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2006年03月31日
3月29日「ゴルフって簡単?」
従兄弟のあっちゃんと横浜は片倉町のゴルフ練習場へ行く。
一時期、プロゴルファーを目指していた彼から、ゴルフのレッスンを受けることになったのだ。
ずっと誘われていたのだが、僕も「楽園ゴルフ」で書き始めたのをきっかけに、ここは可能な限り、練習を始めようと思ったのである。
「あっちゃん、すぐにウマくなりたいんだけど」
「だったら、きっと僕もプロになれてたと思うよ」
無茶苦茶なことを言うイシコにあっちゃんはサラリと交わしてくれる。
さて、止まったボールをクラブで前に飛ばす。
文字で書くとこんなに簡単なのに、全然、前に飛ばない。右に行ったり、左に行ったり。
今、ウマく打てたのに、次はウマく打てない。
ほんの少しでボールの軌道が全然、違う。
「あっちゃんに言われた通りにやっているのにまっすぐに飛ばないんだけど…」
「一つもあってないよ」
わがままなイシコにあっちゃんは優しくフォームを直してくれる。
「あっちゃん、ゴルフって簡単だね?」
「1、2年は、ウマくならないって思った方がいいよ」
単純なイシコにあっちゃんはきちんとクギをさしてくれる。
「ゴルフは手首は使わないんだよ。月へんがつく場所が大切なんだよ。」
「肘、膝、腰、腕…。ホントだ。あれ?アキレス腱は?」
「全部って言ってないじゃん(笑)。アキレス腱は準備体操だけで充分だよ〜」
まだまだあっちゃんを悩ます日々が続きそうである。
投稿者 ishiko : 06:52 | コメント (3) | トラックバック
2006年03月30日
3月28日「イシコがWEBに携わった理由」
「4、5年前だと思うんですが、イシコさんってWEBマガジンの編集長をやられてましたよね?
その直前まで雑誌の編集長だったわけじゃないですか?
いつ、どこでWEBにスイッチして勉強し始めたんですか?
何故、WEBをやろうと思ったんですか?」
という内容のメールが、届いた。
ボーッとWEBに携わった頃について思い出してみた。
WEBという媒体に関わるようになったのは、かれこれ5年程前である。
雑誌の編集長を辞めて暇になり、広告代理店の友人に誘われ、クリエイターが交流できるサロンのような感じがあればいいねとWEBマガジンを始めた。
でも、「WEB」という言葉を知らないイシコは「WEB」というタイトルが決まっているインターネットでやる雑誌だと思っていた。
「超」がつくほど、WEBのことを知らなかった。
「とにかく、イシコはコンテンツだけ持ってきてくれればいいから」
と言われ、ニューヨーク特集だぁと3週間程、ニューヨークに行って、いろいろなクリエイター達と遊んでいた。
「WEBというのはね…」
ニューヨークのクリエイター達はWEB編集長と書かれた名刺を持ったイシコにWEBについて、いろいろ教えてくれていたなぁと。
僕はその当時のことを思い出しながら、キーボードを叩き始めた。
「こんにちは〜。スコッチ飲んでいるイシコで〜す。WEBに関しては特に勉強してないんです〜(涙)。そして、今も正直、わかってないことの方が多いです〜。僕の場合、元々、雑誌をやりたかったとかWEBをやりたっかったというわけでもなく、表現できる場所があれば、何でもよかったんです〜。ホント、成り行きですよね〜(笑)。
今日から、僕も関わっているバイク用品専門店「ライコランド」のHPが少しづつですが、リニューアルが始まりました〜。今回はバイクをいじるように少しづつ、リニューアルを楽しんでいくので時々、遊びに来てくださ〜い。でも、実は僕、WEBだけじゃなくてバイクも全く知らないんですよね〜(笑)。世の中、知らないことだらけです〜。でも楽しいことだらけです〜。では。では。イシコ」
送信ボタンを押した。
投稿者 ishiko : 07:43 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月29日
3月27日「オウムサリン事件体験話」
3月も遊びすぎたイシコは、本日は集中して取材のオンパレード。
午前中は物の連載の取材。
今月の新兵器はこの春、発売される日本初のお留守番ロボット「ロボリア」である。
ソニーのAIBOは、ペットの為だったが、これは完全な防犯の為のロボットである。
これが成功するか否かでロボットの進化が10年違ってくると言われている経済産業省の期待がかかっている商品なのだそうだ。
しかし、機械音痴の僕は、ロボットが全く使いこなせない。
「イシコ、理学部数学科卒だろ?」
編集長の山口氏もカメラマンの鈴木氏がからかいながら笑っている。
「もう嫌だ〜。機械なんて大嫌いだ〜」
とジタバタするイシコ。
しかし、泣き落としはロボットには通じず、最後まで全く動いてくれなかった。
