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2005年12月31日
12月30日「缶詰生活10日目」
連日の飲み会ですっかり缶詰気分の緊張の糸が切れた気がする。
その上、悪い癖までついてしまった。
テレビである。
しかも完全な中毒のようである。
特に今週に入って故ナンシー関のようにつけっぱなしに近い。
イシコとは何とも意志の弱い人間である。
本当に幾らでも見ていられるのである。
きっとアホな子のようにずっと口を開けて見ているのだろう。
テレビを見る格好も、いろいろ試してみたが、やはりお父さんが寝転がって見る格好が一番、僕にはあっているようである。
寝転がるという行為の堕落加減がちょうどいいのである。
そして、僕の大好きなうたた寝にそのまま突入できるわけだ。
あっという間に半日など過ぎてしまう。
いかんいかん。
このままでは原稿が全く進まない。
部屋を飛び出し、近くのロイヤルホストへ逃げ込み、ウエイトレスに鼻息を荒くして「ドリンクバー!」と告げ、セルフサービスのコーヒーを取りに行く。
コーヒーを飲み、何かから逃げて来たかのように「は〜」とため息をつく。
しかし、ここで肝心なことに気がつく。
ノートパソコンを忘れてしまったのだ。
逃げ出した意味がない。
開き直り、書いている原稿の全体像を考える構想タイムというか妄想タイムに切り替えるイシコであった。
投稿者 ishiko : 08:12 | コメント (0) | トラックバック
12月29日「缶詰生活9日目」
スキーウェア「SOS」のWEB特集用座談会の一つ「スキーは専門誌にしか載らないのか?」のナビゲーターで自由ヶ丘のアイリッシュパブで編集者3名と飲む。
名前は出すが雑誌名を出さない予定なので、ここでもあえて編集者とさせていただく。
ほとんど普段の飲み会と変わらず、テーマとほとんど関係ない話が多いのだが、会話の端々に面白い話は引っ掛かる物である。
何より今の雑誌業界のお話も聞ける。
あまりに面白くて、飲む場所を中目黒に変え、近くに住むかめら〜まんも加わり、結局、イシコにしては珍しく2時まで飲んでしまった。
う〜。12月飲み会が少なかっただけに年の瀬って感じで楽しい。
今日、みんなとお話していて、原稿の枚数より残り何枚の方が気になると言われた。
実は全く先が読めないのである。
これだけ長い原稿を一気に書いたことがないので、ペースが全くわからないのだ。
ということで今日から枚数を書くのを辞める。
そして、最後にみんなに言われた。
イシコのは「缶詰」じゃない。
投稿者 ishiko : 08:11 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月29日
12月28日「缶詰生活8日目」
No.24キャスパーの会社の忘年会にビンゴゲーム用のホワイトマングッズを届け、軽く1杯だけシャンパンをいただいて帰るつもりだった。
しかし、行ってみると立食スタイルの忘年会ではなく着席スタイルで、しかもフレンチのコースメニューで席も用意されていた。
帰るに帰れない。
完全に缶詰破りである。
意思の弱いイシコは、そのまま久しぶりの飲み会というか今年初めての忘年会を満喫してしまう。
久々に多量のお酒を摂取したイシコは、変にテンションだけ高く、挨拶も完全な空回り。
しかも最後の方は正直、覚えていない…。
缶詰破りのイシコの本日、原稿6枚。
少々、焦り気味。そして少々、太り気味。
投稿者 ishiko : 10:13 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月28日
12月27日「缶詰生活7日目」
ふと「缶詰生活」ってイメージが膨らみそうな言葉だなぁと思った。
イワシやシーチンキンに囲まれて缶詰ばかり食べてそうな感じである。
そしてMONOマガジンやDIMEにライターとして登場し、ときどきスパに缶詰評論家として登場するのである。嘘。嘘。
ヤバイ!ヤバイ!そんなことを書くと昨年の「寿司1ヶ月生活」みたいになってしまう。
毎日、缶詰を作っていそうな感じのタイトルにも思える。
それも何だかよくわからない匂い缶というインチキくさい物。
大分の地獄温泉シリーズが当たっていて、最近では機内食シリーズを開発している。
機内食をあけたときの化学調味料の匂いが詰まっている缶なのである。
ホントにありそうで怖くなってきた。
それよりは昔のチョコボールのおもちゃ缶みたいなホワイト缶みたいな物を創ったるする方が楽しそうだ。
そもそも「缶詰」の表記が間違っているのではないか。
三省堂の辞書を引っ張り出して調べてみた。
ここには「缶」の旧字で表記されていた。
それよりも、
「外出・連絡を禁止した状態で人を一カ所にとどめて置くことにもたとえられる」
と何とも軟禁に近い状態の意味で書かれている。
となると散歩はするし、メールはしまくっているイシコの缶詰生活は何なのだろう。
どちらかというと「飲み会禁止生活」というタイトルの方がいいのかもしれない。
本日の原稿15枚なり。
投稿者 ishiko : 08:03 | コメント (294) | トラックバック
2005年12月27日
12月26日「缶詰生活6日目」
コンスタントにヒットを打つイチローって凄いなぁとつぶやいていた。
