« 2005年12月 | メイン | 2006年02月 »
2006年01月31日
1月31日「旅まくりの締めはチェンマイとラオス」
今、成田空港のラウンジでコーヒーを飲むイシコである。
本当は、ビールが飲みたいのだが、昨日の食い倒れ伊勢神宮遠足の影響かお腹がまだ張っている。うぇ!
それにしても今月も旅が多かった。
そして、最後の締めはチェンマイとラオスに出発である。
さて、さて、今回はどんな旅が始まるやら。
ちょうど一緒に行くセリュックスの桑原氏から電話である。
投稿者 ishiko : 09:18 | コメント (5) | トラックバック
1月30日「男だけの新年遠足!」
No.23ゲーマン、No.24キャスパーと三重県は伊勢神宮へ行く。
伊勢神宮のある伊勢市駅で降り、内宮から外宮までのバスにも乗り、無事到着したのだが、何故か本殿まで辿り着けない。
理由は、ここには旨い食べ物屋が揃っているからである。
「これ美味しそうだね?」
「これつまみに一杯飲もうか?」
「松阪牛の牛丼食べたいね?」
などと、あっという間に到着してから3時間が経っていた。
その間に僕らのお腹の中には
こんにゃく、たこ棒、いか棒、チーズ棒、かつおの塩辛、焼き牡蠣、蛤の酒蒸し、さざえつぼ焼き、あっぱ貝、ミンチカツ、串カツ、コロッケ、牛丼、赤出し、地ビール、地酒、とうふソフト、赤福
がおさまっていった。
まさに食い倒れである。
食べ続けているうちにこれは何かの感覚に近いぞと思った。
「正月」なのである。
ゲーマンやキャスパーのように会社の社長としてバリバリ活躍していると本来の年末年始は何だかんだ忙しくて正月を味わうことができない。
年が明け、少し落ち着いたところで、こうやって神社にお参りをして1年間のお礼とこれから1年の豊富を改めて自分に言い聞かせ、ゆるゆると飲んだりするのである。
彼らが毎年、ここへやって来るのがわかるような気がした。
「来年も来よう!」
男3人は叫んだ。
こうして男だけの新年会ならぬ新年遠足を満喫するイシコであった。
投稿者 ishiko : 07:39 | コメント (0) | トラックバック
1月29日「声だけのエンターテイメント」
No.30ち〜ムーンと横浜へ「トクシック・オーディオ」を観に行く。
ニューヨークはオフブロードウェイでやっていた5人組の肉声だけを使ったパフォーマンスグループである。
僕などは大道芸という道具を使ってもせいぜい30分くらいしか持たせられない(しかも持たないことさえある)のに、このグループは1時間30分ものショーに仕上げている。
確かに途中、だれてしまう部分もあるにはあるが、それでも全体を通してみれば素晴らしい作品だと思う。
声を自由に操り、歌だけでなく、客いじり要素が入り、コメディ要素が入り、エンターテイメントに仕上げているのである。
終わってから、ホッピーを飲みながら、ち〜ムーンとずっと彼らのものまねをしていた。
ものまねをするということは、それだけ影響を受けてしまっているに違いない。
投稿者 ishiko : 00:08 | コメント (271) | トラックバック
1月29日「為末選手に会ったけど詳しくは書かない」
春から始まる靴の連載の取材で、アスリートの為末選手と会う。
カッコイイし、表現力は豊かだし、頭の回転はいいし、男でも惚れ惚れするような人であった。
それにしても彼の身体に対する探究心には驚かされる。
ちなみに都内で好きな坂は「道玄坂」らしい。
ちなみに今、一番、会ってみたい人は「アシモ君」らしい。
など理由も含めて書きたいことは山程あるが、「散歩の達人」の新連載に書く(しかも本名。何故かは長くなるので、また後日。)ので、これくらいにしておく。
夜、No.3コープマン、No.26,27リョウ、ショウ、サニーサイドアップ松本の仲良し家族とてっちり鍋を食らう。
No.11ボッチャマンがフィラデルフィアから約1年半ぶりに戻ってきたので、彼を囲む会というか12月のニューヨーク滞在中につるんでいたメンバーNo.7かめら〜まん、No.30ち〜ムーンが一緒に集う。
そこへ連載の取材で一緒だった「散歩の達人」山口編集長が加わり、笑い声の絶えない飲み会となった。
人の家だろうが構わず、イシコは10時過ぎには撃沈体制。
いつもの仲良し家族のソファに眠ったはずだが、ふと気がついたら自宅に戻っていて、ボッチャマンとごろごろしながら、ゆるゆる旅の話をしていた。
途中の記憶があやふやである。
投稿者 ishiko : 00:04 | コメント (0) | トラックバック
1月28日「タレルの部屋に酔いしれる」
歳のせいにしたくはないが、筋肉痛と同じで時間差で深夜バスの疲れが出たようである。
朝食バイキングを食べて、部屋に戻り、ベッドの中でごろごろする。
久しぶりにまどろみという至福感をチェックアウトの正午まで楽しむ。
雨があがったようなので、近江町市場の方まで散歩がてら歩く。
市場の活気を浴びながら、思わず明日の夜の鍋用にたらの白子を買いそうになるが、今日、持ち歩く時間のことを考え、やめることにする。
そこで本日の昼飯となる海鮮丼屋を吟味する。
