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 イシコ連載中





 

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2006年04月30日

4月29日「我が家に草刈り機がやってきた」

午前中の新幹線で岐阜の実家に戻る。
前回、戻ってから一ヶ月しか経っていないのに、実家の庭は雑草で荒れ果てていた。
こんなことに「生命力」などという言葉を使っては、安っぽいのかもしれないが、
「あんたたち、よくここまで伸びはりましたね」
と京都弁(合っているのかどうかもわからぬ…)で声をかける。

姉の磨奈美ちゃんと母の葵ちゃんとの緊急家族会議で草刈り機を購入することを決定。
みんなで近くのディスカウントストアへ出掛けていく。
僕だけはなく、今後、姉も母も使うので、選んだ物を交代で持ち、出来る限り軽いものを選ぶ。
こうして我が家に草刈り機がやってきた。
家に戻り、早速、お披露目会である。
複合ガソリンをタンクに入れ、エンジン始動の紐を引っ張る。
「ガルルル!」
お互いの会話が聞こえない程のエンジン音が響き渡る。
イシコの草刈り散歩が始まった。

面白いように草は刈れるので面白いが、簡単なようで意外に難しい。
地面すれすれにやろうとすると地面を削ってしまうし、上の方に刃を持って行くと背の低い草は全く刈れていなかったりする。
しかも性格が出るようで、背の高い草ばかりが集まっている刈り心地のいい場所ばかりに足が向くものだから、終わった後、庭を見渡すと刈った場所は、凸凹になっているのがわかる。
しばらくは焚き火より、草刈りの為に実家に帰ることになりそうである。

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2006年04月29日

4月28日「不思議なホワイトバール」

表参道にある会員制のイタリアンレストランにて第三回ホワイトバール。
No.23キャスパーがオーナーのこの店は、いつ来ても気持ちがいい。
今日のホワイトバールも18時頃からゆるゆると始まった。
キャッシュオンの立ち飲みバーで、普通の店と同じように営業しているのに、いつのまにかパーティーのような雰囲気になっていくのが不思議である。
特にテーマを決めて集めているわけでもないのに、似たような雰囲気の人達が集まってくるのが不思議である。
イシコは人見知りなのに、ホワイトバールという雰囲気の中だと、初対面の人とも普段より話せるから不思議である。

そんな不思議なバールで、本日もイシコは生ビールからスタート。
喉を潤してから、ここにしかない珍しい黒ビールを何杯か味わう。
その後、白ワインを飲み続け、赤ワインを飲む頃には、イシコはかなりベロベロ状態になっている。
No.30ち〜ムーンに
「それで最後にしなさいね!」
と優しく言われる。
「は〜い!」
結局、またカウンターで赤ワインを頼む。
そんな僕を見て、彼女は
「いい加減にしなさい!」
と睨まれる。
仕方なくジンジャーエールに切り替える。
そんなやりとりをする頃、本日も24時の閉店時間になるのであった。

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2006年04月28日

4月27日「イシコの髪の色」

代官山のNo.17シャーマンのヘアサロンで髪の毛を切ってもらう。
青かった髪の色も、かなり落ちてきたようである。
来月、行くことになっているカンヌ映画祭に向けて、シャーマンは赤絨毯の上にいるイシコをイメージしてインスピレーションで次の髪の色を決めた。

僕の人生の中で黒以外の髪の色で過ごした日々。
大学2年の時、初めて茶髪にした。
家庭教師先のおばさんに、黒の方がよかったのにと言われた。
大学4年の時、緑色にした。
走り屋の友人達からコケが生えているみたいで気持ちが悪いと言われた。
30歳の時、イタリアで真っ白にした。
成田空港の税関で、麻薬の売人と怪しまれ、トランクを開けさせられ、御土産のパスタを1本づつ調べられた。
34歳の時、ホワイトマンを初めてから金髪で過ごす日々が多くなった。
親戚一同に、いい歳して恥ずかしいから黒に戻しなさいと言われた。
そして37歳、相変わらず金髪だった。
誰も何も言わなくなった。
そして先月、僕の髪は青になった。
プーケット島で、かなりの数のタイ人から褒められた。
そして、今日。僕の髪は紫になった。

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2006年04月27日

4月26日「本当に減塩は身体にいいのか?」

ライコランドの森社長と鈴木取締役、プロデューサーの松下氏と千葉県は柏市の定食屋で昼ご飯を食べていた。
山かけマグロ丼を食べ終わり、机の上に置いてあった壷に入っていた梅干しを食べた。
「最近の梅干しって、しょっぱくないですよね」
僕はつぶやいた。

「減塩を訴えているのは日本の厚生労働省だけでっせ」
僕の中で「歩くトレビアの泉」と勝手に名付けている森社長が語り始めた。
彼曰く、「減塩」は、戦後、アメリカからの命令だったそうだ。
当時、日本は胃ガンが多く、塩気の多い味噌汁を飲んでいることが原因だと発表したらしいのである。
そして、日本は「目指せ!減塩!」へと向かってきた。
日本に命令したアメリカ本国では、最近、「減塩」を言わなくなっているのだそうだ。
それには理由があり、塩をあまりに取らなくなってしまうと、元気がなくなってしまうのだそうだ。
医学に詳しいわけではないので、かわいらしく「元気」という曖昧な言葉で勘弁して欲しい。
刑務所の囚人に塩を7日間抜いた食事を食べさせたところ、全員、大人しくなってしまったらしい。
「だから、最近の野菜ジュースが塩抜きというのは許せんって抗議のメールを書いたんです!」
彼のブログを生で見ている感じの、ディスクジョッキー風に語った。

