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 イシコ連載中





 

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2005年10月28日

10月27日

午前中、No.3コープマンと府中の幼稚園で子供向けホワイトマンショー。
いつも通り反省点は多いのだが、やはり子供達と遊ぶのは最高である。
ショーだけでなく、アニメや絵本などのコンテンツは、今後のホワイトマンの活動の中で最も増やしたい分野の一つである。

午後、プロスキーヤーの児玉氏とスキウェアーSOSの佐藤社長とサンクチュアリ出版にて打合せ。
鶴巻社長と金子取締役、編集長橋本氏と児玉氏の書籍化について話し合う。
エベレストを始め、世界の山々を登ったり、滑ったりする児玉氏ならではの人生観が出ればという話になる。
イシコも人事ではない。
自分が書く本がストップしたままである。
打合せ中、どんどん小さくなっていくイシコであった。

夜、No.17シャーマンに明日のホワイトマンショー「古本ラヂヲ」用のイシコの髪型を創ってもらう。
4時間かけて出来上がった髪の色は、「イシコ」が人生の中で一番白い髪型が仕上がった。

投稿者 ishiko : 09:59 | コメント (0) | トラックバック

10月26日

宮古島。快晴。
ようやく日の出が撮影できたようである。
「ようである」というのは、みんなが撮影している間、2日酔い気味のイシコはホテルでゆるゆる朝食をいただいていたのだ。

過酷なスケジュールと優秀なスタッフで全ての撮影が早めに終わり、自由時間となり、みんなはゴルフに出掛けて行った。
イシコは、スパプロデューサーの河崎氏とカフェグルーヴの佐藤氏ら女性陣と一緒にオリオンビールを飲みながら部屋でゴロゴロする。
最高級ホテルなので、ホテルライフを堪能するには最高なのだ。
ビールからワインに変えて、ボーッと海を見ていたり、河崎氏と日本のスパ論についてお話したり、オープンテラスで食事を楽しんだり、昼寝を楽しんだりしていた。

夕方、最後まで僕らは遊び続ける。
ホテルのプールに集り、シャンパンを飲みながら遊びまくる。
クロール競争をしたり、飛び込みで遊んだり、シャグジーでゆるゆるしたりと、これまた楽しい夕暮れ時を味わうのであった。
最後に空港でみんなが行った。
「で、結局、イシコは何しに来たの?」
ライターのイシコは、これからが本番なのだ。

投稿者 ishiko : 09:56 | コメント (0) | トラックバック

10月25日

宮古島。曇り後雨後晴れ。
4時30分に起きて、みんなで真っ暗な岬にタクシーで向かい日の出を待つ。
待っている間、それぞれ海に向かってそれぞれの時間を過ごす。
風に当たりながら眠る者。普段、しないような分野についてのおしゃべりを楽しむ者。
ビデオカメラやカメラを楽しむ者。
ライターとしてのイシコは、缶コーヒーを飲みながら、岬でメールを打つ。
と言っても電波がつながらないので、返事を打って後でまとめて送信できるようにしておく。
しばらく待ったが、この日も結局、日の出には巡り会えなかった。

本日はゴルフを楽しむシーンと楽園を味わうシーンの撮影である。
雨が降って来たり、一気に晴れ渡ったり、天気とゲームをしているかのように撮影は進んで行く。
写真の上手さだけではなく、撮影の早さにも定評のあるかめら〜まんは、そんな過酷な条件の中で夕方までにほぼ全てのシーンを撮り終えてしまった。

夜、全員で宮古島の市内へ飲みに繰り出す。
10年振りくらいで、一気飲みを味わうイシコであった。
宮古島には「オトーリ」という、自己紹介してから一気に飲むというこの島独特の風習に影響を受けたのかもしれない。

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10月24日

小浜島。曇り時々雨。
日の出の撮影は、雲が厚く撮ることができなかった。
自称「晴れ男」達が集っているはずなのにおかしい。
誰かが嘘を言っていて、雨男が混じっているのかもしれない。
一番、疑われているのはイシコである。
「待てよ。マジで僕かも」
と小学校からの大切な行事の天気を思い出しているうちに小浜島での撮影は終了した。
午後、小浜島から石垣島を経て飛行機で宮古島へ移動。
楽園というには、少々、過酷なスケジュールである。