優柔不断を自覚しながら、ようやく入り、カウンターに座ると目の前に「御殿場産鹿肉」の文字が…。
ここは金沢。ひょっとして神奈川とかけているのだろうか。
だいたい魚じゃなく、鹿って…。
いや待て。いかにも金沢を売りにして観光客相手にしている店より余程、信用できるかもしれない。
そんな思いを巡らせながら、ビールを飲む。
出てきた海鮮丼は、ごくごく平凡な味であった。
そのまま歩いて金沢21世紀美術館に行く。
昨日、ここにやってきてタレルの部屋という場所がお気に入りになってしまった。
トルコのサウナみたい(イシコは行ったことはないが、何となく)な部屋で、その天井が切り取られたように屋根がなく、空が見えるのである。
すなわち天井という額に囲まれた絵を観ることができる。
昨日は青空で、夕焼けに変わっていく絵を楽しむことができた。
今日は雨の絵である。
それに加えて、雨が床に落ちる音も楽しむ。
飛行機の時間までボーッと妄想を繰り広げるイシコであった。
投稿者 ishiko : 00:01 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月30日
1月27日「金沢21世紀美術館に酔いしれる」
年に何回か深夜バスに無性に乗りたくなる時がある。
「これから俺は旅をするのだ。ベイビー」
ベイビーは言わないにせよ、一人旅を高揚させる何かが深夜バスという乗り物にはある気がする。
もちろん乗ってしまえば何てことはない。
眠っているうちに金沢に到着しているのだから。
先週、行っていた札幌の雪と質が違う金沢の雪景色が登場する。
駅の構内のマクドナルドで何杯もコーヒーを飲みながら、何本か電話を受けたり、原稿を書いたり、メールのやりとりをしていたらあっという間にお昼近くになっていた。
全日空ホテルに早めにチェックインさせてもらい、シャワーを浴び、昼寝。
ふと目を覚ますと14時近くになっていた。
すぐに着替えてタクシーに乗って金沢21世紀美術館へ向う。
初対面の桶谷氏と待ち合わせているのである。
桶谷氏は臨床検査技師をしながら、21世紀美術館の友の会のフリーペーパーなどの編集に携わっている。
彼女に案内してもらいながら、約3時間近くかけて館内を楽しませていただく。
夜、シルクスクリーンのアーティストや養護学校で美術の先生など桶谷氏の知り合いのアートに携わる方々と焼き鳥屋へ飲みに行く。
「じぶ煮」なる金沢の名物をつまみに、「手取川」なる金沢の地酒をぐいぐい飲む。
髪型のせいなのか、ファッションのせいなのか、仕事(特に何をしているわけでもないが…)のせいなのか、僕はよくアートに詳しいと勘違いされやすい。
しかし、それは大きな間違いで、母の葵ちゃんと姉の磨奈美ちゃんより知っている
くらいである。
葵ちゃんと磨奈美ちゃんは、多分、岡本太郎くらいしか知らないと思うことからして僕のレベルがわかるだろう。
ってなわけでみんなのアートに関する会話をふむふむと聞き入るイシコであった。
投稿者 ishiko : 23:59 | コメント (357) | トラックバック
2006年01月26日
1月26日「展望室は低い方がいい?」
2月のNo.28ストーンマン主催のイベントに出演するため、横浜ランドマークの展望室に下見に出掛ける。
展望室にはその街にちょうどいい高さというものがあるのだろう。
もちろん人の好みというものもある。
例えばニューヨークのように、エンパイアよりロックフェラーから見える景色の方が僕は好きである。
何故、高さが気になったかというと横浜のように東京の街並が遠くに見えるのは高さならではの目線を楽しむこともできるのは何とも楽しいのだが、この建物をそのまま先週、行った札幌の展望室のような場所だったらとふと思ったのである。
北だけでなく九州の小倉駅の上のホテルをこの建物に置き換えることも想像してみた。
どちらの街にもランドマークの建物では高過ぎるのである。
そんなこと言われなくてもわかってるわい!と読者の方に突っ込まれそうだが、スミマセン!僕は今日、改めて気付いたのである。
こういった面からも街にあったグランドデザインというものが存在するのだろう。
とグランドデザインの話をし始めると長くなるので、これくらいでとめておこう。
夜、銀座へ渡辺正行プロデュース「LDK」の芝居を観に行く。
一斉を風靡したお笑いグループ「コント赤信号」の3人は、現在、テレビだけでなく演劇の世界でも活躍している。
ラサール石井さんは舞台の演出をこなし、小宮さんは眼鏡の奥の目玉がくるくる動く芝居が妙に印象に残る俳優である。
そして初めて見た渡辺正行さんの舞台芝居。
オムニバスだったので3パターンの演技を見ることができたのだが、日本人のおじさん独特の嫌らしさ、せつなさ、やさしさが見事に表現されていた。
ってお前は演劇評論家か!とこれまた読者の方に突っ込まれそうだが、スミマセン!僕はたんなる演劇好きなおじさんです。
投稿者 ishiko : 09:00 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月25日
1月24日「映画「RIZE」のトミーザクラウンに会う」
一度、会ってみたい人は居るであろうか?
