゴルフ場は、アマチュアがバーディーを取れるドキドキ感が味わえるようなコース作りを目指しているというお話をうかがった。
ただ、いくらハードがよくても、接客などのソフトがよくなくてはお客さんは楽しくないのだということも加えた。
ホワイトマンも最高のスタッフ陣に恵まれ、ハードはいいのだから、青山プロのようにソフトをよくしないとなぁと話を聞きながら、身につまされるイシコであった。
投稿者 ishiko : 06:26
2006年08月10日
8月8日「修学旅行的な夜」
この雰囲気何かに似ている。
那須高原ロケ2日目。
台風が近づいていると言われながら、幸運にも雨で撮影が中止になることもなく順調に終えたようである。
こうして昨日は、すぐに眠ってしまったのだが、本日は男性部屋で飲み会が始まる。
飲み会と書くと民宿のような雰囲気なのだが、大阪の某建築家が創った素敵なデザイナーズホテルである。
デザイナーズホテルと書くと赤ワインのような雰囲気だが、「一刻者」という芋焼酎で乾杯である。
広告代理店の大瀧氏、制作チームの竹内氏、高塚氏なる女性チームと、カメラマンの岡崎氏、アシスタントの能丸氏、イシコと男性チームが円形になり絨毯の上にどっかり座って語り合う。
この雰囲気何かに似ている。
大学時代に出掛けたサークル的な合宿である。
いや、ちょっと違う。
もっと、新鮮な夜更かし感が漂い、ワクワク感のある飲み会なのである。
早寝早起きのイシコは、たいてい夜更かしの飲み会には、ほとんど出席しないから余計にワクワクしていたのかもしれない。
そして、どこか小声で話しているのが、ワクワク感を更に高めているのかもしれない。
小声なのは、ただ単にディレクターのNo.15ヒーマンがベッドで眠っているからということだけなのだが。
そうだ!
これは修学旅行の夜に似ているのだ。
このワクワク感は、明日も早いのに、何故か語り合ってしまう高揚感なのだ。
眠っちゃうのがもったいない!
そんな感覚なのだ。
僕には、ほとんどない感覚。
しかも明日は4時30分起きなのに。
現在の時刻は2時。
眠るのがもったいなんて言葉をはく僕って、まだまだ若いなぁと背伸びをする。
ボキボキ!ボキボキッ!と音がして、やはり、僕っておじさんなんだなぁと自覚するのであった。
投稿者 ishiko : 14:47
2006年08月08日
8月7日「ヤバい!ウマい!大田原牛!」
世の中に美味しい物は、まだまだあるものである。
それは先日、書いた知らない国どころの話ではないだろう。
今、楽園ゴルフの取材で那須高原に来ている。
那須には、このところメディアで大騒ぎの大田原市の大田原牛がある。
100グラム10万円のステーキもあると聞く。
日本最高級とも言われている。
年間で30頭だけが大田原牛と呼ばれるのだそうだ。
口の中に入れるだけでとろけてしまうと言う。
聞いてるだけじゃわからない。
見ただけじゃわからない。
食べてみなければわからない。
もちろん取材である。
と言い聞かせるが、いざ、目の前に大田原牛のステーキが置かれた瞬間、お客になっている自分がいる。
ミディアムもミディアム。
一口目。
ヤバい!感動!
二口目。
ヤバい!とろけそうである。
三口目。
ヤバい!わさびをつけてもウマい!
四口目。
ヤバい!塩をつけてもウマい!
五口目。
ヤバい!ご飯にもメチャクチャあう!
