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 イシコ連載中





 

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2006年05月29日

5月19日「映画の買い付け」

交遊録のアップが遅れ気味で申し訳ないですが、6月頭には追いつきますので、少々、お待ちを〜。

僕らが、ドンキホーテやコンビニで買うのと同じように、世界中の映画の買い付けの方々が映画を買っている。
ドンキホーテやコンビニは、品物の種類自体がバラバラなので、比喩としては違うのかもしれない。
どちらかというと東京ドームで時々、行われている世界のラン展のような感じの方が近いのかもしれない。

カンヌ映画祭のメイン会場の一つの建物は、映画のブースで溢れている。
タイの映画が売られているかと思えば、こちらではメキシコの映画が売られている。
日本の映画のブースが現れたかと思えば、こちらではインド映画が売られている。

さっきの比喩よりも、近い感覚が見つかった。
世界のラン展よりも、お台場のビッグサイトなどの大きな会場で行われている世界のフード展に近い。
様々な食事をつまむように、様々な映像をつまむ感覚で、吟味していく感じなのだ。

とにかく世界中の映画のバイヤー達の活気が溢れている。
その活気の中に映画界とほとんど関係のない気楽なイシコが今日も、まぎれている。

投稿者 ishiko : 09:42 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月28日

5月18日「カンヌ初日」

カンヌでの映画のバイヤー体験生活が始まった。
スクリーニングという言葉も、映画を買い物として観ていく過程も全てが初めてのことである。
何もかもが、初めての体験でワクワクする。
そして、カンヌという場所から漂うどこか優雅な空気感。
ホワイトマンがよく使う「ゆるゆる」とも、どこかまた違った感じである。
とにかくこの優雅な時間を噛みしめる。
海沿いでいただく朝食のクロワッサンとカフェオレ、オレンジジュース。
これで13ユーロ(約1700円)という値段も優雅である。
もちろん、財布を落とした僕は、借りて食べているわけなのだが…。
さてさて、いよいよ映画祭本番である。
どんな毎日が待っているのだろうか。
ちなみにスクリーニングとは、作品ができあがってスクリーンで見られることを言うそうだ。

投稿者 ishiko : 17:25 | コメント (0) | トラックバック

5月17日「パソコンクラッシュ!」

パソコンがクラッシュした。
詳しい過程はカンヌブログを読んでいただくことにして、どうして、トラブルがこんなに多いのかの要因を考えてみる。
一番目は注意力散漫。
15年以上のパートナーであるNo.30ち〜ムーンに
「いしくん(イシコのことを彼女はこう呼ぶ)は、ホント無意識なんだよなぁ。もう少し一つ一つの行動に意識を持って動こうよ」
とよく怒られるのだ。

二番目は言霊的な力。
「ヨーロッパに来ると財布を落とすんだよなぁ」
「よくパソコンが壊れるんだよなぁ」
成田からの飛行機の中でキャスパーと話していたことである。

三番目は旅の最初の頃にトラブルを引き起こす運を持っている。
こんな運はいらないのだが、考えてみれば、僕が行くところには何か起こることが多い。
女性誌の編集長時代、ロンドン大特集50ページの企画を組んで旅に来たときは、初日に撮影機材が届かなかった。
イタリアで1ヶ月ぶらぶらしているとき、初日にジプシーや襲われている。
ロシアのビエンナーレに出かけているとき、2日目くらいにホテルで強盗に襲われ、カメラを奪われた。
もちろん、何のトラブルがない旅もあるのだが、何かトラブルが起こることも多いのである。
しかし、一度の旅で2回の大きなトラブルに見舞われることは、初めてのことである。
ただ、一つだけ期待が持てるのは、こういったトラブルの後には、必ず、いいことが起きるのだ。
まぁ、ここまで最悪の事態から考えると、その後のことは多少のことでもいいことと思えることも事実なのだが…。