比べること自体が間違っているのだが、コンスタントに同じテンションで百枚以上の原稿を書き続けるということの難しさをつくづく感じる今日この頃。
大学の卒論も書かなかった(というかうちの数学科はなかったのです)イシコにしては、ここは一つの壁なのかもしれない。
などと考えている間に手を動かせと思うのだが、おっと今日は、先日のハワイの原稿の1回分の締切日でもあった。
推敲をしているうちに、たいした量でもないのに半日をかけていた。
終わった瞬間、「プハ〜ッ!」とビールを飲んでしまう。
いかん。いかんとまた本の原稿に戻ろうとするのだが、その前に、このところ滞りがちだったメールの返事に手を出してしまった。
やはり何通ものメールが送信されないまま、「下書き」の欄に埋もれていた。
メールを書き続けていたら、いつしか夕方になっていた。
アルコールも抜けたところで、自由ヶ丘のSOSへ打合せに出掛ける。
既にこの時点で缶詰とは呼べない気がする。
飲みに行くのは自制したが、自宅に戻って、炒飯を作って、ビールを飲みながら、普段、テレビを見ないのにつけてしまった。
SMAP×SMAPの総集編をやっていた。
この「総集編」という言葉にイシコは弱い。
弱いというか大好きである。
年末はこの手の番組が多く、見ているといくらでも見れてしまう。
「面白いなぁ」
と言いながら、結局、ザッピングしながら様々な番組を最後まで見続けてしまった。
飲物はいつしか焼酎に変わっていた。
こんなんじゃ原稿も進むわけがない。
本日5枚なり。
投稿者 ishiko : 10:06 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月26日
12月25日「缶詰生活5日目」
No.30ち〜ムーンは、食事が偏っている。
僕とち〜ムーンは約15年の付き合いになるので、それが当たり前になっていた。
彼女と食事をするときはパンかパスタかうどん、時々、中華と天気予報でも当てはめられそうなくらいの種類から選ぶ。
それが今月のニューヨーク滞在中に、ホワイトな面々と様々な食事をする度に、いかにち〜ムーンが、他の国の料理を食べていないかに気付かされたのだ。
フランス料理はニューヨークで初体験だったし、韓国料理はニューヨークで二度目だと言う。
僕は全く気がつかなかった。
パン好きのち〜ムーンなのにベーグルはニューヨーク初ということにもカルチャーショックであった。
そこで僕は帰国後、ち〜ムーン初めての食事プロジェクトを二人だけで立ち上げることにした。
本日、初日。
まずは鰻である。
「ち〜くん、鰻は食べられるかい?」
「はい!隊長!多分、食べられると思います。しかし、私は鰻屋で食べた事がありません!」
早速、ち〜ムーンを車に乗せ、神泉にある老舗の鰻屋に連れて行く。
「隊長、鰻が全然、出てきません!」
「ち〜くん、老舗の鰻屋は、その場でさばいてから焼いているから時間がかかるのだよ。もう一杯ビールを飲みたまえ」
ち〜ムーンがビール2杯目を飲み終える頃、鰻がやってきた。
「隊長、何だか給食のような器です」
「シーッ!ち〜くん、それは昔から使っている老舗ならではの味わいなのだよ」
僕はその場しのぎで作った理論で言いくるめながら、ふんわりした鰻を食べさせるのであった。
これ以上、質問されては老舗の鰻屋3回程度のイシコでは答えられない。
それでも満足したようで、終始、彼女はご機嫌であった。
あまりにウマかったのか彼女は、玄関でロングブーツを履きながら、ドアに頭を激突させていた。
「隊長!鰻は痛いです…」
本日の夕食プロジェクトでした。
ちなみに原稿は新記録22枚でございます。
投稿者 ishiko : 07:57 | コメント (334) | トラックバック
2005年12月25日
12月24日「缶詰生活4日目」
家でボーッとしているとあっという間に時間が過ぎていく。
自宅でボーッと過ごす時空間と飛行機の中の時空間は、ゆがんでいるんじゃないかと思う程、いつも早く感じる。
同じ2時間でも、全然、違うのである。
イシコの生活の中で2時間という時間枠で考えられるものをあげてみる。
●映画1本の鑑賞時間(ゴッドファーザーなどは別である)。
●ち〜ムーンと外食するときに費やす時間(もっとかけろと言われそうである)。
●東京から岐阜羽島までの新幹線の乗車時間(実家が岐阜羽島なのだ)。
●美術館の平均滞在時間(気に入った作品の前に椅子があるともっと長くなる)。
●イシコの昼寝時間(本当によく眠る生き物なのだ)。
●マラソンとバスタイムのセット(走った後に水を飲み、その後、ゆったり入るのである)。
●ふと出掛けるドライブ(よく歌を唱っている。それも作詞作曲。同じ歌は二度と唱えない)。
●奮発したマッサージ(いつもはせいぜい60分なのだが1年に1度くらいはいいのである)。
今、パッと思いつくのは、こういったところであろうか。
これに今回の缶詰生活で加わったことがある。
パソコンの前で考え事をしていて、ふと我に返るまでの時間。
途中で寝てるんじゃないかと思う時があるのだが、妄想していると、あっという間に過ぎていくのだ。
しかも全く手が動いていない。
恐るべし。2時間という時空間。
もちろん書けなかった言い訳も含まれている。
本日も5枚止まり。
投稿者 ishiko : 07:13 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月24日