もし、居たら、ずっと会いたいと思っていた方がいいよと言われたことがある。
僕がずっと会いたいと思っていた人は、映画「RIZE」に出てくる、トミーザクラウンだった。
その願いが叶った。
彼は1992年にロス暴動の本拠地サウス・セントラル地区で、クラウンの扮装をして子供達の誕生日会やパーティーで、ダンスやマジック、マジックバルーンを使ってパフォーマンスを始めた。
それが若者の間にクラウンダンスとしてどんどん広がり、ムーブメントを起こした人である。
クラウンダンスはヒップホップダンスにアフリカ民族ダンスの要素が混じったものである。
日本では「クランプダンス」というダンスが知られているが、元はこのクラウンダンスから派生したスタイルである。
そのトミーザクラウンに会いたくて、僕はロスに行こうとまでしていた。
そこへトミー・ザ・クラウンが来日するとの情報が…。
シネマカフェ編集部に無理矢理お願いして、インタビューを申し込んでもらったのである。
もちろん僕もホワイトマンのメイクでご対面である。
今年、最初のホワイトマンの仕事は、最高な形での仕事となった。
トミーザクラウンは陽気な中に少しだけ寂しさが残る繊細な人で、僕は更に好きになった。
彼のかぶるカラフルなカツラのように、いろいろな色が見えるバックボーンがとても魅力的だった。
今度は、ロスで会ってみたいなぁ。
イシコとは何と欲張りな生き物なのだろう。
投稿者 ishiko : 10:03 | コメント (1) | トラックバック
2006年01月24日
1月23日「奇妙な光景」
渋谷へ映画「RIZE」のイベントに行く。
映画の中でダンスバトルのシーンが出てくるが、それをイベントで再現するらしい。
チケットは既に「ソールドアウト」でダンサーの友人からは業界ではプレミアチケットになっているよと聞かされていただけあって600名以上のダンス好きな若者達で会場は満杯である。
しかし、どこか奇妙である。
みんな小劇場の桟敷席のように体操座りでびっちり座らせられているのだ。
プロモーションイベントでマスコミ関係の撮影がメインというのはわかるが、クラブのような会場でダンスファッションに身を包んだ若者達がぎっちり座っている光景は何とも奇妙である。
そして「MINI BOX」という小学生のキッズ・ダンスチームが登場して、イベントはスタートした。
この人というかこの子供達のダンスが既に凄いのである。
「おいおい。腰を悪くするぞ」とおじさんの僕は心配してしまう。
それを体操座りで見る若者達。
後ろで見ていてやはりとても奇妙な光景に映った。
夜、サニーサイドアップの松本氏と表参道のNo.24キャスパーが経営する会員制のイタリアンレストランに足を運ぶ。
内装に1億はかかっていると言われる贅沢な空間は何とも優雅な気持ちにしてくれ、とにかく居心地がいい。
この店のバースペースを使って2月から月1回、昨年のホワイトマンカフェに変わって今年はホワイトマンバールを開く予定である。
昨年と違い、酒も料理も全てキャスパーがプロデュースしてくれるので、僕はホワイトマンで出店すればいいので、気が楽である。
海外のように高級店のラウンジでの立ち飲み文化を提案していきたいキャスパーはホワイトマンバールをやりたい理由を語った。
82年産のフランスワインや映画「モンドヴィーノ」に登場したオーパスワンと高級ワインを飲みながら、夢心地でホワイトマンバールを想像し、いつしか僕は机にうつぶせになり眠ってしまった。
高い店で金髪の男が、うつぶせになって眠ってしまうのも、これまた奇妙な光景に映っただろう。
投稿者 ishiko : 16:05 | コメント (0) | トラックバック
1月22日「アイスホッケーは面白い!」
No.30ち〜ムーンと日光へ生まれて初めてのアイスホッケー観戦に出掛ける。
日光神戸アイスバックス×KOKUDOとの一戦である。
スピード感が今まで見てきたスポーツ観戦とは全然違い、カット数の多い映画を観ているような感覚で面白い。
そして会場に焼酎のお湯割りが置いてあるのも嬉しい。
売店のかわいいお姉さんが、
「焼酎に梅干しは入れますかぁ?」
と言うのに何とも違和感を感じ、
「梅干しはつぶしちゃっていいですかぁ?」
と言う言葉に完全にイシコはノックアウトである。
天気予報士加藤氏の旦那様がアイスバックスの選手の為、第3ピリオドはスタンドから選手の激しい当たりが見られるバックネットへ連れて行ってもらう。
「氷上の格闘技」とはよく言ったものである。
プロレスのリングサイドで場外乱闘を観ている感覚である。
加藤氏によると特にこの二つのチームは、北欧スタイルで力でぐいぐい押す当たりが強いホッケーなのだそうだ。
ちなみに北米スタイルは緻密な戦術でチームプレーが主流のようである。
こんな楽しいスポーツ観戦に鼻血が出そうなくらい興奮し、これからもどんどん観に行きたいと思うイシコであった。
投稿者 ishiko : 09:37 | コメント (330) | トラックバック
2006年01月22日
1月21日「雪味酒とDVD」
東京にかなりの量の雪が降った。
そこで雪味酒を楽しむ。
「雪見酒」の間違いじゃないの?