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2005年10月25日

10月23日

6時30分の飛行機で沖縄へ。
そのまま乗り継いで石垣島へ。
そして高速船で小浜島へ。
新しく始まった「楽園ゴルフ」の企画で、やってきた。
プロデューサーNo.23キャスパー、ディレクターNo.15ヒーマン、カメラマンNo.7かめら〜まんとホワイトマンばかりなのでとても気が楽である。
それにゴルフダイジェストの善財氏、制作にカフェグルーヴの佐藤氏、モデルにカメラマンの井島氏、スパプロデューサーの河崎氏が加わり最高の旅になりそうである。
夕食時に泡盛を飲みながら、みんなが言った。
「イシコは何しに来たの?」

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10月22日

昨日に引き続き「散歩の達人」山口氏と元MONOマガジン編集部の黒田氏と渋谷のイタリアンレストラン「ハウス青山」に行く。
黒田氏はホワイトマンで初めて連載を持たせてくれた方である。
その後、MONOマガジンを辞め、1年半イタリアへ遊学に行って戻ってきたばかりである。
そのイタリア遊学時代に仲がよかったのが、現在、イタリア在住でワイン畑で働いている「ハウス青山」の愛娘倫子氏である。
たまたま来日中ということで倫子氏から、いろいろなワインと美味しいご飯をご馳走になる。
そのうち彼女のワイン畑の収穫の手伝いに行こうと思う。

食事の後、そのまま、みんなでSOS自由ヶ丘店の収穫祭を覗きに行く。
今夏、エベレスト登頂したプロスキーヤー児玉氏やパラリンピックでお馴染みの田中氏が北海道から来ていて賑わっている。
イシコは早々に切り上げた。
明日、沖縄への便が早いので本日は蒲田のホテルに泊まるのである。
ホテルにチェックインして、ゆるゆるとお香を嗅いでいたら、いつのまにか眠りに堕ちていくのであった。

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10月21日

デザイナーの小島氏とミーティング。
ホワイトマンで写真のような絵本、イシコ的には写絵本が作れないかと思い、あぁでもない。こうでもないとやっていたら、あっという間に2時間も経ってしまう。
「ゆるゆる」という言葉だけで実態のつかめないホワイトマンだが、その「ゆるゆる」を何とか表現として形に残したいのであるが道のりは険しそうである。

夜、地球温暖化防止活動推進センターの桃井氏、「散歩の達人」編集部の山口氏とワインをテーマに恵比寿を2件、梯子する。詳しくは東京モンドヴィーノにて。

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10月20日

No.3コープマンの自宅で子供ショーの稽古をする。
イシコとコープマンで子供ショーをするのは今回、初めてなので気合いが入る。
僕らが稽古している脇で5ヶ月になる壽ちゃんが、ショーを見学している。
どうやらボールのジャグリングがお気に入りのようでキャーキャー興奮している。稽古というより壽ちゃんを喜ぶために何をすべきかの研究になってしまった。

夜、システムデザイナーの黒田氏とスゥエーデンのスキーウェアーメーカーSOSの小林氏とSOSのWEBミーティング。
入荷時期ということもあるのだろうが、このところ、SOS-WEBのアクセスが急激に伸びているそうである。グッドニュースを聞くと俄然、ミーティングも盛り上がり赤ワインで乾杯するのであった。

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10月19日

古本カフェオーナーの山路氏と東銀座の老舗カレー屋でチキンカレーを食らう。これにビールがあったらと最高と思うのだが、この後にミーティングが控えているので我慢する。カレーで身体を熱くした僕らは、マガジンハウスに向った。
来週、行われるホワイトマンショー「古本ラヂヲ」の打合せである。