そういえば、昔、実家の蔵から出てきた明治時代の年号がかかれた大きな壷に入っていた梅干しは、塩でコーティングされたような姿だったのを思い出した。
当時は、「明治=食べられるわけがない」と思い込み、全て捨ててしまった。
今だったら、食べてみたのになぁ。

それにしても本当に減塩は健康にいいのだろうか。
健康という言葉には精神面という部分も含まれているのだよなぁ。

投稿者 ishiko : 19:32 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月26日

4月25日「THE!芸能界!」

普段、テレビをほとんど見ない僕でもSMAPくらいはわかる。
と言いつつも先日、No.2カマンに
「草薙吾郎の芝居楽しみだね〜」
とつぶやいていた。
草薙剛と稲垣吾郎が混ざっていたのだ。

三軒茶屋へ「父帰る」、「屋上の狂人」という芝居を観に行く。
普段、観に行く芝居の客層とは明らかに違い、女性客しかも当たり前だが、SMAPファンが多いことに多少の違和感を感じる。
しかし、幕が明き、草薙君と母親役で今年、紀伊国屋演劇賞を受賞した梅沢氏の二人の芝居が始まると一気に菊池寛の世界に引き込まれた。
2本合わせても1時間という短いお芝居なのだが、良質な短編を二本読んだような充実感があった。

終演後、チケットを取っていただいたお礼を言おうと梅沢氏の楽屋挨拶に伺った。
そこは僕には馴染みのない「THE!芸能界!」の雰囲気が漂っていた。
へぇ〜、あの人がこの芝居の演出でともさかりえの旦那さんなんだ〜。
へぇ〜、あの人がちびまるこちゃんのディレクターなんだ〜。
へぇ〜、篠原ともえさんも観に来てたんだ〜。
へぇ〜、草薙剛さんの普段の服装ってこうなんだ〜。
へぇ〜、高橋克己さんって「トレビアの泉」のまんまなんだ〜。
テレビを見ないくせにミーハーな僕は椅子に座り、口を開けて、ぽか〜んと芸能界の会話を聞いていた。

「イシハラ君(梅沢夫妻は僕がイシコという名前で活動していることを知らない)、また髪の毛が変わったじゃん」
梅沢氏の旦那さんのタツヤさんが声をかけた。
「何か太ったんじゃない?」
梅沢氏が続く。
こうして梅沢夫妻と僕とカマンの4人で楽屋を出て、夜の街に繰り出す。
舞台上の大女優とは、また違う14、5年前に知り合ったときと変わらない梅沢氏と、いつまで経っても成長しないイシコの飲み会が始まるのであった。

投稿者 ishiko : 20:07 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月25日

4月24日「運が悪いのは何故?」

ここ数日、京都在住の俳優No.2カマンがイシコの家に泊まっている。
白ワインを飲みながら、一日中、ウダウダ、ダラダラと話し続ける。
「夜を明かして飲む」というのはあるが、今日の場合は、「昼を通して飲む」といった感じである。

厄年なのではないかと思うくらい、彼の周りではいろいろなことが起きているらしく、今年に入ってからも、ツキの悪さが連発しているのだそうだ。
それはやっとチケットを手に入れたU2の来日中止のような軽い話から、2度に渡る手術騒ぎのような重い話まで数々ある。
ただ、彼の持ち前のキャラクターのせいか話を聞いていると「ツキの悪い話」も笑えてくるから不思議である。

つい先日も、耳の調子も鼻の調子も悪いので個人の耳鼻科医院に行ったそうだ。
その先生は早口で、かなりせっかちな方だった。
「鼓膜に一本髪の毛がくっついているので、ピンセットで取れば大丈夫でしょう」
と先生はすぐに耳にピンセットを突っ込んだ。
しかし、なかなか取れず、そのうち耳元で
「あれ?おかしいな…」
と言い始めた。
耳元でピンセットを突っ込みながら、「あれ?」と言われる程、不安なことはない。
そのうち先生はピンセットを置いた。
「あ〜、ダメだぁ。イラッとするなぁ。こういう気分のときはちょっとできないなぁ。紹介状を書くから別の病院に行ってください。じゃ、次に鼻を見ます」
と早口で言われ、有無を言わさず、次は鼻に器具を突っ込まれた。
「あ〜。なるほどね」
そう言うと今度はすぐに器具を置き、またまた紹介状を書き始めた。
「●×部分(詳しい名前がわらない)が塞がっているから、これ切って開かないとダメだね。紹介状を書くから府立病院に行ってください。ん?そうそう。手術だね」
と紹介状2枚渡されたそうだ。

「イシコ!笑いごとじゃないちゅうねん!病院選びのツキの悪さに身体の異変。ちょっとおかしすぎんか?」
落語家のような彼の話し方に僕は笑いをこらえきれなかった。
ただ単にこのところ運が悪いだけなのか、それとも日頃の行いなのか、前世での行いなのか、持って生まれたツキの悪さなのか一生懸命、二人で考えてみるのだが、答えが出るような話ではない。
「ヤバッ!コンサート観に行く時間だ!」
彼は話を打ち切り、玄関のドアを開けて飛び出して行った。
その直後、空からポツポツと雨が降り始めた。
そういえば彼は雨男でもあったのだ。