って言われそうだが、子供の頃、僕は雪を口の中に入れる癖があった。
大人になった今はそれにバーボンが加わった。
グラスに注いだバーボンの上にベランダにつもった雪をひとつかみのせる。
No.30ち〜ムーンが見たら
「汚いからやめなさい!」
と怒られそうだが、これはやってみるとわかるが、何とも楽しいのである。
というわけで本日、出掛ける予定をキャンセルしてDVDを見ることにする。
1本目は黒澤明監督の「素晴らしき日曜日」。
今日、土曜日なのになぁとつまらないことを言いながら、見始めたこの作品。
特に何か事件が起きるわけでもなく、何か闘いがあるわけでもなく、ただ単にカップルの日曜日を1日描いているだけなのに心がほんわかして、幸せな気持ちになれるのだ。
有名な観客に拍手をうながすシーンでは、もちろん僕も拍手してしまった。
2本目はキアヌリーブス主演の「コンスタンチン」。
マトリックスのようなキアヌが登場する。
違うのはキアヌリーブスが日本語でいうところのイタコなのだ。
死後の世界とつながることができる。
そういえば日本では「地獄に行ってくる」って言うイタコの話を聞いたことがない。
ちなみにマトリックスと同じなのは、キアヌが座る椅子にどちらの映画も「emeco」が登場する。
投稿者 ishiko : 07:05 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月21日
1月20日「だだだだっ!と人に会う Part2」
1月後半から2月頭にかけて東京に居る日が少ないので仕方がないのだが、本日もだだだだっ!と人に会ってミーティング。
まずは千駄ヶ谷でサニーサイドアップ松本氏とプロデューサーのNo.15ヒーマンとホワイトマンのアートプロジェクトのミーティング。
ミーティングというかイシコがやりたいことを形にするにはどうしようという何とも罰当たりな話合いである。
次に千葉県は柏市に移動。
デザイナーの松下氏とシステムデザインの黒田氏とオートバックスのバイク版のようなライコランドの本社に出向き、森社長、取締役部長の高橋氏、横内氏と会う。
ミーティングというか森社長がメチャクチャ面白い人だということがわかった話合いだった。
渋谷に戻り、印刷会社コミネコミュニケーションズの市川部長と石黒氏と会う。
ミーティングというか新年会のごとく、ベトナム料理屋でサイゴンビールを飲みながら沖縄について語り合う。
二子玉川に移り、スキーウェアーメーカーSOSの佐藤社長と会う。
ミーティングというかキャッシュオンのバーで、焼酎のロックを飲みながら、今後のスキー業界について語り合う。
あっという間に深夜になっていた。
投稿者 ishiko : 14:50 | コメント (0) | トラックバック
1月19日「祝!梅沢昌代さん紀伊国屋賞!」
タイトル通り、舞台女優の梅沢昌代氏が紀伊国屋賞を受賞した。
と言われても演劇を観ない人にはピンと来ないかもしれない。
文学の世界で言うところの芥川賞みたいなものである。
と知ったかぶりをしているが僕の隣に座った演劇評論家の方に聞いただけである。
その方はかなり有名な演劇評論家らしく今回の紀伊国屋賞の4名の選考委員の一人だというのにイシコは知らなかった。
しかも
「知ってるよね?」
と紹介され、知らないと言えず、そのまま会話を続けてしまったのである。
しかも
目の前の席には演出賞で紀伊国屋賞を受賞した経験のある鈴木裕美氏。
「ピーターパン」など売れっ子女性演出家である。
もちろん初対面である。
そうそう、どこへやってきたのかをまだ書いていなかった。
梅沢氏の受賞をお祝いするお食事会に招かれたのである。
周りは演劇業界の蒼々たるメンバーばかりで知り合いがあまり居ないイシコは完全な人見知りモードに突入。
しかし、共通の知人の俳優が会話の中に出て来た頃から、テーブルの皆様と楽しくお話をさせていただいた。
最後の最後で鈴木氏が言った。
「ところであなたは何をされてる方ですか?」
投稿者 ishiko : 14:48 | コメント (299) | トラックバック
2006年01月19日
1月18日「女子大回転のコースを滑る?」
No.33ホーガンと昨日、座談会にも参加した小路口氏と手稲のスキー場へ遊びに行く。
札幌の冬期オリンピックの会場となったテイネハイランドに到着。
ホーガンの地元なので、とにかく知り合いが多い。
まずは昨年、スキーヤー児玉氏がエベレスト登頂したときの本田隊長を紹介される。
エベレスト登頂の時の凍傷のしびれが未だ指先に残っているのを聞き、探検隊の怖さを知る。
その後、ホーガンが以前、在籍した三浦雄一郎氏のスキースクール「ドルフィンズ」の控え室に行き、何名か紹介される。
ホーガンはここで教えのプロとなり、全日本のモーグルコーチを勤めるまでになったのだ。
山小屋独特のストーブの前で、初心者のイシコはこの場所にふさわしくない革パンを脱ぎ、ホーガンから渡されたSOSのスキーウェアに着替える。
「イシコちゃん、メチャクチャうまそうに見えるね〜」