マガジンハウスの石崎社長、秦取締役、サニーサイドアップ松本氏、マスコミにもよく登場する自由ヶ丘で古本屋を営む西村氏と豪華な顔ぶれの中、打合せが始まった。
秦氏は僕が大学時代に夢中になって読んでいたポパイやブルータスの編集長だった人である。当時の話を聞いているとメチャクチャおもしろい。
28日の「古本ラヂヲ」ではゲストとして登場していただく。
かなり面白いトークショーになりそうである。

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10月18日

絵本作家の五味太郎氏やブックドクターのあきひろ氏の仲間に入れていただき、雨の代々木公園でドッジボールや野球を繰り広げる。
どろんこになるのは何年ぶりだろう。
たまには、どろどろになりながら遊ぶのは気持ちがいい。
ふと今の子供達は、どろどろになって遊ぶことがあるのだろうかと大きなお世話なことを考える。

終わった後、代々木八幡の銭湯に行く。
この銭湯はイシコにとって思い出の場所である。
雑誌編集長時代、この銭湯の隣に編集部があり、入稿1週間前になり事務所に泊まり込みになると毎日、この銭湯に通っていたのだ。
思い出と湯船に浸るイシコであった。

夜、表参道のクレヨンハウスで打ち上げ。何と五味太郎氏から敢闘賞をいただいてしまった。その場で包みをあけると商品はちょうど買おうと思っていたキーホルダーだったのでメチャクチャ嬉しかった。興奮しながら、ビールを飲んでいると次の約束の時間が過ぎていた。急いでタクシーをつかまえ恵比寿に向う。

お待たせしてしまった映画プロデューサーのNo.24キャスパー、映画「少林サッカー」などで知られるクロックワークス酒匂社長、カフェグルーヴの永留氏と間もなくオープンするイタリアンレストラン「カルチェ」に行く。
20代のオーナー伊勢崎氏は、既に都内で4店舗の隠れ家的な店をプロデュースしており、今回のこの店もメチャクチャ素敵である。
シャンパン、白ワイン、赤ワイン、兎料理、鳩料理、パスタなど、どんどん出てくる美味しい料理や酒が身体中に染み渡り、昼間の泥遊びの疲れも混じり、いつしか眠ってしまうイシコであった。

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2005年10月18日

10月17日

養老の墓石屋に行く。
イシコ家の墓に刻まれていない故人を姉の磨奈美ちゃんが発見したのである。
新しいお墓を建てなくてはいけない可能性もある。
デジカメで撮ってきたイシコ家の墓を見せ、いろいろなパターンで見積を建ててもらう。
その間に墓石のショールームを見せてもらう。
不謹慎と言われるかもしれないがイシコはワクワクしていた。
墓石を選ぶ体験などはそうそうないのだから。
何だか大学時代に中古車屋で選んでいた感覚が蘇り、墓石が並べられた中をぐるぐるまわっていた。
幸いなことにイシコ家の墓は、クリーニングと追加彫りだけで新たにお墓を建てなくてもよさそうだ。
少しがっかりしたが、確かに新しいお墓を建てると100万円以上するのだからそう簡単に建てるわけにはいかない。
懐具合は車を買う感覚というわけである。


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2005年10月17日

10月16日

午前中、散歩をしていたら京都市役所前でフリーマーケットをやっているので立ち寄ってみる。
「(クシャクシャのドレスを触りながら)これ、めっちゃ高かったんですよ」
「もうちょっとまけてぇな」
「(電気のかさを触っているおばちゃんに)これ3月に買うたばかりで使ってへんよ」
「ほんま〜?壊れてるんちゃうの?」
関西弁が飛び交いながらの値段交渉は新鮮で、しばらく見入ったり、聞き入ったりしていた。

午後、在来線でゆるゆると名古屋まで移動する。
今回の旅の目的の一つにスゥエーデンのスキーウェアーメーカーSOSの大阪店と名古屋店へ伺うことになっていたのだ。
昨日は大阪店へご挨拶に伺い、賢二さんととりとめもない話をした。
今日は名古屋店で最新の輸入DVD「WAR」を1本まるまる店先のモニターで拝見させていただいた。