ここでもう一度、自分に言い聞かせる。
これは取材なのだと。
投稿者 ishiko : 19:59
2006年08月07日
8月6日「恐るべしNo.9ブランドン」
「ホワイトマンって全員で集まることがあるんですか?」
とよく聞かれる。
残念ながら、今まで一度もないと答える。
理由は明白で、みんなそれぞれの場所でそれぞれの分野で活躍していてスケジュールを合わせることが難しいからである。
特に女性ホワイトマンに関して言えば、現在、東京在住のホワイトマンは1名のみ。
それ以外は、ニューヨーク、ロサンゼルス、ローマ、ケニア、大阪とそれぞれの場所でそれぞれの分野で活躍しているのである。
かと言って、イシコはさほど集める気もない。
みんなそれぞれのタイミングでそれぞれのホワイトマンが集まればいいのかなぁと僕自身は思っている。
そんな中、1週間程前にロサンゼルスでデザイナー&バイヤーとして活躍しているNo.9ブランドンが来日した。
僕は彼女と会うのは、約3年振り。
ロサンゼルスでは「パーティーマシーン」というあだ名で呼ばれているほど、夜のパーティーでは輝いているらしい。
パーティー好きの外国人から言われるとは、かなりのことであろう。
そんな彼女に会うのが楽しみだった。
「イシ君、口開いてるよ」
No.30ち〜ムーンと沖縄在住のアクセサリーデザイナーが笑った。
ブランドンは昔から、パワフルだったが、更にそのパワーに磨きがかかっている。
唇の形をしたブレスレットに、ギターのイヤリング、全体、ピンク色でコーディネートされた衣装である。
顔にはラメがいっぱい入っている。
彼女はどこに向かっていくのだろう。
ブランドン「夜になるとバチッって決めたくなるのよね〜」
イシコ「だって、今日は、ほぼ身内だけの飲み会じゃない」
間髪入れずに彼女は言った。
「だって、何が起こるかわからないじゃない?」
年齢不詳独身のブランドンは相変わらずカッコ良かった。
投稿者 ishiko : 19:32
2006年08月06日
8月5日「男性がネイルをやってもいいのだろうか?」
僕はゲイでもなければ、女装趣味もない。
特にゲイに憧れているわけでもなければ、女装趣味に興味もない。
ただ、女性が気持ちいいなぁと言いながら普通にしていることで、男性がしないことにはメチャクチャ興味がある
No.17シャーマンのヘアサロンに行く。
高校生のとき、友達の伸ちゃんと初めて美容院に行ったとき、ワクワクしたのを覚えている。
床屋も決して嫌いではないし、アジアなどでは床屋に行くこともある。
ここ数年、アジアの床屋には行っていないが…。
そして美容院という名前からシャーマンのところのようなヘアサロンという場所に行くようになったのは3年程前のことである。
もちろん髪の毛を切ってもらうのだが、ここに来ると頭皮マッサージをしてもらったり、眉カットもしてもらう。
生まれて初めて眉カットをしてもらったときも何だかワクワクしたが、何だかちょっと怖い気もした。
僕のように田舎で育った人間には
「男が眉毛を整えるなんて何ごとじゃ!田舎っぺ大将のような眉毛が男の眉毛なんじゃ!」
的な固定概念はどこか捨てきれないで持っていたのだろう。
そんな固定概念は眉カット=毎日、自分で眉毛を書く
という錯覚まで思い始める。
あぁ、僕の眉毛は、ビジュアル系のような細くなってしまうんだろうなぁと。
もちろん、それは間違いで、それだと眉カットではなく眉毛を剃ることである。
眉カットは純粋に眉毛を整えてもらうだけで、今では当たり前のようにやってもらっている。
そして今日、もう一つ更なる冒険が加わった。
何とネイルである。
そう、女性の間では当たり前のようになっている爪のお手入れである。
海外のネイルサロンでは、男性が足の爪まで手入れしてもらっているのを見たことがある。
コーディネーターに聞いたら、自分でなかなか手入れできないのでお願いしてしまう男性は普通にいると言っていた。
新聞を読みながら、手入れをしてもらっているおじさんの姿が印象的だった。
「今度、うちの新しいメニューにネイルも加わるんですよ。
男性もできるんですよ。
そうだ。今日、ネイリストもいるし、イシコさん、やってみます?」
シャーマンに誘われ、いつものように
「うん!」
とうなずいてしまった。
ワクワク6割、不安4割の何とも言えない気持ちである。
じっと手を見る。