投稿者 ishiko : 17:25 | コメント (0) | トラックバック

5月16日「プラド美術館」

午前中、キャスパーと別行動でプラド美術館へ地下鉄で行く。
そんなに時間があるわけでもないので、ゴヤの作品だけを集中して観ることにする。
しかし、最初のいくつかの部屋のゴヤのポートレートの絵ばかりを見ていたら、なんだか頭が妙に疲れてきた。
ポートレートの絵を観ていると何だか疲れてしまうのである。
今だったら、ここにニコラスケージとケビンスペイシーの肖像画も混じっていますよと係員に言われたら僕は信じてしまうに違いない。
ようやくポートレートの部屋を通り抜けると教科書だか、雑誌なのかはわからないが何度も見たことのある独立戦争の絵が登場する。
またしても暗い絵の連続にどっと疲れてしまう。
パワーがありすぎるからなのか、ゴヤのタッチが暗いからなのかは、評論家ではない僕にはわからないが、とにかく観ている僕も引き込まれてどよ〜んとしている。
ようやく犬の絵がやってきて落ち着くかなと思いきや、狩猟犬ではないか。
どこか癒してくれるというよりは、「気をつけろよ〜!」的な匂いを絵から感じる何とも変な気分になってしまった。
この変な気分は、この後、マドリッドの空港で財布を落としたことにあったのかもしれない。
つづきは

投稿者 ishiko : 17:17 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月17日

5月15日「マドリッドのスタジアム」

僕は決して、サッカーファンではない。
来月のワールドカップに選ばれた日本選手の名前を挙げてくださいと言われても、そのうち何名言えるかも危うい程だ。
しかし、そんな僕でも、スペインのサッカーチーム「リアルマドリッド」の名前くらいは聞いたことがある。
確かトヨタカップで来日したこともあるはずだ。

そのリアルマドリッドのホームスタジアムへスペインで年の3、4ヶ月程、暮らすジュエリーデザイナーの  氏に連れて行ってもらった。
今年は、ワールドカップもあるということで既にスペインリーグも終了しているのだが、入場料9ユーロを払うと、スタジアムを見学することができる。
たかがスタジアム見学と言われるかもしれないが、これはサッカーを知らない僕でも、かなり楽しい。
スタンドはもちろんのこと、ロッカールームからフィールドまで順路が用意されている。

持って来たピンホールカメラで芝生すれすれの写真を撮ったり、ロッカールームから地下の廊下を通り、あの暗い階段をあがって行くと光が差し込み、その光の中をあがってフィールドに出て行く選手の感覚が疑似体験として味わえるのである。
観客は居ないけど…。
大満足で終えた僕はスペインの強い太陽を浴びながら、ビールを炭酸水で割った「クララ」という飲み物を飲むのであった。

http://blog.cinemacafe.net/cannes2006/archives/200605/IMG_4361.jpg

投稿者 ishiko : 19:31 | コメント (2) | トラックバック

5月14日「移動時間20時間でマドリッド到着!」

ウィーン経由でマドリッドに入ろうとしているようだ。
どこか人ごとのようになっている。
乗り継ぎを含めて15時間以上の移動になると、自分がどこに居るのか麻痺してくるのである。
カンヌ映画祭に行こうとしているのに、今はキャスパーとマドリッドのホテルに居る。

約11時間のフライトで、ウィーンの空港で乗換え、3時間の待ち時間の間に、オーストリアのソーセージをつまみにオーストリアのハーフ&ハーフのビールを飲んだくれ、残り4時間のフライトでマドリッドに到着し、30分程度のタクシー移動でホテルに到着。
家を出たときから既に20時間以上を経過している。
移動の疲労感を麻痺させようと、冷蔵庫からオランダの黒ビールを取り出した。

ベッドの上で僕はパソコンを開き、チックコリアを流しながら、ボーッとする。
キャスパーは、ミネラルウォーターを飲みながら、インターネットと格闘し、明後日のマドリッドからニースに入るための飛行機チケット取得に苦労しているようだ。
これもどこか人ごとのようになっている。
いつしかそのまま僕はまどろみに堕ちていくのであった。
「いつもありがとう。キャスパー」
と音にならない声をつぶやきながら…。

投稿者 ishiko : 19:30 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月14日

5月13日「テレビとの関わり方」

僕は、あまりテレビを見ない。
決してテレビが嫌いなわけではない。
見始めると、一日でもずっと見ていられる。
だから自然に見ないようにしているのかもしれない。
とはいえ、ホワイトマンカーを運転しているときは、テレビを見ることが多い。
よって、車に乗る時間=テレビの時間ということになる。
たまたま乗ったときに流れているテレビ番組を見る。
ワイドショーのときもあれば、ドラマのときもある。
野球のときもあれば、バラエティのときもある。
ニュースのときもあれば、映画のときもある。
番組は選べない。
しかし、それはそれで楽しいのである。
今日は、何だろうと。
この感覚はサウナに置いてあるテレビに近い。
このテレビが見たいから、今、サウナに行こうという人はあまり居ないはずである。
それと同じ。