投稿者 ishiko : 07:57 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月24日

4月23日「表現し続けるということ」

午前中、風呂に入り、焼酎を飲みながら、2年以上前のホワイトマンの舞台公演「プレゼンラジオ」について思い出していた。
「日本文化」、「21世紀のヒーロー」、「物創り」、「旅」、「子供ショー」、「音」、「教育」、「デザイン」
日替わりで8つのテーマを舞台上でショー形式にしてプレゼンテーションしていく。
もちろんプレゼンテーションなので、面白いコンテンツもあれば、今から考えると「あれ?」と思うようなコンテンツもある。
ただ、それはあくまで僕個人の分類であり、観た方の意見は僕が面白かったコンテンツが、実は評判悪かったり、「あれ?」と思ったコンテンツが実は、ある方面でメチャクチャ評判がよかったりと様々である。
しかもプレゼンテーションはその舞台1回のみなので、続けていれば面白くなるものもあれば、1回だからこそ面白かったものもあるだろう。
本日は、そのプレゼンラジオに参加していただいた二つのコンテンツを観に行く。

まずは、ペテカンの芝居。
この劇団は、プレゼンラジオに毎日、レギュラーで出演していただき、日替わりで、その日のテーマに合わせた「演劇」をプレゼンしてもらった。
当時から人気劇団だったが、今では劇団員がCMやドラマへと活躍の場は更に広がり、今回の公演も連日、満席で補助席まで出る程だったそうだ。
劇団という集団が凄いなぁといつも感心するのは、たいていが定期的に新作を創って行くというものである。
恐らく1回くらいなら、興味本位で自分の表現したいことの方が強く、乗り切ってしまうような気もするが、それを定期的にやり続けるということになった途端、僕などは雑誌のように常に創り続けなくてはいけない強迫観念に襲われそうである。
そういった意味では11年も表現し続けるペテカンには作品の感動はもちろんだが敬意の方が先に出てきてしまう。

そして、夜に観た作家新元良一氏の「立体文学」。
このコンテンツは簡単に言うと紙芝居である。
ただ、違うのは紙芝居のような1話完結ではなく、毎回、続き物の紙芝居であるということと紙芝居に生演奏が入ったり、途中でトークショーが加わったりする。
その1回目がプレゼンラジオの舞台上でのプレゼンテーションだった。
それから2年以上に渡り、10回も続いてきていた。
音楽が加わったり、トークショーを交えながらの紙芝居になったり、紙芝居がポストカードになったりと本当の意味で、どんどん立体的になっていった。
最終回となった今回、やはり、感動というのはもちろんだが、敬意の方が先に出てきてしまった。

続けることから生まれる何かがある。
ホワイトマンという得体の知れない集団を続けてきたことから、生まれる何かがあるのだろうか。

投稿者 ishiko : 19:51 | コメント (5) | トラックバック

2006年04月23日

4月22日「旅がつなげる出会い」

2月にチェンマイに一緒に旅に行ったセリュックスの桑原氏と大崎駅で待ち合わせる。
彼女が連れてきたのはスティーヴマックィーンやジョンレノン、シドビシャス(セックスピストルズ)、マリリンモンローなど60年代のポートレートで知られるロンドン在住のアーティスト「コンラッド・リーチ」
バイクが大好きなのだということで、コンラッド氏と彼の友人のジョニー氏と桑原氏と4人で、今年の春からWEBで関わっているバイク用品専門ショップ「ライコランド」へ行く。

その後、某有名社長の肖像をコンラッド氏が描くので、そのための写真撮影があるということで、その現場に遊びに行くことにした。
被写体の写真を元にして描く彼独特の手法では、写真撮影は、かなり重要になる。
ライティングの調整も、かなり細かく、カメラマンとコンラッドはポラロイドを何枚も撮りながら打ち合わせをしている。
そして何と今回のカメラマンは、ホワイトマンでもお世話になっている井島氏であった。
昨年、一緒に楽園ゴルフという企画で宮古島と小浜島に行くなど、これまた旅がつなげる再会である。

撮影を待つ被写体の某社長と、イシコは人見知りモードになりながらも、いろいろお話をしていた。
「コンラッドさんのお仲間ですか?」
「いえ。いえ。さっきお目にかかったばかりです」
「アンディウォーホールみたいな髪型ですが、アーティストか何かをされているんですか?」
「いえ。いえ。ホントお恥ずかしいです…」
「失礼ですが、何を…」
「ホワイトマンという団体の…。え〜っとどう言えば…」
「え?私、知ってますよ。様々な業界のプレゼンを舞台上で公演したのを観ましたよ」
「え〜!あ、ありがとうございます」
「あれ2年くらい前でしたっけ?一週間くらいやってましたよね?」
「はい」
「しかも毎日、日替わりで?」
「はい。死にました(笑)」
「木の葉笛と最後に観客が目をつぶらせて、開けると劇場がプラネタリウムになっているのは感動しました」
「子供ショーのプレゼンの日ですね…」
「ということは…」
「ホワイトマンのイシコと申します…」
桑原氏の声がした。
「ホワイトマンはいろいろなところに出没するんです。というわけでイシコさん、井島さんのお手伝いして〜」
「喜んで〜」
僕は慣れない手つきでレフ板を持つのであった。