宮沢賢治の詩とは、また違った気持ちである。
爪などほとんど気にしたことがなく、いつも気がつくと爪が伸びていたイシコが何と爪のお手入れである。
すぐに僕の座っている椅子の左側にネイルセットが用意され、ネイリストの女性が座った。
沖縄出身だという彼女は、僕の爪を整え始めた。
眉カットを初めて受けた時の緊張感に似ている。
どこに目線を持っていけばいいのかわからないのである。
爪を作業する彼女を見ていればいいのだろうが、彼女を見つめる自分を想像すると何だかわからないが恥ずかしい。
右側からは同時に眉カットをしてもらい、頭では、ブリーチをしているために後光が差すような機械で温められている。
何なんだ?僕は。
どこに向かうんだ?僕は。
ごめん。宮沢賢治。
もう訳がわからなくなってきた。
緊張で汗もかいている。
目を閉じた。
あぁ、僕は今、いろいろな方に身体を整えてもらっている。
恥ずかしさから、徐々に心地よさに変わっていく。
僕の爪は甘皮が取られ、透明マニュキアで保護され、人差し指だけホワイトマンということで、白と透明の半々という遊び心が加わった爪になった。
これも病み付きになりそうである。
投稿者 ishiko : 07:31
2006年08月05日
8月4日映画「日本沈没」と映画「日本以外全部沈没」
小松左京氏が「日本沈没」を発表した後、小松氏と仲の良い筒井康隆氏が「日本以外全部沈没」という小説を発表したのは1970年代半ばの話である。
ご存知のように映画「日本沈没」のリメイク版は現在、公開中である。
そして、9月に入ると映画「日本以外全部沈没」が公開される。
京橋へその試写に出掛けた。
地下へ降りていくと、どこかで見たことのある映画宣伝の女性が不安そうに僕の顔を見た。
「どちらの映画をご覧に?」
あまりに不安そうに見るので、僕は後ずさりしてしまう。
「沈没ですか?」
「沈没」という呼び方があまりに面白いので吹き出してしまう。
「は、はい」
「1階なんです」
残念そうに彼女は言った。
上の階に戻ろうとした時、
「今度は、こちらの試写も来てくださいね」
彼女はそう言って、1階へ送り出してくれた。
きっと間違って地下に降りてきてしまう関係者が多いのだろう。
会場に行くと彼女が「沈没ですか?」と短縮する気持ちが少しだけわかった。
「日本以外全部沈没」の試写室は満員御礼。
座布団で通路まで座っている。
まるで小劇場のようである。
きっとこの中の何人かは間違って地下に降りて行ったのだろう。
「日本以外全部沈没ですか?」
と全員に聞くのは口が疲れそうである。
よって自然に
「沈没ですか?」
になるのである。
それにしても邦画でこれだけ試写室が満員になるのを僕は初めて体験した。
それだけ口コミで評判が伝わっているのだろう。
映画が始まった。
日本以外、全部、沈没し、様々な国の人達がどっと日本に押し寄せて来る。
地球上に土地は日本しかないのだから。
そこで起きる様々な歪みがメチャクチャ面白く描かれている。
本当は、内容についてもメチャクチャ触れたいのだが、これは観てから、お互い面白かったところを一緒に共有したいのでこれくらいに。
一つだけ。
途中、ちょうど今、書いている駄菓子の「うまい棒」も重要な役で登場するので、注目していただきたい。
この映画はカンヌ映画祭ブログでメチャクチャお世話になった叶井俊太郎氏の企画というのは知っていたが、製作総指揮でやはりメチャクチャお世話になったクロックワークス酒匂社長の名前があったのには驚かされた。
もちろん単館系での上映だろうが、これはかなりヒットするのではないだろうか。
あまりに面白かったので、そのまま渋谷で映画「日本沈没」を観る。
夕方の回にも関わらず、こちらも相変わらず人が入っている。
以前、観順の話を書いたが、これも「日本沈没」を観てから、「日本以外全部沈没」を観た方がいいのかもしれない。
ところどころで思い出してしまい、ニヤニヤしてしまう。
もちろん最後、涙腺の弱いイシコは号泣してしまったが…。
両方ともご覧になる方に一つだけ。
どちらも役は違うが松尾貴史氏が出演しているのも面白いですぞ。
投稿者 ishiko : 09:14
2006年08月04日
8月3日「世界には、まだまだ知らない国があるもんだ」
モルドヴァ共和国という国をご存知だろうか。
北海道より少し大きいくらいの小さな国である。