夕方、広告代理店に勤めるN氏と約束していたつもりだったのだが、携帯電話に連絡すると何と岐阜でデートの真っ最中であった。
そういえば以前、会ったときにN氏は、ここ数年、彼女が居ないとぼやいていたのを思い出した。
「やったね!お幸せに〜」
と電話を切り、名古屋名物の「山本屋」の味噌煮込みうどんを食べ、岐阜の実家に帰るイシコであった。

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2005年10月16日

10月15日

朝一の新幹線で大阪に行く。No.2カマンが初めて、作・演出を担当しているそとばこまちのアトリエ公演があるのだ。1ヶ月ロングランで公演できるというのもアトリエという自由さからであろう。ビールを飲みながら芝居を見ることができるのもアトリエという自由さからであろう。アトリエという表現の贅沢感に浸りながら芝居鑑賞に熱中するイシコであった。

夜、作家の新元夫妻と京都は河原町の京料理屋で白ワインや日本酒を飲んだくれる。先月までミラノに居て、今月は京都、来月は未だ決まっていないという何とも羨ましい旅暮らし中の二人である。
旅話やイシコが現在、行き詰まっている本話など、あまりに盛り上がってしまい岐阜の実家に帰る予定を変更。
京都に泊まることにしてバーに移動して赤ワインを飲み続ける。

入り口で出会ったオーストラリアから来ているグラフィックデザイナーの夫妻とカウンターで一緒に飲む。
イシコは全く英語が話せないが、新元夫妻はペラペラであるので話もはずむ。
彼らがホワイトマンのリリースに興味を示した。
ニューヨーク在住20年以上で翻訳家としても活躍する新元氏のスペシャルな英語でいろいろ訳してくれるのだが、肝心のイシコが日本語でホワイトマンとは何ぞやを相変わらず説明できなかったので、彼らは最後までホワイトマンを理解することができなかった。
彼らが帰る間際に僕は言った。
「ホワイトマンとはアメージングなんです」と中途半端な英語を使ってみた。
オーストラリアではホワイトマンはどう解釈されるのだろう。

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2005年10月15日

10月14日

ホワイトマンでお世話になっている会計事務所にて、数字上で経営の問題点を指摘される。
大学では数学を専攻していたにも関わらず、数字に滅法弱いイシコは指摘されていることが、なかなか理解できないのである。
結論は、もっと働いてくださいということ。

夜、ニューヨークから来日しているファンクショナルアーティスト福永たくみ氏のレセプションパーティーに伺う。
雑誌編集長時代にニューヨーク特集で知り合ってから、彼女が来日する度、イシコがニューヨークに行く度に遊ばせていただいている。
あいかわらず彼女の作品の曲線は美しい。
シャンパンをいただきながら、感動するのであった。

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10月13日

経営会議。
今、一番の問題点は、イシコのホワイトマンに対するビジョン。
これはホワイトマンだけではなく、イシコにとってもターニングポイントになるのだろう。
僕がホワイトマンで伝えたいことは何なのか。
僕がホワイトマンで本当にやりたいことは何なのか。
僕がホワイトマンをやり続ける理由は何なのか。
話し合って出る問題ではない。
自分を突き詰めて、深く考えてみる時期に来ているようだ。

夕方、コープマンの家でビールを飲みながら、今月末に行く幼稚園のショーの打合せ。
夜は「散歩の達人」編集部の山口氏と「カワイイ」編集部の宮川氏とモンドヴィーノ飲み会をしてから帰宅。
イシコの声は本日もドナルドダックなり。

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10月12日

朝、起きるとドナルドダックのようである。
しかし、今日は午後から広尾のハネザワガーデンにて「和ペリティーヴォパーティー」。
予想通り、会う人達から
「何だ?その声?バカにしてんのか?」
それならまだいい。
初めてホワイトマンを見た人からは、
「話芸も大変ですね」
と言われる始末。
ホワイトマンがアニメになった時は、この声にしてやる。
そう誓うイシコであった。