夜、ニューヨーク在住のアメリカ文学評論家新元氏らと高円寺のスペイン料理の店で飲む。
新元氏との出会いも不思議であった。
4、5年経つだろうか。銀座の資生堂で、新元氏とゲイリー・フィスケットジョン(アメリカのカリスマ編集者)との対談があった。
当時はニューヨークに15年以上も住み、様々なアメリカ人の有名作家との交流もある憧れの新元良一氏と単なる一ファンのイシコという関係性であった。
それが、いつしか仲良くなり、今ではニューヨークに行くと泊めてもらうこともあり、来日する度に一緒に飲みに行ったり、結婚パーティーの司会をやったり、ホワイトマンの舞台にも出演してもらうなど、昔からの知り合いのような付き合いをさせてもらっている。
やはり新元氏との共通点も「旅」である。

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2006年04月22日

4月21日「波にまつわる一日」

午前中、靴連載の取材でマウスマンと改めて会い、波と靴の話を聞いた後、イタリアンレストラン「KIDS」へ向かった。
オーナーの高梨さんと久しぶりにゆっくり、お話をする。
鴨川を活性化するNPOの代表も勤めている彼の企画を聞いていると、いつもながらワクワクしてくる。
今、進めているプロジェクトの中に、宮彫刻師の「伊八」をクローズアップしようというものがある。
江戸時代に活躍した彼は独特の波模様で知られ、「波の伊八」と呼ばれていたそうだ。
波といえば、葛飾北斎の絵が浮かぶが、実は彼は伊八の影響を受けていた。
そして、北斎の波裏の絵は、世界にはばたき、フランスの作曲家ドビッシーはその絵にインスパイアを受けて、「海」を作った。
物事がゆるやかにつながり、ゆるやかに影響を与えていく。
そんな話を聞いていると時間もゆるやかに流れて行くから不思議である。

東京に戻る前に高梨さんのオススメの温泉に、「散歩の達人」山口編集長とカメラマンの鈴木氏と立ち寄る。
完全予約制の貸切露天風呂は海に面した崖っぷちの温泉である。
男3人、素っ裸で大盛り上がり。
一盛り上がりすると、今度はゆっくりつかってそれぞれの時間を楽しむ。
ここは湯船に浮かべて酒も飲める。
二人はこの後、仕事や運転があるので、僕だけ失礼して生ビールを飲みながら、波の伊八を思い浮かべ、海を見つめるのであった。

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2006年04月21日

4月20日「レジェンドサーファーとの再会!」

千葉県は鴨川市でNo.25マウスマンと1年半ぶりくらいに会う。
日本で初めてプロサーファーという職業に就き、サーフィン業界では知らない人は居ないと言われるレジェンドサーファーなのだそうだ。
「なのだそうだ」と言ったのはサーフィンをしない僕は、彼がこんなに有名だとは当時は知らなかったのである。

出会ったのはホワイトマンを始めたばかりの、ちょうど3年前の春。
鴨川を3日程、ぶらぶら放浪していた僕は、海辺で彼を紹介された。
彼はそのまま波に乗り、僕はそれを見ながら酒を飲んでいた。
みんなが、彼に挨拶をしてから海に入って行く姿を見て、きっとこのあたりのサーフィンの主なのだろうと思っていた。
僕が東京に戻る日、
「サーファーがホワイトマンで波に乗ったら面白いですよね〜」
飲みながら話していた。
「ホワイトマンって年齢制限あるの?」
笑いながら、マウスマンは言った。
「いや、ないですよ」
僕も笑いながら、言った。
「俺、ホワイトマンになろうかなぁ」
さらに笑いながら、当時、55歳の彼は言った。
周りに居た取り巻きのサーファー達が止めた。

しかし、3ヶ月後、真っ白なスーツに真っ白な板、そして真っ白な顔のマウスマンは鴨川の海でホワイトマンデビューした。
「海の上のピアニスト」ならぬ「波の上のホワイトマン」である。
そのとき僕は意外に白塗りが水に強いことも知った。
そして1時間後に彼はテレビの収録があったのに白塗りしたことも、翌日、木村拓也夫妻が習いにきていたことも、後日、取り巻きのサーファーから聞いた。

あれから3年。様々なサーフィン愛好者から話を聞けば聞く程、彼が、いかにレジェンドサーファーかということを僕は少しづつ理解していくのであった。
それでも鴨川へ行く度に
「久しぶり〜!」
相変わらず、子供のようなクシャクシャの笑顔で握手を交わし、よもやま話で盛り上がるであった。
ちなみに僕は、相変わらずサーフィンをしない。


投稿者 ishiko : 20:36 | コメント (2) | トラックバック

2006年04月20日

4月19日「カンヌ映画祭に行くのだ〜!」

来月、カンヌ映画祭に行く。
それに伴い、5月はシネマカフェで1ヶ月間のブログ企画が組まれることになる。
映画祭について少し学んでおこうと近くの図書館へ借りに出掛けた。
パラパラめくっては、直感で一冊づつ選んでいく。