結局、僕はコラム用に自宅へロボットを持ち帰ることになった。
しばらくロボットと格闘する日々が続きそうである。
午後、幡ヶ谷にある機動救助隊へ靴の連載の取材。
サリン事件以降、毒薬や放射能など専門のチームが組まれたそうだ。
浅沼隊長はオウムのサリン事件で足からサリンを吸収してしまい倒れた経験を持つ。
その直後、ドイツ製の毒薬向けの防護服を80着オーダーしたところ、
「日本は戦争でもおっぱじめるつもりか」
とドイツの税関で大騒ぎになり、なかなか送ってもらえなかったそうだ。
その防護服は空気圧で中がどんどん膨らませることによって何やら機能性が増すようなのだが、その仕組みが僕の頭では理解できない。
どうやら化学の浸透圧の応用なのだと言われるが、結局、理解できなかった。
夕方、オリンパス新規事業部の原田氏とNo.10バランスマン、サニーサイドアップ松本氏とブレストミーティング。
「物に込めるソウル」についての話になる。
音楽家は同じ楽器ならどれでもいいというわけではなく、何年も自分が使っている楽器と対話する感覚が生まれることがあるということは楽器を演奏したことのある人ならわかるそうだ。
それは物創りのヒントになるのではないか。
そして、このことが科学的に実証される日が来るかもしれない。
No.41エターナルドリーマーは、こういった研究の日本の第一人者なので、近いうちにお話を聞いてみたいと思う。
化学と科学の違いに混乱しているイシコであったが何とも興味深い話であった。
夜、スキーウェアSOS自由が丘店でWEB特集の座談会。
本日のテーマは「デザイン」。
スタイリスト兼デザイナーの吉田氏、スタイリストの兵藤氏に来ていただき、佐藤社長に来シーズンのウェアを説明してもらう。
そしてアパレルのプロならではの突っ込んだ話が面白い。
機能性が高いSOSウェアならではの熱の放出についての理論が展開される。
これはどちらかというと物理的である。
化学と科学と物理。
いやはや本日は理系な一日であった。
投稿者 ishiko : 02:09 | コメント (0) | トラックバック
3月26日「あれ、スキーツアーに来た人数は?」
みんなが見ている。
いや、僕を見ているわけではない。
一緒に滑ってくれている人達を見ているのである。
元全日本モーグルコーチのホーガン、昨日も紹介した冒険プロスキーヤー児玉氏、ホーガンがこやつ以上のセンスの持ち主は見た事ないというプロスキーヤーでSOS札幌店長タイキさん、児玉氏の弟子である稔さん、今一押しの女子プロスキーヤーかよさん、ホーガンの師匠など夢のようなメンバーが一緒に滑ってくれているのである。
その後ろを
「イッツ!ボーゲ〜ン!」と雄叫びをあげながら滑っていくイシコが居るわけである。
児玉氏やホーガンのアドバイスを受けていると、何だか少しづつ、うまくなっている自分に嬉しくて、ほぼノンストップで女子大回転コースを5本程度、滑る。
リフトを待っていると
「そろそろビールタイムにしますか?」
ホーガンの悪魔のささやきにビールモードのスイッチが入った僕は
「いいっすね〜。ビール!ビール!」
僕は騒いだ。
そのときである。
「イシコさん!何、ビールなんて言ってるんすか?」
後ろから哲さんが現れた。
そういえば今日、ゲレンデで出会っていなかった。
「いや、今日、メチャクチャ僕がんばってるんですって!ね?ホーガン?」
と主張するイシコだが、結局、再びリフトに乗せられるのであった。
夜、手稲でみんなで豚丼を食べながら、今回の旅最後の食事。
最高のホワイトマンスキーツアーであった。
でも、ふと考えてみると当初、9名程度の予定だったのだが、5名が前日、もしくは数日前に挫折し、1名の花ちゃんも札幌には来たがスキーには参加しないで帰っていったので、純粋な東京からのスキーメンバーは3名だった。
いつも大人数でワイワイやっていたので、すごい数で来ていた気がするだけであった。
素敵な住民が住む札幌には今年も、どんどん行こうと思っている。
投稿者 ishiko : 01:59 | コメント (0) | トラックバック
3月25日「北海道スキー三昧!」
元全日本モーグルコーチのNo.31ホーガンのホームゲレンデ「テイネハイランド」で、スキー三昧である。
スキー三昧というのは嘘で、僕は数本、気持ちよく滑った後、すぐにご飯とビールタイムである。
前回のパラリンピックに出場していた田中哲也氏に
「イシコさん、何、休んでるの?「脱!ボーゲン宣言」でしょ?もっと滑らなきゃ!」
と罵倒されるが、ビールの魔力に負けてしまったイシコはそのままカフェテリアで飲んだくれる。
夕方、手稲駅近くのスーパー銭湯でゆるゆるした後、すすきのへみんなで飲みに出掛ける。
昨年、エベレスト登頂に成功したプロスキーヤー児玉毅氏など蒼々たるプロスキーヤーの方々、20名近くが集まり飲んだくれる。