12月23日「缶詰生活3日目」
昨日は調子がよかったのに、今日は既に原稿に行き詰まっている。
行き詰まっているというのとは少し違うのかもしれない。
書きたい事は山のように頭の中にあるのだが手が追いつかず、あれもこれも書きたいと思っているうちに、それを左脳がどれくらいの作業時間がかかるかを勝手に叩きだし、それを考えた時点で、その作業自体が面倒になってしまうのだ。
結局は怠け者イシコの本性が出てしまったといった感じである。
そして、それが嫌になると簡単なブログなど他の原稿に手が出てしまう。
文章を書くのが嫌になるとメールに手が出てしまう。
文字を書くのが嫌になると文庫本に手が出てしまう。
文字を読むのも嫌になるとDVDに手が出てしまう。
こんなことでは先が思いやられる。
と悶々としていてもしょうがないので、散歩がてら表参道で行われている「ワダエミ」の衣装展に行く。
80年代に黒沢明監督の「乱」でアカデミー賞の衣装賞を獲得し、その後もチャンイーモウ監督の「HERO」など様々な映画で活躍している。
入口を入るとNo.7かめら〜まんが撮影したと一目でわかる彼女のポートレートから始まる。
僕が大好きだったのは昨年、野田秀樹が演出したオペラ「マクベス」の衣装。
ビロード使いがたまらないのである。
彼女の衣装は映画もいいが、舞台衣装もメチャクチャいいのである。
彼女の繊細かつ大胆な色彩感覚に大興奮しながら展覧会を満喫し、創作意欲が掻き立てられるイシコであった。
しかし、自宅に戻って、パソコンに向かう気配なし。
結局、本日の原稿は5枚。
投稿者 ishiko : 07:26 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月23日
12月22日「缶詰生活2日目」
朝4時に目が覚める。
夜も8時に寝れば当たり前である。
僕は高血圧なので起きた途端からフル活動。
コーヒーを飲みながら、バリバリ書き始めた。
何とか10時くらいまでパソコンにかぶりつく。
このまま1日中書けそうな気がしていたのだが、一旦休憩に入る。
休憩でビールに手を伸ばしてしまったのが大失敗である。
一気にのんだくれモード全開。
風呂に入り始めるは、ダラダラ本を読み始めるはでパソコンに向かおうともしない。
午後、気持ちを切り替え、一旦、打合せに出掛ける。
飲みの誘いをスパッと断り…、でもなく、優柔不断に悩んだ末に断って、家に戻る。
しかし、パソコンに向かう気がせず、映画「ソウ」を観る。
どこだかわからない部屋、鎖で足をつながれた束縛、誰だかわからない死体、死と直結の制限時間など、観ている者に恐怖心を掻き立てる要素満載である。
久々に「CUBE」の感覚と「ユージュアルサスペクツ」の感覚を味わうのであった。
というわけで完全にパソコンに向かう気なし。
結局、本日は本の原稿20枚止まり。
投稿者 ishiko : 05:48 | コメント (3) | トラックバック
2005年12月22日
12月21日「缶詰生活1日目」
本日より宿題が書き上がるまで、可能な限り人に会わないで籠り中心の生活となる。
いわゆる「缶詰」と呼ばれるものである。
イシコの場合、どうしても出掛けて人に合うと結局、飲んだくれてしまうのである。
家に居ても飲んでいるのだから一緒なのだが、缶詰になれば、少しは書き仕事に専念できるのではというせめてもの願い。
缶詰になるには自炊のための食糧が必要である。
午前中、スーパーへ買い出しに出掛ける。
年末まで毎日の献立を考えるのが、これまた楽しく、結局、スーパーに2時間近く居た。
家に戻るとぐったりしてしまい、パスタを茹で、焼酎を飲みながら、映画「真夜中の弥次さん喜多さん」を見る。その後、家具デザイナーNo.11ボッチャマンが掲載された海外雑誌を眺めながら風呂に入り、結局、本日、書いた本の原稿は2枚。
これじゃいかん。いかん。と言いながら、時差ぼけを理由に8時には眠っていた。
投稿者 ishiko : 06:14 | コメント (5) | トラックバック
2005年12月21日
12月20日「いぬのおまわりさん?まいごのこねこちゃん?」
成田に向かう飛行機の中で韓国映画「マラソン」を観て、人目を気にせず号泣。
観終わってから感動に浸りながら、しばらくボーッとオールドパーのロックを飲む。
今度は音楽に浸ろうと肘掛けのスイッチをオーディオモードにする。
最近の邦楽でもじっくり聞こうかなぁと思いきや間違って子供チャンネルに合わせたようだ。
「うたのおねえさん」独特の歌い方が耳に入ってきた。
意外にも、これがメチャクチャ面白いのである。
子供チャンネルは、てっきり子供の為のチャンネルかと思っていたのだが、途中で入るMCでの歌の解説を聞いている限り、これはお母さんなどが聞くチャンネルのようにも感じられる。
「懐かし〜」と僕が子供の頃から唱っている歌がドンドン流れてくるのである。
ウィスキーでほろ酔い気分のイシコは口ずさみたくなってしまう。
そして、タイトルを間違えて覚えていることに気付く。
「南の島のカメハメハ大王」と覚えていた唄は実は「南の島のハメハメハ大王」なのだ。
ここで問題。
「まいごのまいごのこねこちゃん、あなたのおうちはどこですか?」
というフレーズの唄のタイトルを知っているだろうか?