とホーガンや小路口がからかう。
上下で15万近くするプロスキーヤー使用のスキーウェアに包まれたイシコは確かに上級者に見える。
しかし、ゲレンデに一歩出ると
「IT'S ボーゲン!」
と雄叫びを挙げながら、女子大回転のコースを降りていく初心者に早変わりなのであった。
投稿者 ishiko : 11:38 | コメント (0) | トラックバック
1月17日「札幌でなくてもできること?」
JR札幌駅の上のシネコンで三谷幸喜の新作「有頂天ホテル」を見た後、サッポロファクトリーにあるスーパー銭湯でゆるゆるする。
「札幌でなくてもできることだろうが!」と怒られそうだが、僕にとっては、意外にそうでもない。
こういった旅先で観た映画は、「●○で観た映画」としてずっと頭の中に深く刻み込まれるし、地方のスーパー銭湯では、僕は何故だか書き仕事のスピードが早くなるのだ。
夜、昨年、エベレスト登頂に成功した児玉氏、パラリンピック出場経験を持つ田中氏、新進気鋭のスキーヤー小路口氏、萩沢氏とプロスキーヤー4名が地鶏屋に集りスキウェアーメーカー「SOS」のWEB特集用座談会が行われる。
テーマは「プロのスキーヤーは食べられるのか?」である。
詳しくは2月中頃アップ予定のWEBを観ていただきたいのだが、今回の司会役でWEBのプロデューサーNo.31ホーガンが居ない。
14時には羽田を発ったはずなのに未だ到着しない。
合流したときには22時をまわっていた。
話を聞くと14時に羽田を出発したのだが、千歳空港の視界が悪く、津軽上空で旋回を繰り返し、結局、降りれず、羽田に戻ったのが17時過ぎ。
別の便に乗り換え、再度、19時過ぎに乗り込み、ようやく到着したのであった。
ホーガンの顔は疲れ切っていた。
投稿者 ishiko : 11:30 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月17日
1月16日「JR札幌駅の展望台はイイ!」
午前中の飛行機で札幌へ。
札幌には10回近く、いやそれ以上、来ているとは思うのだが、冬の札幌は初めてである。
雪に覆われた札幌の街は、今まで見たことのある札幌とは全く違う。
すっぴんの彼女が初めて化粧をして現れたときの感覚に似ている。
その感覚が僕の方向感覚と食感覚を狂わせる。
何故か札幌なのに博多の店に入り、何故か博多なのに長崎料理を食べ、ビールを飲むこととなる。
そして、どこも寄らずホテルに早めにチェックインした。
幾つかの企画仕事があったので、コンビニで買った「余市」をロックで飲みながら、電話したり、企画のアイディアを書いてメールしたりしていたら、あっという間に夜を迎えていた。
バスタブに湯を張り、吉本ばななの「TUGUMI」を読みながら、ゆったり浸かる。
先日、古本屋でふと見つけ、実は彼女の作品を読んだことがなかったことに気づき、購入したのである。
風呂に入り、100ページ近くも読んだら、身体がふにゃふにゃにふやけていた。
その後、札幌駅の上にできたJRタワー展望室に行く。
173メートルと決して高くない(ちなみに新宿の都庁が243メートル、東京タワーが332メートル)
しかし、周りに高い建物がないので、夜景がキレイに見渡せる。
何とトイレまでガラス張りで夜景である。
男性なら誰しも一度はビルの屋上からおしっこをしたいという願望があると思う(ない?)が、ここでは、その願望に近い感情が味わえる。
この展望室のキャッシュオンのバーで、シーバスのロックを買い、大通り公園が見える場所に向って座り、ボーッと眺めながら、ちびちび飲む。
下手に高いバーに行くのなら、ここで入場料払い、キャッシュオンで酒(種類は少ないが)を買い、飲んだ方が素敵な時間を過ごせると思える場所である。
結局、2時間近くボーッと飲み、ホテルに戻り爆睡。
投稿者 ishiko : 10:21 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月16日
1月15日「妄想の至福」
南浦和でデザイナーの松下氏とスコッチを飲みながら打合せ。
彼は主にバイクメーカーの広告デザインをすることが多いのだが、彼自身、バイクのレーサーでもあり、バイクのライターでもあり、レースDJもこなすなど、とにかくバイクにまつわる様々な日々を送っている。
もちろん今回の打合せもバイク絡みのプロジェクトである。
イシコはバイク業界とは無縁だったのだが、これを期にバイク業界とホワイトマンというのも面白いかもと思い、今回のプロジェクトはメチャクチャ楽しみである。
そんな彼の目下の夢はイギリスのマン島のオートバイレースに出走することである。
このレースは100年も続いている伝統の公道レースらしい。
僕などは島と聞くだけで
「行こう。行こう」
と鼻息が荒くなる。
まだ決まってもいないマン島のレースに出ることを妄想しては、二人は、はしゃぎまくるのであった。
夜、渋谷のフライングブックスへ「立体文学」なる紙芝居を観に行く。