天然キャラの稔さんと会話のセンスが抜群のトシさんに終始、笑いっぱなしである。
「イシコさん、何、ご飯なんか食ってるの?もっと飲まなきゃ!」
とホーガンに罵倒されるが、山わさびの魔力に負けてしまったイシコは白いご飯を3杯も食べる。
酔っぱらって、おなかもいっぱいになったイシコは、そのまま大の字で寝てしまう。
みんなに起こされた時には既に時計は2時をまわっていた。
幸せな宴の終了である。
投稿者 ishiko : 01:52 | コメント (0) | トラックバック
3月24日「濃すぎる北海道のある日」
実に濃い一日であった。
今日、出会った人達をざっと紹介し、その人達から学んでいったことを一言にまとめていく。
朝の便でイカルス出版の木村氏と北海道に飛ぶ。
しかし、木村氏はANAで僕はJALである。
同じ出発時間で待ち合わせをしても、航空会社が違えば意味がないことを学ぶ。
千歳空港でミュージシャンの大島氏と合流し、夕張にある坂本九記念館に向かう。
ギターは取扱い注意で預ければ大丈夫ということを学ぶ。
夕張までの車の中で坂本九記念館を運営しているハローENJOYの事務局スタッフ柳谷氏から様々なお話を聞く。
知的障害の世界水準というものがないので、その度合いを測ることが難しいことを学ぶ。
施設に到着すると坂本九記念館担当の田中氏を紹介される。そのまま昼食のジンギスカンの場所へ案内され、ビールを飲みながら、厚間町のラム肉をいただく。
ジンギスカンは、その土地の肉と味付けによって違うことを学ぶ。
その後、ハローエンジョイの施設の方で大島氏のライブ。
イシコも飛び入り参加で、未熟なアートバルーンを披露する。
アートバルーンは、コミュニケーションツールとして便利であることを改めて学ぶ。
その後、坂本九記念館に移る。
この施設を創るきっかけとなった番組「サンデー9」を拝見しながら、この施設を創るにあたって、お金集めから資料集めなどに奔走した9人のメンバーの長である森さんを紹介される。
名前に数字が入ることは様々な意味付けや結束力が高まることを学ぶ。
再び柳谷氏の車で札幌の東急ホテルに向かう。
障害者自立支援法が成立してしまったため、全国をかけまわるハローエンジョイの橘施設長や北海道の養護施設で活躍される三箇氏らを紹介され、生ビールをいただきながら、様々なお話をする。
朝、飲むビールはアサヒ(朝日)、昼、飲むビールはサントリー(サン=太陽)、夜、飲むビールは星のマークのサッポロという橘施設長からダジャレを学ぶ。
すすきの街で再びジンギスカンをいただく。
北海道が大好きで移り住んでしまったNHKの西さんや当時、「サンデー9」のスタッフだったサッポロテレビの高橋さん、昨年の大島氏の北海道のライブでPAをされた山田さんとジンギスカンをつまみにお話をさせていただく。
ジンギスカンは、塩とこしょうで食べても美味しいことを学ぶ。
ホテルの部屋に戻って、シャワーを浴びると北海道へスキー合宿に来ていた望さんから、一緒に飲まないかとのお誘い電話がある。
ホテルのバーで、望みさんと25歳でいきなりスキージャンパーになると宣言し、東京から余市に移り住んだ北島氏、名古屋でショーウィンドウのディスプレーデザイナーをしている土井氏とニッカの北海道12年を飲みながら、いろいろな話をする。
やりたいことは何歳からでも始められることを学ぶ。
ホントに今日は、一日、いろいろなことを学んだ日であった。
投稿者 ishiko : 01:36 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月24日
「東雲から多摩まで」
ライコランドのWEBデザイナー小室氏とデザイナー松下氏とライコランド東雲店へ視察に行く。
東に雲と書いて、「しののめ」とは、ライコランドと出会っていなければ、一生、読むことができなかったかもしれない。
視察などという文字も、なかなか使う機会がないので、本日、使わせていただく。
その東雲なのだが、お台場界隈なので、どこか新しい店舗という感覚があり、確かにバイク用品店なのだが、服を買いに来るだけでも楽しそうな店である。
「あのぉ、一応、バイク用品店なんですけど…」
という松下氏の目線にもめげず、この店のアロハシャツやジーンズ、Tシャツなどに食い入って見ているイシコである。
ブーツの担当者の方は、趣味がバイクだけでなくスノーボードやサーフィンも楽しむ方なので、その目線で商品を選んでいるので面白くて、こだわった靴も多い。
1時間程、店内を堪能した後、首都高速と中央道を使い、約1時間半のドライブ感覚でライコランド多摩店の視察へと移動する。
ここは、カントリー調で東雲店とは全く違う。
コアなバイクファンが集う場所といった雰囲気で、お客さんのかっこいいビッグスクーターなどの写真が張ってあったりする。
ライコランドに自分のバイクの写真が飾られていることが、ステータスのようになっているのも、これまた面白い。