前置きが長くなったが、明日から出掛けるカンヌ映画祭用に注文していたタキシードを受け取りに原宿へ車で向かった。
乗り込んでテレビのボタンを押すと、NHK「週刊こどもニュース」がやっていた。
消費者金融と尊厳死の話を子供にもわかるように解説し、子供の率直な意見も言わせていた。
「いやぁ勉強になったなぁ」
そうつぶやいていると、みんなの歌が始まった。
「八十八夜」である。
もちろん曲は知っているが、歌詞をよく味わったことがなかった。
「あかねだすきに菅の笠」
という歌詞に、「?」のマークが頭に浮かぶ。
あかねだすきに菅の笠とは、現代人には出て来ない詩である。
「いやぁなかなか出て来ない歌詞だよなぁ」
そうつぶやいている間に車は原宿に到着するのであった。

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2006年05月13日

5月12日「走れイシコ(3)」

本日、「走れイシコ」の最終日である。
3日間のイシコの生活記録につきあっていただき申し訳ありません。
頼まれたことを忘れていないか交遊録を書きながら、思い出しているのでお許しくださいませ。
高円寺で「散歩の達人」で、連載中の「散歩の新兵器」(連載のブログ編である「散歩の新兵器な日々」もイシコはサボり気味だが更新中)の撮影から始まる。
山口編集長とカメラマンの鈴木氏といつものメンバーで、コーヒーを飲みながら、サクッと撮影を終える。
「6月に、イシコさんが大好きな駄菓子の「うまい棒」の工場へ遊びに行きましょう!」
6月の楽しみが、また一つ増えた。

映画製作会社「ロボット」に行く。
ホワイトマンNo.42で、唯一、ホワイトマンネームのない映画本部長の堀部氏と会う。公開中の「海猿」から、昨年の日本アカデミー賞を独占していた「ALWAYS」、お馴染みの「踊る大捜査線」シリーズなど徹底したエンターテイメント作品を世に送り出す映画本部長は、常に製作中の映画を3、4本かかえて、毎日が分刻みで、「走れイシコ」なんてものではないのである。(つづき
「イシコさん、6月のホワイトバールは行くからメールください!」
次回のホワイトバールは6月30日の予定である。

カフェグルーヴに移り、今回のカンヌブログの担当である曽山氏や清水氏、マッキントッシュに詳しい樋口氏と、ブログ用のムービーがアップできない理由を探ってもらう。
イシコが10日程、格闘していた作業が、みんなの手にかかるとたった5分で解決した。
「イシコさん、オダギリジョーもカンヌに行くらしいので、「シネマカフェ.ネット」と言ってもらったムービーをアップしてください!」
人見知りのイシコには、かなり難易度の高いミッションである。

サニーサイドアップに移り、松本氏とプロデューサーのNo.15ヒーマン、プロジェクトのプロデューサーである佐久間氏と打合せ。
早寝早起きのイシコにぴったりの朝をテーマにしたプロジェクトが始まる。
「イシコは世界の朝から、様々な朝にまつわるコンテンツを語れる朝マイスターになりなさい!」
早速、6月に清里で、イメージ写真を撮影することになった。

フリーファクトリーに移り、サンクチュアリ出版の鶴巻社長と飲む。
ベルギーの白ビールを飲みながら、経営会議の役割とホワイトマンのビジョンの整理のアドバイスをもらう。
「イシコさん、頭もすっきりしたところで、カンヌ映画祭では赤絨毯の上はホワイトマンに変身して歩いてください!」
一応、メイク道具もトランクに詰めることにした。

同じくフリーファクトリーの別のテーブルに二人で移り、出版プロデューサーNo.10バランスマン、ヘアデザイナーNo.17シャーマン、マーケティングのプロフェッショナルの小笠原氏、デザイナーの横田氏と合流して、珍しい白いサングリを飲みながら、恋愛観について語り合う。
「イシコとち〜ムーンが、どうして15年以上も関係が続いているのかが、よくわからん!」
イシコにもよくわからない。
こうして3日間の走れイシコは無事、終了した。

投稿者 ishiko : 12:09 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月12日

5月11日「走れイシコ(2)」

あなたが思い浮かべる四字熟語を言ってみてください。
思い浮かべましたか?
次に、もう一つ四字熟語を言ってみてください。
出ましたか?
サニーサイドアップの松本氏と昼食のチゲ鍋を食べながら教えてもらった心理テストである。
答えは最後にしよう。