僕はずっと「まいごのこねこちゃん」だと思っていたが、実は「いぬのおまわりさん」だったのである。
まいごのこねこちゃんをいぬのおまわりさんが探してくれる歌なのである。
ただ、よく聞いてみると
「いぬのおまわりさん、困ってしまってワンワン、ワ、ワ〜ン、ワンワン、ワ、ワ〜ン」
といぬのおまわりさんは、困ってワンワン言っているだけで全く解決していないではないか。
と突っ込んでしまいたくなってしまう自分に、
「イシコもすれてしまったなぁ」
と自分自身につぶやくのであった。
投稿者 ishiko : 09:17 | コメント (350) | トラックバック
12月19日「珍道中最後はイシコ怪我?原因はリンボーダンス」
取材最終日は、コナのマーケットでの撮影。
その後、二班に別れた。
撮影班はビーチへ向かい、僕らはハワイグッズ関連の買物闊歩である。
土産屋は、もちろんのことであるが、書店に行ってハワイ料理のレシピ本を選んだり、スーパーに行ったりと取材とはいえ、メチャクチャ楽しい。
ファーマーズマーケットはアジアのマーケットを思わせる雰囲気なのだが、決して安くない値段を見て、やっぱり、ハワイはアメリカなのだということを知る。
夕方、僕らも撮影班に合流し、ビーチに向かう。
取材が終わる高揚感もあり、イシコはテンションが高かった。
駐車場のゲートをリンボーダンスの棒に見立てて、固い背中を反りながら歩き始めたのである。
リンボーダンスといえばカリブ海なのだろうが、僕の頭の中ではハワイアンが流れていた。
とその瞬間、足がすべり、転んでしまったのである。
ここ数年、転んだことがなかったので、何が起きたのかさっぱりわからなかった。
ただ、気付いたら手の平を大きく擦りむいていた。
取材最後の事件が僕の手の平になるとは思っても見なかった。
と冷静に書いているが、そのときの僕はメチャクチャ恥ずかしかった。
投稿者 ishiko : 09:14 | コメント (0) | トラックバック
12月18日「変な日本語」
どこかのニュースで読んだのか見たのかも定かではないが、最近、海外で漢字のタトゥーが流行っているというのを聞いたことがある。
確かに昨年、アートディレクターとしてスゥエーデンロケに行った時にタイポグラフィーとしての漢字が、みんな好きなんだなぁと感じ、このときの世界向けビジュアルブックでタイポグラフィーと意味を兼ね揃えた漢字を使った。
そして今回のハワイロケでも漢字が好きなアメリカ人を感じている。
タイポグラフィーとしての漢字として使っているアメリカ人と言葉としての漢字として使っている日本人のギャップがこれまた新鮮なのである。
「暗殺」のTシャツを着て笑っている若者はホラー映画の登場人物に見えてくるし、「攘夷(それもお腹から胸へと逆さまに書いてある)」と書かれていると深いなぁと思えてしまう。
ただ、くるぶしに「飲物」とタトゥーが入っている女性には、考えさせられてしまった。
何故?飲物なのだ。
確かに食物と書かれているよりは、飲物の方が柔らかい気がするが…。
それも根拠は全くないし、そもそもそういう問題ではない気がする。
砂漠を旅している途中に、水筒の水がなくなり、倒れそうなところでアジア人に助けられた。
その缶ジュースに書かれていたのが、「飲物」という文字だったのかもしれない。
そんなアホな。
ただ単純に画数が多い割に、タトゥーの値段が安かったからなのかもしれない。
投稿者 ishiko : 09:09 | コメント (377) | トラックバック
12月17日「初めての空撮」
今回の旅で初めての空撮を体験する。
そもそもヘリコプター自体の搭乗が初体験である。
撮影するので、ヘリコプターの片方の窓は開いたままである。
ヘリコプターのプロペラがまわり始める。
アドレナリンがドバーッと出ているのを感じる。
機体が上昇し、海に向かうに連れて、映画「トップガン」の音楽がヘッドホンから流れ始める。
アドレナリンは最高潮で、気分はトムクルーズである。
きっと機内に居た取材班4名ともそう思ったに違いない。
ということはトムクルーズ4名。
となるとこれは「トップガン」ではなく、「マルコビッチの穴」である。
いやいや、同じ感覚の人間がいっぱいということは「マトリックス」だ。
それにしても最近、「いやいや」という言葉をよく使う。