東雲店と多摩店と同じバイク用品店のはずなのに、大きな個人商店のように全く違う香りが漂っているのが何とも不思議で何とも魅力的である。
個性が写真や文章にも出るように、店の仕入れや空気感ここまで個性が出るものなのだなぁと帰りの甲州街道を走りながら、しみじみ感じるイシコであった。
投稿者 ishiko : 07:12 | コメント (4) | トラックバック
2006年03月23日
3月22日「こだまの魅力」
午前中の新幹線で名古屋から「こだま」に乗り3時間かけて東京に戻る。
「プラッとこだま」というお特なチケットがあり、グリーン車にドリンクつきでも、通常の料金より安いのである。
一度、使ってから病み付きになってしまった。
グリーン車ビール付きというのも魅力なのだが、イシコには睡眠時間のように乗車時間にもサイクルがあって、ちょうど3時間くらいが心地いいのである。
ituneで音楽を聞くのもいいし、原稿を書くのもよし。
DVDを観るのもいいし、読書をするのもよし、
ボーッと窓を眺めていてもいいし、眠ってもよし。
本日のように、3日分の交遊録を書き、ビールを飲みながら、DVDで映画「タナカヒロシのすべて」を観て、小田原くらいから東京まで眠るという合わせ技も、もちろんいいのである。
投稿者 ishiko : 06:41 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月22日
3月21日「いつ倒れても恥ずかしくない下着」
母方の祖母「ハマ子」ちゃんの法事に出掛ける。
このハマ子ちゃんから、僕はいくつものお言葉をいただいた。
彼女は亡くなる4、5年近く前に交通事故に遭遇した。
足の付け根にボルトを入れることになったが、奇跡的に命は助かった。
小学生の頃から外泊が大好きだった僕は、彼女の入院していた病院に無理を言って、看病という名目で何日か泊めてもらっていた。
そのハマ子ちゃんが、ある日、
「ヒデちゃん(イシコの本名だす)、ちゃんとしたパンツをはいとるか?」
僕は、何を言い出すんだろうと戸惑った。
彼女は、もう一度、言い直した。
「いつ倒れても恥ずかしくない下着をつけとかないといかんよ」
小学生の僕は訳がわからず、実家に戻ると母の葵ちゃんにその話をした。
「説得力あるね〜」
葵ちゃんは大声をあげて笑った。
ハマ子ちゃんは、物を大切にする人だった。
それはとてもいいことなのだが、交通事故に遭遇した時、意識不明の彼女は手術室で丸裸にされた。
もちろんパンツも脱がされた。
そして、意識が戻ったとき、彼女は枕元に置かれている自分のつぎはぎだらけのパンツを見た。
それが、とても恥ずかしかったのだそうだ。
僕はその話を聞いて以来、パンツだけはできるかぎり新しいものにしようと心がけている。
投稿者 ishiko : 22:46 | コメント (0) | トラックバック
3月20日「焚き火だ。焚き火だ。竹の山」
昨年の夏、イシコの実家の庭が竹に占領されそうになったので、ブルドーザーを入れ、竹を根っこから掘り起こしてもらった。
その残骸が今も山のように残っている。
実家に戻る度に燃やしているのだが、竹の山はなかなか減っていかない。
ただ、僕は焚き火が大好きなので、
「当分、焚き火が楽しめるぞ〜」
とうれしかったりもするのだが、毎日、ここに住んでいる姉の磨奈美ちゃんにとっては、庭の竹の山はかなり目障りらしく、早く燃やしてほしいようだ。
そこで本日は、ケアハウスから戻ってきた母の葵ちゃんも参戦し、僕らは目障りになりそうな場所にある竹の山を一気に燃やすことにした。
竹を燃やしたことがある方ならわかるだろうが、燃やしている途中に、ときどき竹の節の部分がはじける大きな音がする。
本日は、いつもより多めに竹の山を焚き火の場所に移動し、火を放った。
枯れた竹はよく燃える。
「焚き火だ。焚き火だ。竹の山〜」
とビールを飲みながら、替え歌を歌っていたのだが、そのうちいつものはじける音がし始めた。
さっき、書いたように竹はいつもより多い。
ということははじける音の回数もいつもより多くなる。
一回くらいだと「お〜」で済むのだが、回数が多いと「お〜、おっ!おい、おい」ってな感じで爆竹をそばに投げ込まれたように落ち着きがなくなってしまう。
やはり焚き火は少しづつの方がいいのだ。
次回からは磨奈美ちゃんには申し訳ないが、楽しめるくらいの焚き火にさせていただくことにする。
投稿者 ishiko : 22:45 | コメント (0) | トラックバック
3月19日「雄叫び観戦!」
テレビでここまで声をあげて野球観戦をしたことがあっただろうか。
僕が記憶するに小学生の頃、中日に居たデービスが巨人戦で逆転満塁ランニングホームランを打った時以来の雄叫びだったと思う。
あれ?いつから僕は中日ファンをやめたのだろう?