本日も、走れイシコの2日目の記録である。
経営会議から始まった。
未だにコンセプト会議と経営会議の違いが自覚できていないイシコは、みんなをイライラさせてしまう。
サンクチュアリ出版の鶴巻社長が言った。
「この会議には、アーティスト気質のイシコさんは置いてきてください!」

渋谷に移動し、「ミッドナイトムービー」の試写を観る。
1970年代、アメリカのポップカルチャーに影響を与えた伝説のカルトムービーが何故、生まれたのかが描かれている。
後から知ったのだが、今回、カンヌでつるむであろうクロックワークス、トルネードフィルム、カフェグルーヴの共同配給であった。
この映画は言った。
「傑作は夜、生まれる!」

田町に移動し、旧知の広告代理店の渡部氏とティーブレンダーの熊崎氏から、様々な紅茶の話を聞きながら、連載のコラム用にメモを取る。
産地だったり、ブレンドの仕方だったりとワインの話を聞いているような感じである。
漫画「紅茶王子」のモデルにもなった熊崎氏の入れる紅茶を飲んでいると幸せな気分になり、時間を忘れてしまう。
僕にカンヌ映画祭で飲むようの紅茶を渡しながら二人は言った。
「紅茶を注ぐお湯は、80度以上で入れてくださいね!」

恵比寿に移動し、ミュージシャンの大島氏とデザイナーのKANA氏と飲む。
3ヶ月程、進めてきた任意団体One step to 9のHP制作の仮アップの打ち上げもかねている。
北京ダッグが運ばれて来た。
大島氏はお茶を、KANA氏はビールを、僕は紹興酒を持ち、お互いコップをぶつけいながら言った。
「かんぱ〜い!」

酔っぱらう前に最初に書いた心理テストの話に戻ろう。
一番目に答えた四字熟語は、その人の人生を表すらしい。
二番目に答えた四字熟語は、その人の恋愛を表すらしい。
ちなみに僕は、一番目が「初志貫徹」、二番目が「優柔不断」であった。

投稿者 ishiko : 16:15 | コメント (1) | トラックバック

2006年05月11日

5月10日「走れイシコ(1)」

「走れメロス」ならぬ「走れイシコ」である。
本日から3日間、イシコにしては珍しくスケジュール帳が予定の文字で埋まっている。

カンヌ映画祭に日曜日出発するということでお尻に火がついたのである。
もっと早くやれと言われそうだ、要は計画性がないのである。
しかも普段、こんなにスケジュール帳が埋まることがないので、一本一本のスケジュールの入れ方がわからず、どこかに無理がある。
自然に「走れイシコ」状態になっているのだ。

ということで、この3日間は、この交遊録はイシコの生活記録が中心になるのでお許しくださいませ。
他のブログでも書いていて、リンクも張ってあるので、クリックをしながら、「走れイシコ」を共有していただければと思う。

まずは、都内某所でバイク用品のライコランドの打合せ。
都内某所と書くには理由があり、それは5月24日になるとHP上で発表できるのでしばしお待ちを。
活気づいている空気感を肌でヒシヒシと感じて、こちらまで盛り上がってくるから不思議である。

渋谷に戻り、母の葵ちゃんに頼まれた用件を済まし、原宿のペーターズギャラリーで開催中のイラストレーターASAKO氏の個展に向かう。
彼女は、4、5年程前、ボクが編集長をしていた「スタイルビート」というWEBで表現するポータルサイトの表紙を書いてくれたことがある(つづき)。

原宿を歩きながら、料理研究家のケンタロウ氏のマネージメントをしている嶋崎氏とばったり会い、再会の喜びの前にいきなりタキシードを売っている場所を聞くイシコである(つづき)。

採寸も終え、タキシードを注文した後、焦がし葱ラーメンと生ビールを流し込み、昨年のカンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督)賞を受賞した映画「君とボクの虹色の世界」の上映館に走る(つづき

家に戻って、風呂に入ると、DVDで一昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「華氏911」を観始めるが、そのまま眠りに落ちる。