いつからだろう。何故だろう。
などと考えていたら、あっという間に撮影が終了していた。
「何でイシコはヘリに乗ってたの?」
と言われる前に、そっとヘリから降りるイシコであった。
投稿者 ishiko : 09:07 | コメント (0) | トラックバック
12月16日「ハワイ島珍道中。はじまり。はじまり」
「ハワイ何回目?」
まるでディズニーランドの回数を数えるようにみんなが言う。
「コンドミニアムでゆるゆると飲むのがいいよね?」
「年に1度は行くんです〜」
とどんどん盛り上がっていくのだが、イシコは会話に全く参加できない。
何故なら、イシコは初ハワイだから。
以前、みんながグアムの話をしているときにも参加できなかった。
そして、サイパンの話をしているときにも参加できなかった。
イシコは、みんながよく行くリゾートに行ったことがなかったのである。
しか〜し、しかしである。
ようやく、この旅が終わったら、ハワイの話には参加することができそうだ。
それにしても、さすがに二日連続の日付変更線の旅はちぃと身体にはキツい。
ボーッとした頭のままハワイ島のコナ空港に到着する。
アロハを着た係員が、今回のプロデューサー役であるカフェグルーヴの大川氏を止めた。
どうやらカメラの機材が多いことが原因のようだ。
こうして芋づる式に全員が止められる。
英語ができないイシコは笑顔で応戦するしかない。
ニューヨークで子供時代を過ごした曽山氏が英語で説明をして何とかお許しが出て外に出る。
しかし、タクシーを待つ間、大川氏の荷物が他の人のトランクと間違っていることが判明した。
そこで僕らは確信した。
今回の取材旅行は珍道中になるに違いないと。
投稿者 ishiko : 09:03 | コメント (3) | トラックバック
12月16日「昨日は成田第一空港到着。本日は成田第二空港出発」
僕がニューヨークに行っている間にNo.2カマンが自宅に泊まっていった。
そのお礼に置き手紙と供に僕の大好きなエビスビールを置いていってくれた。
そのビールのプルトップをあげ、最近、お気に入りの「mountsugar」のCDをかける。
ニューヨークでたまった洗濯物を洗濯機につっこみボタンを押す。
ビールからバーボンに変え、文庫本(本日はリリーフランキー氏の「美女と野球」)を持っていつものように長風呂を楽しむ。
そしていつものように書き仕事をして、このところはまっている唐辛子ふりかけと納豆と卵とキムチと味噌汁のいつもの朝ご飯のような昼ご飯を楽しみ、いつものように昼寝をする。
昼寝から目覚めるとニューヨークの荷物からハワイ行きの荷物に移しかえる。
こうして本日も成田空港に向うのであった。
昨日は成田第一空港到着だったが、本日は成田第二空港出発である。
成田第二空港出発ロビーのスターバックスに今回の「楽園ゴルフ」の取材メンバーが集結する。
まずは制作メンバーのカフェグルーヴ取締役大川氏と編集の曽山氏、ゴルフオンダイジェストの善財氏、ディレクターのNo.15ヒーマン、カメラマンの岡崎氏である。
今回も気心が知れた最高のメンバーである。
天ぷら屋で生ビールで乾杯。
その後、天ぷらをつまみながら日本酒をぐいぐい飲む。
どう見てもこれから仕事でハワイに行くメンバーには見えなかった。
こうして、「楽園ゴルフ〜ハワイ編〜」が始まるのであった。
投稿者 ishiko : 09:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月16日
12月15日「東京の現実」
13時間のフライトを経て成田に到着したイシコとち〜ムーンは、ぼろ雑巾のようになっていた。
スターバックスで、ソイラテを飲みながら彼女は言った。
「イシくん(彼女は僕のことをこう呼ぶ)は、明日、また成田に戻ってくるんだよね?」
彼女の言う通り、明日からハワイである。
旅好きのイシコであるが、さすがに日付変更線2連発はさすがに身体に応えそうである。
万全を期するためにもマッサージに向かう二人であった。
自宅に戻ると「散歩の達人」の山口編集長から電話が入った。
「写真めちゃくちゃいいよ!」
次の連載で掲載するピンホールカメラで撮った風景のフィルムをニューヨークに行く前に預けていったのである。
ピンホールカメラをご存知だろうか?