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10月11日

サニーサイドアップの松本氏と広告代理店ADKで某プロジェクトのミーティングに参加する。
松本氏は、たまに怖いことを言い始める。
今日のミーティング中も、いきなり、イシコの30日シリーズを提案し始めた。
「制限をつけた方が見ている人達も面白いと思いますよ。楽しいだけのコラムだと読者は飽きてしまうと思います」
的を得ているだけに反論できない。
思えば昨年のスーパーサイズミー(寿司編)のプロモーション企画で1ヶ月90食寿司だけを食べ続けてから、はや1年。
などと感慨にふけっていたらミーティングは終了。
夜、試写に向うために六本木に移動中、急に声が出にくくなっていることに気がつく。
身体も何だかだるい。予定変更、自宅に戻り風呂だけ入ってすぐに眠りにつく。

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2005年10月11日

10月10日

親戚の葬式で岐阜に向かう。
今年は既に3人目である。
これが多いのか少ないのかは親戚付き合い初心者の僕には判断できない。
今日、亡くなられた方は、93歳だったそうだが、イシコは面識もなく(あるのかもしれないが、記憶にない)棺桶に向かって手を合わせ「初めまして」と言う始末。
でも本家の長男として僕の名前で花輪も出ているので、それなりに行く意味合いはあるのだろう。
そもそも本家って何なのだろう。
大谷派のお坊さんのお経を聞きながら、本家についてボーッと考えるのであった。

葬式が終わってから姉の磨奈美ちゃんと父の墓参りに行く。
今日は、亡き父の27回目の命日にもあたるのである。
お墓のまわりの草を抜き、墓に水をかけながら姉の先生奮闘記話を聞く。
何だか風邪っぽいので家で1本だけビールを飲んで、すぐに東京に戻る。
新宿の店で湯葉のお粥を食べて自宅に戻り、風呂に入ってすぐに布団に入る。
時計を見るとちょうど家を出てから12時間が経過していた。
「何か乾いた一日だったなぁ」
眠りに落ちる前につぶやいた一言であった。

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10月9日

No.30ち〜ムーンとNo.25リョウの文化祭を見に行く。
彼の通う高校の文化祭は、ビデオが発売される程、有名な文化祭らしい。
今年、高校に入ったばかりのリョウ達のクラスが選んだ演目は「STOMP」。

身近にあるマッチ箱やモップなどを楽器にしたり、ボディパーカッションなどでリズムを刻むパフォーマンスである。
ホワイトマンにはニューヨークのブロードウェイの「STOMP」で活躍するパフォーマーNo.6K3がいる。
リョウはK3が来日公演中にお願いして、高校に来てもらい教えてもらったそうだ。
何とも贅沢な先生である。
こうして高校生STOMPが出来上がった。
見ていたら参加したくなってくるのであった。
ち〜ムーンはしきりに最近の高校生の姿勢の悪さを指摘していた。
それを聞き、急に背筋を伸ばすイシコであった。

夕方、久しぶりにホワイトマンダンスレッスンに参加する。
身体が固いとは言うが背中と腰が固いというのは、普段、あまり使わない。
せいぜいマッサージで
「お客さん、かなり凝ってますね〜。背中と腰がコチコチですよ」
と言われるくらいである。
その背中と腰がいかに固いかを本日は知るレッスンとなった。
そこが柔らかくなるとダンスの身体使いの幅が広がるのだそうだ。
きっとそうすると姿勢もよくなるのだよと、身体が柔らかいち〜ムーンにぽんぽんと背中を叩かれるのであった。

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2005年10月09日

10月8日

どうやら風邪をひいたらしい。
らしいというのは、自分自身全く気がついていなかったのである。
そういえばレース旅から戻ってきてから、身体がだるいなぁと思っていた。
そういえばくしゃみがよく出るなぁと思っていた。
そういえばよく眠るなぁと思っていた。
朝、母の葵ちゃんと電話していて僕の声がおかしいらしく
「風邪ひいたんかね?」
と岐阜弁で言われ、風邪をひいていると気がついたわけである。
というわけで本日はほとんど寝ていた。
それにしてもよく眠れるものである。