以前はモルドヴァ・ソヴィエト社会主義共和国で、90年代の頭に現在のモルドヴァ共和国になったと聞き、ウクライナのあたりかなぁと何となく自分の中で勝手に想像する。
そのモルドヴァ共和国には日本では、ほとんど知られていない世界最高峰のワインがあるのだそうだ。
そのワインが日本に輸入されることになり、No.4レインボーマンがアートを使ってブランディングすることになった。
とにかく一度、飲んでみたい。
赤坂に移ったばかりのレインボーマンの事務所にお招きいただき、飲ませていただく。
レインボーマンは5月にモルドヴァに行ってきて、ワイナリーで飲んだときのインスピレーションで描いた絵も飾られている。
ボーッと絵を見ているとワインがつがれた。
「ふむふむ」とわかったふりをしながら、グラスをまわす。
今回、商社に荒らされないように大切に飲もうとこのワインのための会社も作り、ワイナリーと独占契約をしてきた建築家の西田氏が、僕にいろいろなワインの説明をしてくださる。
スミマセン!僕、ワインに詳しくないんですの一言が言えない。
固まったまま香りを嗅ぐふりをして、聞いている。
「うんちくを聞くよりも、まずは飲んでください」
メチャクチャ美味しい。
しかし、なんと表現していいかわからない。
「美味しいですね」
これしか言えない。
飲みながら、今、飲んでいるワインが「クリコヴァ」という世界最高峰の高級ワインと聞き、更に美味しく感じてくる。
「更に美味しく感じてきました」
これしか言えない。
でも、ホントに美味しいのである。
1983年のクリコヴァは1979年のロマネコンティを超えるとも言われているそうだ。
その後、赤のスパークリングワインも飲ませていただいたが、これがまた美味しい。
きっと美味しいワインを飲んだ時の表現は違うのだろうが、ボキャブラリーのないイシコには最後まで「美味しい」としか言えない。
「美味しい」、「美味しい」と言いながら、干しぶどうをつまみに、赤ワインを堪能するのであった。
投稿者 ishiko : 07:28
2006年08月03日
8月2日「プロレス万歳!」
ホワイトマンとして、いつかプロレスのリングにあがることを夢みている。
もちろんレスラーとしてではなく、誰かのセコンドもしくはリングアナウンサーもしくは記念品の贈呈。
どれでもいいから一度はリングにあがってみたい。
それくらい僕はプロレスが好きである。
とはいえ、世の中のプロレスファン程、詳しくはないが、それでも、芝居を観る感覚で、ときどき無性に生でプロレスを観に行きたくなるときがある。
後楽園ホールへ、華道家の大久保氏と旧知の仲であるプロレスラー西村修氏の「無我」の旗揚げ興行を観に行く。
「無我」は、カール・ゴッチやドリー・ファンク・ジュニアなど往年の名レスラーのように技術の攻防が見せられるプロレスを目指している。
レスラーの中でも、確固たるプロレス哲学を持つと言われる西村氏と藤波選手が1990年代に所属していた新日本プロレスとは別に既に「無我」の興行はやっていたのだが、「古き良き時代に戻したい」と新日本プロレスを退団し、本格的に新団体として作りあげた。
「地球上に60億の人々が…」
レスラーとは思えない西村氏の挨拶から興行は始まった。
旅が好きでインドが大好きで、ヨガで自分の癌も克服してしまったと言われる彼の口から出る言葉は鉄人というよりは哲人といった感じである。
お酒も好きだということで、いつか旅話をしながら、ゆっくり飲みたいなぁと大久保氏におねだりするイシコであった。
途中、1月に急逝したブラックキャットの追悼興行もかねていることも伝えた。
元々はメキシコ出身のレスラーであったが、膝を壊し、その後はレフリーをしながらリングに上がり続けた。
そんな彼を慕い、蝶野選手、棚橋選手、永田選手、天山選手など新日本プロレスの面々も会場にスーツで現れ、リングに上がり、一緒に冥福を祈る姿は感動的だった。
引退の10カウントを聞きながら、昔、同じ後楽園ホールで、新日本プロレスを観に来たとき、汚いヤジを飛ばし続けていた若者をブラックキャットが引っ張りだし、説教している姿を思い出し、目が潤んでくるのであった。
投稿者 ishiko : 09:37
2006年08月02日
8月1日「まっくらな中に放りこまれたら?」
まっくらな空間の中に放りこまれたら、自分は、どう反応するか考えたことありますかぁ?