今は考えるのをよそう。
WBC日本×韓国戦で0対0の均衡を代打福留がツーランホームランで破った。
「よっしゃ〜!」
イシコは雄叫びをあげた。
その後、宮本、イチローとタイムリーが続いた。
芋焼酎のお湯割りを飲んでいたこともあったのだろうが、雄叫びをあげながら観戦は続いた。
東京だと、狭い自室で雄叫びをあげるのは少々、抵抗感があるが、田舎だと全く抵抗感なく、心のままに雄叫びをあげながら観戦できるのは気持ちがイイ。
野球に興味のない母の葵ちゃんも姉の磨奈美ちゃんもさすがに僕の雄叫びが気になるのか、最後には3人で一緒に勝利を祝っていた。
しかし、実はよくわかっていない葵ちゃんがつぶやいた。
「これってオリンピックじゃないよね?」
投稿者 ishiko : 22:44 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月19日
3月18日「TAPの音」
TAPのカタカタカタって音が好きである。
中野に「TAP DO!」の公演を観に行く。
昨年、ホワイトマンで、お世話になったTAPのエンターテイメントグループである。
「TAP3割、笑い7割 ケセラセラ〜」
とグループのテーマソングがあるが、このTAP3割の「カタカタカタ」が心地良くないと、笑えないのだから、やはり彼らの実力はただ者ではない。
彼らの「カタカタカタ」は、本当に気持ちがいい。
顔では別の表情で笑わせ、足ではキチンと心地良いリズムを刻んでいる。
と今、僕は岐阜駅のベンチで、この交遊録を書いている。
向かい合って座っているおじさんが僕と同じジョージアの缶コーヒーを飲みながら、ものすごい早さで足を踏みならしている。
踏みならしているというのは嘘で、「カタカタカタ」という音はしない。
単なる貧乏揺すりのようである。
顔は足とは違うリズムの大阪弁で隣に座っている人を笑わかせているところは一緒なんだけどなぁ。
投稿者 ishiko : 19:01 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月18日
3月17日「ホワイトマンはこのままでよい?」
ホワイトマンの経営会議。
サンクチュアリ出版の鶴巻社長が
「経営会議とは別にホワイトマンのコンセプト会議をやったらどうだろうか?」
と言った。
確かにこのままだとこのままでホワイトマンは終わってしまう。
何とも不思議な日本語だが、今の流れではそういう感じである。
どこか頭の片隅にあった何かを突かれた感じがある。
夜、ホワイトマンのメンバーなど10名近くが集り、チェンマイのHIV感染孤児施設「バーンロムサイ」に関するミーティング会食。
代表の名取氏が
「バーンロムサイが六本木アクシスでアンダー・ザ・ツリー展というものを
5年やってきて、ここで改めて何か若い人達にも負の遺産を、演歌的にならないように発信していきたい」
と言った。
頭の片隅にあった何かを再び突かれた感じがある。
その後、ヘアデザイナーNo.17シャーマンのヘアサロン「initiate」5周年パーティーに駆け込みで顔を出した後、映画配給会社クロックワークスの酒匂社長と映画プロデューサーのキャスパーと、近くのバーに移り、ピナコラーダを飲みながら、夜更かしをする。
このメンバーに今年、イシコは生まれて初めてカンヌ映画祭に連れて行ってもらう。
キャスパーが言った。
「行きはコルシカ島に寄ろう。帰りにアムステルダムにも寄ろう」
頭の片隅にあった何かが揺れ動いた。
今日、一日、たびたび現れた「何か」が、全てつながっているのか、それとも全く違うのか今のイシコには判断できない。
投稿者 ishiko : 15:48 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月17日
3月16日「一言に込められた意味」
籠って書き物に集中する。
というかするつもりだった。
しかし、国別対抗野球が気になり野球中継は見始めるは、久しぶりに京都在住のNo.2カマンと長電話はするは、ウルグアイ映画「ウィスキー」は見始めるは、昼寝を始めるはと、全然、はかどらない。
はかどらないまま、夕方、新宿へNo.30ち〜ムーンを迎えに行く。
ちょうど彼女が車に乗った時、台風が迫ってきているかのような風まじりの雨が降ってきた。
「飛ばされそうだね?僕の仕事の予定も今日は全部、吹っ飛んじゃった」
「どうして?」
「野球見たり、映画見たりしちゃった」
「あっ、そう。いいんじゃない?」
会話だけ見ると普通の会話に見えるが、ち〜ムーンの「いいんじゃない?」程、見捨てられ感の強い言葉はない。
解説を付け加えるならば
「いいんじゃない?そうやって自堕落に生きていけば?まぁ、後悔だけしないようにね」
が込められているのである。
その後、彼女をスタジオに送り届け、待っている間、イシコは車の中でノートパソコンを開いて原稿を書き始めたとさ。
めでたし。めでたし。
投稿者 ishiko : 08:04 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月16日
3月15日「東京一人旅気分」
天気がいい。
こんな日は旅に出たくなる。
そこで出掛ける用事を旅気分で出掛けることにした。
まず、東大宮。
新宿から新宿湘南ラインへ缶コーヒーを買って乗り込む。
原稿仕事でもしながらとノートパソコンを開くが、結局、外の景色を観ながらボーッと約40分の旅を楽しむ。
デザイナーの松下氏らと待ち合わせてライコランド埼玉店でメカニックの取材をする。
あ〜、バイク旅に出たくなる。
おっと、その前にバイクを買わなくてはならないイシコである。
再び、新宿湘南ラインに乗って渋谷に向かう。
今度はビールを買って、少しだけ贅沢な気分でグリーン車に乗ってみる。
suicaのカードを席の上のランプに当てるだけで、指定席の支払いができるのは便利である。
その手軽さが、経済観念の薄いイシコには危険なのだが…。
東横線に乗り換え、自由ヶ丘に向かう。
スゥエーデンのスキーウェアー「SOS」本店で、明日から日本上陸15周年を記念して初セールを開くので覗きに行く。
会長のNo.19ズジョウや社長の佐藤氏などスタッフとよもやま話をしながら、今度はスキー旅を想像する。
店を後にして気象予報士加藤氏オススメの自由ヶ丘の某とんかつ屋に入る。
カウンターだけの店に一人で入り、ひれかつをつまみにビールを飲み、流れているテレビをボーッと見ていると旅先で飲んでいる感覚になるから不思議である。
最後は東京タワーである。
よく考えてみれば東京タワーなど何年振りだろうか。
ここの展望室でベーシストでNo.36ネーザンが参加しているヒーリング系の音楽で知られるアーティスト望月衛介ライブ。
満月に照らされる東京の夜景を見ながら、赤ワイン片手に心地よい音楽に浸る。
一日をすっかり旅気分で堪能したイシコは、満面の笑みで帰路につくのであった。
投稿者 ishiko : 07:48 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月15日
3月14日「コンドームと靴下」
表参道にある京懐石の個室。
先月、伺ったチェンマイのHIV感染孤児の施設「バーンロムサイ」代表の名取氏、僕が大好きな機内誌「翼の王国」でお馴染みの文筆家佐伯氏、先月、一緒に旅に行ったセリュックスの桑原氏、ホワイトマンの初期の頃からの理解者である万年筆の専門店「書斎館」代表の赤堀氏、久々の再会で、この春、子供雑誌「punto」を創刊するアートディレクターの名取氏とこれまた豪華な顔ぶれである。
懐石を楽しみながらの3時間、ずっと笑い転げていた。
特に赤堀氏が若い頃、空港に文房具を卸していた頃の話の数々には、息ができなくなる程、笑った。
う〜、我慢できなくなってきた。
赤堀さん、ゴメンナサイ!