投稿者 ishiko : 10:14 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月10日

5月9日「無性にデニーズに行きたくなる時」

時々、No.30ち〜ムーンは無性にデニーズに行きたくなる。
それは僕が、時々、無性にマクドナルドに行きたくなるのと一緒のようである。

時計は既に20時をまわっていた。
思えば、今日は早朝から一日中、パソコンの前で過ごしていた。
映像の編集に唸り、雑文書きに悶え、メールに笑い、昼寝でうなされ、コンテンツ企画で掻きむしり、見積計算に苦しみ、DVD「パルプフィクション」に雄叫びを上げていたら一日が終わっていた。

約24時間ぶりにパジャマを着替え、渋谷のスタジオにち〜ムーンを迎えに行き、そのまま六本木にある何故か黒服が案内するうどん屋で、我々は、ゴマだれうどんと明太子うどんを食べる。
食べ終わって車に乗り込むと彼女は言った。
「デニーズでデザートを食べない?」
無性に行きたくなる日だったようである。
そこで、いつも行く笹塚のデニーズに車を停める。

ち〜ムーンは新しいメニューを見つけると何も考えずに飛びつくことがある。
それは僕が、マクドナルドで、てりやきバーガーが食べたかったのに、海老バーガーのポスターを見て飛びつくのと一緒のようである。
「わぉ〜! ice de マンゴーを一つ!」
彼女は、狂喜乱舞に近い感じでオーダーしていた。
僕はケーキセットを頼み、いつものようにとりとめのない会話を繰り広げた。

間もなく、運ばれてきたデザートを見て、彼女は叫んだ。
「あれ?何でこれ頼んだんだろう?」
彼女の目の前には、彼女が夏でも食べないかき氷の上に、彼女が南国に行っても食べないマンゴーが乗っかっていた。
人間の本能とは時に、間違った方向に動かすのである。
いつもより冷え込む夜のかき氷は、どこかおどろおどろしささえ漂っていた。

投稿者 ishiko : 10:18 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月09日

5月8日「キャメロンディアス 62万円?」

キャメロンディアスを呼ぶのが62万円なのか?
それでは安過ぎるだろう。
それとも握手をしてもらう権利が62万円なのか?
それでは高過ぎるだろう。
とまぁ、想像してから、本日のブログを始めることとしよう。

カンヌ映画祭に行くことが決まってから、自然と映画にまつわる時間の割合が増えている気がする。
本日も、映画雑誌の古本を漁ったり、沖縄で企画されている映画祭の話を聞いたり、来月公開の話題作「初恋」の試写を観たり、カンヌ映画祭の受賞作のDVDを5本レンタルしたりと映画漬けだった。
で、いつになったらキャメロンディアスは出てくるんだ!
もう少し待ってください。

渋谷東急百貨店本店で行われている60年代カルチャーを展示したイベント「青春の街角」に寄る。
イベントでの詳しい話はカンヌブログに書いたが、その映画コーナーにブラッドピッドやニコールキッドマンが映画で着ていた衣装が販売されているのである。
ニコールキッドマンの服には売約済みのマークが…。
確か40万円だった気がする。
そして、お待たせしました。
キャメロン・ディアスが「チャーリーズ・エンジェル」で着用していた服も販売されていたのである。
62万円で(数字が不安になってきたが…)。
これを高いと思うか安いと思うか。

投稿者 ishiko : 08:18 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月08日

5月7日「豚のおちん○ん」

葉山在住の桑原夫妻のご自宅でNo.30ち〜ムーンと一緒にジンギスカンをご馳走になる。
セリュックスの桑原氏は何度も交遊録に登場しているように、この上ない程、面白い方なのだが、旦那様でフランス語の翻訳家の通称「ムッシュ」は、これまた負けず劣らず面白い方なのである。
文学は専門なのでもちろん詳しいのだが、プロレス、相撲、サッカー、音楽は詳しいを通り越している。
元禄時代に生まれた初代横綱からの歴代の横綱が、ほぼ全て頭にインプットされている。
プロレスへの熱の入れようも半端ではない。
昔、デストロイヤーという白いマスクのプロレスラーが居た。
和田アキ子と番組を持っていたので、覚えている方も多いであろう。
そのデストロイヤーは、いったい誰なのか?
仮面の下が気になり、ムッシュはアメリカのプロレスラー年鑑を手に入れ、写真のサイズに合わせてデストロイヤーの仮面を作り、一人づつ写真に合わせていき、突き止めたという逸話も残っている。
と「ムッシュ」に関して書いていると限りがなくなってくるので、そのことは、また次回、ゆっくり書くとして、今日は、一緒にジンギスカンをつまんでいた方の御話を。