聴覚、触覚、嗅覚、味覚が、まだ残っているはずなのに、視覚がなくなるだけでここまで不安になるものなのだろうか。
ドイツ生まれのワークショップ形式の展覧会「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を体験する。
本当の真っ暗闇。
岐阜の実家に昔、蔵なるものがあり、悪いことをするとお仕置きとして閉じ込められたことがあるが、それもかなり真っ暗闇で怖かったが、こちらの真っ暗闇はそんなものではない。
「びびりぃすと」イシコは全く動けない。
視覚障害をもつアテンドスタッフに案内してもらう。
そのアテンドスタッフの声に導かれながら、森を感じたり、水を感じたり、牧場を感じたり、祭りを感じたり、飲み物を味わったりする。
文章ではわかりにくいだろうが、今日から1ヶ月以上続く展覧会なので、体験する方も、まだまだいらっしゃると思うので、これくらいにしておく。
次第に暗闇の感覚にも慣れてくる。
とは言え、他の参加者に比べると、イシコの「びびりぃすと」っぷりは、最後まで続いていたのだが。
ただ、見えない分、他の感覚を使って想像力が増していることは確かである。
しかも想像が、楽しいことや心地良い方に動くので、不安よりもワクワク感の方が大きい。
これが、
「は〜い。地獄見学で〜す。そこに針千本の山があり…。おっと気をつけてくださいよ。そこは崖になっていますから」
などという案内だったら、悪いことばかりを考えてしまい前には進めないだろう。
何かこれって人生にも似てるなぁと妙に判ったようなふりをするイシコである。
会場を後にして、原宿はクエストホールの「テラウチマサト」写真展のレセプションパーティーに行き、こちらは、視覚で様々なことを想像する。
普段は意識しないのに、本日は視覚という言葉を意識しながら写真展を鑑賞するのであった。
投稿者 ishiko : 08:34
2006年08月01日
7月31日「びびりぃすと」
僕は「びびりぃすと」である。
「びびりぃすと」というのは、気が小さい人の岐阜弁である。
嘘である。
もちろん、そんな言葉などない。
イシコの造語である。
ただ、造語でも創っていないといても立ってもいられないのだ。
親知らずの歯を抜くのである。
「びびりぃすと」は、痛みに弱い。
「びびりぃすと」は、ちょっとした物音でも怯える。
「びびりぃすと」は、人見知りである。
「びびりぃすと」は、街のティッシュ配りを断れない。
「びびりぃすと」は、子供の頃、田舎の家にある外のトイレに一人で行くことができなかった。
「びびりぃすと」は、すぐにお腹を壊す。
「びびりぃすと」は、人の噂を気にする。
「びびりぃすと」は、降りる駅の3つくらい前の駅から落ち着きがない。
「びびりぃすと」は、本番に弱い。
「びびりぃすと」であるための10か条を考えながら、歯医者に行く。
最後の一つが出てこない。
でも、そうやって考えていたおかげで歯を抜くことを忘れて歯医者の診療椅子まで何とか座ることができた。
「びびりぃすと」は…。
抜く前に最後の一つを考えようとするが、歯科衛生士の方が並べらていく器具を見ていると、どんどん身体が硬直していく。
山口先生も僕が「びびりぃすと」っぷりをよく知っている。
「大丈夫ですか?」
あまりに緊張している僕に声をかけ、目の前のモニターでは「涙そうそう」の音楽に沖縄の環境音楽が流れ始めた。
あっ、そうだ。
最後の「びびりぃすと」の一つが出た。
「びびりぃすと」は涙もろい。
「はい。口を開けてください!」
抜歯が始まった。
投稿者 ishiko : 06:49