一つだけお話を披露させてください。
今ほど海外旅行というものが当たり前ではない昔の話である。
空港での女性販売員はスチューワーデスのような基準で選ばれ、今のようにアルバイトやパートで働くという感じではなかったのだそうだ。
みんなキレイなのだが、どこかツンとすました感じで販売していたそうだ。
その彼女達のレジの前の商品の中にコンドームと靴下が並べて売られていたそうだ。
今のように「スキン」などという言葉もない頃である。
「コンドーム」と口に出すのは恥ずかしいので、買物をする男性陣は
「それをくれ」だの
「そいつをくれ」だのと言っていたそうだ。
その「それ」と「そいつ」が勘違いの原因だった。
ある日、靴下を買いたい客が、店に入ってきて言った。
「それをくれ」
彼女は
「それですね?」
とマニュアル通りに答えた。
当時、お客様に恥をかかせないために「コンドーム」という言葉を口に出してはいけなかったそうだ。
しかし、それ以前にこの時点で彼女は既に間違っている。
男性客の「それ」は「靴下」で、女性販売員の「それ」は「コンドーム」なのである。
男性客が
「あっ、すぐに使うから、袋から出してくれ」
と言うと女性販売員は焦った。
「す、すぐにですか?」
思い込みとは怖い物である。
コンドームだと思っている彼女は平静を取り戻しながら続けた。
「お客様、こちらはダースでしか販売しておりません」
今度は男性客が焦った。
「ダ、ダース?ダースでしか売らないのか?」
彼女はまだ気付かない。
「残念ながら…」
こんなやりとりが日常茶飯事だったそうだ。
こんな空港でのエピソードを赤堀氏は数えきれない程、持っているのだ。
次回は泊まりがけで赤堀氏の話を聞きにいこうと盛り上がるのであった。
投稿者 ishiko : 07:50 | コメント (4) | トラックバック
2006年03月14日
3月13日「新宿の夜景を観ながらマッサージ」
最初は大事。
それは子供ショーだろうが、大道芸だろうが、トークショーだろうが、雑誌の表紙だろうが、コラムだろうが…。
もちろんミーティングでも。
それを重々に判っていたはずなのに失敗してしまった。
ライコランドのWEBミーティングで店舗スタッフも交えて、初めての大人数でのミーティング。
完全な場違いのイシコがその場に居た。
その空気に飲まれ、イシコは肝心の最初の一言
「イシコはバイクのことを全く知りません。
今回、このスタッフというかプロジェクトに呼ばれたのは、皆様が持っている知識をどう世の中に知らせていく係です」
を言うのを忘れてしまった。
何だか白けた空気が会議室に流れていた。
「髪の毛が青いバイクのことを知らない奴が、何かをやろうとしている」
多分、僕が逆の立場だったらそう思って、イシコの話を聞いているに違いない。
実はこういった失敗は、他のクライアントで何度もしているのに相変わらず成長しないイシコである。
しばらくは試練な日々が待ち受けていそうである。
夜、新宿はセンチュリーハイアットに行く。
スパプロデューサーの河崎氏が、このホテルに新しいスパをオープンさせる。
その内覧会である。
久々に会った河崎氏は相変わらず、お元気そうで、ホテル側やスパのスタッフの方々を紹介していたき、その後、頭のマッサージを受けさせていただく。
たまげた。
座った場所の目の前には新宿の夜景がど〜ん!