「カンヌ映画祭」(三省堂)…田山力哉
*カンヌ映画祭の歴史が詳しく描かれているので。
「国際映画祭への招待」(丸善ブックス)…村川英
*国際映画祭全般のことが書かれていそうなので。
「インド待ち」(集英社)…周防正行
*映画にまつわる紀行文がどんなものか気になり。
「ロシア・ソビエト映画史」(キネマ旬報社)…山田和夫
*ロシア映画って「戦艦ポチョムキン」と「不思議惑星ギンザザ」くらいしか知らないので。
「映画館に、日本映画があった頃」(キネマ旬報社)…野沢尚
*映画館を焦点に当てた旅をいづれしたいと思っているので。
世界は「使われなかった人生」であふれてる(暮らしの手帖社)…沢木耕太郎
*久しぶりに沢木耕太郎の本が読みたくなったので。
「ウディ・アレンのすべて」(河出書房新社)…井上一馬
*彼の作品「さよなら さよなら ハリウッド」を観た後に出掛けたので。
「それはまた別の話」(文藝春秋)…和田誠、三谷幸喜
*メチャクチャ面白い映画の対談なので。
「疾走」(上・下)(角川文庫)…重松清
*トイレに行こうと思ったら、返却されたばかりの棚にあったので。

「疾走」を上下巻借りたところで、既に10冊になってしまった。
借りている順番を見ているとわかるが、ほとんど映画祭の本ではなく、自分の興味のある本ばかりに移行していく。
最後の「疾走」などは映画祭とは全く関係がない。
ともかく来月は映画にどっぷりつかる1ヶ月なのだから、気軽に借りにこればいいのであると自分の言い訳を作り、10冊を抱えて、家に戻る。
フローリングの上にど〜んと本を積み上げる。
芋焼酎をど〜んと横に置く。
ど〜んとあぐらをかく。
焼酎をグラスに注ぎ、ちびちび飲みながら、
「どれから読もうかなぁ」
と考える時間が至福なのである。

投稿者 ishiko : 06:54 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月19日

4月18日「公園で仕事?」

ウィスキーよ〜し。
ノートパソコンよ〜し。
デジカメよ〜し。
アルコールバーナーよ〜し。
コップよ〜し。
ピンホールカメラよ〜し。
本よ〜し。
ウィンドブレーカーよ〜し。
銭湯グッズよ〜し。
インスタントコーヒーよ〜し。

1泊2日の旅に出そうなくらいのリュックの大きさになっていた。
出掛ける先は、家から徒歩5分程度の公園である。
あまりに天気がいいので、公園で書き仕事をすることにしたのだ。
「あっ!おつまみ買ってないや」
と近くのコンビニに寄って、醤油味なるチップを購入する。
「最近、大宮八幡宮にお参り行ってないや」
と旅人のようにリュックを背負ったまま、賽銭を投げ込む。
「まだ桜あるじゃん」

ピンホールカメラ
を取り出し、花の写真を撮る。

結局、いつも使っている机と椅子に辿り着いたのは1時間後である。
「ふ〜。よく歩いたなぁ。まずは一杯」
スキットルを取り出し、カップにウィスキーを注ぐ。
ふ〜。

ノートパソコンではなく、買ったまま読んでいなかった村上春樹の「東京奇譚集」を開いた。
短編集なので、キリのいいところでと思っていたのだが、どんどん進んでいってしまう。
途中で水を汲みに行き、アルコールバーナーでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れる。
おつまみを口に運びながら、ベンチに寝転がって読んだりもした。
そのうち春の心地よい太陽に、そのまま眠っていた。

起き上がると目覚ましに銭湯に行く。
しかし、ここの銭湯は火曜日がお休みであったのを忘れていた。
そのまま家に戻り、半身浴をしてから、原稿を1本書く。
書き終わった後、つぶやいた。
「僕は公園に何をしに行ったのだろう」

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2006年04月18日

4月17日「走ると脳に血液が…!」

春は走るにはいい季節である。
3ヶ月ぶりに走る男に言われたくないと思う。
杉並区の和田掘公園は走るにはいい公園である。
いつも野外で呑む場所として使っている男に言われたくないと思う。
アシックスは走るにはいい靴である。
昨日、
別のブログ
でニューバランスがいいと書いたばかりの男に言われたくないと思う。

走りながら、いろいろなことを考えはじめた。
走っているとイシコのぐうたらな脳の中にも血液がグルグルまわり、多少は、いろいろなことが考えられる脳になってくるのである。
これがまた心地よかったりする。
ホワイトマンのビジョンのこと、今、抱えているプロジェクトのこと、今、抱えている原稿のこと、実家の庭のこと、次に行きたい旅のことなど、次から次へと出てくる。
あまりに気持ちよくて、30分で止める予定が1時間近く経っていた。
SOSのミーティングが変更になって今日になったことを思い出した。
慌てて家に戻り、シャワーを浴びて、すぐに出掛ける。