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10月7日

先日、東京ガスのイベントでやったイシコのヘボ大道芸を幡ヶ谷のガス展で2日間やってもらえないだろうかというお話をいただいた。
その時期、東京に居るわけだし、楽しそうなので、やることにして早速、打合せに出掛けた。

23歳で上京した頃、幡ヶ谷に2年程住んでいた。
住んでいたというかNo.30ち〜ムーンのマンションに居候していたと言った方が正しいのかもしれない。

あまりの懐かしさに打合せを終えてから幡ヶ谷の商店街を歩いてみた。
変わってしまった商店街に驚いてしまう。
ただ、古本屋で50円の単行本を買い、近くのスーパーでバナナとビールを買うという10年前のイシコの500円散歩コースが残っていたのは嬉しかった。

夕方、四谷で出版プロデューサーN0.10バランスマンと編集の内海氏と本のミーティング。
イシコは、ずっと頭をかきむしっていた。
初めての本という変な気負いがあるからなのか、それとも「がんばり」が足りないのかは判らないが、これはという企画がイシコから未だ出てこないのである。

さすがに落ち込んでしまったので飲んでから帰ろうと思った。
ちょうど四谷に編集部のある「散歩の達人」副編集長の山口氏を誘って新宿御苑のカルフォルニアワインの店へ連れていってもらう。
その続きは「東京モンドヴィーノ」に書くことにする。

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2005年10月07日

10月6日

横浜ホテルニューグランドで爆睡後の朝を迎える。
とはいえ4日間のレース旅の疲れが身体に残っている。
No.33イタロとシャンパンを飲みながら、ゆったりとした朝食をいただく。
そういえば今日から、シネマカフェでフランス映画「モンドヴィーノ」のプロモーション企画でイシコは1ヶ月ワインを飲み続けることを思い出した。
幸せな企画であることは間違いない。
まずは昨日、飲んだ1998年のビンテージシャンパン「ドンペリ」の話でも書くことにしようと思いながら、ボーッとする。

午前中、ホテルでミッレミリアの表彰式に参加した後、渋谷でマッサージを受け、「楽園ゴルフ」という企画の打合せに行く。
今月下旬から宮古島、小浜島に行く、これまた最高な企画である。
しかし、打合せ中、まだ頭の中でエンジンの音がしている感じがしてボーッとしている。
No.15ヒーマンやNo.24キャスパーに
「イシコさん、起きてくださ〜い」
と言われ続けながら、それでもボーッとし続けるイシコであった。

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2005年10月06日

10月5日

「ミッレミリア」4日目。
栃木県は茂木町を出発し、1カ所目のスタンプポイント茨城県は笠間町から高速道路で千葉に向う途中でまたまた故障。
これで今回の旅でトータル6回目の故障である。
遂には事務局のローダー(牽引車)も現れ、いつでも車を乗せて運びまっせ〜状態である。
それでもNo.33イタロは最後まであきらめず、常連の車修理屋に電話をして、アドバイスを聞きながらエンジンをいじり、遂に復活までさせてしまった!
イタロ恐るべし!
こうしてホワイトマンカーは1600キロのレースを無事、走り抜けるのであった。

夜、1998年のドンペリをいただきながら、フランス料理を食べる。
その後のパーティーではかまやつひろしやミッレミリアに出走していた堺正明のバンドを聞きながらイタリアワインを飲んだくれる。
ローリングストーンズから太陽のほえろのテーマ曲まで選曲の幅が広くメチャクチャ面白く、いつのまにか踊りまくっていた。
1600キロ走り切った満足感と開放感で幸福感に浸るイシコであった。