いわゆる昔、遊んだ日光写真の大人版みたいなものである。
デジカメのように予測できない。
だからこそ、イシコのようなカメラを知らない人間が撮ると予測できない写真が偶然、撮れたりするのかもしれない。
とにかく、あまり褒められることがないイシコは、どうしても写真が見たくなり、車で取りに行き写真を味わうのであった。
「というわけで原稿、ハワイの前によろしく」
こうして東京の現実も一緒に味わうイシコであった。
投稿者 ishiko : 10:44 | コメント (0) | トラックバック
12月14日「イシコは英語を話せない?話す気がない?」
朝、No.30ち〜ムーンとサラダを食べながら、ボーッと今回の旅を振り返る。
ここ数年、アジアでのんびりした旅が多かった彼女にとっては、かなりハードだったかもしれない。
ただ、この数日のマンハッタン生活を過ごした彼女は、既にニューヨーク6回目のイシコより確実に土地勘を身につけている。
「というか覚える気ないでしょ?」
と彼女が言った。
そして、ニューヨークに6回目(1回は3週間)も来ているのに、今回も英語を全く話さなかった。
「というか話す気ないでしょ?」
と彼女が言った。
そんな会話をしているうちに、昨日のうちにかめら〜まんが頼んでくれたタクシーがやってきた。
「JFKエアポート。ユナイテッドエアライン」
精一杯のイシコの最後の英語であった。
投稿者 ishiko : 10:43 | コメント (3) | トラックバック
12月13日「ブルーマンを観て初心に返る」
サッカーの中田選手がニューヨークにビルを買い、建築家の安藤忠雄氏とリノベーションするという話は雑誌などで読んでいた。
彼が所属するサニーサイドアップの松本氏が、そのビルを視察に行くというので、僕も無理を言って連れて行ってもらう。
大人のリッチな遊びを少しだけ味合わせてもらうのであった。
夕方、かめら〜まんが最近、再びオープンしたロックフェラービルの夜景へ連れて行ってくれる。
以前、エンパイアステートビルの夜景を見たことがあるが、それよりも感動が大きい。
37年、生きてきた中で間違いなく一番の夜景である。
写真を撮り続けるホワイトマンの面々である。
何より贅沢なのは、かめら〜まんが夜景をバックに撮ってくれた。
夜、オフブロードへ「ブルーマン」を見に行く。
6年程前にもこの舞台を観ているのだが、そのとき僕は白塗りでこの舞台を観に来ている。
不思議な縁だが、No.7かめら〜まんは僕が白塗りで観に来た頃、ブルーマンのオフィシャルカメラマンだったそうだ。
もちろん、当時はその場にお互いが居ることさえ知らなかった。
そして全く別の理由で僕は白塗りで、その場に行ったのだが、そこで「ホワイトマン」という名前が生まれたのである。
しかし、その時はまさか本格的にやろうとは思っていなかった。
その初心に返る意味も込めて、この舞台を観たのだが、英語がわからない僕でも、かなり楽しめる作品であることには違いない。
ホワイトマンはブルーマンと違ってパフォーマンス集団ではないが、残り2年、楽しいことを世の中に伝えていきたいという決意を新たにするイシコであった。
投稿者 ishiko : 10:41 | コメント (279) | トラックバック
12月12日「No.8オメンとの再会」
フィラデルフィアといえば、チーズステーキ。
確かに旨いのだが、僕はフィラデルフィアに来ると中華街にある大好きな餃子の店に連れて行ってもらう。
ここの餃子のタレが大好きなのである。
青島ビールとこの餃子とこのタレさえあれば、最高に幸せな気分になれる。
夕方、マンハッタンに戻ると、イラストレーターでVJのNo.8オメンが、最近の彼の作品とシャンパンを持ってホテルに遊びにきた。
僕は日本語でしゃべり、オメンは英語でしゃべった。
お互いの意思疎通ができていないと、サニーサイドアップの松本氏が訳してくれた。
2年前に会った時より確実に彼の作品がパワーアップしている。
未だホワイトマンのイベントに参加していないオメン。
ホワイトマンが終わるまでに一度、何かの形で参加してもらいたいと思うのであった。
夜、日本蕎麦を食べた後、ブロードウェイでアシスタントプロデューサーをしている池田氏が合流し、ホテルでビールを飲んだくれる。
やはり、みんな疲れがピークに来ているのかグッタリしているのがわかる。
普段ならイシコが真っ先に眠ってしまうのだが、今日は僕の目がギラギラしている。
「みんな、もっと話そうよ〜。もっと芝居の話をしようよ〜。もっとアートの話をしようよ〜。もっとホワイトマンの話をしようよ〜」
とイシコだけフィラデルフィアからの移動中、2時間、爆睡していたことをすっかり忘れ、シャウトし続けるのであった。
投稿者 ishiko : 10:41 | コメント (311) | トラックバック
12月11日「MOMAがNo.30ち〜ムーンの右脳を襲う!」
午前中、新しくなったMOMAに行く。
6階建ての美術館は、やはり何日かにわけていくのがいいであろう。
ち〜ムーンは4階の時点で既に力を使い果たしていた。
しかし、5階は、4階までの現代美術とは違い、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、クリムトなどの豪華な作品が並んでいる。
貧乏性のイシコは
「ち〜くん(ち〜ムーンのことを僕はこう呼ぶ)、ち〜くん、ゴッホがこんなに近くで見られるよ」
と興奮気味に話すが、
「このタッチは目が回る。うっ、トイレに行ってくる〜」
と遂に放棄である。
それでも負けずにトイレから戻ってくる彼女をつかまえ、
「ち〜くん、ピカソがいっぱいだよ」
とやはり興奮気味に話すが
「今の私はピカソとピカチュウの区別がつかない」
と言われる。
最後の力を振り絞って
「ち〜くん、クリムトは?何だかアンニュイな感じだよ」
とアンニュイの意味自体もあやふやだが、誘ってみると、
「クリームパンが食べたい。それがダメならアンパンが食べたい…」
僕らは真っ赤に塗られた絵の前でボーッと座るのであった。
午後、ボッチャマンの自宅のあるフィラデルフィアに行く。
3階建ての豪邸に一人で住んでいる。
家具デザイナーの家らしくに家具まで、かなりこだわっている。
そんな空間で飲むワインは、これまた旨い。
旨い、旨いと言いながら、現代美術で頭が疲れたイシコはそのまま、うたた寝をしてしまう。
起きるとすっかり夜になっていた。
みんなでオシャレをして、街中に繰り出し、予約してくれたフランス料理を食べに行く。
アメリカでも3本の指に入るシェフが手掛ける店なのだそうだ。
未だフランス料理を理解できないイシコは、とにかく「ウマい!ウマい!」とムシャムシャ食べ続けるのであった。
こうして、お腹も満たされ、心も満たされ、ボッチャマンの自宅に戻り、明け方までダーツにふけるホワイトな面々であった。
投稿者 ishiko : 10:40 | コメント (0) | トラックバック
12月10日「恐るべしドルチェ&ガッバーナ」
特に今日は夜まで予定もなく、これということもないのでマンハッタンの街をブラブラ歩いてみる。
セールの文字につられ、バーニーズに寄ってみる。
ドルチェ&ガッバーナのコートもセールになっていたので試着する。
かなりイイ!