そんな中で頭のマッサージを受けるとゆるゆるな異次元の世界に連れていかれそうな心地よさである。
恐らく人生の中でこれだけ高い場所でマッサージを受けたことはないことは間違いない。
しかも河崎氏オリジナルのスパ理論が組み込まれたスパは、身体が本来の状態に戻っていく感じである。
あぁ気持ちがいい。
しまった!ち〜ムーンを誘うのを忘れてしまった。
マッサージ好きのち〜ムーンに、イシコ一人で来たなどとても言えない。
というか今度、一緒に来ればいい話である。
仕方ない。これはおつきあいなのだ。だってマッサージ受けられると思ってなかったから。うん。仕方ない。
なぁんてと自分に言い聞かせながら、ウトウトするイシコであった。
投稿者 ishiko : 07:49 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月13日
3月12日「3年という時間」
No.30ち〜ムーンと、お世話になっているダンサーのHIEO先生やナオ先生が振付・出演しているダンス公演を観に行く。
ダンスを観ていると右脳がうにょうにょ動きだす感覚があるのは僕だけだろうか。
僕の場合、一休さんやバイキングビッケ(古い例で申し訳ありません)のように「ひらめいた!」って感覚はあまりないのだが、しいて言えば、地方か海外(これ僕にとって重要!)のバーで一人で飲んでいる時かダンスを観ている時に僕にしては大きなアイディアが生まれることが多い。
ホワイトマンをやろうとアイディアがほくほく湧いてきたのは、広島のホテルのバーで一人で飲んでいた時だった。
「ほくほく」と表現したように、星が出たようにひらめいたという感じではなく、「ぷつぷつ」と出てきた物が、「ほかほか」に変わり、「ほくほく」と育っていく感じである。
どんどん判らなくなってきた。
日本語とは難しい。
とにかく「ほくほく」湧いてきたアイディアを形にして、渋谷の古本カフェ「フライングブックス」のオープニングイベントでホワイトマンは正式なデビューをするわけである。
そのフラインブックスが3周年を迎えた。
そのパーティーが店で行われ、夜、顔を出すことにした。
この場所で出会った詩人やミュージシャンの方々も多い。
3年という時間で、これだけの人達に出会わせてくれたのである。
その時に生まれたホワイトマンショー「古本ラジオ」は、他の場所でも行われるようになり、ラジオシリーズ自体は発展して、劇場での「プレゼンラジオ」になった。
この場所がなければ、生まれていなかったコンテンツには違いない。
No.10バランスマンがワインを持って近くにやって来て、耳元でつぶやいた。
「もう3年だよ。やばくない?」
「確かに!」
と力強く答えた後で、どうして「確かに!」って答えたのだろう?とふと思った。
「歳?」、「ホワイトマン?」、「生き方?」、「原稿?」、「時間?」、「お腹の出具合?」、…。
様々な考えがワインの酔いと供に頭の中を駆け巡った。
もちろん駆け巡っている間に、口先では他の話題に行ってしまっていたのだが…。
そして、また口先だけで答えていた。
「確かに!」
あっ、僕の癖だ。
投稿者 ishiko : 08:27 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月12日
3月11日「男の便秘」
僕は男性にしては珍しく便秘症である。
「べんぴ、べんぱー、べんぺすと」と活用形にしたら、「べんぱー」くらいの位置をキープしそうな、ちょっと変わった便秘である。
僕の場合、便秘の上の方で下痢になるのだ。
これから食事しようとされている方、ごめんなさい!
これがまた結構、キツいのである。
盲腸と勘違い、初デート中、大学入試の試験中、子供ショー途中放棄、逃すな終電、だから乗らない満員電車、快速電車の恐怖、飛行機のトイレ占領事件、走れイシコ(ロンドン編)、走れイシコPart2(ロサンゼルス編)など、タイトルだけで想像できそうな便秘にまつわるエピソードは数知れない。
本日も、舞台中に悲劇は起こった。
池袋へ友人というか先輩というか宮本大誠氏が主演している舞台を観に行ったのである。
前日に電話して、無理してチケットを取っていただいたので、補助席での観劇となった。
劇団スーパーエキセントリックシアター出身の水木氏の演出に笑い転げているとき、ふとお腹に異変を感じた。
「ヤバイかも?」
そう思い始めると病は気から原理で、脳から「お前の腸は現在、肛門に向かって悪い物を一気に排出しようとしております」命令がくだっているように全ての機能が、その方向に向かっているように思えてくる。
劇場の通路を確認するが、満員で補助席を追加してしまい、しかも僕は一番、端の方に居るので通路はふさがれた状態。
一番、近いのは舞台に上がってしまうしかない。
そんなアホな。
と自分に言い聞かせ、お腹に手を当て
「もうちょっとだから、我慢しようね」
と子供に言い聞かせるように念じる。
ラッキーなことに舞台上ではエンディングを迎えていた。
俳優達には申し訳ないが、カーテンコールがありませんようにと願った。
しかし、客席の拍手は鳴り止まない。
もちろん、自分も拍手した。
拍手などしている場合ではないのに。
終わると、まるで次の用事があるかのように客席をかきわけトイレに向かった。
本日も無事、排出成功であった。
楽屋へ挨拶に行き、
「すっきりしました!」
と思わず、言いそうになるところを抑え、
「面白かったです!」
と答えるイシコであった。
いや、待てよ。
宮本氏の役柄から考えると「すっきりしました!」という感想でも間違っていなかったかもと思ったのは劇場を後にしてからであった。
投稿者 ishiko : 07:33 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月11日
3月10日「バイクに何故、乗る?」
ライコランドのWEBデザイナー小室氏と下高井戸でベルギーの白ビールを飲みながら打合せをする。