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2005年10月04日

10月4日

今回、沿道のお客さんとのコミュニケーションはクラクションである。
そのクラクションが壊れた。
メカニックの方にまたまた直していただき走行開始。
次はガソリンスタンドで給油後に、エンジンがかからなくなった。
No.33イタロが自力でエンジンを修理し、再び走行開始!
しかし、1キロも走らないうちに再びエンジンが止まってしまった。
公道の真ん中の為、少し先の広場まで押していく。
そこにちょうどメカニックの方が通りかかり直していただく。
何とかツインリンクもてぎまで辿り着く。
ここでサーキットを8周する。
しかし、1周目でエンジンの調子が悪く、ピットイン。
メカニックが一気に集ってくれた。
トラブルなのだがF1レーサー気分を味わえ、不謹慎だが少しだけ嬉しい。
やはりプロのメカニック。
すぐに直していただき、またサーキットに戻る。
本日もトラブル続きだが、何とか走り抜けた。
皆様、本当にありがとうございました〜。

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10月3日

早朝、エンジンが全くかからない。
メカニックも集り、いろいろ対処していただくが、やはり、エンジンはかからない。
そうこうするうちに出発時間が刻々と迫る。
しかし、まだかからない。
もちろん朝食抜きである。
出発10分前、メカニックの方がエンジンの一部を開けて、対処していただき奇跡的にエンジンがかかる。
そこからホワイトマンメイクを始める。
1分前に準備完了。
こうして本日も無事、440キロ完走することができた。
めでたし。めでたし。

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10月2日

2年振りにクラシックカーレース「ミッレミリア」にホワイトマンでNo.33イタロとイシコとで出走する。
早朝、明治神宮の出発地点に行くと1900年代初頭の車から僕らが乗る1967年製のチンクエチェントまで幅広いクラシックカーが108台も集っている。
「今年もホワイトマンで出走ですかぁ?」
とあちこちから声を掛けられる。
もちろん、今年もホワイトマンで出走である。
しかし、スタート寸前で、いきなりエンジンが動かなくなり、スタッフみんなで押しがけをしてもらう。
無事、出走できたと思いきや、首都高速でいきなりエンジントラブル。
このまま東京を出られないまま終了するのかと思いきや奇跡的に復活。
こうして何とか1日目は無事、裏磐梯のホテルに辿り着くことができた。

投稿者 ishiko : 22:22 | コメント (0) | トラックバック

10月1日

何年振りだろう。
昨日、今日と久しぶりにイベントの現場ディレクターの仕事をしている。
イベントに出演するタレントのキャスティングだけでの予定だったのだが、人が足りないということでかり出されたというわけである。
7、8年程前、この事務所で僕はイベントディレクターの仕事でお世話になっていたので、そのご恩返しでもある
インカムと呼ばれるトランシーバーを身につけることさえ、久しぶりで何か妙に新鮮である。
いかにも「僕、仕事しています!」って風貌が出来上がる。
しかし、風貌だけであった。
ほとんどディレクターとしての仕事はできず、逆にアルバイトの方々に迷惑をかけるイシコであった。

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9月30日

バイクのレースDJ松下氏、メカニックの柳本氏、カメラマンのNo.7かめら〜まん、IT系会社副社長の黒田夫妻、デザイナーの高橋氏、ヴォイストレーナーのNo.30ち〜ムーンと渋谷で飲む。
先日、みんなでオートバイの世界GP観戦に行ったその打ち上げも兼ねている。
チケットを忘れたり、飲んだくれたり、日焼しまくったり、コース案内をしてもらったりと本当に楽しい観戦だったので、その分、打ち上げも盛り上がり、芋焼酎ががんがんなくなっていくのであった。

投稿者 ishiko : 21:34 | コメント (0) | トラックバック

9月29日

スゥエーデンのスキーウェアーメーカーSOSのWEB特集用のインタビューである。本日は、フットサルチーム「森の熊さん」。
サッカーの名門曉星高校のサッカー部OBが母体となって作られたそうで、稲葉氏のようにフットサル日本代表も在籍している。
関東リーグなどは、フットサルの試合で数千人の観客が集るほど白熱しているのだそうだ。
近々、生の試合を見に行ってみようと思う。

投稿者 ishiko : 21:31 | コメント (0) | トラックバック

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