ニューヨーク在住の作家新元氏が本を書き、イラストレーター山崎氏が絵を描き、ピアニストの杉浦氏が音楽を書く。
その3つのコラボレーションからなる紙芝居エンターテイメント
2年前のホワイトマンショー「プレゼンラジオ」でスタートしたこのコンテンツも既に9回目を迎えている。
語り部でもある新元氏が確実に語り部としてプロになってきているのがメチャクチャ面白い。
そして、この紙芝居の楽しみである一つにゲストとのトークショーもある。
本日は浪曲師であった。
昭和30年代の前半までは、日本国民が代表的に楽しむ話芸の一つだった。
この話芸には3つある。落語、講談、そして浪曲である。
落語は、ご存知の通り、街の人情話など歴史的事実に基づいていなくても構わない。
講談は、落語より古く主に大名のおかかえとして発達したもので、歴史を伝える語り部としての役割を兼ね揃えていた。
そして、浪曲は、その落語と講談の間で、それに音楽がつき節がついたものである。
まさに立体文学なのである。
と全て聞いたままである。
そんなお話を聞きながら、来年のプレゼンラジオは浪曲が入っても面白いだろうなぁと妄想を楽しむのであった。
投稿者 ishiko : 08:13 | コメント (265) | トラックバック
1月14日「柳町光男監督健在なり!」
上京した年の秋、僕は映画「愛について東京」の宣伝担当をしていた。
宣伝など初めての経験で右も左もわからないまま、がむしゃらにチケットを売るために奔走していた。
その作品の監督が柳町光男監督だった。
僕でも知っているフランスで人気のある映画監督だった。
東京での上映が終わるまでの半年間、監督と一緒に過ごす時間が多かった。
それ以降、飲み会で会うくらいしか会うことがなくなり、ここ5年程は会うことさえなってしまった。
こうして、いつしか15年近く経っていた。
監督は60歳を超え、ここ数年は早稲田大学で教鞭をとっているなど風の噂を聞きながら、もう映画を撮らないのかなぁとなんとなく寂しく思っていた。
その監督が久々にメガホンをとった。
タイトルは「カミュなんて知らない」
東京国際映画祭のある視点部門で作品賞を獲り、ニューヨーク映画祭での評価も高く、全米での公開も決まった。
そして日本初日。
プロデューサーから監督が来るからと連絡があり、初日挨拶を観に行くことにした。
挨拶慣れした監督の直後、作品が始まった。
日本映画に思えない、いい意味で70年代の香りが漂うのは何故だろう。
そしてラストシーンは、やはり柳町作品だった。
何だか妙に感動してしまった。
終演後、監督達と飲みに行く。
約5年振りに会う僕の金髪を見て、
「あんた気でも触れたの?」
柳町監督の毒舌も相変わらずだった。
そして必ず毒舌を吐いた後ににやりとする。
それを見て、僕もにやりと返すのが何とも嬉しかったりする。
再会の喜びをビールで流し込むイシコであった。
投稿者 ishiko : 08:11 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月14日
1月13日「だだだだっ!と人に会う」
今日は「だだだだっ!」と音が出そうなくらい人に会った。
まずは五反田のマーラー刀削麺がウマい店でアーティストのNo.4レインボーマンと彼の事務所の長谷部社長と「だっ!」と会う。
山椒と唐辛子のしびれ具合がたまらない。
たまらず青島ビールを飲む。
ひぃひぃはぁはぁ言いながら、2月のレインボーマンの個展でトークショーの参加を引き受ける。
代官山に移り、No.17シャーマンのヘアサロンに行く。
「だだっ!」とここのスタッフと新年のご挨拶を交わす。その後、シャーマンのいつものインスピレーションで今年初めてのカットをしてもらう。
ヘアデザイナーだけでなく、様々なプロデュースもこなす彼の話を聞いていて、つくづくホワイトマンには優秀なプロデューサーが多いなぁと感じるのであった。
新宿御苑に移り、映像制作会社に行く。
「だだだっ!」と安西社長、坪井氏、張監督と3名に会う。
柳町光男監督の新作「カミユなんて知らない!」が明日公開になる。
干し柿をいただきながら、13年のつきあいになる彼らと出会った時期の映画の話で盛り上がる。
そのきっかけの作品が柳町監督の「愛について東京」という作品だった。
その時、事務所の電話が鳴った。
柳町監督からだった。
表参道に移り、No.24キャスパーの会社の新年会に行く。
「だだだだっ!」といろいろな方を紹介していただく。
今年のイシコは、脱!人見知りをテーマに様々な方々とお話する。
ランナーズ編集部の幸村氏とは「フルマラソンデビューはどこがオススメ?」について語り、アルク編集部の望月氏と杉本氏とは「アルク編集部は英語が話せる人ばかりなのか?」について語り、ヤフーの吉澤氏とは「インターネット使用者の何%がヤフーを使っているか?」について語った。
もちろん、その後、ホワイトマンの面々などとも赤ワイン片手にじっくり語り合うのであった。
こうして「だだだだっ!」のイシコの1日は幕を閉じた。
投稿者 ishiko : 10:45 | コメント (2) | トラックバック