汗は、岩盤浴で出てくるようなサラサラの汗ではなく、どちらかというとネバネバの汗である。
岩盤浴に行ったことのない男に言われたくないと思う。
もういいですね。

投稿者 ishiko : 07:41 | コメント (3) | トラックバック

2006年04月17日

4月16日「北朝鮮のサッカー」

ドイツのワールドカップが近づいている。
観客席に顔を白く塗ったホワイトマンと顔を赤く塗ったホワイトマンでマスゲームのような日本国旗で応援に行きたかったのだが、今のところ叶いそうもない。
「マスゲーム」と言えば、北朝鮮である。
その北朝鮮のサッカーを描いた「奇跡のイレブン」というDVDを観た。
1966年に北朝鮮がワールドカップでイタリアを破って準々決勝まで勝ち進むまでのドキュメンタリーである。

当時は1953年に朝鮮戦争が終わってから、まだ10年強しか経っていない。
韓国に援軍を送っている敵対国だったイギリスでの開催である。
そして何よりワールドカップ初出場で、予選リーグはイタリア、チリなどの強豪国が入っているグループ。
不利な要素が揃い、誰もマークしていない平均身長が170cm強の小柄な北朝鮮
チームが戦いに挑んだ。
チリと引き分け、予選リーグ最終戦でイタリアを破り、決勝リーグに進出する。
構成と編集の上手さもあるのだろうが、観ていると気分が高揚してくる。

しかも40年近く経ってから、イギリスで創られたものである。
解説を読むとイギリス人のプロデューサー兼監督のダニエル・ゴードンは4年間にわたって北朝鮮と交渉して撮影の許可を得たそうだ。
いやぁ、ホントに面白い作品だった。
これを観ているとワールドカップに改めて行きたくなるイシコであった。

投稿者 ishiko : 07:48 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月16日

4月15日「初めてのゴルフコース」

二日連続の初体験。
本日は、ショートコースだが、イシコのゴルフコースデビューである。
従兄弟のあっちゃん、彼の友人の聡さん、そして直松氏とゴルフが上手い3人組に千葉のミニゴルフ場まで連れて行ってもらう。
打つ順番の決め方、危ないボールを打った時の掛け声、グリーン上のマナーなど何もかもが初めてなのである。

僕が打ったボールはどこに飛んで行くかは、わからない。
「どこに飛ぶかはボールに聞いてください」
と言う人の気持ちが初めてわかった。
ボールは隣のホールまで飛んで行ってしまうことがある。
そのときに人に当たらないために
「ファー!」
と声をかける訳だが、これが、イシコにはできないのだ。
「スイマセ〜ン!」か「危な〜い!」
なら、叫べるのだが、
「ファー!」
が言えないのである。
身体に染み付いていないので、どこか気恥ずかしいのである。

少し間違えたら
「フォー!」
と腰を突き上げてしまう可能性さえある。
当面はスコアを気にするよりも
「ファー!」
と叫べることがイシコの課題のようである。

投稿者 ishiko : 08:50 | コメント (5) | トラックバック

4月14日「初めてのライオンキング」

「俺、小さい頃から東京に住んでいるけど、東京タワーに行ったことがないんだよね」
「私、沖縄に移住してきて長いけど、首里城に行ったことがないんだよね

というようなことを言われると、僕は必ずこう言っていた。
「僕は演劇が好きだけど、劇団四季を観たことがないのと一緒だよね」
そうするとこう返ってくる。
「一緒じゃない!」

その劇団四季を遂に観た。
No.30ち〜ムーンの友人で劇団四季の原田氏が退団することになったので勇姿を観に行くことにしたのだ。
彼女は、「美女と野獣」のベル役(美女役)や今回、僕が観た「ライオンキング」のラフィキ役と、かなり活躍していた女優のようである。

「ライオンキング」の作品自体はロンドンで観たことがある。
初めて観た時、冒頭のシーンでラフィキが唱う「サークル・オブ・ライフ」の声と、その後、次々に登場する動物達に衝撃を受け、何故だか
「生きててよかったぁ」
とつぶやき、涙が頬を伝う程、感動したのを覚えている。
そして、今回もラフィキが登場した途端、あの感動がまた蘇り、涙までには至らなかったが、全身に鳥肌が立った。
ロンドンでは英語の判らない僕も、今回はじっくり日本語で歌詞の内容や細かいストーリーなどを堪能させていただいた。

終演後、ち〜ムーンに連れられ、原田氏と面会した。
先程までラフィキ役を演じていたとは思えないほど、痩せて綺麗な人であった。
美女と野獣のベルをやっていたくらいだから当たり前である。
当たり前だが、先程までのラフィキのように顔は赤くも青くもなかった。
ホワイトマンとしては、あのメイクにかなり興味を持っていたのだが、元々、終演後の俳優との面会が苦手な上に人見知りの激しいイシコは、ほとんど何も言えず黙ってち〜ムーンの横に立っていた。
久しぶりの再会を喜び合う二人の会話を聞きながら、
「毎日、あんな過酷なメイクをしているのにお肌がきれいだなぁ」
と罰当たりなことを考えるのが精一杯であった。

投稿者 ishiko : 08:43 | コメント (2) | トラックバック

2006年04月14日

4月13日「姫!ご乱心ですか?」

ホワイトマンの経営会議を終え、そのまま散歩がてら近くのコープマンの家に遊びに行く。
間もなく1歳になる壽ちゃんがヨチヨチ歩き始めていた。
イシコの顔が陽に焼け過ぎているのか、それとも濃すぎるのか、彼女は戸惑った表情を見せ、なかなか心を開いてくれない。
帽子をかぶっているのが、いけないのかと帽子を脱いだら、髪の毛が青いことに驚き、更に表情をこわばらせる。