値札を見る。
おっ?7万円。
今年は、あまり洋服も買わなかったし、思い切って一枚買ってみるか。
いや待て?7000ドル?
84万円ではないか。
丁重にハンガーに戻すのである。
夕方、みんなと合流し、韓国料理を食べた後、No.6のK3率いる「鼓舞」を見に行く。
ニューヨークタイムズの演劇欄にも大きく扱われていた影響もあってか劇場は満員である。
鼓舞を始めたばかりの6年程前に僕はK3と初めて出会った。
当時、彼女は強盗に入られ、日本で稼いで持って来たお金を取られ、犬の散歩のバイトをしているよとケラケラ笑いながら話していた。
そしてチャイナタウンの小さいイベントで、床はベニヤ丸出しの仮設の舞台上で、結成間もない「鼓舞」のパフォーマンスをしていた。
そして、いつの間にかオフブロードの顔の一つである舞台「STOMP」に主演で活躍するようにまでなっていた。
舞台を観ながら、様々な思い出がフラッシュバックで頭の中を流れていた。
実力も知名度も当時とは全く違うのに、何故だか、あの当時と彼女が変わっていない気がした。
それは表情である。
これ以上ないくらい楽しそうな顔で、やりたいことを思いっきりやっている顔。
「やっぱりK3だ〜」
ふとつぶやくイシコであった。
投稿者 ishiko : 10:39 | コメント (350) | トラックバック
12月9日「ニューヨークで白いリムジンに乗る」
No.30ち〜ムーンとニューヨークに向う。
JFK空港でニューヨーク出張のサニーサイドアップ松本氏と合流。
淑女二人の初ニューヨーク!
それを記念して、No.7かめら〜まんにお願いして真っ白のリムジンを手配してもらった。
リムジンの中で二人は冷えたミネラルウォーターを、僕はスコッチを飲みながら、夕暮れのマンハッタンをゆるゆると楽しむ。
ドライバーは運転席のパソコンでカードゲームをやりながら運転するというのが何ともゆるい。
ち〜ムーンと松本氏を並んで手に入れたばかりのサンヨーのデジカメ「ザクティ」でムービーを撮ってはみるものの、リムジンのシートが長過ぎて地下鉄日比谷線の中で撮っていると言われても納得してしまいそうな映像が出来上がる。
いやいや、マンハッタンに到着した高揚感と長いフライトの疲労感は確実に二人から漂っている。
ホテルに到着するとさっそく、かめら〜まんとフィラデルフィア在住のNo.11ボッチャマンが遊びに来てくれた。
近くの酒屋でシャンパンやワインを買いに…。
ニューヨークまで来て酒屋とは言わないか。
もとい、リカーショップでシャンパンやワインを買い込み、ホテルの部屋でニューヨークの旅に乾杯する。
日本語でベラベラとしゃべるわけで、これでは日本に居るのと変わらない。
いやいや、やはり場所が違えば、話す内容も当然、違うのである。
ふと気付くとアーティストの神田さおり氏のライブペインティングの時間が迫っているので、みんなで出掛ける。
日本人のIT長者パーティーのプライベートパーティーのようだ。
神田氏を日本から呼んでしまうというのもこれまたダイナミックである。
ニューヨークまで来てダイナミックとは言わないか。
ゴージャス?いや、それはどこの土地でも関係がない。
ここで松竹梅の日本酒を飲み…、これでは日本に居るのと全く変わらない。
いやいや、目に映る景色はやはりマンハッタンの夜である。
旅初日独特の高揚感に浸るイシコであった。
投稿者 ishiko : 10:38 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月11日
12月8日「No.34バルーンマン来日!」
チェンマイから、HIV感染孤児施設「バーンロムサイ」の子供達がやってきて3日目になる。2年振りのNo.34バルーンマンも含まれている。
そんな彼らと品川水族館で一緒にイルカショーを見る。
僕はイルカショーを見ていると切なくなるときがある。
特に立ちながらバックしていくイルカには特にそう思えてくる。
彼はどんな気持ちでバックしているのか。
ひょっとすると僕の考え過ぎなのかもしれないが、それでもやはり切なくなる。
来年、中学生になるバルーンマンには、生まれて初めて見るイルカショーはどのように映っているのだろう。
タイ語しか話さないバルーンマンと日本語しか話せないイシコは、話し合うこともできないが、どこかでバルーンマンもそう思っているのではと勝手な解釈をしてしまうのであった。
夕方、霞ヶ関へ国際ワクチン学会のイベントに顔を出す。
No.4レインボーマンの描いた絵が今回のメインイメージとして使用されている。
舞台上ではミャンマーでの活動報告がされている。
僕もミャンマーへは大道芸を持って一度、遊びに行っているので興味深い。