バイク業界に入って10年以上になる彼と話をしていると、大学卒業以降、バイクと縁のなかったイシコも乗りたくなってくるから不思議である。
きっとその部分をWEBコンテンツとして出していければ、魅力的なサイトが徐々に出来上がっていくに違いないと確信する。
3杯目の白ビールを飲み干した頃、
「何故、僕らはバイクに乗るんだと思いますか?」
小室氏が哲学的な言葉を僕に問いかけた。
「好きだから」
と僕は言いかけたが、喉元で止めた。
何か少しニュアンスが違う気がしたのだ。
寒い日や雨の日は乗りたくないし、荷物が多かったら困るし、不便なこともバイクには多い。
それに対して、「好きだから」という答えはちょっと違うのだろう。
4杯目の白ビールがテーブルに置かれた時、
「結局は楽しいんですよ!」
ハイライトの煙を美味しそうに吐き出しながら、彼は言った。
投稿者 ishiko : 09:53 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月10日
3月9日「眠る。眠る。眠る」
目が覚めると既に時計は10時を過ぎていた。
申し訳ないのだが今回のプーケット島の取材中も僕は、他のスタッフよりたくさん眠っていた。
それでも通常のイシコの8時間睡眠には程遠く、せいぜい6時間程度。
ディレクターのヒーマンやカメラマンの岡崎氏は、1、2時間程度しか眠らないこともあることを考えると、ホント罰当たりイシコである。
と反省しつつ、マンデリンのコーヒーを入れる。
トランクを開け、旅の汗が染込んだ衣類を洗濯機に放り込む。
洗濯機を回している間、何もやる気が起きず、スケジュール確認に関するメールだけ、しかも「了解です」と味も素っ気もない返事をしただけで、後はGONTITIの曲を聞きながら、ボーッと曇り空を眺めていた。
いつしかまた眠っていた。
洗濯が終わった電子音で目覚め、洗濯物を干す。
白いシャツ類の衣類を漂白剤と供に放り込み、再びスタートボタンを押す。
やはりやる気は起きず、旅中に来ていた手紙の整理をして、カード会社から送られてきたフリーペーパーをパラパラめくっていた。
いつしかまた眠っていた。
再び電子音で目覚め、洗濯物を干す。
既に昼を過ぎていた。
小腹が空いたので、パスタを茹で、インスタントの明太子ソースと納豆を絡め、ビールを飲みながらお腹に流し込む。
やはりやる気はせず、映画「チームアメリカ」を観る。
いつしかまた眠っていた。
会計事務所からの電話で目を覚ます。
既に夕方近くなっていた。
さすがに「イシコの交遊録」だけでも書こうと思い、BENNIE Kを聞きながら、キーボードを叩く。
いつしかまた眠っていた。
すっかり夜になっていた。
バスタブにお湯を張っている間に「イシコの交遊録」だけアップする。
アロマのムースを浮かべ、景山民夫の「転がる石のように」を読みながら、
風呂にゆっくり浸かる。
いつしかまた眠っていた。
風呂から上がると、軽くストレッチをして、メールを何通か書いて、11時にはいつものように布団の中でゆっくり眠りに堕ちていく。
いったい僕はどれだけ眠れば気がすむのだろう。
投稿者 ishiko : 06:00 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月09日
3月8日「どちらの肘掛け?」
プーケットからバンコク経由で成田に戻る。
飛行機の座席に座り、シートベルトをした時に、ふと肘掛けのことについて考えた。
どちらの肘掛けが自分のだろうと、いろいろなシーンで思ったことはないだろうか?
例えば映画や芝居を見る時の劇場の椅子。
どちらの肘掛けも両隣の客にふさがれていると、いったい自分の肘掛けは行ってしまったのだろうと追跡したくなってしまう。
イシコとは勝手な生き物(今更、言わなくてもわかっているだろうが…)で自分も肘掛けを両方とも占領している時があるのに、人が両方を占領していると気になってしまう。
それでも飛行機の場合、ヘッドホンを差し込む方が自分の肘掛けと考えれば、そんなに難しいことではない。
しかし、体重100キロを超えようしているヒーマンに限っては、そんなことは関係ない。
座った時点でどちらの肘掛けも既に彼の物なのである。
二日続けてヒーマンのお話で彼には申し訳ないのだが、彼は本当に目が離せない生き物、いや失礼、目が離せない人物である。
投稿者 ishiko : 19:58 | コメント (0) | トラックバック
3月7日「初めて象に乗る」
おかげさまで、この楽園ゴルフの企画が始まってから、初めての乗り物体験が増えそうである。
前回、ハワイで初めて乗せていただいたヘリコプター取材に続いて、今回は初めて象に乗せていただく。
僕が乗った象は20歳で人間の言う所でいうと200歳なのだそうだ。
と、僕についたタイ人の象使いが笑いながら言っていたので、本当かどうかはわからないが…。
象は決して乗り心地がいいものではない。
ただ、いつもの目線より確実に高くなるので、それはそれで新鮮である。
村上春樹氏の「象の消滅」という短編を思い出した。
ある日、動物園から老いた象と飼育係が行方不明になってしまう話である。
僕が主人公だったら、この象に乗って行方不明になるとしたら、どこへ行くだろうか。
少しだけ文学的な気分に浸っていると後ろから笑い声が聞こえてきた。
振り返ると、No.15ヒーマンが眠っているではないか?
しかも爆睡状態。
完全に脱力しているため、身体が象の動きに合わせて、もの凄い触れ幅で動く。
ヘビメタのライブで、ヘッドバンキング(音楽に合わせて頭を降ること)している観客もここまではいかないだろうというぐらいにヒーマンの頭は揺れている。
どちらかと言えば、K1やプライドのKOシーンを何度も見ているようである。
後で聞く所によるとヒーマンは基本的に乗り物があまり好きじゃないのだそうだ。
船のような揺れ方をする乗り物は特にダメで、すぐに気持ち悪くなり、それを通り越すと気持ちよくなるというか、イッてしまう状態になるそうだ。
そう聞くと次の楽園ゴルフでは何に乗せるかを妄想してしまうイシコであった。