1月12日「運をつかむ方法?」
ホワイトマンの経営会議。
イシコが12月末に缶詰で書いていた本は本来は、ノンフィクションの予定だった。
しかし、いつしか僕の頭がどこでどうなったのか170枚も書き、今も書き続けている物はフィクションである。
「ダメな子だ…」
みんなはあきれていた。
ホワイトマンが終わるまでもしくは終わってから出ることはあるかもしれないが、現段階の今回の企画では、どうがんばっても出せる本ではない。
「どんな占いでも、イシコ37歳ブレイク説だったのに…。この本でブレイクだと思ったのに…」
とバランスマンが悲しそうな声で言った。
そうなのだ。僕は意外に、いや、意外でもないのだが、占いが好きである。
今まで、いろいろな人達に見てもらったが、20代の頃に何名かの占い師に続けて見てもらう機会があり、そのときに
「あなたは、今いくらもがいても37歳までブレイクしないから」
と言われたのである。
その時はかなりへこんだ記憶があったのだが、それなりに楽しく何だかんだ37歳まで生きて来た。
経営会議を終え、歯医者に向う電車の中。
表紙に「運をつかむ」と書かれた雑誌を真剣な顔で読んでるおばちゃんが目に入った。
彼女の口元が動いた。
「んなわけねぇだろ!」
ってつぶやいた。
いや、声には出ていないが、あの口の動きは絶対にそうである。
しかし、しかしである。
降りる寸前で彼女の表情が、みるみる変わっていった。
そして希望に満ちた顔で彼女は渋谷駅で降りた
占いの本とは恐ろしい。
投稿者 ishiko : 10:44 | コメント (274) | トラックバック
2006年01月12日
1月11日「ユニセックスな美容液とパック初体験」
美容液とパックをいただいた。
最近では「ユニセックス」な化粧品というものがあるらしい。
男性ホルモンや女性ホルモンの影響は若い頃の話で、30歳を超えたお肌の手入れは男性も女性も基本的には一緒なのだそうだ。
「ふむふむ。なるほど。なるほど」
と今まで足を踏み入れたことがないので、興味深く聞き入る。
というわけで本日、お風呂上がりにさっそく美容液をつけてみる。
多分、知らなかったらこれって高価な瞬間接着剤?って聞いてしまいそうな入れ物に入っており1回づつ使い切りタイプのものである。
「イシコいきま〜す!」
と自分に言い聞かせ、初めて美容液を肌に塗った。
なんかやわらかいゼリー状のものが肌全体に広がっていく。
次にパックである。
ヒタヒタに浸されたマスクを鼻と口に合わせて貼ってみる。
「お〜!」
ひんやりした感覚が心地いい。
じわじわと肌に染み渡っていく感覚。
ビルーワイルダー監督の映画「お熱いのがお好き」を流し、マリリンモンローもパックとかしてたのかなぁと思いながら、生まれて初めての美容体験を楽しむのであった。
投稿者 ishiko : 06:15 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月11日
1月10日「二つ決めた!」
セリュックスの桑原氏と表参道で昼食を食べながら、お互いのスケジュール帳を見ながら、今月末にチェンマイはバーンロムサイに行くことにした。
12月の来日中、僕はニューヨークに行っていたのでNo.34バルーンマンに少ししか会えなかった。
今度は僕がチェンマイに行き、彼がやりたかったマジック道具を持っていき一緒に遊ぼうと思う。
昔、子供ショーをやっていた頃、ナポレオンズにマジックを習ったことがある。
「君ほど、マジックに向いていない人は居ない」
と彼らは僕に向かって言った。
そんな僕に教わるバルーンマンはかわいそうだ。
ミュージシャンの大島花子氏と夕食を食べながら、彼女の活動のお手伝いをすることにした。
お父さんである故坂本九さんの意志を受け継ぎ、障害者をサポートをする任意団体「one step to 9」を立ち上げ、しばらくは休止していたのだが今年から、本格的に再開する。
日航機墜落から20年が経ち、昨年、彼女が御巣鷹山に登って決断したことだと思う。
10年来の友人として少しでもお手伝いできればと思うのであった。
投稿者 ishiko : 13:32 | コメント (0) | トラックバック
1月9日「ホワイトマンアートプロジェクト始動!」
「プレゼンラジオ」が終わってから2年近くが経つ。
その間、どちらかというと僕は棚から落ちて来たぼたもちを食べていた気がする。
誰かが面白そうな話を持ってくる。
それを楽しくこなす。
そんな感じだった。
自分の足で自ら動いたわけではないのである。
そんなこんなでホワイトマンも残り2年となった。
最後の2年は自分の足で自らも動いてみようと思う。
もちろんたくさんの人の力を借りることになるだろう。
もちろんたくさんの人に迷惑をかけるだろう。
それでも参加した人達が、メチャクチャ楽しかったって思えるプロジェクトを目指してみよう。
多分、自分が一番、楽しんでいるんだろうけど。
そんなアートプロジェクトを立ち上げることにした。
したと言ったらしたのだ〜!