その方は、今回、ジンギスカンの鍋を北海道から持ってきていただいた肉に関するプロフェッショナルで、家畜の人工授精の資格を持っている。
牛に関して言うと、雌の直腸から手を入れて、腸壁ごしに子宮を触り、後、何時間くらいで卵子が出るのかも感覚でわかるのだそうだ。
そんな彼から、様々な動物のおちん○んの構造話を聞いた。
なかでも豚のおちん○んには驚かされた。
コークスクリューのようになっているらしい。
言い方を変えれば、ワインオープナーの先のような感じである。
しかも1回の射精で250ミリリットルの精子を放出する。
これだけの量なので、精子が逆流しないようにタピオカのような球(言い方を変えればラムネの球)が途中に入っている。
もっと驚くべきは、受け入れ側の雌の膣も同じコークスクリューの形をしているのだそうだ。

ジンギスカンの周りで、大絶叫する僕らである。
そして、散々、いろいろな動物の話をした後で、
「でも、僕の言う話は、たまに嘘が入っているかもしれませんけどね…」
と豪快に笑いながら、オーストラリア産のビールをぐびぐび飲んでいた。

帰りの車の中でち〜ムーンと
「豚のおちん○んの話は本当なのだろうか?」
二人で様々な推測を繰り広げるのであった。
あまりに強烈すぎて、その方のお名前を忘れてしまったイシコである。
そのうち、またお目にかかれることを期待して。

投稿者 ishiko : 09:12 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月07日

5月6日「来てしまった。この質問!」

昨日は、20年ぶりの従兄弟だったが、本日は、15年近くゆるゆるとつきあいのある知人と会う。
つきあいがあると言っても、2、3年に一度、会うか会わないかの頻度でお目にかかる千田氏である。
職業を持っていない僕に言われたくないだろうが、千田氏はいったい何が本職なのだろうと思う時がある。

僕が初めて千田氏を紹介されたとき、練馬の劇場で支配人のようなことをされていて、劇団やイベントなどをプロデュースしていたような気がする。
数年経ってから、お目にかかったときは、ロシア映画の配給をされていたような気がする。
そして、現在、秋葉原にある東京アニメセンターの広報などと更に活躍の場を広げているようである。

「今年に入って、ほとんど休みがなかったなぁ」
と言いながら、ビールを上手そうに飲む千田氏である。
「マジですか?」
と答えつつも、最近のイシコの自堕落ぶりを聞かれたら、どうしようと思いながら、ドキドキしながらビールを飲むイシコである。
「ところで、今、何やってんの?」
来てしまった。この質問。
「ホワイトマンです…」
その後、会っていなかった2年間に、まるで僕は働いたかのように説明した。
「え?ホワイトマンって会社なの?」
来てしまった。この質問パート2。
「あのぉ、会社って言っても有限会社で、え〜、遊びの延長っていうか…。う〜ん」
返事に困り、ズブロッカに酒を変えるイシコである。
「未だにホワイトマンを理解できていないんだよなぁ。結局、ホワイトマンって何?」
来てしまった。この質問パート3。
「やっている本人もよく判んないんです」
そう答え、一気にウォッカを喉に流し込むイシコであった。

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2006年05月06日

5月5日「船から海に落ちる!」

20年近く会っていない従兄弟のカズちゃんと会うことになった。
最後に会った時、僕は大学生で彼は小学生だった。
大学生と小学生とでは、共通の話題もなく、ほとんど話をしたことなどなかった。
しかし、今では、イシコは37歳、カズちゃんも30歳という同じ30代ということで急に親しみを持ってしまったわけである。
あのときも同じ10代だったはずなのに。
とにかく、もう一人の従兄弟のあっちゃんが、バーベキューに横浜在住のカズちゃんを呼んだのである。
バーベキューに呼ぶというシチュエーション自体が、アメリカのホームドラマっぽいのだが、その上、横浜はみなとみらいに船で迎えに行くという更にドラマのような設定である。
最初にかける言葉を考えながら、僕はあっちゃんの船に乗り込んだ。

船は東神奈川を出て、「みなとみらい」に向かった。
ゴールデンウィークで賑わう「みなとみらい」の人混みの中から、若いカップル二人組がこちらに向かって歩きながら手を振っている。
どうやら、あれが30歳になったカズちゃんとガールフレンドのようである。
船はゆっくり着岸に向かった。
着岸の際、船に傷がつかないように、僕は船の先頭でクッションの役割を果たす。
「カズちゃん?お〜!ひさしぶ…」
再会に気を取られ、船が岸にガーンと当たった。
僕は岸に手をかけて、調整しようとする。
しかし、船は反動で岸から離れ始めていく。
イシコの手だけが岸に残る。
ということは自然に身体は、船と岸の間で僕の身体は橋をかけたように伸びていく。

はい。落ちました。
約20年ぶりの再会は、服や靴を乾かしながらの会話になるのであった。
もちろん、ハプニングの後なだけに会話は弾んだ。
結果オーライ!