軍事政権の監視下の元でショーをしたのが印象的だったが、今は更に軍事政権色が強くなっているそうで、先進国からの援助が受けられないため、更に貧しい国になっているのだそうだ。
軍事政権から想像してミャンマーを訪れるとこの国の人々の正確が全く違うことに気付く。
今の日本人が忘れてしまいそうな優しさや謙虚さ、慎み深さを持っているのだ。
軍事政権がいいのか悪いのか簡単に判断はできないのだが、何とか先進国が援助できる体制ができないものだろうかと切に思う。
夜、大阪からスパディレクターの河崎氏が上京してきているので表参道でワインを飲む。
現在、新宿のセンチュリーハイアットに来年3月オープン予定のスパのディレクションでかなりの頻度で東京に訪れているのだそうだ。
彼女とイタリアの中華の話になった。
僕はローマのコロッセオ近くの中華屋で食べた炒飯が美味しくて、青島ビールの大瓶に感動したのを覚えている。
彼女はナポリの中華屋で食べたワンタンがラビオリっぽく、炒飯はリゾットのような感じで最悪だったのだそうだ。
それで彼女は1ヶ月滞在する予定だったローマを2週間で切り上げ、バンコクに行ったそうだ。
食べ物とは恐ろしい。
ちなみに僕らは、美味しいフランス料理をいただくのであった。
投稿者 ishiko : 15:06 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月09日
12月7日
「散歩の達人」副編集長山口氏とヒマナイヌ社長川井氏とミーティング。
川井氏は約2年前、青山円形劇場で行われたホワイトマンショー「プレゼンラジオ」に参加してもらい、劇場でプレゼンをしてもらったことがある。
そのときはライフスライスカメラという商品であった。
首から下げたデジカメが、定期的に自動でシャッターが押されている。
一日を通してみるとその人の生活が写真となって一覧になって記録されている。
まさにライフスライスなのである。
この商品は芸術庁のメディア芸術祭で見事、特別賞に選ばれた。
そんな彼が今、ポッドキャスティングを使った面白いプロジェクトを始めている。
僕のやりたいホワイトマンのラジオの可能性が詰まっていて、聞いているうちに妄想が膨らんでくるのであった。
投稿者 ishiko : 11:57 | コメント (367) | トラックバック
2005年12月07日
12月6日
日々、書きたいことは山のようにあり、書くこと自体がここまで好きだとは自分自身気付かなかった。
だったら書きたい本も一気に書き上げればいいではないかと思うのだが、未だにトロトロ50枚程度しか書いていない。
恐らくどこかで僕の中のワクワクボタンが入っていないのだろう。
とは言え、やはり、どこかに一気に書きあげたいという気持ちはある。
これは、やはり、多少は自分を追い込まないとできないことなのかもしれない。
ついに本日の経営会議で年末、最終週の飲み会禁止令が出た。
いわゆる缶詰ということである。
そして本の原稿を書き上げるまでイシコの正月はやってこない。
断っておくが本は出版されるかどうかも未定である。
もちろん映画も見れなくなる。
まだ先の話なのに居ても立ってもいられず、本日も試写に行く。
「プルーフ オブ マイ ライフ」
イギリスの舞台を映画化した作品である。
アンソニーホプキンス演じる数学者が亡くなり、彼の机の引き出しから、誰も解くことができなかった定理を証明したノートが見つかった。
しかし、グイネスパルトロウ演じる娘は「私が証明した」と言い始める。
数学の知識がなくても、ぐいぐい引き込まれていく。
というかイシコは大学で数学を専攻していたのだから、もっと専門的な分野で見ろよと自分に突っ込んでしまう。
しかし、数学者が一日中、机に向かっている姿を見て、
「僕も今月末はあんな感じで缶詰で原稿を書いているんだろうなぁ。美味しいコーヒー豆とほうじ茶だけは買っておこうっと」
と考えてしまうのであった。
投稿者 ishiko : 08:15 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月06日
12月5日
ドキュンタリー「RIZE」の試写を観る。
90年代初頭のロス暴動の本拠地であるサウス・セントラル。
そこで生活する若者達は、ギャングの道に進むことがほとんどだったそうだ。
そこに現れたのがトミー・ザ・クラウン。
クラウンの名前通り、顔を白く塗り、子供達の誕生日に出掛け、出張パーティーを始める。
音楽にあわせて、トミー・ザ・クラウンは体を解放していくようなダンス。
このダンスに影響を受けた若者は、どんどんトミー・ザ・クラウンのように顔にメイクをして踊り始めた。
この現象は、カルフォルニア州南部にどんどん広がっていく。