と誰に向かって言っているのかわからないが、テーブルを叩いて、ショットグラスのテキーラを一気に流し込むイシコであった。
投稿者 ishiko : 13:30 | コメント (351) | トラックバック
1月8日「ダンス春の陣に備えて」
ホワイトマンのダンスレッスンに行く。
このところ人数も少なくなり、来る人が限られてきた。
3月にナオ先生の本番があることもあり、一度、お休みにして4月から、限られたメンバーで密かな中年のヒップホップグループを作ることにしようと思う。
くれぐれも舞踏ではない。
今、鏡に映っているのは、ヒップホップというよりは舞踏のマネといった方が近いのだが…。
投稿者 ishiko : 13:29 | コメント (279) | トラックバック
1月7日「懐かしい味」
No.30ち〜ムーンとフェミリーレストラン「COCOS」に行く。
僕の記憶が正しければ、東京に来て約14年。
東京で僕がCOCOSに来たのは初めてだと思う。
ここのメニューにタマネギのソースがかかったハンバーグがある。
このジャンボを頼んだのだが、これが懐かしい味なのである。
おふくろの味ではなく、懐かしい味なのだ。
ハンバーグの食感といいタマネギの味付けといい文句無しの懐かしさなのである。
いや思い出せないのだから文句無しではない。
懐かしさということは、どこかに思い出があるはず。
しかし、思い出せないのである。
僕の育った岐阜にはCOCOSはない。
ち〜ムーンにも食べてもらうのだが、彼女は懐かしいとは言わない。
ということは僕だけの懐かしさなのだ。
結局、最後までわからなかった。
COCOSさん、何故なのでしょう?
投稿者 ishiko : 13:27 | コメント (337) | トラックバック
1月6日「打合せ三昧」
JTBモチベーションズの井上氏とSOSの佐藤社長、No.33ホーガン、新入社員の柴田氏と自由ヶ丘でミーティング。
このSOSの柴田氏が面白い。
元々はSOSでアルバイトだったらしい。
大学を出て、最初に入った会社でシステムを開発していて、上司に
「お前のには理論がないんだよ。だから説得力がないんだ」
と言われ、あっさり会社を辞めて、大学院に入り直した。
理論を学び、自分が開発したシステムを日本の会社100社くらいに提案したが、何の音沙汰もない。
アメリカの会社にも同じように100社くらいに提案したら、2社から「うちで研究していい」というのが来た。
その一つの会社と分厚い契約書を交わして、アメリカで研究してソフトを作り上げた。
これが、もの凄いシステムらしく、たちまちアメリカの航空会社と契約が取れた。しかし、自分には全く何の見返りがないので、直訴すると
「契約書に書いてあっただろ?」
と相手にされない。
そこで彼は会社を辞めて弁護士をたてて闘うが、敗訴。
日本に戻って再起をかけようと、融資を求めてアルバイト時代にお世話になったSOS会長No.19ズジョウの元に行って何故か今、SOSに居る。
これにはもう一つおまけがある、彼が作ったシステムがイギリスで賞を獲った。
しかし、そのシステムを持つ会社は誰もその説明ができない。
そこで、彼の元に説明しに来ないかとの連絡が入る。
普通なら裁判で闘った相手なのでお断りするところだが、一度、そういった授賞式を見てみたいと彼はイギリスに飛んだのであった。
日本一のお人好し男なのか、日本一の貧乏くじ男なのかは、今後、飲みながら観察したいと思う。
投稿者 ishiko : 13:25 | コメント (3) | トラックバック
2006年01月08日
1月5日「ハーフは何故、かわいいのか」
アメリカはミシンガン州で教師をしているティムと手芸家のひびちゃんが二人の愛娘ニナちゃんを連れて来日した。そこで、ひびちゃんと仲のいいち〜ムーンや声楽家の新田氏、舞台監督の守田氏、そしていつもの竹内夫妻らが集っての会食となった。
僕は急ぎの原稿が進んでいなかったので、それを書き終えてから遅れての合流となる。
まだ1歳にも満たないニナちゃんは、イシコという金髪の生き物が気に入らなかったようで、僕を見ると泣き出した。
他の人達には笑顔を見せるのに僕にだけは最後まで眉間に皺を寄せ、少しでも近づこうものなら泣いて近寄らせなかった。
それでも、赤ちゃんは、やはりカワイイ。
それもニナちゃんはハーフである。
かわいくないはずがない。
アジアの子供には、緑の鼻水が足れているのを見て、「この鼻たれ小僧が!」とからかえるのに、欧米人やハーフの子供が透明の水っ鼻をたらしていると、「だいじょうぶでちゅか?」と赤ちゃん言葉になってしまうのは何故なのだろうか。
とこれだけ褒めているのだから、次回は泣かないで抱かせてね?ニナちゃん。
投稿者 ishiko : 15:08 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月06日
1月4日「ユニクロの根強い人気」
母の葵ちゃん、姉の磨奈美ちゃんと岐阜は各務原の叔父の家へ新年の挨拶に伺う。ビールに熱燗、焼酎とフルコースで、へべれけイシコが出来上がる。
叔父の家から帰る途中、磨奈美ちゃんの車がユニクロに入っていった。
正月なのに、いや正月だからなのかはわからないが、大きな駐車場がほぼ満車状態である。
「恐るべしユニクロ」とつぶやく。
しかし、久々のユニクロに興奮し、酔いが少しだけ覚めた僕は、かごを持って散策に入った。
そういえばNo.24キャスパーが、今年のユニクロのタートルはリブがなくなってカッコいいと言っていた。
リブがある、なしの好き嫌いはあるだろうが、やはり、僕もどちらかというとリブ無し派である。
しかも1000円という安さ。
「恐るべしユニクロパート2」とつぶやくイシコである。
こうして僕らは、ふがふが言いながら、タートルを5枚も購入するのであった。