コープマンと赤ワインを1本、開けた頃だろうか、彼女は僕を仲間と認め、一緒に遊び始めた。
彼女はトマトジュースの缶がお気に入りのようで、何本も何本も持ってきてくれる。
「壽ちゃん、かんぱ〜い!」
と言って、缶をぶつけあうことを覚えた。
僕は片手に赤ワイン、片手にトマトジュースの缶を手にして、何度も何度も乾杯した。
乾杯をすると彼女は、飲む仕草もマネするのだ。
自分が溶けてしまうのではないかと思う程、可愛いのである。
「目の中に入れても痛くない」というのはこういうことなのだとイシコの表情は緩みっぱなしである。

トマトジュースの缶が溜まり始めると、今度は缶を積み上げることを覚えた。
しかし、なかなかうまくいかない。
うまくいくと僕も拍手をするが、彼女自身も嬉しそうに自分で拍手する。
しかし、うまくいかないと時々、缶を全て倒し始める。
すると
「姫〜!ご乱心ですかぁ?」
僕は家来を演じながら、缶を元に戻す。
いつのまにか赤ワインが3本空いていた。
実は僕の方がご乱心だったわけで…。

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4月12日「ウォッカ!ウォッカ!ウォッカ!」

「ライコランド」の定例ミーティング&取材が終わると既に20時。
そこでプロジェクトのプロデューサーでデザイナーの松下氏と夕食を兼ねて蕨で飲みに行くことになった。
蕨で飲むのは初体験。
決して、都内から遠い場所ではないが、「蕨へ飲みに行こう!」などと言うことはまず、居ない。
少なくとも僕の周りには。
これはいい機会であるとワクワクしながら、松下氏行きつけのバーに行く。

ベルギーのさくらんぼのビール、スリランカの黒ビールと普段、お目にかからない、またはお目にかかっていても飲む機会のなかったお酒をどんどん煽っていく。
こうして、ポーランドのウォッカへと進んで行く。
ポーランドのウォッカというと僕の大学時代に流行り、安いのでよく飲んでいたズブロッカ草の茎が入った「ズブロッカ」がある。
もちろん、それとは比べものにならないより高級なウォッカ(名前を忘れてしまった。お城の名前だったと思う)である。
続いてフランスの最上級のウォッカ「グレイグース」。
どちらも蒸留を重ねているだけあって雑味がない味に仕上がっている。
と知ったかぶりをしているが、全てバーテンダーさんに教えていただいただけである。

ふとウラジオストックで出会った木こりの二人組に、ウォッカをご馳走になったことを思い出した。
何故かチェーサーが、ぬる〜い桃ジュースだったなぁ。
彼らは元気だろうかぁ。
ポーランド、フランスのウォッカを飲みながら、ロシアのことを思い出すのであった。

投稿者 ishiko : 10:24 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月12日

4月11日「露出狂?身ぐるみはがされたのかぁ?」

夜、No.30ち〜ムーンとお気に入りの饂飩屋で食べ、彼女を送った後のこと。
駐車場の近くで、座っている男の陰が…。
なんだ!なんだ!
コートは羽織っているのだが、裸で座ってこちらを向いている男の姿が目に入ってきた。
映画「ターミネーター」で最初、地球上に降り立つアーノルド・シュワルツネッガーのようである。
ふと、勘違いなのかなぁと思ったのだが、細い路地なので、車のスピードも時速20キロ程度で、姿を把握するくらいはできると思う。
そして、昔からイシコは視力だけはいいのである。
最近、少し落ちてきたが、両目1.5くらいは今もあると思うのだ。

ということは?
これがいわゆる露出狂の男という奴か?
一気に興味が湧いてくる。
確かに春になると変質者が増えるという話は聞いたことがある。
もう一度、男の表情までしっかり見たい。
しかし、僕は、ものすごくビビリである。
もし、もう一度、近づいて、コートをマントのように広げて走って追いかけられたらと思うと、想像が止まらない。
口裂け女のように足がもの凄く早いかもしれない。
僕の車の窓に顔をくっつけながらついてくる男。
ぎゃ〜!

もう一度、見るのを諦め、大人しく自宅に向かうイシコであった。
待てよ。
ひょっとしたら、「カツアゲ」されて、身ぐるみはがされてしまって助けを求めているのかぁ?
雨もしとしと降ってきて、今日は寒いのである。
助けなきゃ。少し心配になってきた。
そこにまた、コートをマントのように広げて走る姿が頭をよぎる。
ぎゃ〜!
だめだ。
やはり行けない。
男よ!もし、助けを求めていたのならゴメンナサイ!
朝になってもう一度、考えるとどう考えても露出狂のような気はするが…。

投稿者 ishiko : 07:09 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月11日

4月10日「後ろ指を指される人間になりましょう!」

登山家岩崎元郎氏の言葉である。
連載のインタビュー取材で事務所に伺った。
NHK「中高年のための登山」でみなみらんぼうとのコンビで大人気となり、今や中高年の登山愛好者の間では、アイドル的な人気を誇る還暦を迎えられた登山家である。