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2006年05月05日

5月4日「帰ってきた!No.10バランスマン」

春になると、身体に異変が起きる。
もちろん花粉症というのもあるが、僕の場合は、この時期、すぐに眠ってしまう。
10時間以上、眠る日も珍しくない。
そして、僕とは違った意味で春になって異変が起きていたNo.10バランスマンがニューヨークから帰ってきた。
とにかく3月、4月と春になるに連れ、彼のスケジュールはどんどん殺人的になっていった。
「いやぁ、何か思考回路が変だったんだよね〜」
三軒茶屋の渋い喫茶店に座った彼の第一声が物語っていた。
彼はカレーとブレンドコーヒーを頼み、僕はマンデリンを頼んだ。

思い返せば、4月のバランスマンは、テンションが高かった。
何かが舞い降りてきたようにプレゼンテーションも絶好調であった。
ニューヨークで出版社の支社立ち上げ、プレス向けイベント、下北沢の飲食店のプロデュース、新刊の準備、フリーペーパーの編集、ワークショップ…。
「頭がおかしくなってきてたんだよね〜」
バランスマンはそう言いながら、うまそうにカレーを食べた。

この人は一人でこなしてきたんだと思うと僕の方が頭がおかしくなりそうで、マンデリンを含みながら、身体を落ち着かせた。
それでも、大きな山は超えたようで、ニューヨークにも3人の常駐スタッフができ、しばらくは日本に居るとのこと。
ちなみに同じ歳である。
う〜ん。同じ年月、地球上で暮らしているのに、どうしてこう人間は違うのだろう。
そう考えるともっと頭がおかしくなりそうなので、マンデリンを一気に飲み干すイシコであった。

投稿者 ishiko : 07:12 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月04日

5月3日「ゴールデンウィーク渋滞を味わう」

従兄弟のあっちゃんと彼のお母さんのユキさんと箱根へゴルフに行く。
世の中の情報では、ゴールデンウィークは大渋滞である。
今まで僕は子供ショーなどをやっていたせいもあるのだろうが、世の中が渋滞する時期はだいたい仕事をしていたことが多く、仕事の移動で新幹線や飛行機などで乗り物が混んでいることを味わったとしても、車での渋滞には巻き込まれたことがなかった。
こうして、本日、生まれて初めてのゴールデンウィーク渋滞を味わう。

予想以上に見事な車の列なのである。
そして見事な程、動かないのである。
それにしても、この渋滞20キロという表示はどこを出発点として決めるのだろうか。
事故渋滞のように、事故で車線が減っている場所だったら、
「あっ!ここからだ!」
とはっきり認識できるのだが、ゴールデンウィークや帰省渋滞などの場合、そういうわけでもないようである。
ということは渋滞の先頭となる場所があるはずだ。
でも、その渋滞の前の車までは、スムーズに動いているわけだから、それに合わせれば混むはずがないと、考えてしまうのである。
う〜ん。謎だ。
こんなことを考えている間も、車は全然、動かない。
いつもは5分で進める道が1時間以上もかかっている。
あっちゃんによると彼の友人は、Uターンラッシュに巻き込まれ名古屋から東京まで高速道路で14時間かかったことがあるらしい。
やはり、できれば渋滞は経験したくないものである。

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5月2日「ホワイトマンプロジェクト残り1年半の進め方」

ここ最近、ホワイトマン独自の表現方法がなくなってきていて、このままでは、ずるずるホワイトマン終了の2007年12月を迎えてしまうのではということから始まったホワイトマンのコンセプト会議。
「イシコがやりたいことをメモしておけばいいんだよ」
ありがたいことを言われているのにも関わらず、実際、イシコのやりたいことメモがひどい。
とても著述業でお金をいただいているとは思えない。