最初の言葉に戻るが、「登山には行きたいのですが…」
お見舞いに行かなくてはいけない。
葬式や結婚式に出なくてはいけない。
有給が取れない。
孫の面倒を見なくてはいけない。
などと義理が重荷になり、周囲から後ろ指を指されることを恐れて登山に行かない方が多いのだそうだ。
でも、寝たきりになった時に、あの時、行っておけばよかったって後悔するくらいだったら、世の中のことに迎合しないで自分のやりたいことを優先した方がいい。
中高年向けの講演で岩崎さんが、よくおっしゃっていることなのだそうだ。

これは登山だけではなく、一般社会でも言えることだと思う。
周囲に気を配ったり、人に意見を聞くのはいいと思うが、最終的には自分のことは自分で判断し、行動した方が絶対に面白い。
もちろん自己責任は伴うのだが…。
と自分に言い聞かせながら、帰路に着くイシコであった。

投稿者 ishiko : 08:09 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月10日

4月9日「船で横浜闊歩」

闊歩というには語弊があるかもしれない。
闊走なのか闊進なのかそれとも闊海なのか、どれもピンとはこないが、船なので闊歩ではないことは確かである。
従兄弟のあっちゃんと鵠沼海岸でミュージシャン大島花子氏のライブを聞いた後、船遊びに行く。
あっちゃん「いやぁ、あのライブ最高だね〜」
イシコ「まさに日曜日の午後って感じだったね〜」
とタンクにガソリンを入れた。
あっちゃん「大島花子さんって坂本九さんの娘なんでしょ?」
イシコ「うん。そうだよ。今日のライブの中でも2曲程、歌ってたよね」
とビールとワインとおつまみを買った。
あっちゃん「お母さんの柏木さんがいらっしゃってたよね?うちの母が昔、一緒に舞台出てたんだよね」
イシコ「え?マジ?おばさん女優だったんだ」
と船のエンジンをかけて、乗り込み、海に出た。
あっちゃん「いやぁ、花子さんの声よかったなぁ」
イシコ「ホント、ゆるゆるになれるよね」
と僕らはみなとみらいの真ん中に船を停めて、ワインで乾杯した。
イシコ「っつうかさぁ、あっちゃん、飲酒運転じゃん」
あっちゃん「船はね、お酒飲んで運転してはダメという規則はないんだよ!航路や会社によってはダメな場合もあるけど、基本的にはオッケーなんだよ」
とおつまみの「じゃがりこ」を開けた。
イシコ「両脇が桜って最高の花見じゃん。ここ、どこ?」
あっちゃん「ここは野毛のあたり。この辺りはいい飲み屋もいっぱいあるよ」
とビールもガンガン飲んだ。
イシコ「船で立ち寄って、中華でも食べられといいのにね」
あっちゃん「寄ってく?」
と中華料理屋「タイクーン」に船を乗り付けた。
イシコ「紹興酒で身体を暖めよう」
あっちゃん「ちょっと寒かったね」
と空心菜やロブスターをつまみに暖かい紹興酒を飲んだ。
イシコ「やばい!そろそろ終電だ!」
あっちゃん「帰りは突っ走るよ」
と横浜ベイブリッジの下を通って進んでいく。
イシコ「この音なぁに?」
あっちゃん「ガソリンがなくなっているって音」
と僕らは無言になった。

投稿者 ishiko : 19:15 | コメント (0) | トラックバック

4月8日「自宅でセカチュー」

芋焼酎を飲みながら、一日中、部屋の掃除をしていた。
きっかけは、セカチューなのである。
映画「世界を中心に 愛を叫ぶ」のことをセカチューと呼ぶことをついこの間、知ったばかりの何とも世の中に疎いイシコである。
で、今更ながらDVDでこの作品を観たわけである。
高校時代のデートを思い出し、何とも言えない感情がこみ上げてくる。
映画の内容はともかく、その中で主人公の一人柴咲コウが引っ越しの準備中にカセットテープを見つける。
そのシーンが妙に頭の中に残り、僕も掃除をしながら何か出てこないかを見つけることにしたのである。
もちろん大学を卒業してから、上京しているので、高校時代の物など出てこない。
しかし、10年程前の小さな旅メモが出て来た。
しかも中途半端に10ページ程しか書いていない。
当時、僕は、子供ショーで全国を回っていた。
何故、そんなメモを取っていたのか、本当の目的はわからないがノートパソコンなど持っていなかったので、交遊録代わりにつけていたのかもしれない。
そのメモには旅先でのことがメモしてあった。
例えば1ページ目は大分は別府温泉のことである。
「別府に来たら地獄巡りに行こうと興味を持ってきたのだが、いざ、行ってみると、どうしてここにそれだけ興味を持っていたのかわからない。でも、僕はみんなに地獄巡りを進めるだろう。そして、行った後の感想を求めるだろう。何か盛り上がれそうな気がする」
とメモには書かれていた。
そして、夜に別府のビジネスホテルで観た「驚き桃の木20世紀」というテレビ番組のことが書かれていた。
書いていた当時のビジネスホテルの間取りから、テレビの位置など細々と思い出させてくれ、懐かしさと同時に、もう一度、その場所に行ってみたくなるから不思議である。
メモの威力というものをまざまざと見せつけられた。
映画とは全く関係のない何ともジコチュー(自己中心的)な見方で申し訳ないのだが…。

投稿者 ishiko : 19:14 | コメント (0) | トラックバック