イシコメモ1:「全国各地の美術館でホワイトマンのアート展がやりたい!」
みんなが笑いながら、突っ込んだ。
「これ、おかしくない?」
「美術館で会議とか?美術館でパーティーとかなら、まだわかるけど、そのまんまじゃん」
「コンサートホールでライブがやりたいって言うのと一緒だよ」

イシコメモ2:「タイムズスクエアに出現したい!」
みんながため息をつきながら、突っ込んだ。
「これ、いつでもできんじゃん?」
「タイムズスクエアでパフォーマンスするとからならわかるけど、出現って…」
「表参道ヒルズに出現って言うのと一緒だよ」

イシコメモ3:「マサイ族と交流したい!」
みんなが怒りながら、口を揃えて突っ込んだ。
「これって全部、イシコがやりたいことじゃなくて、イシコが行きたいところじゃねぇか!」

それでも素晴らしいプロデューサーチームのおかげで、6月から残り1年半のホワイトマンプロジェクトが、楽しく動き始めそうである。

イシコメモ「オーロラが見たい!」
さすがに願望のみのこのメモは、まだ出していない。

投稿者 ishiko : 11:10 | コメント (3) | トラックバック

2006年05月02日

5月1日「カンヌ映画祭ブログ始まる!」

来週末から、カンヌ映画祭に出掛ける。
それに伴い、シネマカフェで1ヶ月ブログが始まった。
今回は、ドキュメント用にムービーも加わるので、自宅でホワイトマンになり1回目の撮影をする。
自宅でメイクを落とすことはあってもホワイトマンになることは初めてのことである。
もちろん、自分自身を撮るということも。

メイクも終え、サンヨーのカメラ「ザクティ」を使って、撮影開始。
1回のコメント、もしくはレポートは、だいたい10秒から20秒。
僕は自分を撮られることや自分の声を録音することが苦手である。
海外の旅の間に、「何日まで日本不在です」と携帯電話の留守番電話に録音することがよくあるのだが、それでさえも何度もやり直してしまう。
だいたい平均4回。

ムービーとなると更に回数は増える。
トークショーのように残らないものには、どこか「ケセラセラ」的ないい加減さが漂うのに、映像に残ると思った瞬間、急に慎重になるから不思議である。
そして、その慎重さが微妙にカメラに現れ、何だか変である。
結局、10回も撮っていた。
このブログが終わる頃には留守電と同じように4回以内に決めようとは思うのだが…。
どちらにせよイシコに生放送は無理のようである。

投稿者 ishiko : 08:02 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月01日

4月30日「新しい門出に選んだ場所」

母の葵ちゃんはゴールデンウィーク突入の日に、10ヶ月住んだケアハウスを出て自宅に戻ってきた。
69歳の、また新たな門出である。
それをお祝いして、家族で日帰り旅に出掛けることにした。
姉の磨奈美ちゃんが選んだ候補の中から葵ちゃんが選んだのは、福井県の「永平寺」であった。
座禅修行の道場として道元禅師によって開かれた場所である。

葵ちゃん曰く、母が子供の頃、まだ岐阜県と福井県に今のような北陸自動車道や東海北陸自動車道などが通っていない時代、「永平寺」に行くことは、今で言うところの近場の海外に行くくらいのステイタスがあった場所なのだそうだ。
そこまでして、みんなが行きたかった永平寺は、どんな場所なのだろう。

曹洞宗の大本山として、現在も僧侶になるための修行僧が240名程度、暮らしているそうである。
厳かで観光地に遊びに来たというよりは、心を清めるために来る場所といった感じというのがイシコの感想である。
ピカピカに磨き上げられた床や手入れの行き届いた庭を見ていると更に厳かな気分になるから不思議である。

そんな場所を最初の遠出に選んだ母の葵ちゃんなりの決意があるのかもしれない。
僕は、そんな葵ちゃんを心から応援したいと思った。
ここまでイシコを育てる間に、様々な迷惑をかけてきたのだから(今もかけ続けているのだが…)、残りの人生は今まで以上に好きに生きていけばいい。
口には出さなかったが、僕なりの決意をし、彼女の隣に立った。
そんな彼女は、敷地内に生えている樹齢1000年以上の杉の木を見上げながら言った。
「団子が食べたいなぁ」
力が抜け、思わず、口から出た言葉。
「そのまま生きて行ってくれ!」
こうして、僕らは永平寺を出て、団子を食らいつくのであった。

投稿者 ishiko : 19:44 | コメント (0) | トラックバック

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